第Ⅳ章 賊たちの宴(4)

 またその頃、順風満帆に夜の大海を進む護送船団でも……。


「――お嬢さま、ほんとにやるんですか?」


 旗艦サント・エルスムス号の船内にて、二人の賊が悪巧みをしていた。


「ここまで来ておいて何を今さら。当然計画実行ですわ。エルドラニアを経ってもうじき三週間……いい加減、いつ見ても変わらない海の景色にも飽きましたからね。こういうおもしろいイベントでもないと、退屈で死んでしまいましてよ」


 船尾楼の最奥に位置する船長室の前、暗いランプの明かりだけが灯る、しんと静まり返った周囲の闇を見回しながら、および腰で尋ねるマリオにイサベリーナは声をひそめつつも迷いなく答える。


「ですが、もし提督やお父さまが戻ってこられましたら……」


「心配いりませんわ。提督さんもお父さまも、他の方々と一緒に上甲板でお酒を飲みながらカードに興じておりますから。侍女のマリアーとジェイヌもそのお世話でわたくしを探したりなどしませんでしょうし。そんなおどおどしなくても、しばらくは誰もここへは来ませんことよ。それにほら、安心しきってドアに鍵もかけていませんわ」


 それでも、うだうだと〝やらない理由〟を並べ立てようとするヘタレなマリオに、イサベリーナは強気に言い返すとドアノブに手をかけてガチャリと回してみせる。


 これまで特に何事もなかったことも影響してか? さすがに三週間も経つと油断が生じ、最近では常に施錠されていない船長室の扉はなんなく手前にすんなりと開いた。


「さ、早く入って明かりを点けてくださいますこと? ほら、早く! レディを待たせるなんて紳士として失格ですわ」


「ハァ……お、おじゃましま~す」


 頑として忠言を聞き入れないオテンバなお嬢さまに、仕方なくマリオは真っ暗な室内へ足を踏み入れると、手持ちの燭台から壁に据え付けられたランプにしぶしぶその火を移す……。


 すると、他の船室とは一線を画す、瀟洒な造りの船長室がオレンジ色の仄かな炎にぼんやりと照らし出された。


 無論、パトロ提督をはじめとして、ガランとした室内に人影はまるで見られない。


「で、でも、さすがに最重要の積荷……しかも超一級の禁書を無断で拝見するというのはやっぱりぃ……」


「あら、だからこそですわ。サント・ミゲルに着けば、それこそ厳重に保管されて、お父さまやそれを使う魔導修士さましか見ることができないでしょうし、すぐにヌエバ・エルドラーニャ副王さまの所へ送られるという話ですからね。つまり、見ることができるとすれば、船に載っている今しかないということ……それほどまでに禁書扱いされている魔導書、一目も見ずにさよならなんて、もったいないったらありゃしませんわ」


 高価な調度品が置かれているにもかかわらず、そんな無防備極まりない船長室の有様になおも二の足を踏むマリオを一笑に付して、まるでプロの盗人のようにイザベリーナは嘯きながら、自身も薄暗い室内へと侵入を果たす。


 今さら言わずもがなであるが、二人が艦長不在の時を見計らい、彼の部屋へ無断侵入したのは他でもない……一般の積荷とは別扱いに船長室で保管されている、件の『大奥義書』を盗み見ようという魂胆である。


 無論、言い出しっぺはイサベリーナの方であり、マリオはいつものことながら、そのオテンバお嬢さまのワガママにつき合わされたという次第だ。


「前に提督がお父さまと話しているの聞いて、その鍵の在処もわかっていますわ。あとはそれであの宝箱を開けるだけのこと。ね、言った通り簡単でしたでしょ?」


 まだなお落ち着かない様子で周囲をキョロキョロと警戒しているマリオに対し、イサベリーナは勝気な笑顔まで浮かべた余裕ある態度で、部屋の隅の小さな丸テーブルの上に置かれた〝宝箱〟を目線で指し示す。


「こ、これは……」


 つられてマリオもそちらへ目を向けると、それは〝宝箱〟と呼ぶには少なからず語弊を感じる、なんとも歪な形をした奇妙な代物だった。


 その金銀の金具で見事な装飾の施された鋼鉄製の箱には、目の錯覚か? 表面を覆い尽くすように無数の鍵穴が開いており、いったいどこに鍵を挿せば開けることができるのかまるで見当もつかない。


 また、その箱の上にはおそらく犬の毛皮をツギハギして造ったのであろう、三つの頭を持った犬の剥製が本物の番犬よろしく置かれている。


 その背徳的で恐ろしげな造形には、あたかも地獄の番犬といわれる〝ケルベロス〟を髣髴とさせるものがあり、ランプの火に揺れるその影は本当に生きているようにも思え、なおいっそう見る者の恐怖をかき立ててくれる。


「さ、これがその鍵ですわ。マリオ、ささっと開けてしまってくださいます?」


 この世のものとも思えない、なんとも不気味な調度品にマリオが目を奪われていると、すでにそれを見知っていたらしいイサベリーナの方は特に驚く風でもなく、提督の机の引き出しから一本の真鍮の鍵を取り出して見せる。


「ささっとって……いったい、どの鍵穴に挿せばいいんだか全然わかりませんよ? よくは知らないですけど、このありえない数の鍵穴とか、たぶん泥棒除けの魔術で見せてる幻かなんかですよね? だったら魔術師でもない限り、鍵があったって開けるの絶対無理ですよ。それにこのケルベロスにもなんか仕掛けありそうだし……てか、お嬢さまが言い出したんですから、ご自分で開ければいいじゃないですか!」


 なんだか簡単に言ってくれているイサベリーナに、知り得る知識からそう判断すると文句をつけるマリオだったが、その途中でふと、彼女のあまりのさりげなさに思わず流してしまいそうになっていた疑問に思い至る。


「え? ……い、いいえ。こういう一番盛り上がるところは殿方にお譲りするのがレディのたしなみですわ。さあ、今日一番の山場、大盤振る舞いにあなたにお譲りしてあげましてよ」


 しかし、鍵を返そうと差し出すマリオに彼女は妙に慌てた様子で、下手な言い訳で取り繕いながら、けして受け取ろうとはしない。


「……もしかして、このケルベロスが怖いんですか?」


「そ、そんなことありませんわ! わ、わたくしはただ、こういう得体の知れないケダモノさんには人見知りをしてしまうと申しますか……頭が三つあるのが苦手と言いましょうか……」


「やっぱり怖いんですね。それで僕を共犯者に引きづり込んだわけか……ハァ…だったらこんなことしなきゃいいのに……」


 彼女の態度にピンと来たマリオだが、どうやら図星だったようである。


「だって仕方ないじゃありませんの! 『大奥義書』は見てみたいし、その宝箱もここに来るたびに、どうなってるのか一度開けてみたいと思っていましたけど……そのワンちゃんはあまりにも怖すぎですわ! 自分で開けようとして、もし噛まれでもしたらどういたしますの?」


 バレてしまうと言い訳もやめて開き直り、呆れた様子で深い溜息を吐くマリオにも、ますます滅茶苦茶な理屈を捏ねて逆ギレ気味にそう主張する。


「じゃあ、僕は噛まれてもいいってことね……」


「先程からいちいちうるさいですわ! あなたも男だったらつべこべ言わず、このくらいの危険犯してみせなさい! でないと、今度からあなたのことマリオじゃなくて、ヘタリオって呼びますわよ! しかも、みんなの前でですわ! ええ、そうよ。ヘタリオですわ!」


「まあ、確かに僕はヘタレ水夫見習いですけど……みんなの前で呼ばれるのはヤダな……」


 白い眼を向けて嫌味を言うマリオに、理不尽なイサベリーナの暴言は続く。


「それでも拒むというのでしたら、言うことを聞かない生意気な水夫見習いがいて困ると、お父さまやパトロ提督に言いつけますわよ!」


「いや、それはむしろ自分にとって都合の悪いことになるような……ハァ…わかりましたよ。まあ、言いつけられてこのことがバレると、僕も共犯扱いされて怒られますからね……いや、僕の方が主犯として重い処分食らいそうだなあ……」


 自分が泥棒の真似事を強要していることも忘れ、ついに権力まで持ち出すワガママなお嬢さまに、マリオはしぶしぶ諦めて奇妙な宝箱へ向かうことにした。


「まあ! わたくしのためにこの怖いワンちゃんに立ち向かってくれますのね! さすがは勇敢な水夫のヘタリオですわ!」


「今さら持ち上げても……て、もうヘタリオって呼んでるし……ハァ…にしても、ほんと、どの鍵穴が正解なんだ? ま、とりあえず片っ端から突っ込んでってみるか……」


 首を縦に振ると、手のひらを返したように調子のよいことを口にするイサベリーナに、マリオは小声でツッコミを入れながら、目が回るくらいたくさんの鍵穴を調べ始める。


 そして、一番左端上にある鍵穴へ、イサベリーナのよこした鍵を突き挿したその瞬間……。


「ガルルルル…ワン! ワン! ワン! ワン…!」


 突然、ケルベロスの剥製が番犬よろしく、ものすごい剣幕で吠えだしたのである。


 しかも頭一つしかない普通の番犬とは違い、三つある首が一斉になのでけたたましさも三倍だ。


「…………?」


「…………ハッ! 早く鍵を……」


 赤く光る獰猛な眼と鋭く尖った残忍な牙を剥き、狂ったように吠えかかる三つの犬首に呆然と立ち尽くすイサベリーナの傍らで、マリオはふと何かに思い当り、急いで提督の机に近付くと、先程、彼女の開けた引き出しの中へ持っていた鍵を放り込む。


「これはいったいなんの騒ぎだ!」


 マリオが慌てて引き出しを閉めるのと、船長室のドアが乱暴に開き、血相を変えたパトロ提督が入って来るのは同時だった。

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