1章

01 春の終わり

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 高校に入学したときから前野(まえの)豪篤(たけあつ)は、とにもかくにも家から、地元から――いや、住んでいる県から出たい思いが強かった。知らない土地で、見知らぬ人間がいない世界で、自由気ままに生きてみたかったのである。

 高校3年間で推薦が取れる評定をギリギリをキープし、指定校推薦で県外の大学に受けようとした。しかし、改めて両親に打ち明けてみたら、馬鹿げた考えだと却下されてしまう。やむなく、姉の住む所ならいいという許可を得た上で、その土地の大学の指定校推薦で合格した。

 それからの豪篤は、向かうところ敵なしの有頂天状態だった。もはや真面目に取り組まなくてもいい高校最後の期末試験を赤点ギリギリで回避し、1月の下旬には意気揚々と上京。

 そして、杉江(すぎえ)渚(なぎさ)と運命的な出会いをし、付き合うことになったのだが――。




 180センチメートルの長身かつ黒く短髪で、黒のタンクトップに茶色のジャケットを羽織り、ジーパンに真っ赤なクロックスといったラフ過ぎる出で立ちの男がいた。自信漲る様子で胸を反らして歩いている。

 不意に男が連れ立って歩いていた女に手を伸ばした。

 女は白く鼻筋の通った顔を男に向ける。少し見つめてから目をそらす。そして、息を吐きつつ正面を見据えた。


「ねえ、豪篤。あたしたち別れよっか」


 豪篤のやや太めの眉毛がたちまち八の字になっていく。


「なんでだ、渚」


 思わず弱い声が出てしまう。男らしさの「お」の字もない情けない声に、渚は細く整えられた眉毛を逆立てた。


「1週間付き合ってみてわかったけど、ひどすぎたのよ」


 渚は渚で、こんなこともあたしに言わせるの? と言わんばかりの口調である。

 豪篤の1週間を振り返るとこうだ。

 ・デートで毎回遅刻していた――ヒーロー――豪篤が言うには男というもの――は遅れてやってくるらしい。もちろん、デートであろうとなんであろうと、約束事には遅れてはいけないのが常識である。

 ・レディーファーストという概念がない――男優位というか、豪篤には基本も基礎も存在しないようだ。車道側は歩かないし、エレベーターや扉は押さえないでさっさと行ってしまうなど、指摘したらキリがないぐらいだ。

 ・ファッションセンスがひどい――何をどう勘違いすればこうなってしまうのかわからないが、タンクトップ――さすがに寒いのか、背中から腰にかけていくつもの貼るカイロが貼ってある――の上にコート――しかも前全開――、ジーパンに真っ赤なクロックス――ボア付きの冬用――の出で立ちがメインだった。

 ・その癖少し女っぽい所がある――ツメを磨いてピッカピカにしたり、リップの代わりに姉のグロスを塗ってしまっているらしく、わずかに唇がピンク色だったり、でもヒゲは生やしてみたり。極めつけはスイーツが大好きで、1週間の大半がスイーツ巡りメインで、昨日はケーキバイキングで渚がドン引きするほど食べていたのである。

 豪篤は豪篤なりの考えがあってのデートプランだったのだろう。しかし、それは渚からしてみればまったくハマらず、正直言えばおもしろくもなんともなかった。

 対して渚は逆に男寄りの立ち振る舞いをしていた。出逢ったころと変わらず、媚びずにハッキリとした物言いに加え、ファッションもフェミニンのかけらもないボーイッシュだ。また、間違って塗ったグロスを拭き取ってあげたり、ケーキバイキングで口にクリームをついているのを取ったり、車道側を歩いてあげたり、と、かえって渚が豪篤をエスコートというよりも世話をしている感もあった。

 デートプランに意見を言わなかった渚も悪かったのかもしれない。豪篤に任せっきりにした責任もあるように思える。だが、相手の機微に気づいてこそデートを主導する者の役目、という持論を持っている渚にとってみれば許しがたかった。

 渚もひとりの年ごろの女である。20歳前後と、まだまだわがままも許される歳でもある。理想や求めるものが高くなるのは当然だった。それゆえに合わないと思えば、即サヨナラなんてあたりまえなのだ。


「アンタには女ってものを勉強してきて欲しい。こんなのデートでもなんでもない。アンタという男の自己満でしかないわ。

 それにキャラ付けも。何もかもメチャクチャのカオスに付き合ってられないわ。あたしは一体アンタのどこに惚れればいいのかわからない。

 普段の格好もそう。オシャレはやせ我慢を履き違え過ぎなのよ。

 あとはとくに心理的なものを必修課題としなさい。充分勉強して自分なりに理解して、それでもあたしに気があるというのなら、告白してきてほしいの」

「女を理解? 心理? 勉強?」


 何を言われているのか理解しがたい豪篤は、難しい顔でうなっている。

 渚は理解する猶予など与えない。体をねじり、最大限の力を右手に込めて豪篤の手のひらを張った。

 反射的に渚へ目を向ける。彼女は軽く微笑んでいた。


「これが別れのしるしね。少しの間付き合ってくれてありがとう。この1週間、楽しかった。それじゃ、さよなら」

「あ、ああ……」


 呆然と豪篤はその場に立ち尽くす。

 渚の特徴である後ろ髪を一本にまとめた三つ編みが、目の前でメトロノームのように揺れていた。

 渚が遠くへ離れていくほど、夕日照らされた影はのびていく。

(俺は、アイツのために何もできなかったのかな……)

 豪篤はその場から動けず、ただただ見送るだけだった。




 前野豪篤、18歳。高校生活最後の春休みに入って1週間足らず。

 歳がひとつ上の杉江渚に、付き合ってちょうど1週間でフラれたのだった。

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