5-8 『龍殺し』と柱の少女

 ライカンロープという魔術師は、特にこのE-13区画では力の象徴として語られる存在だ。

 E-13区画には、俺を含めて龍殺しの魔術師は三人存在した。新参で唐突に現れた俺自身の評判はまだ疑問符付きで語られる事が多かったものの、学舎時代から神童と呼ばれたアトラスは龍殺しになって以降、ライカンロープに並び、また越える力の持ち主であると噂される事も少なくなかった。

 ただ、それでも、龍殺し、そして第一種魔術師と言えばライカンロープの名が強い。

 近代最高とも言われる魔術師であり、過去の功績だけでなく現在の活躍もこの区域に留まらず、世界でも有数。『原初の魔術師』エドワード・ベイカーを除けば、現時点では世界で最も有名な魔術師と言ってもいい。

「…………」

 自らの上に立つ立場の老人、そして俺へと、ハルは交互に視線を向ける。

 もしかしたら、ハルはこの事態を恐れていたのかもしれない。去れ、ではなく逃げろ、と告げていた彼女の言葉は、危険の存在を示唆していた。ハルは俺とライカンロープが出会う事を避けるため、警告を口にしてくれていたようにも思える。

「俺がここに来た理由がわかるか?」

 老いを感じさせない澄んだ声で、ライカンロープはそう問うた。

「……俺を殺すため、だろうな」

「そうだな、お前は邪魔だ。殺しておくべきだが、『柱の少女』はそれを拒んだ」

 しかし、ライカンロープの口にしたのは否定だった。

「『柱の少女』がお前に別れを告げる。俺はそれを見届けに来ただけだ」

「何を――」

「ルイン」

 ライカンロープの言葉を理解するよりも前に、一歩、白髪の少女が俺に近付く。

「私のあなたへの要求は、これで終わり。もう私を傍に置く必要はないし、龍殺しの肩書についても好きにしていいわ」

 あれほど探し求めていたエスからの言葉は、常のそれと変わらず平坦だった。

「……どうしてだ?」

「私の目的のためには、その方が早いから」

「エドワード・ベイカーの殺害、だったか」

 俺の問いに、エスは短く頷く。

「この惨状もそのためだっていうのか? お前は、ここで何をした?」

 だが、現状がエスの語る目的と繋がっているようには思えない。俺よりも名の知れた龍殺しであるライカンロープを利用するというのはともかく、今も学舎とその下の街を破壊し続ける『殻の異形』の侵攻の意味は不明、理由があったとしても許容はできない。

 周囲に転がる異形の骸、そして傍らに立つライカンロープ。この期に及んでエスが異形の侵攻と無関係だと信じるのは、俺であっても不可能に近かった。

「『柱の少女』はあくまで道具だ。その性質は、使い方次第でどんな結果も引き起こす」

 俺の問いに答えたのは、エス自身ではなくライカンロープだった。

「……『柱の少女』?」

「お前がエスと呼んだこれの事だ。これは、ヒト型に作られた過日の遺物。『殻の異形』を殺すためのモノだ。『殻の異形』を引き寄せたのは、より多くの異形を殺すため、周囲の異形を引き寄せる性質によるものだ」

 ライカンロープはいとも簡単に、これまで謎に包まれていたエスの素性を口にする。

「エスが遺物なわけがないだろう」

 だが、ライカンロープの語った内容は流石に受け入れられない。エスはどこからどう見てもヒトであり、過日の遺物、統一歴以前の人間が作り出したモノであるわけがない。

「語って聞かせても無駄か。それなら、こうしよう」

 ライカンロープは俺の抗議をただ流すと、おもむろに右手を振った。振られた手の先にあるのはエスの顔、爪がその横を掠めると、頬に一本の傷跡の線を引いた。

「何を――」

 遅すぎた俺の反応は、最後まで言い切る前に途切れる。

「……青緑?」

「そう、『柱の少女』の血は青緑色、ヒトのそれとは違う異形の色だ」

 エスの頬に引かれた血線、その色は見慣れた青緑色で。その事実が、俺の中のエスがヒトであるという確信を揺らしていた。

「亜人、なのか?」

 頭に浮かんだのは、『神の器』の信窟でのヒースとのやり取り。彼は『殻の異形』をヒトの造った遺物に過ぎないと断じ、自らも亜人を操ってみせた。

「俗に言うそれとは違うが、元を辿れば似たようなものだ。共にヒトを型取り、亜人はヒトを、『柱の少女』は『殻の異形』を殺す事に特化した」

 たしかに、エスは対『殻の異形』でこそ突出した能力を見せたが、アトラスには拘束され自らも人間を殺せないと語っていた。彼女の力がただ『殻の異形』だけを殺す性質を持っているとすれば、事の辻褄は合う。

「……だとしても、エスをどう使う? 無制限に『殻の異形』を引き寄せ続けるような性質を傍に置けば、いつ今の学舎下と同じ状況になってもおかしくない」

「言っただろう、『柱の少女』は使い方次第だ。俺は場所を選ばず制御装置を取り外すような愚行はしない」

「制御装置?」

「知らんのか。これが『柱の少女』の制御装置、これを傍に置く事で『柱の少女』の異形を無力化する力、そして異形を引き寄せる力は減衰される」

 ライカンロープの手の平の上、掲げられたのは小さな銀色の箱。

 なるほど、それと似たものに俺は見覚えがあった。エスが『殻の異形』観測区から出る際に唯一持ち出した私物、それは目の前にあるのと同じような銀色の箱だった。その後の処遇については逐一確認はしていなかったが、おそらくエスが拘束された際にアトラスかヒースに箱を没収されたのだろう。その結果が『殻の異形』の侵攻であり、この場に倒れ伏せる無傷の異形の骸の数々だ。

「なるほど、お前が馬鹿正直で助かった」

 そして、それを俺に知らせたのは、明らかな失策だった。

「お前を倒してその抑制装置とやらを奪う。それでいいって事だな?」

 ここに来て、俺はようやく明確にして単純な解決策を得た。手探りにエスを探し回る必要も、誰を疑う必要もない。ライカンロープを倒して箱を奪う、ただそれだけでいい。

「何を――」

「ルイン、私は――」

「説得は無意味だ、ライカンロープ。それに、エス」

 俺はエスが何らかの交渉、強要をされてライカンロープに付いた、と疑っているわけではない。その可能性もあり得なくはないかもしれないが、真偽を確かめる気はない。

「俺はただ、エスの傍にいたいだけだからな」

 エスへの恩も、彼女の目的も、結局は二の次だ。俺のエスへの感情は、純粋な好意と執着以外の何物でもない。こうしてエスを目の前にして、ようやく俺はその事に気付いていた。

「そんな選択が――あり得るのか?」

 ライカンロープの反応は驚愕、あるいは絶句。まぁ、それも無理はない。

 俺の選択は、動機もその手段も子供の我儘と大差はない。

 相手は当代最強を謳われる魔術師、それに加えて彼の部下であるハル、目的であるエスまでも敵に回る可能性も否めない。対する俺は偶然の流れから『龍殺し』を名乗ってこそいるものの、その実は一介の魔術師に過ぎず、加えて満身創痍の状態と来ている。

 だが、必ず負けると決まったわけでもない。多少は散っただろうが、この場にはまだアトラスを蝕んだ有毒気体が充満している。加えて、俺は今の会話の最中にも指輪と遺物による有毒魔術を展開し続けていた。異形の身体を持つエスに効果はないはずだが、俺、ハル、ライカンロープの内の誰がいつ倒れてもおかしくはない。

「わかった。なら、殺そう」

 ライカンロープの言葉は想定内、しかしその行動は予想外だった。

 予備動作なしの跳躍、魔術詠唱を伴わないそれは老人に、いや、ヒトに可能な速度を超えていた。

「――っ」

 詠唱は間に合わない。

 回避に跳ぼうとした足は、しかし膝下から崩れ落ちる。先の負傷か、あるいは毒か。自分で想像していた以上に、俺の身体はすでに壊れ果てていた。

 残る手段は、指輪の紋様魔術。反応が遅れ、指先の感覚も危ういが、暴発覚悟で爆発を起こし、互いを吹き飛ばして距離を取るしかない。

「шаф――」

 発動は寸前で間に合ったが、威力の調整を失敗したか、爆風は明らかに強すぎた。為されるがままに吹き飛ぶ中では、詠唱も遺物で指輪を照らす事もままならない。更に、爆煙の中で聞こえた魔術詠唱は、あろう事か発生源ごとこちらへと接近してきていた。

 すでに万策は尽きた。ほんの少しだけ後悔が頭を掠めるも、それもすぐに消える。どちらにしろ、エスに出会わなければあの時に失っていた命だ。

 煙で狙いを失ったか、風刃の魔術詠唱は俺を外れていった。だが、煙越しに迫り来る影を止める術はない。

「…………ぁ」

 瞬間、微かな声と、それを掻き消すような破裂音が響いた。

 煙の晴れた先、見えてきたのは崩れ落ちる異形の姿。

「ハル!?」

 だが、俺が反射的に叫んだのは、橙色の髪の少女の名前だった。

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