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〔速報! 女優、沢木乃愛を殺人教唆で逮捕〕

〔癒しの天使の本性は嫉妬に狂った悪魔だった!?〕

〔沢木乃愛、一ノ瀬蓮を巡る本庄玲夏との泥沼三角関係の末の殺意〕

〔女優、速水杏里と俳優、北澤愁夜が結婚!速水杏里は芸能界引退。妊娠の可能性も〕


 報道と言うものは時に正しく、時に身勝手な媒体だ。真実を正確に伝える機能を持つはずの媒体が面白可笑しく脚色した偽りの真実を世間に流している。


        *


6月13日(Sat)午前8時


 土曜朝のワイドショーでは今週1週間に起きた出来事が集約される。


 今週特に世間を騒がせたニュースは若手女優の沢木乃愛の逮捕、12日夜に緊急発表された女優の速水杏里と俳優の北澤愁夜の結婚と杏里の芸能界引退、先月から引き続き報道されている明鏡大学の殺人事件。

主にこの三つのニュースがどこのテレビ局のワイドショーでも繰り返し流れていた。


 早河は半開きの重たい瞼をこすって居間のテレビを見つめる。沢木乃愛は玲夏への嫌がらせ行為と速水杏里への殺人教唆の罪を全面的に認めた。

玲夏のマネージャーの山本沙織の車に毒針を仕掛けたのは津田弘道だった。


 速水杏里も玲夏への殺人未遂の件では書類送検されるが、脅されていたことを踏まえて情状酌量の余地が認められ、不起訴となる可能性が高いと上野警部は言っていた。


 この事件の顛末の唯一の救いは、北澤愁夜が速水杏里にプロポーズをしたことだ。

清原映画監督との過去の不倫や、津田に脅されて杏里が玲夏にした嫌がらせ、平井の湯呑みを杏里がすり替えたことも、北澤はすべての事情を知った上でのプロポーズだったそうだ。


杏里は芸能界を引退して北澤の妻になる道を選んだ。なぎさは意外だと驚いていたが、あの二人には二人にしかわからないところで深く気持ちが繋がっていた。そういうことだ。


 それだけが、救い。そう、それだけが。


 今回の事件に関連して警察が世間に公表していない事実がある。乃愛はインターネットのある占星術サイトの読者だった。そのサイトはファントムと名乗る占い師が運営している。


サイトの専用のメールフォームからファントム宛に相談事を書いたメールを送るとファントムが占星術を基にしたアドバイスを送り返してくれるシステム。

ファントムへのメールはサイトには公開されず、ファントムと読者の1対1のやりとりとなり、読者の名前も匿名なので相談者はかなり際どい内容の悩みをファントムに打ち明けることができる。


乃愛は蓮への叶わぬ恋心に苦しむ気持ちを綴ったメッセージをファントム宛に送った。ファントムからの返事は最初は占星術がベースの簡単なアドバイスだった。

しかし何度かメッセージのやりとりを重ねていくうちに、乃愛の精神はファントムに洗脳されていく。


 ――あなたが欲しいものを手に入れるためには邪魔なものを排除する必要があります。私があなたの手助けをして差し上げましょう……――


 ファントムは巧妙な話術で乃愛の心に悪魔を植え付け、凶行へと駆り立てた。玲夏を殺す計画を立て始めてからはファントムは乃愛をクリスティーヌと名付けて呼んでいた。


 ファントムの声はいつも機械で作ったような声だったと逮捕後の乃愛は供述した。乃愛がファントムに連絡していた携帯番号はトバシ携帯、ファントムが運営していた占星術サイトも閉鎖されてファントムがどこの誰であるか素性は掴めていない。


 早河はブラックコーヒーを飲み干すと耳障りなテレビを消した。二杯目のコーヒーと煙草を楽しんでいるところに呼び鈴が鳴った。

このメロディは事務所の呼び鈴ではなく、早河の居住スペースである三階直通のガレージ横の呼び鈴だ。


階段を降りて玄関を開くとサングラスをかけた本庄玲夏が立っていた。


「相変わらず朝はだらけた格好してるのねぇ。お客が来る前に髭くらい剃りなさいよ」

『お前が来るのが早いんだよ』


 軽口を交わして玲夏を自宅に入れる。彼女と会うのは女優を辞めると泣きついてきたあの日以来。思ったよりも元気そうな玲夏の姿に安堵した。

焦げ茶色のソファーに並んで座った。


「今回は本当にありがとう。あなたに依頼してよかった」

『大したことはしてない。これが俺の仕事だ。それより出歩いて平気か? マスコミが色々と騒いでるだろ』

「社長が根回してくれたから、私は今は“横浜にいる”ことになってるの。マスコミは嘘の情報に騙されて横浜に流れてる」

『さすが吉岡さんだな』


エスポワールは被害者側、加害者側の所属事務所となってしまったが、吉岡社長は転んでもただでは起きない人間だ。


「しばらく私も蓮もマスコミに追いかけ回されるだろうけど、これくらいで潰されるやわな人間じゃないから大丈夫。芸能人は騒がれるのも商売」

『お前も一ノ瀬蓮も強いな』


 ソファーの肘掛けにもたれて頬杖をつく早河の片手は自然と玲夏を迎えていた。2年前はこうして抱き合うのが当たり前な二人だった。


 静寂な時間がゆっくり流れる。たぶんこれは本当の意味でのサヨナラの儀式。

サヨナラは笑って言いたいのに、玲夏の閉じた瞼の裏側には涙が溜まっていく。


『玲夏のこと、本気で愛してた。俺の側にいてくれてありがとう』

「私も本気で愛してた。大好きだったよ」


 最後の抱擁は苦しいくらいに力強く。気が遠くなりそうなほど長い時間をかけてようやく辿り着いた終着点。


 愛情の果てにあるものは、たとえば憎しみだったり、たとえば欲望だったり、それぞれ違う。

もしもこの二人の愛情の果てにあるものに名前をつけるのならそれは信頼と呼ばれるものになるかもしれない。


 そして二人は手を離す。


“さようなら、また会いましょう”

最後は笑顔で過去に向かって手を振った。


        *


 ドラマ【黎明の雨】は降板した沢木乃愛の代役を立てて撮り直すらしい。

速水杏里は黎明の雨の撮影を最後に芸能界を引退する。杏里の続投は玲夏が監督に掛け合って説得して決まったようだ。

脅されていたとしても事務所に嫌がらせをして自分を殺そうとした杏里に女優として最後の花道を作ってやるのは玲夏らしい。


 黎明の雨が放送する時は観てみようと思う。きっと、放送日を早河が忘れていてもなぎさが覚えて録画してるだろう。


 玲夏が帰った後、早河は窓辺に座り込み、玲夏に指摘された髭の伸びた顎をさすって青く広がる空を眺めた。

空けた窓の網戸越しに子供の笑い声が聞こえる。すぐ側の公園で遊ぶ子供達の声だ。

梅雨の晴れ間を楽しむ近所の子供達のはしゃぐ声に何故か救われた気持ちになった。


 誰にでも無邪気に笑っていた子供時代があるはずなのに、どうして大人になると人は汚れてしまうのか。


 昨夜、警視庁に留置されている乃愛に面会した時に彼女は言っていた。

「ファントムは芸能界に詳しい人間かもしれない」……と。乃愛の心を巧みに操り犯罪の闇に引きずり込んだファントムとは何者なのか。


 外は晴れ。暖かな日差しの下で元気に遊び回る子供達の声が早河の耳にこだました。



第五章 END

→エピローグに続く

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