第6話 越権行為(2)
◆【第2章】眠り姫
「ええ。昨日夕食を部屋に持っていった時、艦長は長椅子でまだ眠ってました。とてもよく眠ってたから、僕、起こしたら悪いと思って、そのまま部屋から出ました」
「なんてことだ。それが本当なら、艦長は丸一日眠っているということか!」
落着きを取り戻したクラウスとは対照的に、ジャーヴィスはぎりと奥歯を噛みしめ、右手で作った拳を頭上へと振り上げた。
「今朝報告のため艦長室に行ったら、グラヴェール艦長が長椅子で眠っていたので、私は起こそうとして呼びかけたんだ。いつもは呼びかける前に、あの人は目を開ける。だが今日は違った。肩を揺すっても頬を抓っても脇をくすぐっても目を覚まさないんだ。こんなこと、今まで一度もなかった」
「ふふん。それで、『艦長』代行宣言ですか」
にやりと口元を歪めてシルフィードが不敵に笑んだ。それに対抗するように、ジャーヴィスは真っ青な瞳を精一杯凄めシルフィードを睨んだ。
「ひょっとしたら、船が揺れたせいで就寝中頭を打ったのかもしれないだろうが。眠りではなく昏睡だったらどうする!」
「まあ、実際は薬で昏睡状態みたいですけど」
「エリック!」
「うわ、だ、だって本当のことじゃないですか! そうだクラウスさん。眠り薬の効果って、どれくらいの時間きくんです?」
「えっ」
ジャーヴィスを含め、その場にいる全員の視線がクラウスに集まった。
「えと、あの――僕は一錠じゃ効きすぎるから、半分に割ったやつを飲んでるんです。それで五時間ぐらいかな」
ジャーヴィスは未だ眠り続けるシャインの横顔を眺めた。
心配しているこちらの気も知らないで、何かいい夢でも見ているのか、実に満足げな表情をしている。
「シルヴァンティーのせいで薬効が伸びたとしても、二錠なら二十時間ぐらいか。ううむ、それならそろそろ目が覚めても良い頃だ」
「いえ。窓からこれだけ日の光が入ってますし、普通ならもうとっくに薬が切れて起きてます」
「クラウス」
「わ、そんな目で僕を見ないで下さい! 悪いのは艦長です! 一度に二錠も、しかもお茶で飲んじゃったんですから、どれぐらいで目が覚めるかなんて僕はわかりませんよ!」
「しかしよ。本当に艦長、目を覚ますかな?」
ぽつりとつぶやいたシルフィードの言葉に、ジャーヴィスの心臓が一瞬鼓動を止めた。
「シルフィード。お前、なんてことを言うんだ」
「だって、艦長は完璧に夢の中ですぜ? これだけ大勢で、しかも大きな声で話してるのに起きる気配が全くしねえ」
ジャーヴィスは深くため息をついた。
シルフィードの言うとおりだった。
ジャーヴィス達はシャインの長椅子を取り囲むようにして立っている。酔っ払いでない限り普通なら人声で目を覚ます。もとよりシャインの眠りは浅いのだから。
「どうすればいいのだ。待つべきか? でもネスティーユを飲んでいるからには、このまま目が覚めなければ、艦長の命が危ない」
「うっ……」
ジャーヴィスの言葉にクラウスの目が再び潤みだす。
「ぼ、僕が薬を艦長にあげなければよかった」
「すでにしてしまったことを悔いたってどうしようもないだろう! クラウス!」
ジャーヴィスはいらいらとクラウスを怒鳴りつけた。
それは艦長室一杯に響き渡り、思わずシルフィードが耳を塞いだが、長椅子に横たわるシャインは涼しげな顔で未だ夢の中である。
「食堂に行ってありったけの気つけ薬を持ってこよう」
「あ、ダメです副長。もう薬はないはずです」
「何だと? どういうことだ、エリック」
見張りの水兵はぽりぽりと、伸びっぱなしの茶髪を手で掻いた。
「この間夕食作る時に船が揺れて、水兵のアルマの頭の上に薬箱が落ちてきたんですよ。幸い奴は気付いてそれを避けたんですが、薬箱の中身が落下の衝撃でぶちまけられて、全部の薬がオシャカになったはず……かな?」
「な、なんだと! そんな大事なこと、どうして報告しない! 私は知らなかったぞ!」
「そりゃそうでしょうよ。アルマは直接艦長に報告したって言ってましたから」
「うっ……!」
どいつもこいつも。ジャーヴィスは再び上気してきた気持ちをなんとか抑えるべく今度は両手で拳を作り握りしめた。
「……何かいい方法はないのか。アスラトルまではまだ三日以上かかる。凪に捕まったらその分だけ帰港に日数がかかってしまう。このまま何の手も打たず、あの人が衰弱して死ぬのを黙って見ていろというのか!」
「ジャーヴィス副長……」
「なんだ、何かいい手でも浮かんだか? エリック」
水兵はぶんぶんと激しく首を横に振った。
「いえ、普段冷静な副長が、すごく熱く語っていたので、思わずそれに感動しただけです」
「そんな馬鹿なことを言ってないで、お前もどうすればいいのか考えろ!」
エリックの顔をぶん殴りたい衝動を抑えてジャーヴィスは叫んだ。
「あのさ。昔、子供の頃読んだ本なんだけどな。確か――昏々と眠り続けるお姫さんの話だったか」
「シルフィード。こんな時に何寝ぼけたことを言っている?」
「いや副長が何か艦長を起こす手立てがないかっていうから、俺だってない知恵絞って考えてるんですぜ!」
普段とは違うシルフィードの真剣な眼差しに、ジャーヴィスは思わず口をつぐんだ。
「言ってみろ。話の続きを」
「ええ、言いますって。その、眠り続けるお姫さんの話では、通りすがりの王子がお姫さんにキスするとその目が覚めたんです」
(ジャーヴィス)「……」
(エリック)「……」
(クラウス)「……」
ジャーヴィスは唇を震わせながら低い声で笑った。
「お前に期待した私が馬鹿だった……!!」
「いっくらお話の中とはいえ、冗談キツイですよ! シルフィード航海長!」
シルフィードはカッと頬を上気させた。
「いや、この話の中に、きっと艦長を起こすための手がかりがあると俺は思うんだ!」
ジャーヴィスとエリックは激しく首を振った。
「そう思っているのはお前だけだ! その話は私も知っているが、確かそのお姫様は魔女に呪いをかけられたせいで、昏々と眠ってしまうことになったのだ。艦長は呪いではなく、薬のせいで眠ってるんだ! そんなこともわからないとは、嘆かわしいぞ! シルフィード!」
「あの。僕もシルフィード航海長の意見に賛成です」
ぜいぜいと息を荒げて叫ぶジャーヴィスにクラウスが口を挟んだ。
「クラウス? お前はシルフィードと一緒にいることが多いから、奴の影響を受けて頭がどうかしたんじゃないのか?」
「ううん。そうじゃないです。ジャーヴィス副長。グラヴェール艦長の飲んだ薬は確かにそろそろ切れると思うんです。ただ、自然に目が覚めるのを待つのは僕も反対です。ネスティーユには『目覚めにくい』という副作用が人によってはあるみたいなので。それに艦長はシルヴァンティーと一緒に薬を飲んでます。それが駄目なのは、紅茶の鎮静作用がまさにそこに働いてしまうからです。だから、何かしら外から刺激を与えて目覚めを促さないと、起きるきっかけを作らないと……永久に目覚めないかもしれない」
「はは。そんな恐ろしい薬をよくも飲めるな。クラウス」
ジャーヴィスは、自分の神経がおかしくなる一歩手前で、踏みとどまっている気がした。
「刺激といったって、頬を抓っても脇をくすぐっても起きないじゃないか。いや、起きるまでそれを続けるしかないのか?」
「いやいや、そんな中途半端な刺激じゃだめってことですぜ。副長」
「中途半端って……他に何があるっていうんだ。水でもかけてみるか? なんなら熱湯でも?」
シルフィードがふむと唸って、無精ひげの伸びた顎に手をかけた。
「……眠り姫は王子のキスで目覚めた」
「シルフィード! お前はまたその話か!」
「いや、ずっと考えてたんですよ。何で王子のキスで目が覚めたのか」
「それは、そう言う風にすれば、魔女の呪いが解けることになっていたからじゃ」
「そうか、わかったぜ!」
シルフィードがジャーヴィスの言葉を遮り、興奮したように声を張り上げた。
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