第8話


 テツはフレイが言った事を全て実現すべく努力していた。

 つまりは街門を破り、その後はファンガス伯の兵士達に一番の突入の栄誉を与えるという事だ。

 この場合は街門を破るのは容易い、問題はそれよりも他の部隊だ。今は突然現れたこちらに驚いて警戒するように遠巻きに見ているが、街門が破られたとなれば彼らとて座してみているワケにはいかない。

 かといってテツはファンガス伯の兵達を竜と一緒に街門突破に連れて行く気は無かった。

 フレイにとっては平民が貴族の無能の為に死ぬのを哀れみ助けたいと心から思う事と、戦場の誉れと一番槍だと激戦区に放り込む行為は矛盾しない行為らしいが、テツ・サンドリバーはまだ常識は捨ててはいなかった。

 というわけで必要なのは速度だ。

 他の味方の混乱が解ける前に、全てを終わらせるのだ。味方にはもう少し混乱して貰おう。

 テツは声を張り上げる。

 

 フレイ・クロファースは感動していた。

 王国の姫を前にして自身の戦場においては我こそが指揮官であると頭を下げなかった者が、兵を助けられた事に対して一兵卒に頭を下げたのだ。

 なんと、なんと感動的であるか。

 報いたい、そう極自然に思った。

 思わず涙ぐんだ顔を指揮官の男から背けながらフレイは考える。

 そこでふと思い至る。

 そういえば自分は指揮官を見分ける事が出来なかった、と。

 つまりそれは彼が激戦の最中で指揮官の身分を示す物を無くしたという事だ。

 フレイは自分の思いつきに大いに満足した。


 自分から顔を背けた天上の姫が思案する姿をメディスンは唖然と見つめた。

 どうすれば良いのか分からなかったのだ。

 地面に這いつくばれば良いのだろうか?

 メディスンにすれば遠くからでも直接目で見るという機会すら人生で一度あるか無いか、という人間である。

 なので彼が出来たのは徴兵されて二,三日だけ行われた行軍訓練の知識のみだった。

 つまり……。

「指揮官殿」

 気を付け、の姿勢である。

「私が間違えていたら申し訳ないのだが、もしかして貴君は落とされたのではないか?」

 メディスンは何を? と問うことすら出来なかった。頭にあったのは自分が王国の姫から何かをなくしていると指摘されたという事だけだった。

 混乱の中あたふたと自分の体を両手で探るが、そも何をなくしたかも分からないのだ焦りだけが募りどうすれば良いのかも分からない。

 もしかしたら失礼を働いたとかで殺されるかもしれない、メディスンは冷や汗が額を濡らすのを自覚した。

 この時代平民の命は安い。

 ファンガス伯はそういった貴族ではなかったが他の貴族がそうではない、むしろそうではない貴族の方が多いというのはメディスンも行商人や旅人から聞き及んでいる。

 とにかく謝ろう、何をなくしたのかは分からないがとにかく謝ろう。

 メディスンが乾いた舌を必死に動かそうと努力していると、銀の炎がそんなメディスンを手で制した。

 その顔は全て分かっているという顔だった。

「構わない指揮官殿、死線を潜ってきたのだ」

 メディスンは自分が何か許されたのだとだけ理解した。相変わらず自分のことを指揮官と呼ぶのはどうやって間違いを指摘すれば良いのか分からないので後回しにするにしても、とにかく無礼者と切り捨てられる心配はしなくて良いらしい。

「だがそれでは貴君も不便であろう、指揮官が指揮官らしくあらねば指揮は執れぬ」

 もしメディスンがこの誤解を解けるタイミングがあったとしたら、ここが最初で最後の機会だった。

 だが彼は曖昧に、ともすれば深く同意するかのように頷いただけだった。

 メディスンのその頷きを見た銀の炎は同意を得た事に輝かんばかりの美貌を微笑で飾りこう言った。

「ファンガス伯の兵がどういった物を持つかは分からぬ故に私の物ですまないが」

 そう言って手早く留め金を外すと銀の炎はメディスンに向けて鞘に収まった短剣を差し出した。

 馬上からすまないな、という銀の炎を声をどこか夢うつつで聞きながらメディスンは反射的にそれを受け取る。

 銀の炎の胸を飾っていた短剣は、柄は一見地味な黒い金属で出来ていたが日の光が入ると金色を帯びる不思議な金属で出来ていた。

 鞘から抜くまでもなくとんでもない価値の物だと分かった。

 同じ金属で装飾された鞘だけで農民なら数年は遊んで暮らせるだけの価値があるだろう。実際にはその鞘を止めるベルトだけでそれだけの価値があったが。

 受け取ったメディスンはその瞬間にはまったく価値にまで気が回っていなかったが、まるで魔法の剣のようだと妙な直感の良さを発揮していた。

「それを使ってくれるとありがたい」

 いったいこの銀の炎は何を言っているのか?

「鞘には矢避けの魔法がかけられているが、ある程度以上の実力者の矢は逸らせないから過信は禁物だ」

 この時代であれば、つまりそれは平民なら二、三代は遊んで暮らせるだけの価値があるという事だ。

「短剣の方には幸運の魔法がかかっているらしいが私は実感した事がないので眉唾だ」

 冗談めかしたように言う銀の炎を見てメディスンは遂に考える事を止めた。

「さあ!私の右腕が準備を終わらせるぞ!指揮官殿、装備なされよ!」

 メディスンは無言で短剣を胸元に出来るだけ目だつようにとベルトを調整して留め具を止めた。

 もう何も考えていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る