第Ⅰ章 それぞれの船出(5)

「――急げっ! 海賊どもは待ってくれないぞ!」


「積荷は必要最低限にしろ! 水と食料が最優先だ!」


 それより30分ほど後、銀色に鈍く光るアルゴナウタイ号の船体を背景にして、慌ただしく出航の準備をする騎士団員達の姿を、団長ハーソンはドックの傍らに立って見守っていた。


「〝ビーブリスト(聖典派)〟討伐のためにしぶしぶ兵を出しに帰って来たが……それも無駄ではなかったか。まさか、偶然にもやつらを見付けられるとはな……」


 メインマストの上に翻る羊角騎士団の旗を見上げ、ハーソンは誰に言うとでもなくぽつりと呟く。


「禁書の秘鍵団……噂は聞いております。魔導書だけを専門に狙う海賊で、その頭目は異端者の魔術師だとか」


 すると、となりに佇むこの港を監督する役人マルティアン・ピンソラスが、帝国でも有名なエリート騎士団の長にひどく畏まった様子で話しかけた。


「ああ。その通りだ。マルク・デ・スファラニア、人呼んで〝魔術師船長マゴ・カピタン〟……すでに何冊もの魔導書がやつとその仲間の手で奪われている。その上、本来、禁書であるべきその魔導書をやつらは複製して出版し、広く世間にバラまいては資金源にしているのだ。それがいかにこの世界の安定を危うくする行為であるかもわからずにな」


 対してハーソンは振り返ることもなく、その口髭を生やした、いかにも小役人といった風貌の男にぶっきらぼうにそう答える。


「魔導書はその危険性から、教会の許可なき使用を禁じられた悪魔の書。神の御言葉を伝える教会に逆らうとは、なんと恐ろしいことを……」


 生真面目な性格のマルティアンは胸の前で手を組み、苦悶の表情を浮かべて神に許しを乞う。


「恐ろしいのはそればかりではないぞ? 船長のマルクに加え〝百刃の騎士〟ドン・キホルテス・デ・ラマーニャと、あらゆる刀剣を主人のために用意するその従者、〝歩く武器庫〟サウロ・ポンサ、〝ジュオーディンの怪物〟と呼ばれる人狼リュカ・ド・サンマルジュに、東の大国・しんの女武術家〝東方のアマソナス〟こと陳露華、そして、ゴーレムを自在に操る〝錬金処女おとめ〟のマリアンネ・バルシュミーゲ……いずれも化物のように残忍な悪党ぞろいだ」


 凡庸で信仰心厚い小心者の小役人に、意図的ではないのだろうが、ハーソンンはさらに怖がらせるようなことをさらっと言って聞かせる。


「ば、化物……ゴクン……し、しかし、新天地にいるはずの彼らがなぜこのような本国の港に……やはり、例の『大奥義書グラン・グリモア』が狙いでしょうか?」


 ハーソンの語り口に地獄の悪魔のような想像図を思い浮かべ、ますます血の気の失せた青白い顔で喉を鳴らすと、恐ろしい現実を非難するかのようにマルティアンは再び尋ねた。


「だろうな。このタイミングではそれしか考えられん。知ってのとおり、近年、アングラントやフランクルなど、敵国の支援する海賊達の狼藉により、新天地のヌエバ・エルドラーニャ副王領…特にエルドラーニャ島の支配権が脅かされている。そこで今回、サント・ミゲルの新総督が就任するのを機に、第一級の禁書である『大奥義書』の使用が許可され、総督ともども現地へ輸送することになったわけだ」


 核心を突くその質問にも、やはり船の方を見つめたままハーソンは淡々と答える。


「あの魔導書に記された高次の魔法技術を用いれば、エルドラーニャ島の安定的統治を取り戻すことができる。また、その後は副王陛下のもとへお送りし、あれで呼び出すことのできる大悪魔ルキフゲ・ロフォカレの力で原住民の埋蔵金を手に入れる計画だ……それほどの魔導書、やつらが見逃すわけがあるまい。預言皇庁図書館の奥深くにしまわれていたそれが、こうして運び出される今こそ絶好の好機だからな」


「……それで、これからどうなされるのです? 輸送の船団の出航を待って、新天地までご一緒に警護を?」


 ハーソンの説明を聞き、海賊達の大それた目的に確信を得たマルティアンは、もうこれ以上、この件には関わりたくないといった面持ちで具体的な今後の方針を問う。


「いや、やつらの後を追う。大方、ここに姿を現したのは輸送方法でも探りに来ていたんだろうが、無論、今回は最高レベルの護送船団方式。さすがのやつらでも重武装のガレオン艦隊に正面から挑むような真似はせんだろう……メデイア!」


 考える間もなく、マルティアンにそうきっぱり答えると、ハーソンは顔だけを少し後に向けて部下の団員の名を呼ぶ。


「どうだ、結果は?」


「はい。星々の導きによりますと、彼らはそのまま新天地へ向かった模様です」


 すると、いつからそこにいたのか? 修道女のような恰好の女性が一歩前へ歩み寄り、ハーソンの質問に静かな声でそう答えた。


 一見、修道女のようにも見えるが、その黒服の上にはやはり銀色のハーフアーマーを身に着け、羊角騎士団の紋章の描かれた白いフード付きマントを羽織っている。


 また、その顔を透ける薄布のベールで覆い、両手に掲げた円形のホロスコープをそのベールの奥から覗っている。


「やはりな。ガレオン艦隊との戦力差を埋めるため、新天地に入ってから地の利のある島嶼とうしょ地帯で仕掛けてくるつもりかもしれん……」


「団長、出航の準備、万事整いました」


 ハーソンが修道女に答えたその時、今度は規律に厳しい軍人然りとした、いかにもな険しい顔の男が近づいて来てそう報告する。


 アウグスト・デ・イオルコ――ハーソンの従弟にして羊角騎士団の副団長である。


「うむ。ピンソラス殿、我ら羊角騎士団へのご協力感謝する……よーし! 総員、速やかに配置に着け! すぐに出航だ! ヤツらが何か仕出かす前になんとしてでも叩き潰すぞ!」


 アウグスト副団長に頷くと、ハーソンはようやくマルティアンの方を振り向いて丁寧に礼を述べ、息つく暇もなく配下の騎士達に出航の号令を下した――。


※挿絵↓


ドン・ハーソン・デ・テッサリオ

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16818023212011411526


ドン・アウグスト・デ・イオルコ

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16818023212975651939


メデイア

https://kakuyomu.jp/users/HiranakaNagon/news/16817330669735412090

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