第18話 「 ゾンビ姫、覚醒 」

「マーシュ、心配していたよ。本当に、無事で良かった。 ーーー助けに行けなくてすまなかった」


 フラナガンをぐっと抱き締めて、ラシュワールは囁くように言った。


「そんな事・・・ハリスの代わりにお嬢様が来てくれましたから」





「僕は館の主人にはなりたくないよ」


 2人がまだ子供で、ラシュワールをハリスと呼んでいた昔。

 泉で魚を釣っていた時にハリスが言った言葉が思い出された。


「ラシュワールじゃなかったら、マーシュと好きなだけ遊んであちこち旅したり出来るのに」


 諦めの入った声音でそう言った。

 ハリスは動物好きで、活発ではあったが黙々と工作をする事の方が好きな少年だった。


「そんな事、旦那様が聞いたら悲しみますよ」

「悲しんだりしないよ、父さんは怒るだけさ」


 様々な作法を教えられて不満顔だった。


「テーブルマナーとかは分かるけど、王様に謁見したときの作法とかいると思う?」

「う~ん、どうかな。でも、ラシュワール一族なら会えるかも」


 ハリスは首を軽くひねった。


「どうかな」

「第2王子の家系なんでしょ?」

「昔むかしの話だよ。今じゃ、王様の遠い遠いとっても遠い親戚なんだから」


「ふぅん、そうか」


「毎日まいにち剣の練習するのも、もう飽き飽きだ」


 ハリスは剣術を苦手に思っていた。


「戦争なんて聞いたことないし、ドラゴンもゾンビも来ないじゃないか」

「いつ来るか分からないでしょ?」


「そりゃそうだけど・・・」


 剣術の練習を近くの木の陰に隠れて見たことがあった。子供相手とは思えない厳しさに、泣きながら見ていた事をフラナガンは思い出した。


「私を敵だと思って殺す気で来なさい!」


 剣術指南の騎士隊長がよくそう言っていたのが耳に残っている。


「グロウリス様は人に優しすぎる!」

「戦うときには鬼になりなさい! ホラ、貴方の兎がゾンビに食われるぞ! 兎1匹も守れないでどうする!」


 歯を食いしばって何度も立ち上がり、子供用とて重い剣を振り続けていた。

 生傷が絶えなく日々怒鳴られて、ハリスは辛そうだった。


「もしゾンビが来たら、僕とお母さんを守ってくれる?」


 不安そうな顔でハリスを見上げると、ハリスは笑って頭を撫でてくれた。


「マーシュ、なんて顔してるんだ。もちろんだよ、絶対守ってみせる!」

「絶対だよ?」

「ああ! その頃には誰にも負けないくらい強くなって、ゾンビなんかちょいちょいってやっつけてやるよ」


 笑顔を向けるハリスを頼もしく思ったものだった。


 20代半ばに当主である父を失い、父親ほど年の離れた部下の前で威厳を持って生きてきたラシュワール。

 年下の部下が増えた今では彼らの父のように信頼を集め、愚痴などこぼせようもなかった。




「私も年だな、涙もろくなったらしい」


 右手で額から顎へと顔を拭い、ラシュワールはそう言って苦笑いした。


「さっきの質問の答えは?」


「ああ、アリーシャも子供達も家にいます。お嬢様は、私がお願いしてファンダル村に行ってもらいました」

「そうか、無事だといいな」


 フラナガンの背を叩き、ラシュワールは時計に目を向けた。


「ランスロウへ送った伝令は・・・そろそろ戻ってくる頃だな」

「はい、もう時期かと」


 ラシュワールは窓の外に目を向けて、騎士隊長へ声をかけた。


「誰か2人手の飽きそうな者はいるか?」

「だいぶ出払っていますが・・・2人なら大丈夫かと」

「うむ、ちょっと呼んでくれるか?」

「はい」


 2人きりとなった部屋の中、ラシュワールはフラナガンの肩を借りて椅子にかけた。


迂闊うかつだったよ」


 ラシュワールはわずかに疲労を声に覗かせて、深くため息をついた。


「上半身だけのゾンビが、あんなに早くほふく前進して来るとは思いもしなかった。それどころか、下半身のない者が動き回ることさえ頭になかった」


「恐ろしい光景ですね・・・」

「まったくだ、悪夢のような光景だよ」


 椅子に深くかけラシュワールが目を閉じる。


「しかし、ゾンビの館への侵入を許すとは思ってもいませんでした」



「侵入・・・。 外から来たんじゃない」

「え?」



「中から現れたんだ・・・、突然」



 その言葉にフラナガンは驚き、聞き間違いかと我が耳を疑った。







 ◇  ◇  ◇




 皐月は屋根の上から一点を見つめた。

 馬に乗った人が2人、丘の上からやって来るのが見えた。それが騎士だと分かり皐月は村の外まで走り出た。


「フラナガンから話は聞いています!」


 左手を剣の柄に添えている皐月を見て、片手で制しながら開口一番に騎士は言った。


「お嬢様、ご無事で」


 警戒を解く皐月を見て笑顔を見せる騎士の腕章はラシュワールの物だった。


「村は? 村人達は?」

「駄目だった。これ以上は入らないで下さい、彼らは自由にしています」


 2人の騎士は顔を見合わせた。


「聖なる光はまだ使っていないんですね」


 皐月が頷くのを見て彼らも頷いた。

 彼らは皐月を責めず、直ぐにゾンビ討伐へ向かう様子もない事が不思議に思われた。


「私達が村を封鎖します。安心して下さい」

「え? それは・・・」


 驚く皐月に騎士達は笑顔を向けて続けた。


「ラシュワール様が、お嬢様は聖なる光が使えるまで村にいるだろうとおっしゃっていました」

「今日はもう日射しは望めません」


 一呼吸置いて、


「ランスロウに行かれてもいいんですよ」


 と、優しく声をかけた。


 太陽の光がなければ聖剣が発動しない事を、彼らはラシュワールから聞いているのだ。

 そして、動物が好きで人に優しいお嬢様がこの曇り空の下、今どうしているかもラシュワールは分かっている。


 奇しくも皐月の気持ちがお嬢様と同じ方向を向いていた事が、皐月の心を熱くした。


 お嬢様は、ランスロウへ行きたいだろうか。

 思い人の消息を知りたいだろうか・・・。


「どうぞ、お気になさらず」


 お嬢様の心中を察しての言葉だと分かる声音だった。

 彼女が思い人を心配しないわけがない。きっと無事を確認したいに違いない・・・と、皐月は思った。


 貴方は会いたい?

 一度は断ち切ったその人に・・・。


 胸に手を当てて、皐月の物となった体の奥深くに問いかける。


 ここに居るんでしょ?



 声など聞こえてはこなかった。それでも、皐月はランスロウに行こうと思った。


「ファースティーーーーー!!」


 丘の上から白い姿がやって来る。


「後は頼みます」

「はい!」

「お気をつけて!」




 皐月はファースティーを駆ってランスロウへ向かった。


 走るほどに気が急いて、皐月は自分の中のお嬢様が心焦がしているように感じられた。


 ランスロウに近付く程に雲は黒く厚くなっていった。そして、とうとう雨が降り出した。

 雨はすぐに大粒へと変わり、稲妻が皐月を迎えるように空を走った。



 もう夜かと思うほどの暗い空の下。

 堅牢なランスロウの建物が見えてきた。


 ランスロウは人の住む館と言うより、要塞の様な姿だった。それが雷を背に浮かび上がる様は、まるで妖魔の棲む城、RPGのダンジョンの始まりのように思えた。


 ファースティーを放ち、雨音以外の物音に聞き耳を立てながら慎重に門をくぐった。

 騎士を育てている場所にしては人の姿が無く、皐月は違和感を感じた。


 館へ派遣されて出払っているの?


 そう思ったが、それにしても静かだ。

 中央の大きな建物とその両脇に宿舎と思われる建物があり、皐月は右の建物へと足を向けた。


 ふと・・・。

 皐月は何かの気配を感じた。


 香りだ。

 どこからか甘い香りがした。


(ああ・・・。何て良い香りだろう・・・)


 鼻をクンクンとひくつかせて香りを辿る。


(なんて美味しそうな匂いなの!?)


 突然、皐月の体に空腹感が沸き上がってきた。

 体中の毛穴という毛穴が香りを探して開くような、鳥肌が立つのに似た感じがした。


 どこ? 何処!?


 食欲が、渇望かつぼうする心が体を動かした。


 どうしてと思う隙を与えず、何故と疑問を浮かべる一瞬の間も無く走り出していた。


 香りを求め、全神経がそれを追い求めて集中していく。


 2階建ての建物の塀を猫のように駆け上がって行った。

 これほど体が軽く力に満ちたことがあっただろうか!?


 ああ! なんて素敵なの!?


 風のように屋根の上を駆け抜けて、辺りに広がった感覚の先端が香りに到達する!



 居たッ!!



 そう思った瞬間に皐月は屋根を蹴って空へ跳躍していた。


 視界の周辺がぼやけ、視線の中央だけが拡大鏡で見るようにくっきり見えていた。


 皐月に見える世界の中央で、驚愕に目を見開いた青年が見えている。



 青年の姿がどんどん迫ってくる!

 見開かれた彼の瞳が、瞳孔が開いていく瞬間さえ捉えられると感じるほど、皐月の五感は集中していた。


 2階のテラスに立つ青年が、手すりから離れて奥の壁へと下がっていく。



 風に髪をひるがえし、稲光を受けて屋根を疾走してくる女の姿を青年は見た。

 光り輝く女ゾンビが宿舎の屋根から跳躍し、両手の指をカッと開いて飛びかかってくる!


 真っ直ぐ!


 こちらに向けられた眼に捉えられ、彼は動くことが出来ない。



 来る!!!



 女ゾンビの顔を捉えて、彼は愕然とし落胆と絶望に飲まれていった・・・。





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