Ⅰ-Ⅸ The last summer ②



 私たち家族は来美町へ帰ってきた。

 以前住んでいた家とは別の場所だけれど、2階建ての4LDKと前に来美町で住んでいた家よりは広い。

 4人家族が住むには十分な間取りだった。

 春に引っ越しをして、1ヶ月、2ヶ月と日々は過ぎていく。

 その間に私はお父さんやお母さんと仲直りをした。二人とも笑顔で許してくれた。

 だけど、お姉ちゃんは変わらず部屋に引きこもったまま。

 食事やトイレ、お風呂の時だけは部屋から出てくるから、その時に会話をしてみようと思うのだけれど、「うん」とだけ返事をして、そのまま話は続かない。そしてその後は魂の抜けた人形みたいに宙を眺めている。

 そんなお姉ちゃんを見ているのがとても辛かったのを私は覚えている。


 ある日、お母さんから「いい加減引っ越しの時の段ボール片づけたら?」と怒られた。

 とりあえずの生活に必要なものだけを開封してはいたのだけれど、それ以外の2、3箱をクローゼットに置いたまま、まあその内にと放置していたのだ。

 しぶしぶ私が開封していると最初の一箱目の中から古いアルバムが出てきた。

 今は片づけが優先と自分に言い聞かせるも、気になってしょうがない。

 整理とか片づけをしていると、よくアルバムが出てきて中断してしまうってあの現象だ。

 私も例に漏れずアルバムを手に取って開く。


「懐かしいなー。あっ、これ私とお姉ちゃんと涼太君の3人で撮った写真だ」


 家で遊んでいたとき、お姉ちゃんがふざけてインスタントカメラで撮った写真。

 その数枚が私のアルバムに残っていた。

 本当に一番、楽しかった時だった。

 たったの1年半ぐらいだったけれど、私の人生の中での一番の思い出、宝物だ。


 そうだ、お姉ちゃんにも見せてあげよう。


 もしかしたらお姉ちゃんにも何か変化があるかも。

 そう思い立ち、私はお姉ちゃんの部屋へ直行する。

 幸いお姉ちゃんはいつも部屋には鍵をかけていない。

 ドアを開けると、暗い部屋でお姉ちゃんはベッドに座って、ボーっとしていた。


「入るよお姉ちゃん」


 入った後だけどね、と私は心で謝り、電気を点けた。

 暗闇に目が慣れていたのか、お姉ちゃんが目を細める。


「ねぇねぇ、お姉ちゃん。こんなのが出てきたんだよ」


 私はお姉ちゃんの横に座り、アルバムをお姉ちゃんに見せた。


「ほら、これがお姉ちゃんで、これが私、それでこれが涼太君。懐かしいねー。涼太君も引越ししちゃったみたいだし、会えなかったのが残念だったよね」


 私は苦笑いをしながら写真を指し示し、お姉ちゃんの表情を見た。


「えっ――」


 思わず声が漏れてしまう。

 今まで無表情だったお姉ちゃんが、大きく目を見開いてその写真を見ていたからだ。


「お姉ちゃん、どうし――」


「あ……おいとりょ……りょうた……。わたし、私は――」


 そしてお姉ちゃんの目から大粒の涙が溢れ始めた。

 私は思わずパニックになってしまう。

 どうして、どうしてこんなことに。


「ね、ねぇお姉ちゃん」


「ごめんね、ごめんね碧依」


 なぜかお姉ちゃんは泣きながら謝り続ける。


 やめて。

 お姉ちゃんが謝る事なんて何もない。

 私は居てもたってもいられずお姉ちゃんを抱きしめた。

 思わず私の目からも涙が零れる。


「頼りないお姉ちゃんでごめんね」


「そんなことないよ!」


「情けないお姉ちゃんでごめんね」


「やめてよ……お姉ちゃん」


 やめて、本当にやめて。

 これ以上は……胸が痛いよ。 


「戻りたい」


 ポツリとお姉ちゃんはつぶやいた。


「楽しかったこの頃に戻りたい」


 潰れるような、掠れた涙声でお姉ちゃんはそうつぶやいた。

 その瞬間何かが決壊したように、お姉ちゃん大声で泣き叫んだ。

 私も泣いた。二人で泣いた。

 私も戻りたかった。お姉ちゃんと、私と、涼太君の3人で笑っていたこの頃に。


 時間にしてどのくらいだろう。とても長い間だったように感じる。

 流れる涙も枯れ果て、疲れ果てて、やっと冷静さが戻ってくる。


「ねぇ、碧依」


 不意にお姉ちゃんが私に声をかける。


「私と涼太が出会った場所。昔話したことあったよね」


「うん」


 涼太君を連れてきた日。

 お姉ちゃんはしこたま怒られた後に、私にだけ出会いの話を教えてくれた。

 出会って速攻拒否られたこととか、逃げた涼太君を瞬時に追い抜いて待ち伏せていたこととか、その後頂上で星を見たこととか。それですごく感動したこととか。


「それがどうしたの?」


「その場所へ行きたい。もう一度、あの星空を見たいの」


「分かった。でも私は詳しい場所は知らないんだけど、お姉ちゃんは覚えてるの?」


「大丈夫。忘れるはずがないから」


 お姉ちゃんは強く頷く。

 その表情から意志の固さを悟った私は、お父さんとお母さんに事情を説明する。

 するとお父さんがすぐに車を出してくれて、山の麓まで送ってくれた。

 最初はお父さんも頂上まで同行するつもりだったみたいだけれど、お姉ちゃんが「碧依と二人がいい」と駄々をこね続けたのでしぶしぶお父さんも了承してくれた。


「危ないと思ったらすぐに下山するんだぞ。田舎だから暴漢とかは大丈夫だと思うが」


「うん。何かあったらすぐに携帯で電話するね」


 私はそう言って、お父さんを後ろに歩を進めた。

 頂上までは丁度一時間ぐらいで到着した。

 お姉ちゃんが明確に頂上までの道順を覚えていたのにはびっくりしたけど。


「綺麗」


 お姉ちゃんは到着した瞬間、大の字に寝転がり空を見上げる。

 私もそれに倣って、お姉ちゃんの横に寝転ぶ。

 確かにここから見る星空はとても綺麗だった。

 麓から見るよりも、空が近いからなのかな? と思いながら、横のお姉ちゃんに目を向ける。


 そこには昔の、生き生きとした表情をしたお姉ちゃんが居た。


「碧依」


 するとそれに気づいたお姉ちゃんがこちらを見る。


「ありがとう」


 お姉ちゃんはそれだけ口にするとニッコリと笑った。

 久しぶりだった。お姉ちゃんの笑った顔は。

 思わずその笑顔に私も笑顔になる。

 やっと戻ってきてくれた。私の大好きなお姉ちゃんがやっと戻ってきてくれたんだ。

 そう思うと、嬉しさがこみ上げてきた。

 そして私は決意する。

 お姉ちゃんがあんな辛い思いをしないよう。あんな悲しい思いをしないよう。

 昔お姉ちゃんが私を守ってくれていたように、今度は私がお姉ちゃんを守ろうと。


 それから私とお姉ちゃんは下山をして、お父さんの車で家まで帰る。

 家に着くころには夜も更けていて、とりあえず今日はもう寝ようということになった。


「お姉ちゃん、今日は楽しかったね! 」


 私は自分の部屋に戻る際に、お姉ちゃんにそう声をかけた。

 それを聞いたお姉ちゃんは不意に私を抱き寄せる。


「お姉ちゃん?」


「碧依。ずっと、ずーっと大好きよ」


 お姉ちゃんはぎゅっと私を抱きしめてくれた。

 そんなことをされたのは久しぶりで、それがむず痒くて、でも――嬉しくて。

 私はお姉ちゃんの温もりをベッドに持っていき、その日は眠りについた。


「大好き。お姉ちゃん」





































「碧依、起きなさい! お姉ちゃんが、お姉ちゃんが!!」


 眠い目をこすり、起きた私にお母さんが青白い顔で迫る。

 どうしたの? お姉ちゃんが何?

 私は寝起きでボーっとする頭を起こしながら、ただならぬ雰囲気を次第に感じ始める。

 そして嫌な予感がして、自分の部屋を飛び出した。

 すると、横の部屋、つまりはお姉ちゃんの部屋の前でドアを開けたまま立ち尽くすお父さんの姿を見つけた。

 お父さんは口を開けたまま、固まっている。

 ね、ねぇ、お父さん。一体何を見ているの。


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。


 見たくない。その先を見てしまったら、私は……。

 しかし私の想いとは裏腹に、足はゆっくりとお姉ちゃんの部屋に向けて進んでいく。

 やめて、動かないで。

 そう言い聞かせるも足が私の言うことを聞かない。

 そして遂に、お父さんの横へ到着してしまう。

 私は部屋の中を見た。見てしまった。


 天井から伸びる一本の線があった。

 その線の先にお姉ちゃんは居た。

 でも、昨日までの笑顔はない。あるのはそれまでと同じ……いや、それまで以上の無表情な顔。

 今までと違うとすればその顔を二度と笑顔にできないという事実。その事実に気付いてしまった瞬間に、私の中から気持ちがあふれ出した。


「いやあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 止めどなく、どうしようもない気持ちが溢れてくる。

 どうして、どうしてっ。

 その気持ちばかりが頭の中を支配して、何も考えられない。

 そして、私の意識はそこでプツリと途切れた。

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