第4話 終末フライングエンド・前

 




 とある喫茶店のカウンター席に、1組の男女が座っていた。

 平日の午前中、開店直後。店内に客はその2人しか見当たらなかった。

 マスターが厨房へ引っ込んだところで、良太は話し始めた。


「この間、おじいちゃんが死んだんだけど」

「学校休んで宮城まで行ってたんでしょ?」

「そう。創立記念日までに終わってよかったよ。そうだけに」

「そうですか。……それで?」

「それで、遺書が見つかったんだよ」

「おお、死んでしばらくして見つかる遺書、ドラマとかでよくあるパターン」


 一人で少し盛りあがっている美保を尻目に、良太はカバンからタブレット型端末を取り出した。


「その遺書なんだけど、ちょっとおかしな所があって。ある程度推理してきたんだけど、意見が欲しいんだ」


 そう言いながら、タブレット型端末を少し操作する。


「これ」


 机の上に置かれたタブレット型端末の画面には、遺書の一部を写した写真が映っていた。


「どこがおかしいの?」

「ここ。『私はこの世に、なんの未練もなくなって死ぬ。やり残したことがなくなるから死ぬのだ』」


 美保が、良太が指をさしたところを見ると、確かにその文章があり、下に家族への感謝が続いていた。

 自殺だった、という話は既に美保の耳に入っていた。


「確かに変だね。ないから死ぬ、じゃなくてなくなって死ぬって。今は死なない、みたいな」


 そう言うと良太は、小さく頷いた。


「実際、この遺書には2009年って書いてあるんだよ」

「九年前じゃん」

「そうなんだ。だから、もしかしたらおじいちゃんは、死ぬ気なんてなかったのかもしれない。本当に未練がないなら、この世に残すものである遺書なんて置いておかないし、飛び降りなんて目立つ、手間のかかる死に方なんてしない」

「どういうこと?他殺?」

「いや、それはないらしいよ。警察が言ってたから、こんな素人の考えよりは確かだ。どっちかって言うと、事故、みたいな」

「事故?」


 美保がそう聞くと、良太はうーん、と少し考えた。


「足を滑らせた、とかそういう事じゃないとは思う。おじいちゃんはあの崖に行く時、いつも立ち入り禁止のロープは超えなかったから」

「じゃどういうこと?」

「宮城に行ってた時、久しぶりにその崖に行ったんだ。小さい頃はおじいちゃんがたまに連れていってくれる場所、くらいにしか思ってなかったから。でも、この前行ってみて、こう、なんていうか、すごく綺麗だったんだ。あの崖からの景色は。言葉に出来ないくらい。街を一望できて、山々や湖なんかも見えて、その鳥瞰は、俯瞰からの景色は、美しい現実は、現実味がなかったんだ。、とさえ思ったよ」

「おじいさんも、そう思っただろうってこと?」

「そういうこと。例えばテレビの中でアメリカの建物が爆発してても、それを見てる自分がいる世界が現実で、テレビの中が非現実的に思える。でも、あの崖は、逆だった。このちっぽけな自分が、この広い世界に生きてるとは思えなかった」

「良太とおじいさん、考えてることさえ似てたもんね」

「だから、跳んでしまったのかもしれない。おばあちゃんを先に亡くして、闘病中の辛くてちっぽけな現実から、大きなこの世界という現実に。……正直に言うと、この考えはある作品を見てて思いついたことなんだけどね」


 それこそ、正直に言うと美保は良太の言っていることを完全に理解することは出来なかった。ただ、何となく、事故に巻き込まれるようにたまたま落ちた、ということは理解できた。

 美保が机を見つめながら考え込んでいると、目の前にコーヒーが出された。

 顔を上げると、マスターが微笑んでいた。


「そのお話、わたくしも混ざらせてもらってよろしいでしょうか?」


 美保が困って良太を見ると、良太はわかりやすいよう大きく頷いた。


「はい、ぜひ」

「それでは」


 ふぅ、と一息ついてマスターは話し始めた。


「その崖から飛ぶことこそが、だとしたらどうでしょう」

「なるほど……」

「どういうこと?」


 2人の反応は正反対のものだった。どちらがどちらかは、言うまでもない。


「何分、わたくしハッピーエンドが好きなものでして。つまり、その崖から飛んで、そのあと亡くなるので、未練がなくなってから死ぬ、ということなのです」

「僕はあの崖から飛んでみたい、と思った……おじいちゃんも多分、いや確実にそう思ったはず」

「しかし、跳べば死んでしまう。その事は、お爺様も十分理解されていたのでしょう。それこそ西野様と同じように」

「え、名前覚えてるんですか!?」


 美保が驚くと、マスターにっこり笑って答えた。


「ええ、ここに来たお客様は皆、覚えております。日田様」


 確かに、順番待ちの署名や会話の端々から、名前を知ることは出来るだろう。しかし、それを全て覚えているとは、一体どれだけの能力がいるのだろうか。

 美保が驚愕しているのとこれまた正反対に、良太はなんの反応も示さず、話を続けた。


「だから、最後に残った未練が飛ぶことだった、ということですか……ならあの遺書も……」

「ええ、どちらかと言うとこの世に未練を書き残す訳ではなく、家族の方へ感謝を伝えて死ぬ、という未練の消去とこれからやりたいことを全てやりきる、という目標を書き記したようなものだと思われます」

「……だとしたら、おじいちゃんは全てに満足して——誰よりも幸せに、飛んだんだ。堕ちることなく、翔んだ。何が本当かは分からないけど、そういうことにしておこう」


 一言一言を噛み締めるように、良太は言った。そこにはマスターに対する敬語はなく、美保に対する気配りもなく、ただただ、呟いた。

 それは、独り言のようにも、まるで見えない誰かに語りかけているようでもあった。



 秋の寒空に、カラスが一匹、飛んでいた。

 飛ぶことの幸せを知った人間は、飛ぼうとし続ける。

 その先に待つのが墜落であろうと。

 ある者は翼を作ろうとし、ある者は空飛ぶ乗り物を作ろうとした。

 そして、ある者はその身一つで、世界へ吸い込まれるように。

 この世から、飛び立ったのだ。

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