第23話 ポリリズム


 外科医の泊まっていた客室を一通り見終えた彼らは、言葉少なく無残な場から立ち去りドアを静かに閉めた。

 廊下で直立し、お互い顔を見合わせる。額に光る汗、青白い頬、血走った目、それぞれが現在の心境を色濃く物語っていた。


 「……殺……殺されていた……殺人事件だという事に異論はないな……」


 マジシャンのモリヤが最初に重い口を開いた。


 ドクターは頭部を強打されキッチンルームの床に倒れ死んでいた。深い傷から吹き出し一面に溜まった血はまだ固まってはおらず、ピクリとも動かぬ肉体も完全に冷たくなっていなかった。


 「き……傷跡は、鋭い物で切り付けられた感じではなく……鈍器で殴られたものでもなかった……あのダメージを与えた凶器、おそらくは……さっきのあの斧でしょう……」


 探偵のマーヴェルが、そう推測する。


 「つまりは……どっちが先だか分からんが……爺さんと医者は、ジェイソンばりの殺人鬼に同じ斧で次々と殴り殺されたという事だな?」


 モリヤの言葉通りの可能性は高い。マーヴェルはあえて否定は挟まず、肯定する意味で首を前に傾けた。


 無言で傍に立ち彼らの会話を聞いていたクガクレと、探偵の相棒クリスがほぼ同時に何かに気が付いたように「あっ」っと声を上げた。


 「あの男の子……、3階のあの子も? もしかしたら!」


 「マーティ!」


 マーヴェルとモリヤはアイコンタクトを交わすと、「ああ、行って見よう!」



 皆、一斉に急ぎ足で階段の方へ向かう。モリヤに続いて階段を駆け上る探偵、突然ふと足の運びを緩めた。

 隣を少し怪訝そうな表情を浮かべ、クガクレが黄金色の艶やかな髪をふわりとひらめかせそのまま一段一段、追い抜いていく。


 完全に足を止めたマーヴェルは階下を向き、呟くように言った。


 「おいおい……またぁ……急ぐって時にどうした?」


 「あれ……なんや?」


 指さす方を見る…………。一見何も変わりない階段のへり、足踏み面の手前側の端っこ。


 「?」


 「ほら、よく見てみ……爪の先みたいな……」


 そう言われて、階段を数段下りて腰を屈めよ~く見ると……何やら赤黒い汚れが付いている。


 …………血痕だ。


 血液が階段の平面に落ちたのでは無く、偶然にも丁度角の辺りに落ちた為ほとんど目立たない。


 (……よく…気づいたな……たまにみょ~なところで大手柄を上げるんだから……クリスの奴……まいっちゃうなぁ……)


 その賞賛の言葉は一切口に出すことなく、考えるマーヴェル。


 (し、しかし、どうする? 誰の血か? 恐らくは血だろうが……いつ付いたのかも定かではない……その上、検査する手段が今は無いし……証拠保全と言っても……う~ん……しかたないか)


 次の行動をどうするべきか若干の葛藤はあったが、探偵はポケットからハンカチを取り出すと、スッと上からふき取った。一連の行動は素早い淀みのない流れで行われ、そのまま何事も無かったかのように階段を駆け上り先に行く彼らに続いた。


 (いったい何度この階段を上り下りするんだ? こんな気持ちで)



 結果として10秒もかからず、ほんの少しばかり遅れただけのマーヴェルに、おひつじ座の間の前で立つモリヤが、いつもいつも何をぐずぐずしてるんだと言う様な顔で、顎をしゃくって合図した。


 素直に従い、探偵がノックをして呼びかける「お~い、マーティ君!」


 反応が返ってこない。


 ドアノブを握りドアを開ける。


 ……。


 ドアが開かない、鍵がかかっている。それはそうだ、今までは偶さか開いていたにすぎず、使用中の客室ならば普通はカギがかかっている可能性が高い。


 探偵の動作から鍵が閉まっていることを知ったモリヤ。


 「いくら内開きだからって、映画の様に体当たりで開けてくれなんてバカな事は言うなよ? 肩が外れちまうぜっ。……脱出用の扉でも何でも、ぶち破る時はきちんと仕掛けで安全性を十分確保してるんだからな」


 真偽は分からないが、この中で一番ガタイの良い彼にその役割が回ってくるのは明確であり、それを避けたいが為に言った可能性は高い。


 「…………たしか……ピッキング……って言ったかしら? それで開けたら?」


 「ドアを蹴って開けたら?」と思わず言ってしまいそうになった、その言葉を飲み込んでアマコは言った。


 「そうそう! ミスターモリヤ、たしかあなた、鍵開けの技術をお持ちだとか? 今は急を要しますので、犯罪行為云々などとは言っていられませんね」


 また、何処かでした良く似たテーマの会話を繰り返している、と思いつつ探偵。


 「分かった、さっそく私の腕を見せるとしましょうか……と言いたいとこだが、手元に道具が無い、いくら何でも指先だけで開ける事は出来やしないぜ? 何かピンのような物でも探してこないと」


 クガクレ嬢が髪の毛に手をやる。そっとマジシャンに差し伸べた、白く細い奇麗な指が花弁のように並ぶ掌を広げると二本の髪留めピンが載っている。


 優雅な手さばきでそれをつまみ、受け取るモリヤ。

 「ありがたい、だけどこんな飾りっ気のないヘアピンなんてするんだな…?」



 数回好みの角度に伸ばし曲げたピンを鍵穴に刺す。指先に伝わってくる感触を確かめながら、何度か繰り返しフィットする角度を探している。手応えを掴んだモリヤはニヤリと微笑み、シリンダーを回した。カチャリ……。

 見事5分程度の時間で扉のカギを解除した。


 ドアを開け、緊張感と幾ばくかの罪悪感を覚えながら静まり返っている室内に入って行く。


 (注意しいや)

 クリスが囁く。


 「……な、何に?」

 マーヴェルもひそひそ声で聞き返した。


 「何って? 決まってるやろ……」


 (……ああ、そうだな……注意しないと)

 唾を飲み込み、気を引き締める。


 「小動物や」


 (!?)


 「映画やったら今、絶対飛び出てくるであいつら……びっくりさせに……」



 荒らされたとまでは言えないが、倒れた椅子や床に転がるコップが見え、雑然として散らかっている部屋という印象。背後からの突然の物音に驚かされるという警戒した事態も無く、順番に部屋を覗いて回るがマーティ・アシモフの姿は無い。


 ここに至ってまで気を遣う事に、もはや奇妙な気もしたが。最後に探偵は故意に避けてしまった閉まっている寝室の扉をノックして呼びかけた。


 「マ、マーティ…君? 寝てるのかい? ちょっと開けるよ」


 うつむき加減でゆっくりドアを開きながら、マーヴェルの脳裏に最悪の映像がフラッシュバックした。


 転がる……靴が見え……ベッドへ続く床に服が散らかされている……下着までも……意を決し、顔を上げて乱れたベッドに視線を送る……誰もいない……何も無い……。


 青年は居なかった。死体にされてもいなかった。



 廊下に出て、後ろ手に客室のドアを閉めた探偵は、本日もうお馴染みになるほど繰り返した廊下でのフォーメーションで話し合う。


 既に部屋を出ていたクガクレ達に聞いた。

 「結局彼は部屋に……いませんでしたね……最悪の場面は見ずに済みました……」


 「あの執事さんと……同じように消えてしまったんでしょうか? もしかしたら……もう生きていないんじゃ? どこかほかの場所で……」

 不安げな表情でアマコが呟く。


 「ま、まあ、待ちなさいって……そう悪い方に考えなさんな……ただ単に気分転換でもしに外に出ているだけかもしれない。そうだぜ、この島の茂みや岩陰か何処かに逃げて隠れてるって可能性も高いぞ?」


 全く思ってもいない希望的観測を述べた、砕けた口調の台詞とは裏腹に、かなり不安げな顔つきのモリヤ。


 いずれにせよ探偵達ですべき取り敢えずの事はした。この結果を知らせに行こうと、気落ちしながらも、皆とぼとぼと階下へと足を向けた。



 ズキンズキン…ズキンズキン……。


 鈍い痛みを覚えマーヴェルはこめかみに手を当てる。


 (……うぅ……)


 ドクッ、ドクッドクッ、ドクッ……脈打つリズムが微妙にずれて重なり、急激に胸苦しさまでをも感じ出した。


 (……な…なんだ……この気持ち……)


 前を歩く二人に悟られぬように、そっと吹き出した額の冷や汗をぬぐう。


 (……怖い…?……これって……これって恐怖!? …………フフフ……確かに……)


 「はぁあ……誰も信じられへんようになったんかもなぁ」


 「!? 何が?」


 突然の、クリスのしみじみとつぶやいた台詞に意味が掴めない。


 「何がって……マーティのにいちゃんやん、…………完全に他人を信じられなくなったんや」


 「……あ、ああ……そうだな……」


 足を止めると腰に手を当て、胸を張る。


 「ふぅ~……もう~しっかりして~や…………みんなも! このままやったら全滅やわ」

 ため息とともに発したクリスの激励の言葉は、もはや誰の耳にも入らなかった。

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