岬け家訓第144条『勝てる戦い捨てるべからず』

 真っ黒な絵の具でぬりつぶされたような地面。

 これは……ミサキ小学校の校庭……。

 でも、暗くて黒く見えている、という感じではない。

 なんというか、深いのだ。黒が、とても深い。

 ああそうか、とわたしは気づく。

 これは穴だ。

 どこまでもどこまでも深い、光さえ寄せつけない、ぽっかりとあいた穴。

 …………。

 以前に、夢で見た光景。

 それがそのまま、目の前に広がっていた。

 だけど、これは夢じゃない。

 わたしはわたしのままだし、となりには緑ちゃんと美砂ちゃんもいる。

 さらにいえば、怜央くん、広人くん、蒼馬先輩、シオン先輩。

 それに七人の死神も、せいぞろいしていた。

 ここは、「7-1」組ではない。

 新校舎の三階にある、生徒会室。

 そこに、書記権限(なんじゃそりゃ)というやつで、わたしたちは入れてもらって……校庭にあいた黒い穴をこわごわ見下ろしていた。

「蒼馬先輩、あれが、『あれ』ですか?」

 わたしの質問に、蒼馬先輩が「わかりにくいなあ」と笑ってうなずく。

「そう。昼休みに、突然現れた」

 昼休み……わたしがイッペンさんにつかまっていたあいだだ。

「どうして……どうしてだ……」

 生徒会室の入り口付近に浮かんだレーコさんは、穴が見える窓のほうに近づこうともせず、ただ泣きそうな声でそうくりかえしていた。

 わたしは……声をかけない。

 レーコさんに聞きたいことも、言ってやりたいことも山のようにある。

 けど、今は話したくない。

 ひとりでぜんぶ抱えこもうとして、わたしのことを信じてくれないようなひととは、話したくない。

「わわっ! 優依ちゃん危ない!」

 え? と思う間もなく、わたしは緑ちゃんにひっぱられて床に倒された。

「なに? どうしたの? 緑ちゃん」

「どうしたのって、優依ちゃん、もうすぐで窓を乗り越えようとしてたじゃない!」

 そんなこと、してた気はないんだけど……わたしを見るみんなの目から、どうやら本当らしいことに気づく。

 あの穴を見ていたらぼーっとしてきて、意識がうすくなっていた感じはあったけど。

 でも、三階から飛び降りるなんてまねは、さすがのわたしもしないよ。たぶん。

 ううん、どんどん、自信がなくなってきた。

 今のわたしは、自分でもなにをしでかすかわからない。

 それを肝にめいじて、安全のために窓からはなれる。

「時間がないね。それでは、ぼくの推理を披露させてもらおうか」

 蒼馬先輩はそう言って、にやりと笑う。

「今のぼくには死神は見えないし、さわれないから、死神の側からどれだけ妨害されようとも、推理を最後まで話させてもらうよ。いいですね、会長」

『生徒会長』と書かれたプレートの立った席に座っているシオン先輩が、ふんと鼻で笑う。

「いいでしょう。書記権限なんていう、ふざけた権限を行使した以上、きちんとやることはやってもらわないと困りますからね」

 あっ、そういうことか。

 蒼馬先輩は、生徒会の書記なんだ。だから書記権限……そんな権限が本当にあるのかは謎だけど。

「では、どこから話そうか。まずは優依くんの疑問を、解消することからはじめたほうがよさそうだね」

 レーコさんをちょっとだけ見てから、わたしはうなずく。

「この戦いは、はじめからしくまれた、『出来レース』だ」

 シオン先輩がなにかを言おうとしたけど、蒼馬先輩はそれを手の動きで制止する。

「そうか、会長はごぞんじなかったんですね……いや、本来はそれで正しいんでしょう」

 ひとりでうなずき、蒼馬先輩はシオン先輩を今度は、同じ手でさししめす。

「会長、あなたの知っている、この戦いについてのくわしいルールを、話してはもらえませんか」

「わたしは……いえ、いいでしょう。このような事態になることは、わたしも伝え聞いていませんので」

 シオン先輩も思うところがあったのか、大きく息を吸って、はいて、よし! と気合いを入れた。

「この戦いは、もともと、ミサキ小学校というフィールドで、七人の太夫がひとりの勝者を見いだすために行われたものだと、聞いています」

「タユウ? って?」

 美砂ちゃんがすかさず質問する。

「この地方でよばれている……そうですね、霊能力者や、まじない師、占い師に、魔法使い……そうしたひとたちの総称、と思っていただければ」

 おおっと、一気にうさんくさくなってきた。

 まあ、最初から死神なんてものがうじゃうじゃいるんだから、いまさらおどろくことでもないけど! 慣れってこわい!

「わたしたち七人はミサキ小学校の生徒ですが、はじまった当時は、むしろミサキ小学校の生徒は、戦いから遠ざけるようになっていたと聞いています」

 つまりミサキ小学校は、たんなる競技場で、参加するのは、その『太夫』というひとたちばかりだった……ということだ。

「ただ、目的自体は現在と変わりません。戦いの勝者が、願い事をかなえる。かつて飯田けは、その戦いに、太夫として参加していたと、聞かされています」

 そうか。シオン先輩がなんでこんなに戦いについてくわしいのか、ずっと疑問だったけど、長いあいだ家の中で伝わってきた、戦いについての話を聞かされてきたからだったんだ。

 まるで、岬けが家訓を代々引き継いできたみたいに。

「ですが、七人いた死神が、四十年前に六人に減り、戦いを行うことができなくなって、太夫たちがこの地から去って長いときがたち……死神はみな、ミサキ小学校の生徒にとりつくことになったのです」

「なんのために?」

「さあ……単純に、自分たちの居場所で育つこどもたちを見守りたかったのか。あるいは、ただのひまつぶしか……当人たちに聞いても、教えてはいただけないでしょうね」

 死神のみんなは、完全に沈黙している。

 シオン先輩の言葉に反応することもない。

 どうやら、本当に教えてはくれないようだ。

「わたしには戦いが再びはじまったときに、果たさねばならない使命がありました。それは長いあいだ、飯田けで伝えられてきた、重大な使命です」

 シオン先輩はいちど口を閉じてから、きっと顔をあげて言い放つ。

「わたしが、死神となることです」

「……会長、もっとはやく言っておいてもらえれば、ぼくの推理はもっとすみやかにすんだんですけれど」

 蒼馬先輩が、シオン先輩から引き継いで、再び話しはじめる。

「そう。この戦いの勝者は、死神になるんだ」

 おどろいた緑ちゃんや美砂ちゃんが、死神のみんなを見回す。

「永遠の命、たましいの固定、霊界への昇華……いろんな呼び方があったんだろう。そんな言葉にさそわれて、太夫たちはミサキ小学校へやってきて、戦い……最後のひとりが死神になることで、願いをかなえた」

「ま、まってください。じゃあ、願い事がかなうっていうのは……」

「死神になる、というのと同じ意味だ。まんまとだまされたよ」

 緑ちゃんは青い顔でヨルさんを見ていた。

 ヨルさんもほかの死神たちと同じく、完全に沈黙している。

「そして、戦いを行うさい、死神は七人でなければならない。そこに、新しい死神が加わるとどうなるか」

 蒼馬先輩は、そこで目を泳がせる。

 見えないはずのだれかを、さがすみたいに。

「七人を超過することで、古い死神から、解放されていくんだ」

 死神は、もとは人間だった。

 だけど死神になることで、おばけのようになって、この世にしばりつけられる。

 そこに新しい死神が入ると、「死神は七人のルール」に従って、ひとりがこの世からはなれていく。

 成仏……とはちょっとちがう気がするけど、とにかく、新しい死神をむかえなければ、成仏することさえできないのが、死神なのだ。

 じゃあ……。

「ヨルルン、わたしを、だましたの?」

 ヨルさんは、前に言った。

 最後のひとりになれば、どんな願いもかなう……って。

 緑ちゃんは戦いに参加しなかったけど、それは緑ちゃんを戦いにさそうのに、あまりに強力な言葉だったはずだ。

 死神は、戦いが行われていない長いあいだ、ずっと、この世にしばられている。

 だったら、いい加減に、成仏したいと願っても、おかしくはない。

 そのために、パートナーをだますようなことをしても……おかしくはない。

 ヨルさんは……やはり押し黙ったままだった。

 緑ちゃんがさらに言葉をぶつけそうになるのを、蒼馬先輩が話を再開することで止めた。

「ここからは会長も知らない、この儀式の本当の目的について……だけど、その前に、シオン会長」

 蒼馬先輩はシオン先輩をするどくにらむ。

「ぼくは、あなたがそこまでおろかなひとだとは、思っていませんでした」

 シオン先輩はぎゅっとくちびるを結んで、蒼馬先輩をにらみ返す。

「代々引き継がれてきた使命。そんなもののために、自分の身をさしだす。これほどおろかなことはない」

「蒼馬、あなたになにがわかると?」

 シオン先輩の顔がかっと赤くなる。

「わかりますよ。シオンちゃんが、シオンちゃんだということがね」

 シオン先輩の顔が、一気に真っ赤になった。

「そ、蒼馬!」

「入学してすぐ、ゴーナにとりつかれたぼくを、たすけてくれたのはだれです? だいじょうぶだと、死神はともだちだと、教えてくれたのはだれです? シオンちゃんですよ。飯田けのあとつぎなんかじゃない。ぼくの知っているシオンちゃんは、だれよりもやさしくて、たよりになる、飯田紫苑というひとです」

 ゆでたタコみたいに真っ赤になったシオン先輩は、生徒会の机に手をついて、じたばたと、しばらくひとりで悶々としていた。

「蒼馬……あなた、よくそんな歯の浮くようなことを、真顔で言えるわね……」

「会長を赤面させられたのだから、狙いどおりですよ」

「もう!」

 シオン先輩はばっと顔をあげ、ロックを見る。

「いいでしょう。わたしは嘘をつきました。飯田けの使命は、正直どうでもいいのです」

 大きく息を吸って、シオン先輩は言葉をはきだす。

「わたしは、ロックとずっといっしょにいたい。だから、死神になりたいんです」

 ミサキ小学校の死神は、各学年にひとりずつとりつく。

 それはつまり、6年生が卒業したら、死神とは別れなければならなくなるということ。

 六年間、ずっといっしょにすごしたパートナーと、別れる。

 シオン先輩は、それにたえられなかった。

 だからわたしが転校してきて、レーコさんの封印が解かれて死神が七人そろったとき、シオン先輩は自分の家に伝わる使命を思い出した。

 戦いに勝利し、死神になる。

 そうすれば、死神となって、ロックと同じ存在になることができる。

 飯田けの使命がどうとかいうのは、ただの言い訳だ。

 というか、照れ隠し?

 蒼馬先輩とゴーナもそうだったけど、他人の目からはなかよく見えずとも、心の中では強く結びついている……案外、死神と死神つきは、みんなそうなのかも。

「それを聞けて安心しました。会長がもし、太夫の使命にかられているだけだったのなら、この先を聞かせることは、できませんでしたから」

 ふん! とそっぽを向くシオン先輩。だけどその態度はどこかお茶目で、ほほがすこしゆるんでいるように見えた。

「この儀式の目的は、人間を死神へと変えること……たしかにそれはそのとおりだ。かつての太夫たちも、それをエサとして集められたのだろうからね」

 でも……と蒼馬先輩はわたしへと目を向ける。

「その先が、あったんだ。いや、もともとの目的は、ずっと変わってはいない」

 もともとの目的?

「会長、この戦いに勝ち残れば、どうなると、あなたは言いましたか?」

「どんな願い事でもかなえてもらえる……と」

「あなたは、勝者が死神になる、というルールを知っていた。なのになぜ、そんなことを言ったんです?」

「それは……そう信じていたからです。戦いに勝ち残れば、願い事をかなえてもらえる。その副産物として、死神になるのだと、わたしは思っていました」

「そこです」

 パチン! と蒼馬先輩が指を鳴らす。

「これはいわば、長い時間の結果、詳細が失われて伝わったという例のひとつだ。会長の言ったことは、逆なんだ」

 ええっと、ちょっと整理しよう。

 まず、戦いの勝者が願い事をかなえてもらえる。

 これは、嘘……ということになる。

 本当は、戦いの勝者は、死神になる。

 そして、蒼馬先輩が言うには、この戦いには、その先がある。

 戦いについて家で教えられていたシオン先輩は、戦いの勝者が願い事をかなえてもらえたうえで、死神になる、と信じていた。

 そして、蒼馬先輩の推理では、これは「逆」ということ。

 逆……?

 それって、つまり……。

「この儀式の目的は、最初から、どんな願い事でもかなえることだった。死神は、その副産物にすぎない」

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