2.春の風に君の髪が

春の風に君の髪が 1


 四月芽月も半ばを過ぎると、新入生達も選択する授業が決まる。


 外部生達も、学部が同じであったり、一緒の授業を取っている相手と仲良くなり、自ずと集団が出来上がってきていた。

 主に大学の一年次二年次に取得する教養課程の単位について、高等部時代にあらかた取得していたテレーズは、他の一年生と同じ授業に出ることはまずなかった。

 また、自分の見た目に惹かれて声をかけてきた外部生の中に、面白いと思える相手もいなかったので、そんな人間達を冷たくあしらっているうちに外部生からも遠巻きにされるようになり、結局昼食時など授業以外で一緒にいるのは、おなじみのテオドールとユージェーヌだけになっていた。だがテレーズ自身は、むしろこれで落ち着いたと、新学期開始以来ようやくほっとしていたのだった。


     ※


 その日は昼一の自分の授業は休講だったので、昼食の後テオドール、ユージェーヌと話をしながら、普段は来ることのない彼らの教室まで一緒に来た。

「あれ? テスじゃない。珍しい」

 彼らの次の授業は、全学部共通の必修で大教室での授業だったので、受講生に高校以前から同級生だった内部生も多い。

 彼らはテレーズの姿を見ると可笑しそうに挨拶をしてきた。テレーズもまた馴染んだ同級生達には気軽に挨拶を返していた。その様子を外部生が物珍しそうに眺めて通り過ぎて行く。

 時間は昼休み終了まであと十分ばかりというところだったので、教室の半分くらいの席がもう埋まっていた。

 テレーズ達は教室の扉付近の廊下で話をしていたのだが、ふと何の気もなしに教室の中に目を向けた時に、その人を見つけた。



 他愛もない話をしていたとはいえ、急に黙ったテレーズに二人が怪訝な目を向けてくる。

 だがテレーズは、教室のある一点に向けた視線を動かすことが出来なかった。


「誰? あの美人」


 テレーズの質問に、テオドールとユージェーヌが教室の中を覗き込む。教室に入る学生が、邪魔そうに二人を避けていった。

「どうしたんだい? 珍しい。おまえが他人に興味を持つなんて……で、誰って、誰のことなんだい? どの女の子?」

「いや、あの……」

 ユージェーヌの質問に、テレーズは相手を指さした。

 彼の指す方向に二人の視線が集まる。

「前から五列目、一番窓際にいる黒髪の臙脂のタイの……」

 テレーズが興味を示した相手の正体を知ったテオドールが呆れ顔で首を振り、テレーズの視界を教室から引き離すように、テレーズの身体を扉近くの壁に押しつけた。

 質問をしてきたユージェーヌも、テオドールの後ろで苦笑を浮かべる。


 しかし、テオドールの行動の意味が解らないテレーズは眉間に皺を寄せた。

「おい、何だよ」

 テレーズの様子にテオドールは溜息をついた。

「おまえな。何でよりにもよって、彼に興味を持つんだよ」

「何でって……すごい美人じゃないか」

「おまえがそれを言うか? じゃなくて……彼はやめておけ。多分、おまえより難しい」

 このようなことを言われると、余計に興味が湧く。

 もう一度彼が見たくて身体を動かそうとしたが、テオドールは頑として手を放さなかった。さすがに苛ついて視線に険を含ませたテレーズに、ユージェーヌがひらひらと手を振る。


「彼はチグサ・ハツキ。ベーヌ出身の外部生で、グィノー教授の推薦によって入学した秀才だ。貴族院議員である現ベーヌ領主小カザハヤ公の父親、元老の大カザハヤ公の孫だそうだよ」

「……それの何が難しいんだ?」

 王立学院は、学費は安いが国内で随一の大学でもあるので、家柄に関係なく入学希望者は多い。たとえチグサが元老の孫であるからといって、在籍を驚くほどのことではなかった。

「うん、まあ家柄云々と言うより、彼はおまえ以上に人間嫌いみたいでねえ」

「俺は興味がないだけで、別に嫌いでも何でもないぞ」

「いちいち混ぜ返さなくてもいい」

 テレーズがとりあえず大人しくなったので、テオドールも手を放して溜息をつく。

「彼もあの外見だし、入学早々から臙脂タイの持ち主なんで、入学当初は声をかける人間も多かった。けれど、彼は誰に対してもまるっきり無視を通していてな。おまけに話しかける相手がベーヌ出身だったりなんかした時には『話などしたくない』と言い切る始末だ。そんなもんだから、今じゃ彼の近くに寄ろうとする人間はいない。教授なんかには質問に行ってるし、その様子を見る限り、家柄を鼻にかけてその態度だって訳ではないようなんだけどな」

「当然、他の学生からは反感も受けて、陰で彼を悪く言うような人間もいるのだけど、意外なことに彼に冷たくあしらわれているはずのベーヌの人間が、彼を擁護していたりするんだよねえ。これも別に、彼がカザハヤ公の孫だからって理由じゃないようなところが謎なんだよね。ま、ベーヌの人間ではない俺達にとっちゃ、何とも得体の知れない人物だって感じだな」


 テオドールとユージェーヌの説明を受けて、テレーズはもう一度教室の中を覗いてみた。

 今度はテオドールもテレーズの邪魔をしようとはしなかった。

 確かに、チグサを気にかけているような学生はいるものの、誰も彼の傍に行こうとはしない。チグサ自身は、机の上に教科書とノートを置き、頬杖をついてどうでもよさそうな雰囲気で窓の外に目を向けていた。

 テレーズの横で同じようにチグサを見つめていたユージェーヌが、ぽつりと呟く。


「彼、瞳が緑なんだよね」

「……緑?」


 ユージェーヌに訊き返したテレーズの質問に、テオドールもチグサへ目を向ける。

「ああ。カザハヤの血筋ってことは、生粋のヤウデン系だろう? 珍しいよな。あんなにはっきりとヤウデン系の顔立ちをしているのに緑の瞳なんて、初めて見た」

「よっぽどラティルトとの混血が進んでいないと出ないだろうけど、ベーヌのラティルトは山岳系だよね。山岳系は濃色の髪や瞳が多いから、ますます珍しいよ。まあ、彼は誰とも喋らないし、ベーヌの他の人間もそのことについては何も言わない上に、訊いても答えてくれないから、由来は謎のままなんだけれどね」

 二人の言葉など耳に入らず、テレーズはチグサを凝視していた。

 窓から入ってきたそよ風にそよいだ前髪が、緑色だという彼の目にかかり、彼は顎を乗せていた手を離して前髪を押さえた。

 その間にも、チグサの視線はずっと窓の外に向けられているままだった。一体そこに何があるというのだろう。

何が彼の視線を捕えているのだろう。


 テレーズは、自分がチグサから目を離したくないことに気がついた。


「……本当に、綺麗じゃないか」

「おい」

 テレーズの呟きにテオドールが呆れた声を出す。

「おまえ、人の話を聞いていたのか?」

「聞いていたさ。まずは、彼に直接行っても無駄だってことだろ?」

 そう言うと、テレーズは心残りながらもチグサから目を離し、教科書を持っていない方の手をズボンのポケットに突っ込んで、扉から離れ廊下を歩き出した。

「どうするんだ? おまえ」

 背中に質問してきたテオドールの声に足を止めて振り返り、肩をすくめてみせる。

 ユージェーヌは、テレーズが何をしようとしているのか察したらしい。テオドールの後ろで苦笑しながら、やはり肩をすくめていた。

「グィノー先生の推薦なんだろう? だったら先生の所へ話を聞きに行くのが一番手っ取り早い」

 肩越しにひらひらと手を振り、その手を再度ポケットに突っ込むと、テレーズは大教室の前から去って行った。


 唖然と取り残されたテオドールは後ろを振り返り、そこに可笑しそうににやにやと笑うユージェーヌの顔を見た。その顔に今度は渋面になる。

「何がおかしい?」

「おかしいっていうか……」

 ユージェーヌは溜まらなくなった様子で吹き出し、口許を押さえた。その肩が小刻みに震える。

「まるで一目惚れじゃないか! 驚きだね! あのテスがだよ! チグサって……彼、ものすごい逸材なんじゃないか?」

「笑えるか? 何だってあんな面倒くさそうな奴に興味を持つんだよ、あいつは!」

「相変わらず心配性だなあ。おまえもテスに構い過ぎなんだよ。こんな面白そうなこと、端で傍観者を決め込んでいる方が絶対楽しいぞ?」

 ユージェーヌの言葉にテオドールは肩を落とした。

「……おまえって、実は冷たいよな」

「そんなこと」ユージェーヌは平然と笑う。「おまえもテスも解っていることだろ? 今更のことじゃないか」

 本人の言う通り、テレーズだけでなくユージェーヌも大概癖の強い人間だった。長い付き合いとはいえ、どうして平凡な人間でしかない自分の傍にこんな人物達がいるのか、時折テオドールは悩むが、周囲に言わせれば類は友を呼ぶ以外の何ものでもなかった。


 昼休み終了前の予鈴が鳴る。教室の座席は殆ど埋まっていた。

 テオドールとユージェーヌも教室に入ると、適当な席に着いて教科書とノートを用意した。

 先程テレーズとあんな会話をしたところだったので、テオドールも気になって、視線を窓際のチグサに向けた。


 大教室の机は四人掛けの机だが、彼と同じ机に着く勇気のある者はいなかったようだ。その机に着いているのは彼一人だけだった。片手で教科書の端を触りながらも、まだ窓の外を見ている。

 物憂い表情のその横顔は、テオドールから見ても確かに美しいものだった。


 だからって、今まで他人に一切興味を持つことがなかったテレーズがね──、とテオドールは心中呟く。


 そしてこの先、一体何が起こるのだかと、密かに吐息をついた。

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