日本臓器製造株式会社

zizi

第1話  1

 鉛色の分厚い雨雲が手の届くところまで降りて来ている。

 真田和輔さなだかずすけはいつものように空を見上げたが、何とかきょう一日は持ちそうだと踏んだ。

 建物を出る時につい空を見上げてしまうのは、職業癖とでもいうのだろうか。

 真田は私立の大学を卒業後、自動車販売会社のセールスをしている。

 仕事柄ほとんど毎日外回りに出るため、おのずと天候が気になる。パンフレットの入っているズシリとした営業カバンの底には、突然雨に降られた時のために折りたたみのカサは入れてある。いくら何でもずぶ濡れ姿では客の前には立つことはできない。

 山手線のS駅で乗った真田は、くたびれかけたスーツに濃紺のネクタイ姿で目的のT駅で電車を降りると、急ぎ足で改札を抜けて駅前の横断歩道を直角にふたつ渡った。駅前の通りは、月末ということもあって、はた織機ののように車が絶え間なく行きかっている。

 車のセールスが仕事であるのに、電車で移動するというのは納得がいかないかもしれないが、交通網の発達している大都会ではこのほうが便利なのだ。駐車違反を心配することもないし、駐車場を探す手間もいらない。だからずっとこのスタイルで通している。

 大通りの一本東の道を北に歩く。真田は犬が散歩をするようにいつも通る道を決めている。歩きながら作戦を練るためには慣れた道のほうがいい。

 真田の外回りというのは、先方にアポを取って訪問するわけではなく、ほとんどが飛び込みといっていい。だが、たまたま先方がタイミングよく新車購入の時期だった場合、話しが聞きたいと言ってあとで電話のあることもある。そういう面では、営業というのはどこでどう繋がるかわからないという不可視な部分が面白い仕事である。

 昼近くになって、真田はあるビルの3階にテナントとして入っている通信機器を販売する会社のドアをノックした。

「お仕事中失礼します。N自動車販売の真田と申します。御社ではお仕事でお車を使われますでしょうか?」造り笑顔で訊ねる。

「はい」

「お手数ですが車両担当の方にお取次ぎ願えませんでしょうか」

「すいません、生憎本日出張しておりますが……」

「そうですか、わかりました。では、パンレットを置いてまいりますので、ご一読くださるようにお伝えください」

 2色刷りの名刺を添えて真田はあっさりと引き下がる。あまりしつこくすると印象がよくないからだ。門前払いを喰らったわけではないので、また出直せばいいくらいの心づもりでいたほうがいい。すべてがこちらの思いどおりにいかないのは当然のことである。

 ついでに2軒ほど回ってビルを出ると、通りはランチに向かう嬉しげな顔のサラリーマンで3倍くらいに膨れ上がっていた。

 真田はこの時間がいちばん苦手だ。彼ばかりではなく、セールスマンなら誰にも共通した悩みなのかもしれない。

 営業の基本として、昼休みに会社を訪問することはタブーである。せっかくの休み時間を邪魔すれば、どうしても心証を悪くするからだ。かといって、食事に行こうとすればどこも満員で行列に並ばなければならないし、空いている店は全然旨くない。そこで真田はいつも少し早めのランチを摂ることにしている。どちらかというと食事はあまり時間のかからないドンブリものが多かった。

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