第2話 ふたつめのひ

 かまどにくべた薪がパチリと爆ぜた。

 リリアンはその音に呼び起こされる様にして目を覚ました。

 大鍋でスープを作っている途中に眠ってしまったらしい。寝ぼけ眼のままスープを火から降ろすと、呆れた様に息を吐いた。

「コトリが余計なことを言うからよ」

 せっかく心地よい朝日を浴びて、水汲みに行ったのに、あのツグミのせいで余計なことを思い出してしまった。

 嵐の夜、飛び込んできた男と契約を結んだのは、もう16年も前のことだ。

 その後にも否応なしに様々な依頼をこなしているのだから、今更こうして感傷に浸るほどのことでもない。

 そうは思っているのに。

 どうしてか、リリアンの心にはあの日からポッカリと穴が空いてしまったようだった。


 男が飛び込んできてからの2年間。

 それはリリアンにとって新鮮な出来事の繰り返しだった。まるで仮初めの親子の様に、男と赤子と3人で暮らした。男はまるで子供の様にリリアンを扱ったが、それがどうにも嬉しかった。

 普通の依頼者なら対価の生活を続けていくうちに、怯えの色が濃くなっていく。

 けれども、その2年間は沢山の笑顔と喜びにあふれていたように思えるのだ。


 男と赤子の笑顔を思い出すと、今でも愛おしさで胸が熱くなった。

 赤子に命の一滴まで移し終わった男の、安らかな眠り顔までまざまざと思い出せる。

 自分には決して訪れることのないであろう、穏やかな「死」。

 それが、酷く羨ましかった。

 リリアンの魔力はその所有者の死を認めず、少女の命をがんじがらめに守っている。

 それを祝福だと賛美する者もいたが、リリアンにとっては呪いのろいそのものであった。

 リリアンは自然に老いることも自らの意思で死ぬことも出来ない。

 永遠に十五の少女のままだ。あの赤子も、もうリリアンより立派な体躯になっているだろう。

「会いたいな」

 無意識に溢れた言葉に、少女は苦笑した。

(会ってどうするというのよ。もう私の事など覚えていないわ)

 リリアンにとって幸せだった2年間の記憶は、魔力の発動とともに男からも赤子からも赤子からも消えてしまったのだから。

 男の願いの通りに、命を移し、赤子は遠い王都の孤児院へやった。子供の教育に熱心な孤児院だ。ささやかながらも、きっと幸せな暮らしをしているに違いない。もしかしたら、もう結婚をして子供を儲けて家族が出来ているかもしれない。

 そうであって欲しいと思う。幸せになっていて欲しいと。


 ──たった一人で生きていく虚しさは、よく知っているから。


 リリアンは悲しみを振り切る様にかぶりを振ると、温かいスープを木の匙いっぱいに掬って飲み下した。

「……しょっぱい」

 森のさざめきだけが響く静かな家で、リリアンは小さく鼻をすすった。


 * * * * *


「ラス! そっちへ行ったぞ!」

 夜の森に野太い男の声が響く。

 突然の怒声に驚いた鳥たちが一斉に飛び立ち、森の空気は一瞬にして騒がしくなった。

「うるせえな。いちいち怒鳴るんじゃねえよ」

 仲間の合図にラスは小さな舌打ちで返すと、乾いた木の幹に背中を預けじっと耳を済ませた。

 慌ただしい鳥の羽音や木々のざわめき。その合間を縫って、乱暴に枝木を搔きわける足音と、不規則に乱れた呼吸が近づいて来ている。

 短剣を抜くと、 身体中の興奮を押し出すように息を吐いた。

 底冷えする夜風に乗って、濃密な血の香りがする。

 狼のような青い瞳が、暗い闇夜に爛々と煌めいた。


 ラスの心には怒りがある。

 燃え尽きることを知らぬ、憤怒の炭火。

 どのような幸せが降り注ごうとも、くすぶる大地には積もらない。ただ、ジリジリと焦げていくだけだ。

 それは例えば一人で夕食をかき込む夜。あるいは街角で仲睦まじい家族を見かけた時。その火口ほぐちは猛烈な勢いで燃え爆ぜた。

 なぜだ。と問いかけてみても、答えをくれる者は居ない。

 ただ初めから与えられていたのは喪失感と、否応無しにそれを押し付けられた怒りだけだ。


「この子の父親は全能の魔女に殺されたの」

 ラスが孤児院に預けられた日。ラスの手を引いていた少女はそう言った。

 硝子のベルを鳴らすようなか細い声が、小さく震えていたのをよく覚えている。その柔らかな声音とは裏腹に力強く握られてた手の暖かさも。

 確かに一緒に居たはずなのに、今となっては少女の顔も素性も全く思い出せない。

 懸命に記憶を辿ってみても、モヤがかかった様に思い出は揺らぎ、その影を捉えることは出来なかった。

 ただ一つ記憶の中に残るのは、目深に被ったフードから覗く白い肌と、頬に一房零れた金の巻き毛だけ。

 己の頬を名残惜しそうに撫でる少女の口元が寂しそうに微笑んだのを、ラスはじっと見上げて居た。


 父がなぜ魔女に殺されなければならなかったのか。

 少女は一体何者だったのか。

 ラスにとってはその全てが謎だった。

 自分がどこの何者なのかも、誰から産まれたのかすらもわからない。

 確かな事は「父が魔女に殺された」という事だけだ。

 しかも、この国で一番の魔力を持つと言われている恐るべき伝説の魔女に、 である。


 ──魔女は必ず俺が殺す。


 その為ならば、どれだけ手を汚したって構わない。

 少しでも魔女に近づくことができるのならば、どんな依頼だって引き受ける。

 こうした暗殺まがいの害虫駆除も、もう慣れたものだった。



「ちくしょう。ちくしょう。痛え」

 荒々しい呼吸音と引きずるような足音が、ラスの間近で止まった。

 深手を負った盗賊はラスの存在に気がつく様子もなく、来た道を振り返り様子を伺っている。その左足は大きく切り裂かれ、傷を押さえる指の合間からどくどくとどす黒い血が溢れていた。それは遠目から見ても致命傷だった。

 あれではもう助かるまい。放っておいても間もなく死ぬだろう。

「もっと活きのいい状態で回してくれよ」

 悠長に時間をかけている暇は無い。ラスはしぶしぶといった様子で盗賊の前に歩みでた。

「……ひっ! 頼む、見逃してくれ。盗みはもうしない。頼む!盗んだものは返すから──」

 ラスは怯えた様子で自らを見上げる盗賊を一瞥すると、パックリと開いた傷口を踏みつけた。

「──ぐあああぁぁ!!!」

 男の喉から獣の咆哮のような悲鳴が漏れる。

「盗みなんかどうでも良い」

 ラスは踏みしめた足にゆっくりと力を込めながら、男の顔を覗き込んだ。

「俺が欲しいのは情報だけだ。偉大なる全能の魔女様の、な」

 悶絶する男とは裏腹に、ラスはゆったりとした口調で言った。

「……魔女の事なんて俺は何も知らなっ─あああっ!」

 ラスが男の傷を踏みつける足に力を込めた。

「おいおい、嘘をつくなよ。お前が裏で捌いていた魔法薬はどこで手に入れた。あれほど質の良い魔法薬を作れる魔女は、王都にはいない」

 ミシミシと音を立てる太腿から、泉のように血が溢れ出ている。

「やめてくれっ! 話す! 話すから!」

 男は恐怖を顔いっぱいに貼り付けて、必死に懇願した。

「最初からそう言えよ」

 ラスは男から足を退かすと、濡れた足先を煩わしそうに振った。

 生臭い血の飛沫が男の顔に散る。

「それで。魔女はどこにいる」

 血で汚れた爪先で、男の顎を強引に上向かせる。

 一つの嘘も見逃さないように、ラスはじっと男の目を覗き込んだ。

「お、王都から北のフォールート領の外れだ」

 男は痛みと恐怖に歯をガチガチと鳴らしながら続ける。

「お、俺は親方に頼まれて取りに行っただけだ。はしばみの森の奥に古い小屋がある。そ、そこに小さな魔女がいるんだ」

「小さな魔女?」

「あ、ああ。十かそこらの娘っ子さ。魔法を使うところを見た訳じゃねえから、本当に魔女かどうかはわからん。全能の魔女かどうかも──」

「充分だ」

 ラスは満足げな笑みを浮かべると、手にしていた短剣で一息に男の喉を裂いた。

 噴き上がる血しぶきがパタパタと木や葉を叩く。

 ラスは頬にかかった血を乱暴に拭うと、こみ上げる笑みを噛みしめた。


 森に住む魔女が全能の魔女なら、この様に首を叩き切ってやれば良い。

 そうでないならば、その魔女の力を利用して奴を討てば良いだけだ。


 まるで恋い焦がれて居た相手を見つけたかのように、ラスの胸は高鳴った。

 くつくつと思わず込み上げて来た笑いに、血よりも赤い髪が揺れる。


「待っていろよ」

 月の光を写すアイスブルーの瞳が、嬉々として輝いた。

「はしばみ小屋の魔女」

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