第2話 血で血を洗う敗北争い

 完全に油断していた。


 どう間違っても妾腹の末子などに皇帝の座などが巡ってくるはずがない、と。

 しかし兄たちの負の熱量を見誤っていた。まさかここまで全力で皇位継承を避けようとしてくるとは。


 格子の中では、勝ち誇ったように一虎イーフが笑っている。


「悪わりいな四玄スガン……。オレはこんな争いから一抜けさせてもらうぜ」

「卑怯だぞ虎兄! いやしくも第一皇子の名誉を何だと思っているんだ!」

「オレはよ。地位とか名誉とか、そういうのに興味がねえんだ。へへっ」

「せめて恥と外聞だけは気にしてくれ」


 そう言いながらも、俺は腹の中で「今晩同じことをやるか……」と考えていた。

 三龍サウランは根が陰気だからここまで大胆な不祥事には走れないだろうし、女性である二朱リャウシャはさすがに恥じらいが勝つ――はずだ。


 一虎の後追いになるのは癪だが、これで二抜けを確定させられる。


「ちなみに、次に同じようなことをする者がいたら皇子としての権限をすべて剥奪して国外追放に処する所存だ。決して二度目は許さん」


 と、そう思っていた矢先に皇帝が玉座から牽制を放ってきた。


 俺は言葉に詰まる。皇帝の座に就くのは嫌だが、そのために国外追放などになっては本末転倒である。


「一虎よ、お前もこれで候補から抜けられたとは思うな。むしろ余は、目的のために手段を問わぬその豪胆さだけは評価したいとすら思う」

「おいおい正気かよ親父? 無暗に行動力だけあればいいってもんじゃないだろ……。大事なのは行動の内容だぜ?」


 行動力の権現である一虎が自らを卑下する。


 確かに彼の行動には絶望的に思慮が足りない。こちらとて他人のことをとやかく言えるほど思慮深くはないが。


 ゴミでも見るような目で皇帝は一虎と俺を交互に見る。


「ともかく、お前たち全員の心根が等しく怠惰というのはよく分かった。なれば、もはや純粋に能力の差で後継者を選ぶしかあるまい」


 やる気がないならせめて有能を置こうという肚か。妥当ではあるが、しかし――


「つまり陛下。それは結局のところ私を選ぶということになるのでは?」

「四玄。前々から思っていたが、お前は兄たちのことを見下してはおらんか?」

「正直なところ。こんなことを平気でする方が筆頭ですので」


 そう言って俺は檻の中のフンドシ男を指で示す。


「おい馬鹿言うな四玄。誰が平気だって? オレがどれだけ苦悩してこの行為に及んだと思ってる」

「黙っていてくれ虎兄」


 醜い兄弟喧嘩を前にして、皇帝がため息をつく。


「余からすれば四玄。お前の愚劣さも他の者たちと大差ないがな――まあいい。これから余はお前たちの優劣を見極めにかかる。今すぐ第一道場に向かえ」

「かしこまりました」

「一虎もだ。その程度の檻ならば己で出られるな。罪人ごっこはその程度にしておけ」

「へいよ」


 腕に力を入れた一虎は後ろ手の手枷を難なく破壊し、その剛腕で鉄の格子をこじ開けた。台車に載せた簡易的な檻とはいえ、常人ではありえない膂力である。


「道場には二朱と三龍も急ぎ向かわせる。そこで四人全員で模擬戦を行い、誰が勝つかを見させてもらおう。お前たちの武技がどれほどの域に達しているか、余も楽しみにしているぞ」


 一瞬、俺と一虎の視線が交錯した。

 考えていることはお互いに明らかだった。


 ――いかにしてわざと負けるか、と。


―――――――――――――――――――――――――――……


 道場へ向かう道すがら、並んで歩く一虎と会話はなかった。戦いを前にした緊迫の空気、というのとは少し違う。必勝ならぬ必敗の策を一心に講じようとしているからこその無言である。


 俺は顎に手を添えて考え込む。

 一秒の隙も与えてはならない。試合が始まった瞬間に敗北を決めねばならない。


 すなわち開始と同時に白目を剥いて倒れる(演技)。その原因は誰かが放った早すぎる斬撃ということにする――これだ。この策なら他を出し抜ける。


 そのとき、目の前の曲がり角から細長い人影がふらりと揺れ出てきた。男にしては前髪が長く、夜道に立っていたら幽霊のような印象を与える不気味な人物だ。


「おや……お二人もこれから道場ですか? まったく、父上も困ったものですよね。いきなり呼びつけるなどとは……」


 ゴホゴホと咳をしながら目を細めるのは、第三皇子の三龍である。書生風の粗末な着流しを纏った優男だが、彼もまた皇帝の嫡子たる豪傑の一人だ。


 ちなみに一虎の服装といえば、未だにフンドシ一丁のままである。白一色の布地には達筆な墨筆で『一虎』と書かれている。国の恥だ。


 そんな国の恥は自分のことを棚に上げて三龍に偉そうな指摘をする。


「おい三龍。その肺病みてえな演技はやめろよ。親父には仮病だってバレてんぞ」

「仮病? 何を仰るのです虎兄。僕がそんな卑劣な真似をするわけがないでしょう……ああ、この病弱な身体が恨めしい。もう少しばかり命が長ければ、皇位もやぶさかではなかったのですが」

「病弱ぅ? なに寝言抜かしてんだてめえはよ。いいからさっさとゲロって皇帝になれよオレは陰ながら応援するから」

「虎兄も龍兄も醜い言い争いはやめてくれ。どうせ道場ですべての決着が付くんだ」


 不毛な論争に集中力を乱されたくなかった。今は敗北の演技構成を頭の中で完璧に組みたてねばならない。斬られたときの苦悶の悲鳴。全身の力を脱力させる昏倒のフリ。白目に加えて泡まで吹けたら最高かもしれない。


 だが、そんな俺の想定は甘かった。


 敗北を演じる戦いは既にこの場から始まっていたのだった。


「陰ながら応援……ですか。ああ、そうですね。そうして祝われながら皇帝の座に就けたらどれだけ僕は幸せだったでしょうか……」


 急に三龍が儚げな声色を作ったかと思ったときには、もう遅かった。


 彼の身体が風に吹かれるかのように揺れ、通路の床へと傾いていく。そしてその口の端には赤い血が浮かび――


 うつぶせに倒れると同時、床に大量の血を吐き散らした。



「謀ったな!」



 俺と一虎がほとんど同時に叫んだ言葉は、しかし彼への心配ではなかった。なぜなら、血だまりの中に伏せる三龍の瞳は、これ以上ない生気に爛々と輝いていたからである。


「ふふふ……お望み通り『ゲロって』あげましたよ。この胃の腑に溜め込んだ特製の血糊をね。官医すら本物と見紛うほどの力作です。この凄惨な光景を衆目に晒せば僕の不戦敗は確実というもの……! さあ集え目撃者よ!」


 そう言うと三龍は、着流しの袖に仕込んでいた呼び鈴をガラガラと打ち鳴らした。

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