第Ⅰ章 それぞれの船出(2)

「――ケッ、また貧乏百姓どもの陳情御一行さまか……」


 雑貨屋の前で空き樽に座り込んでいたリュカが、通りをやって来るボロ布のような農民の一団を斜目に眺め、吐き捨てるようにして言った。


「ああ、雨乞いのために魔導書の使用許可を得に来たのだな。北部では日照りが続いていると聞いた。たぶんそのためだろう」


 その誰に言うとでもない呟きに、隣で腕組みをして仁王立ちするドン・キホルテスが、やはりゾンビのような農民の行列をなんとなく眺めながら、見慣れた景色ででもあるかのように言葉を返す。


「ハン! 日照りじゃなくたって野郎どもの陳情は日常茶飯事さ。魔導書の力を借りなきゃ、到底、貧しい土地のもんはやっていけねえからな。が、その魔導書も必要な時に自由に使えねえってんじゃ、笑い話にもならねえぜ」


 その言葉にキホルテスの方を振り返ることもなく、どこか不機嫌そうに眉根を寄せて答えるリュカだったが。


「よし! 酒に水に干し肉と、パスタにリンゴやその他果物類、それから火薬と弾丸。あと、お頭から頼まれた羊皮紙も買ったし、これで全部ですね……でも、リュカさん、ちょっとワイン買いすぎじゃないですか? 重くて荷車押すの大変ですよ?」


 独り荷車の上の大量に買い込んだ物資を確認していたサウロが、そんな仕事をサボっている怠け者の仲間に困り顔で文句をつける。


「ああん? まあいいじゃねえか。なんせ新天地までの航海分だからな。それでもまだ足りねえってもんだぜ……さ、〝お頭の用事〟もすんだことだしよ、とっとと帰って酒屋にでも行こうぜ? 腹減っちまったよ」


 すると、リュカは悪びれもせずにそんな言葉を返しつつ、ありふれた農民達のことも忘れて立ち上がると、仕事熱心な従者とその主人である場違いな甲冑姿の騎士を促した。


「うむ。そろそろ昼時だからな。サウロ、荷を積み込んだら皆で昼飯としよう」


「はい。旦那さま。じゃ、私と旦那さまは後で。リュカさんは前お願いします」


「へいへい……」


 リュカの提案にキホルテスも賛同の意を示し、一番年下なのに…しかも、従者なのになぜか買い出し班のリーダー役を担っているサウロの許可を求めてから、三人で荷車を押して波止場へと歩き出した。


「んにしても、てめえのそのなりはなんとかならなかったのかよ? 目立ちすぎだろ?」


 気怠そうに荷車を曳きながら、リュカは振り返ると目つきの悪い顔でキホルテスの大仰な衣装を睨みつける。


「フン、何もわかっておらぬな、リュカ殿。この甲冑は騎士の心意気……ここは新天地と違い、エルドラニアの本国、万一のこともあるやもしれぬ。騎士たる者、いつ何時とて戦を忘れぬものにござる」


 だが、キホルテスはまるで反省する様子もなく、むしろ堂々と銀色の鉄板に覆われた胸を張って自慢げにそう答える。


「すみません。ご迷惑をおかけして。私も止めたのですが、どうしても聞き入れてくれず……」


「ハァ……ま、本国じゃ俺達の顔知ってるようなやつもいねえだろうし、船の護衛に雇われた傭兵か、さもなきゃ時代遅れのコンキスタドール(※新大陸の探検家)ぐれえにしか思われねえからいいか……」


 そんな困った主人になり代わって謝る従者サウロに、こいつには言うだけ無駄とリュカも諦めた時のことだった。


「そこを行く騎士殿! またずいぶんと昔気質かたぎな格好をしておりますなあ」


「まるで、騎士道物語ロマンスにでも出てくるかのような古風な御出で立ちで」


 リュカの懸念通りといおうか案の定といおうか、前方から来た巡回中の港の警備兵二人が、キホルテスの時代錯誤な甲冑姿に目を止めて声をかけてきた。


 彼ら二人は対照的に、鎧の胸当てとモリオンをさらに簡素化したキャバセット型兜だけを着けるという今風の装いだ。


「騎士道物語……テヘヘ、うれしいことを言ってくだされるな」


「そのような物々しい恰好でどちらへお出かけです? どこぞの戦にご参加ですか? それとも新世界へ冒険にでも?」


 いつものことながら、なぜかいいように捉えて照れる楽天的なキホルテスを、警備兵達は訝しげに見つめながら慇懃無礼にふざけて尋問する。


「え、ええ、そうなんです! 私達、これから前人未到の新天地の奥地目指して冒険の旅に出るところなんです!」


「そんでもって、その船旅の食料を買い出しに来たところでさあ」


 まったく危機感のない暢気な本人は無視し、やむなくサウロとリュカは穏便にすませようと平身低頭に話を合わせるのだったが、運命の悪戯にもさらに不都合な事態が彼らを襲う……。


「あああっ!」


 今度は何者かの頓狂な叫び声が、道の反対側から聞こえてきたのだ。


「んん?」


 その声に思わずそちらを覗うと、そこにはキュイレッサー・アーマーの上に白い修道士のようなフード付き陣羽織サーコートを着た、丸坊主で髭面の中年男が驚いたような面持ちで立っていた。


 大きく見開かれた右目に対して左目は妙に小さく、どこかひしゃげた感のある特異な顔立ちだ。


 パッと見、遠方へ布教に向かう宣教師のような風貌ではあるが、その腰には剣を佩き、むしろ遠征へ赴く宗教騎士団といった様相である。


 また、彼の後にも同じく当世風の鎧にモリオン、白い陣羽織サーコートを着た兵士が三名ほど、こちらを睨んで控えている。


「ゲっ…!」


「やば…!」


 彼らを目にしたリュカとサウロは、あからさまに嫌な感情をその歪めた眉間で表現する。


「その時代錯誤な甲冑姿、そして盾に描かれた〝風車〟の紋章……間違いない。きさま、〝禁書の秘鍵団〟が一員、〝百刃ひゃくじんの騎士〟の名で知られるドン・キホルテスであろう?」


 そんな二人の反応に気付いているのかいないのか? 宣教師風の男の視線は真っ直ぐにキホルテスの鎧の上へと注がれ、彼の顔をビシっと指さして声も高らかに問い質す。


「おぬし、どこかでその顔見たような……うむ。騎士たる者、問われて名乗らねば恥となろう。いかにも。それがし、もとエルドラニアはラマーニャ領の騎士、ドン・キホルテス・アルフォンソ・デ・ラマーニャでござる!」


 その問いに、キホルテスは宣教師の顔をまじまじと見つめながら、なんら包み隠す素振りもなく、バカ正直にそう答えた。


「ば、バカ野郎っ! なに正直にフルネーム名乗ってんだよ!」


「旦那さまはほんとにおバカさんですか!」


 まるで予想だにしなかった彼の信じ難き返答に、リュカとサウロは驚きと呆れに目を真ん丸くして同時にツッコミを入れる。


 宣教師の顔よりも何よりも、そのサーコートの胸に描かれたプロフェシア教のシンボル――見開かれた一つ目から降り注ぐ光=〝神の眼差し〟と、それを左右から挟む巻角の紋章には見憶えがある……


 というより忘れたくても忘れられないくらい、三人はそれをよーく見知っている。


「見憶えがあるのも当然! きさまらとは何度も刃を交えているのだからな。わしは〝白金しろがねの羊角騎士団〟が一員、プロスペロモ・デ・シオスじゃ! ドン・キホルテスと、そっちの若いのはその従者サウロ・ポンサ、もう一人の凶悪な人相しておるのはリュカ・ド・サンマルジュだな? 神をも恐れぬ海賊としての罪、おとなしく縛について懺悔せい!」


 宣教師――プロスペロモは三人の顔を見回した後、大仰に芝居がかった調子で、あたかも説教でもするかのように朗々とその捕縛を宣告した。


 〝神の眼差しに羊角〟の紋章を付けた兵士達……それは疑うべくもない。キホルテス達の一味を執拗につけ狙う、海賊退治を専らとするエルドラニアの精鋭騎士団である。


「凶悪な人相って……てめえも言えた面か?」


「そんな張りあってる場合じゃないですって。これ、けっこうガチでヤバい状況ですよ?」


 予期せず天敵に出くわしてしまったという危機的状況ではあるが、いっそう極悪な顔になって文句とガンをつけるリュカの傍ら、サウロもサウロで真面目に困った顔をしてはいるものの、それはこの切迫した事態に対してというよりも、むしろ大人げないリュカの態度に向けたものである。


「ドン・プロスペロモ殿か。うむ。その名、憶えておこう」


 無論、キホルテスはそれに輪をかけて慌てた様子を微塵も見せず、それどころか堂々と胸を張って、どこか愉しげな笑みまで浮かべている。


「フン。ずいぶんと暢気なものだな。ま、その暢気さを絞首台の上で後悔するがいい……皆の者、ひっ捕らえいっ!」


 それでもプロスペロモは彼らの反応になど一々気を留めることなく、他の三人の騎士にも声をかけると一斉に抜刀してキホルテス達を取り囲む。


「では、騎士は騎士らしく、口ではなく剣で語り合うといたそう」


 だが、次の瞬間、ようやくキホルテスの顔が戦士のそれに変わる。いや、愉悦の微笑みはなおも浮かべたままであるが、その瞳の奥に殺気の炎が灯ったのだ。


「サウロっ、ツヴァイハンダーだ!」


「はい、旦那さま!」


 そして、サウロに大声で指示を出すと、彼の忠実なる従者は荷車の中から身の丈以上もある長大な両手用の剣を引っ張り出し、その重たい鋼の塊を主人の方へと力いっぱいに放り投げた。


「フンっ!」


 その自分目がけて飛んできた大剣の柄を両手でナイスキャッチすると同時に、キホルテスは剣先で弧を描くようにして、それを左から右へと思いっきり水平に振り抜く。


 突如、ガシャアァァァァーン…! と鳴り響く大きな衝突音。


「ぐわあっ!」


 その間、わずか数瞬……低い風切音が聞こえた直後、不意に大質量の横薙ぎを食らった騎士三人は、けたたましい音を立てて道の右脇へと吹き飛ばされた。


 プロスペロモだけは辛くも中世風の身の厚い愛剣で受け止めたものの、やはりその強力な衝撃には耐え切れず、剣を弾き飛ばされると自身も無様に転倒してしまう。


「サウロ、今だ!」


「はい! リュカさん!」


「おうよ! てめーらも押すのサボんじゃねえぞ!」


 その一瞬の隙を彼らは無駄にしない。


 キホルテスの合図でサウロは荷車の後方に再び取り付き、リュカも腕と脚の筋肉に力を込めて荷車を曳き始める。


 キホルテスもツヴァイハンダーを荷に戻しながらそこへと加わり、三人は全速力で船の待つ港目がけて走りだした。


「くっ…おのれ、不意を突かれたわ……おい! いつまでも寝てないで早く起きんか! ああ、そこの警備兵の方、やつらは悪名高き海賊の一味、〝禁書の秘鍵団〟です。、申し訳ないが、ドックにいる我らの団長にこのことを知らせてくだされ。それから、やつらの捕縛にもご協力いただきたい。わしはこのまま、奴らを追いまする!」


 無論、そのままあっさり見逃してくれるわけもなく、プロスペロモはいち早く起き上がると伸びている仲間達を叩き起こし、ポカン顔で立ち尽くす警備兵にも的確に指示を飛ばす。


「……あ、は、はい! かしこまりました~っ!」


「まさか、こんな所でやつらに出くわすとはの……昨夜見た〝捜し人に奇遇にも出逢う〟というあの夢、あれは正夢じゃったか……」


 そして、慌てて駆け出す警備兵を見送ると、そんな予知夢をよく見てしまうという特異体質を改めて自覚しながら、自身も爆走する前方の荷車目がけて全速力で走り始めた――。


※挿絵↓

プロスペロモ

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669570799426

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る