第10話 それは菩薩のような笑みでした

『体の調子はどう? 頭が痛いとかはない?』


 乙藤先生とレインのアドレスを交換した後、そこそこの頻度でレインがくるようになった。すわ! モテ期かと驚いていたが、レインで会話をしているうちに違うんじゃないかと思うようになってきた。

 乙藤先生はしきりに体の調子を聞いてくる。特に怪我をした記憶がないので首を捻るばかりだが、心配してくれるので無碍にはできない。

 なんでなのかなぁと思っていたのだが、ふとこれじゃないかと思うことがあった。

 あれは数ヶ月前くらいだろか、乙藤先生の手伝いでゴミを外の焼却炉に持っていく手伝いをしていたときだった。初めて乙藤先生と一対一で長時間話をしたときでもあり、何を話せばいいか緊張した記憶がある。今となっては微笑ましい良い記憶なのだが、焼却炉まで行く経路は運動場を通らなくてはいけなかった。そのときは放課後で運動場ではクラブ活動が活発に行われていた。邪魔にならないように校庭の隅を通っていたのだが、運悪くサッカー部の主将が蹴ったボールが矢のように乙藤先生へと飛んできた。

 乙藤先生はゴミを両手に持っていたし、サッカーボールにも気がついていなかった。考える前に体が動いた。ゴミを投げ出し、乙藤先生を庇ってボールの進行方向へ体を投げ出した。

 結果、俺の頭にサッカーボールが当たった。弾丸と評されたサッカー部主将のシュートは強烈で、俺は意識を失い保健室へ運ばれたのだった。


 名誉の負傷に違いないが、男としてはなんとも恥ずかしく苦い記憶である。

 目が覚めたときの乙藤先生の泣きそうな顔は今でも思いだすことができる。助けたはずなのに心配されたというのは、ほろ苦い思い出。

 その後、頭を打ったこともあり、しばらくは俺のことを心配していたが、やがて大丈夫だと判断したのだろう。体調を聞くこともなくなった。

 だが、今俺の担任になって、その当時の記憶がぶり返したのだろう。しきりに体の調子を聞いてくるようなった。

 実に母性要素が強く、過保護であると言えよう。

 心配してくれるのは嬉しいのだが、なんとかならないものか。



「で、長々と語ってましたが、何が言いたいんですか?」


 今日も今日とて部活の日。

 場所は文芸部部室。

 目の前には不機嫌そうな後輩、各務原かがみがいた。

 俺の最近の悩みを告白していたら、時間が経つごとに表情を硬くしていった。


「かがみん……」


「かがみん呼ばないでください!」


 かがみんはダンと抗議するように机を叩いた。

 テストが終わったというのに仏頂面である。


「ははーん、さては赤点取ったな?」


「平均以上は取ってますっ!」


 額に中指を当ててポーズを取っていた俺に、バサリと紙のようなものが目の前に掲げられる。手に取って見てみると、それはかがみんのテスト用紙だった。

 テストの点数はどれも良く、平均以上なのは確実な出来だった。


「おぉ! 凄いじゃないか」


「当たり前ですっ! テスト期間はソシャゲもログインだけで我慢しましたものっ!」


 鼻を膨らませてドヤ顔で胸を張るかがみんだったが、これが以前赤点を取らなきゃ別にテストなんてどうでもいいと言った人物と同一人物とは思えない威張り方である。

 だが、スマホのゲームをプレイするのを我慢してまで勉強したのは褒めるべきであろう。


「むしろ、月見里先輩はどうなんですっ? 人のことあれだけ言ったんですから、赤点取ってたりしたら笑いますよ」


「世界史を除いて平均点ちょっとだな、どれも」


「え、じゃあ世界史は? 赤点ですか? 赤点なんですかっ?」


 そこ! 期待に目を輝かせない!


「世界史は九十点超えたな」


 朝比奈さんに唯一勝った教科でもある。

 今思えば、世界史で朝比奈さんに勝ったから恨まれたのかな。


「えぇぇぇ! 超いいじゃないですかっ!」


「ふふん! やれば出来る子なんだよ、私は」


 見習いたまえ。


「なんで世界史だけ……月見里先輩って世界史が得意でしたっけ? どっちかって言うと理系よりだと思ってました」


「俺もわりとそう思っていたが、どうやら秘められた力が開花したようだ……」


 世界史は基本的に暗記物であり、時代の流れを掴めればあとはそれに関連するものを覚えていけばいいのである。覚えることが多くなるほど複雑になるが、順序や成り立ちを整理すれば比較的簡単に覚えることができる。それでもこの点数は出来すぎだが。


「でも、だからって月見里先輩がそんないい点数を取るなんて信じられません」


 酷い言い様である。

 きみ、俺のこと頭がいいとか言ったよね。

 俺が本気出せばこんなもんだよ、ちみぃ。

 よほど悔しいのか、各務原は真剣な顔をして何かを考える。しかし、何を探そうと俺の点数は覆るはずがない。

 ところが、何かを思いついたのか各務原は口を開いた。

 

「あ……月見里先輩の世界史の担当って……」


「……お、乙藤先生だな」


 言葉が途切れたので、補足する感じで言葉を足す。

 各務原はじっと俺の目を見る。俺は視線の圧力に負け俺は目線を逸らす。何も悪いことはしてないはずなのに気まずいのはなぜだろう。さっきまで乙藤先生の話題をしていたからだろうか。


「男子って……」


「ちゃうねん!」


「何が違うんですかっ! 世界史の担当が乙藤先生だからって急にやる気になって、何をヤる気なんですかっ!?」


「邪(よこしま)なことは考えてねーよ!」


 酷い濡れ衣である。

 誓って、やましいことは考えておりません。


「被告人、月見里義之先輩」


「……はい」


「貴方は、世界史のテストの点だけはいいですね? 何か理由があるんじゃないですか?」


「と、特に理由はな、ないですね……山が当たったとしか」


「ダウト」


「ホワイ!?」


「山が当たった程度では、九十という壁は超えれません。月見里先輩は明らかに世界史を集中して勉強していました! そう、月見里先輩が大好きなアニメやゲームを封印してまで!」


「いや、テスト期間でも普通にそれはやってたよ」 


 だから朝比奈さんに恨み言を言われたのである。

 

「今、私の中の憤怒レベルが1上がりました」


「理不尽!?」


「私の右手に銃があれば、ためらいなく月見里先輩を撃ってましたね」


「憤怒の効果、すごすぎない?」


 先輩として従兄として、ちょっとはためらってほしい。

 しかし、かがみんが抱えている憤怒レベルは一つ上がっただけでその後の人生が大きく変わりそうな。できれば、これから先の人生は怒ることなく菩薩のように生きてほしい。


「人がソシャゲのイベントを我慢してまで勉強していたのに、女にうつつを抜かすとは何事ですかっ」


「いや、全然うつつを抜かしていないし。ただ、少し真面目に勉強してただけで」


 そう、俺は普通に勉強していただけだ。

 世界史の点数が高かったのも運がよかった部分が大きい。まぁ、いつもより力を入れて勉強したのは確かだが。

 それは仕方がないと思う。


「キッ!」


「ご、ごめんなさい」


「で、ちょっと前まで朝比奈さんがー、朝比奈さんがーって言っていたのに、どういう心変わりですか? あれから一週間ぐらいしか経ってないですよね」


「いや、別に朝比奈さんに熱をあげていた記憶もないのですが」


「告白までしたのに……」


「嘘告白だから!」


「振られたら、もう次の女ですか。節操がないってこのことですね!」


「誤解だ! 検察側は悪意を持って物事を審査しています、裁判長!」


 だが、裁判官も検察も同一人物なので聞き入れてもらえなかった。

 三権分立って大事だなと、関係あるのかないのかよくわからないことを思ってしまった。


「じゃあなんでですかっ!? 絶対、点数稼ぎ以外ないでしょう!」


「……な、なんとなく?」


「ほらっ!」


 ぐぬぬ。

 言い返せないのが辛い。

 乙藤先生のレインのアドレスを交換したことは各務原に伏せていた。何もないとはいえ、教師と生徒だ。むやみに触れ回ることはないだろう。火のないところに煙は立たず。痛くもない腹を探られても迷惑だ。俺にとっても、先生にとっても。

 だから、俺の愚痴というか相談もレインで色々乙藤先生が心配してくれたというのはボカしてある。


「だから違うって。俺の体のことを心配してくれたから、大丈夫という意味でもよい点数を取って証明しようと」


 まるで妻に浮気の言い訳をする夫である。

 なんで俺はこんな言い訳をしなくてはならないと思う一方、この言い訳が客観的に見て、筋が通っているとは自分でも思っていないのでバツが悪い。

 かがみんの視線が家の中にいた害虫でも見るかのように冷たい。


 だが、事実である。

 乙藤先生が俺を心配してくれるので、頑張ってしまった。レインでメッセージをくれる人に対して、俺の体を気遣ってくれる人に対して、無碍にはできないと思った。だから、頑張った。あの泣きそうな顔をさせたくないと思ったから。

 予想以上に点数が良かったのは自分でも驚いたが。


「…………」


「…………」


 だから目を逸らすことはしなかった。

 何もやましいことはないと各務原の瞳を見返す。


「…………ふぅ、わかりました」


 そして、先に目線を逸したのはかがみんだった。


「月見里先輩って変人なのに律儀なところがありますもんね」


 少し頬を赤くしたまま、視線を逸してそう呟いた。

 変人は余計だ。


「わかってくれたか」


「ええ、わかりました。月見里先輩はアレなだけで、邪な気持ちはないって」


 アレとはなんなのか。

 聞きたいが藪蛇になるので黙っておこう。藪をつついて蛇を出したくない。

 そのまま話題を転換して、この話を終わらせる。


「あ、ガチャでいいのを当てたんだ。自慢したいんで見てくれないか」


「今私の憤怒レベルが2上がりました」


「上がりすぎじゃない!?」


 1で人を殺す可能性があるのだ。2になったらどうなるんだ!?

 携帯を守るように俺はかがみんから距離を取る。

 

「嘘ですよ。見せてください」


 各務原は怯える俺がおかしいのか、クスクス笑いながら近寄ってくる。

 俺も緊張を解き、各務原に見えるように携帯を向ける。


「あれですよね? 限定キャラ! 私もガチャしたんですが、当たらなかったですよね~。いいな~」


 テスト中のイベントで新登場した限定キャラ。

 このソシャゲはSSRの的中率が低く、排出確率が1%だったりする。こう書くと、100回ガチャをやれば当たりそうな気がするが、現実は違う。

 もし百個のガチャ景品があり、ガチャを一回引けば景品が一個少なくなっていくのなら、この確率通りなのだろうが、ソシャゲのガチャは違う。どんだけガチャを引いても景品の数は減らない。サイコロを6回振っても1が出るとは限らないのと同じだと言えばわかりやすだろうか。

 詳しい計算は省くが、10回ガチャでSSRの排出確率が1%当たる可能性は約9,6%だったりする。100回で約63%。100回引いても半分より少し大きいだけの確率だったりする。暴論だが、二人に一人は当たらないと言ってもいいと思う。

 そして余談だが、SSRといっても沢山いるので、お目当てのキャラを引こうと思うと更に確率は低下する。もし、ピックアップでお目当ての排出確率がSSRの中で70%なら、100回引いて出る確率は約33%。まことに修羅の道である。


 なのに、人はなぜ10連を引くときは、お目当てのキャラが出るという自信に満ちあふれているのだろうか。

 永遠の謎である。


「で、月見里先輩は何回ガチャ引いたんですか? 無課金ですから10連しかできなかったんですよー。やっぱり、10連では当たりませんね。早く大学生になってバイトしたいです」


「ん、10連で当てたよ。あれだな、普段の行いというやつだな」


「私の憤怒レベルが3上がりました」


「はいはい」


 持たざる者の嫉妬が心地よいわ!

 ゲームを起動して、限定キャラを後輩に見せているとレインの通知が来た。


『月見里くん、テストお疲れ様♪ 点数凄い良かったね! 私も担任として鼻がすご~く高いよ! 今度、いい子いい子したあげるね!!』


「……………………」


「……………………」


 レインの通知は、他のアプリを起動しても通知される。

 設定にもよるが、画面の上部に表示され、メッセージを送った相手の名前とメッセージの内容が表示される。

 レインを開かなくても、ある程度のメッセージが読めるため便利である。ただ、第三者にもレインの会話が見える可能性があるから注意が必要である。

 うん、俺のようにね。


「…………月見里先輩」


「……はい」


 死刑執行を待つ受刑者のように。

 俺は黙ってかがみんの言葉を待った。

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