悪役令嬢でも死に物狂いで生きてやる!! 2


 目が覚めたらベッドの上で、しかもお嬢様が傍で寝ていた。


 もちろん添い寝じゃない。

 ただ、脇のソファで寝てるだけだ。

 でもその眼は泣いたように腫れている。


 うん。悪いことしたな。

 僕はむくりと起き上がって、お腹を触ってみた。


 いっ、つつ。


 やはり銃弾は腹を貫通していたようだ。

 お嬢様に当たらなかったのは、弾がジャケットで止まったからだろう。


「不幸中の幸いってやつだな」

「なにが幸いなものですか」


 声がした方向を振り返ると、そこにはフロンシアがいた。

 ちょうど今、部屋に入ってきたようだ。

 手には濡れたタオルやら包帯やらを持っている。

 なるほど、看病してくれたのは彼女だったか。


「まぁ死ななくてよかったよ」

「最後の狙撃手は私が殺しました。君も油断をするのですね」

「ちょっと考えごとをしてたせいだよ」


 ふぅ、と安堵の息を漏らして、フロンシアは僕の横に座った。

 ベールの下の顔は、相変わらずまったく見えない。

 だが、平静そのものに見える彼女も心配してくれていたようだ。


「三日間、眠っていたのですよ」

「どうりで身体の調子が良すぎるわけだ」

「……おかげでお嬢様は助かりました。有難うございます」

「礼ならそっちから貰うよ」


 僕が顎で示した先には涎を垂らした淑女がいる。

 いや、ほんとにこれが侯爵家のご令嬢なのだろうか。


「……フラン……わたしは……」


 むにゃむにゃとお嬢様が寝言を言っている。

 フロンシアが、彼女の身体を無言で揺さぶった。


「うにゃ……、カーレイ、やめてよぉ」

「あー……僕はちょっと手洗いに行くことにする」

「まだ完治はしていません、安静にしていてください」

「フラン……やめて……もう許してよぉ」


 それを聞いたフロンシアが、しかめ面でお嬢様のデコを叩いた。

 途端にリグネッタ様は飛び上がり、寝ぼけまなこで周囲を見回す。


「ぎゃっ!なによ!なにを笑っているのよ!」

「あれからろくに寝ていないのですよ、この方は」

「へぇ。それはご心配をおかけしましたね」


 それを聞いて、お嬢様はしかめ面になった。

 彼女は、僕の腹をおもいきり叩くと、


「カーレイ! 今度命令を無視したら許さないわよ!」


 と言った。

 というか死ぬほど痛かった。


 僕が呻きながらうずくまっていると、リグネッタ様はふん、と鼻を鳴らして部屋から立ち去った。そのあとをフロンシアが続く。まったく、けが人を殴っておいて放置するとは、優しいのか意地悪なのか、それとも心配性なのか。分からない。


 と、思っているとすぐに扉が開いた。


「カーレイ。怪我の具合はどうかね」


 ルフィールだった。

 湯気だったスープのようなものを持っている。

 この人、やっぱりお嬢様よりよほど優しいな……。


「具合はそう悪くないですよ。傷もある程度は塞がったみたいで」

「そうか。魔弾での狙撃とは、敵も本気のようだな」

「お嬢様もちょっと張り切りすぎですね。夜の外出は控えたほうがいいでしょう」

「それは……きっと難しいだろう」


 苦虫を噛み潰したような表情で、ルフィールが言った。

 どうやら彼は、お嬢様について何かを知っているらしい。

 僕は、受け取ったスープを飲みながら問う。


「なぜです」

「お嬢様はなんとしてもコベルマンを倒さねばならないのだ」

「コベルマンを? 一体、帝都でなにがあったのです?」

 

 因果か。それとも因縁か。

 お嬢様にはやはり、伯爵と敵対する特別な理由があるらしかった。

 ルフィールは、厳めしい顔で呟くように話し始めた。


「これは、帝都の知り合いから聞いた話なのだがね。帝都に入られた頃のお嬢様は、学園中の生徒から『女帝』として恐れられていたそうだ。とても冷酷で、歯向かった者を容赦なくいじめていたらしい。教師ですら手を焼いていたと聞く」

 

 なんだそれは。僕のイメージどおりのリグネッタ様じゃないか。

 幼いころから傍若無人の無理難題で恐れられたあの方、そのものだ。

 女帝が、いったいどうして今みたいになってしまったんだ?


 僕の不思議がるまなざしに答えるべく、ルフィールは話に戻る。


「そんなリグネッタ様にも、ある日、一人の友人ができた」

「フロンシアじゃないのですか」

「いいや……レイチェル=ヘレイシュという商家の娘だった」


 商家の娘とリグネッタ様が結びつかない。

 冷酷なころのお嬢様なら、そんな相手は家ごと潰してしまいそうなものだが。


「彼女は元々、お嬢様のいじめを注意しにきたそうだ。それから何度か喧嘩をしたのち、すこしずつ仲を深めていった。だが彼女には、大きな秘密があった」

「馬が合ったってやつですね。一体どんな秘密を抱えていたんです?」


 冷酷女帝と馬が合うような人物だ。

 もしかすると、ろくな秘密じゃないかもしれない。

 男を奴隷にして監禁しているとか、下僕を夜な夜な嬲っているとか。

 いや、冗談でも笑えないけど。


「うむ。レイチェルが、というより彼女の親が悪事を働いていた」


 ルフィールはしかめ面のままで、詳細を語り始めた。


「実は、ヘレイシュ商会の主であり父親のレイデンは、密造酒と魔薬のビジネスに手を染めていたのだよ。だが娘のレイチェルにそのことがばれてしまい、彼は、きっぱりと違法な組織から抜けることを決めた。それが三年目のことだった」


 密造酒と麻薬。最近よく聞く言葉だ。

 リグネッタ様の行動原理はここにあるのか。


「越年の日だ。レイチェルとお嬢様はちょっとしたいさかいで別々に学園を出た。その夜、彼女からお嬢様に魔法の矢文が飛んできたという。中には、せっぱつまった文面で「たすけてくれ」と書かれていた。お嬢様はいそいで屋敷へと向かった。だがそのときすでに、少女の屋敷は燃え上がっていた。間に合わなかったのだよ。レイチェル=ヘレイシュとその家族は、明け方、焼死体となって発見された」


 そう言うと、執事長は思い出すのも苦しいとばかりに目元を抑えた。

 静かな嗚咽が、彼の喉から漏れる。

 僕はその肩にそっと手を置いた。


「ルフィール様、あなたが見つけたのですね」

「……黙っていてすまない」

「知り合いから聞いただなんて、ウソが下手くそすぎます」


 寝室に男のすすり泣きが響く。


 ルフィールは、このことを知っていた。

 だからこそ、お嬢様の行動に反対していたのだろう。

 最近のあの方を見ていれば分かる。

 あれは、後先を考えずに無茶をするタイプだ。

 

 ひとしきり彼を泣かせたあと、僕は、話を本題に戻した。


「それで、その組織を操っていたのが、コベルマンということですか」

「ああそうだ。だからお嬢様は伯爵を追っているのだ」

「もしやそのために、エリアレン領に?」

「あぁ。これらはすべて、帝都の侯爵様もご存じのことだ」


 なるほど。

 フロンシアも恐らくその辺りは知っているのだろう。

 だったら酒場で偉そうに講釈を垂れた僕は、笑いものだな。

 ほんの少しだけ恥ずかしく思いながら、僕は呟く。


「酒や薬物の取り締まりも、彼を誘き出すため……ってことですか」

「それだけではないがな。実際にお嬢様は、よりよい領地を作ろうと考えておられるのだと思う。コベルマンの失墜も、その手段として画策しておられるはずだ」


 敵討ちと、領地の再建。

 その両方の鍵を握る悪党を討つ。

 とんだ野望だ。


 だが、あのお嬢様がそれを望むのなら、

 僕とフロンシアは、どこまでもこの身を捧げるだろう。


「だから、あの方は決して手を抜かない」

「はい」

「それはつまり、無茶をする、ということだ」

「そうでしょうね」

「カーレイ……お嬢様を頼んだぞ」


 ルフィールが絞り出すような声で言った。


「もちろんです」


 窓の外で一枚の葉っぱがひらひらと落ちたのが見えた。

 この年で最初の、落葉。

 夏が終わるのだ。

 そうして、新しい季節が来る。


 だがそれは、恐ろしく冷えている。

 凍えるような試練の季節。


 死の季節だ。





 冬が来てからしばらく経った。

 もうすぐ僕らは、越年の日を迎える。


 そのあいだ中もお嬢様と僕たちは、領内を動き回っていた。

 祭典に式典は、当たり前。

 それらをこなしつつ、目的のために動かなければならない。


 条例を公布しては説得に回ったり、商人とのパイプをつないだり、密造酒のルートを突き止めるために探偵ごっこをしてみたり、あるときは魔獣を倒してまわり、あるときは、傭兵や盗賊団を始末してまわった。まるで、なんでも屋状態だ。


 行動が身を結ぶこともあれば無駄足に終わることもある。

 まったくの裏目に出ることもあれば、思わぬ手がかりを掴むこともある。

 だが、全体として、僕らが敵を追い詰めたかといえば……


「全然ダメよ!! こんなのじゃ、追い詰められないわ!!」


 お嬢様の声が、屋敷の一室に響いた。 

 防音は十分だから誰かに聞かれる心配はない。

 だが、すぐそばにいる僕には大ダメージだ。


「分かってますよ……でも、コベルマンの組織は隠れ蓑が多すぎます。どの組織のボスを捕まえても、コベルマンの名前は一向に出てこない。まるで魔法の力でも働いているみたいに、どうやっても、奴の存在が見えてこないんですよ」

「カーレイの言うとおりです。お嬢様、このままでは証拠は得られないかと」


 フロンシアがそう言うと、ぷいっとお嬢様はそっぽを向く。

 そうしてから、不機嫌そうに地団太を踏んだ。


「だったら! コベルマンの屋敷に直接、乗り込むしかないわよ!」

「アホですか。勝てるわけないでしょう」


 僕がそう言うと、すかさずチョップが飛んでくる。

 エリアレンの血を引くわりには、パワーが弱い。

 別に痛くもないが、大げさに頭を抑えておく。


 ふふん、と得意げな顔をするリグネッタ様。

 それを見て、フロンシアが大きくため息を吐いた。


「コベルマン伯爵は、今代最強の力動魔法使いだと言われています。仮に護衛をどうにかしても、我々の戦力では、伯爵自身に勝つことが難しいでしょう。はっきり申し上げて、真正面から戦って勝てるような相手ではありません」


 正論だ。そして正論はお嬢様を怒らせる。

 リグネッタ様は、今度はフロンシアにデコピンをした。


「じゃあ、あなたたちに他の策があるの?」

「このまま、尻尾を出すのを待つのが最善かと」

「あんたも本当にバカね! 私たちが動いてるってことは、コベルマンも動いてるってこと! どっちが先に死ぬかの勝負なら、勝ち目があるわけないでしょ!」


 なるほど。一理あるといえばある。

 きっと、敵だって何かを狙っているのだろう。

 だが、それで目立つ動きをとるのは向こうの思うつぼだ。

 墓穴を掘って負けるのは、流石に、恥でしかない。


「まぁ油断せずに待ちましょう。ここしばらく、刺客は現れていませんし、急いてはことを仕損じるとも言いますから。越年には領主様も戻られるでしょうし」

「別に、力を借りるつもりはないわ」

「領主様の魔剣ならコベルマンだって真っ二つにできますよ」

「ふざけないで、カーレイ!!」


 冗談混じりに言うと、向こうずねを蹴っ飛ばされた。

 クソ痛ぇ。あながち冗談でもないのに。


 侯爵オルトロス=エリアレン様は、コベルマンが恐れられるのと同じくらいに強大な単独戦闘能力を持つ魔剣士だ。エリアレン領に侯爵が不在であっても、他領がちょっかいをかけてこないのは、その力を恐れているからだと言われている。


 一度だけ見たことがあるその絶技は、魔法さえも斬り裂いていた。

 魔法使いコベルマンでさえも、侯爵様の剣の前では十秒と保たないだろう。

  

「私たちの驕りが、あの男をつけあがらせたのよ」

「まぁ、格下の相手を殺しにいくなんて普通はできませんからね」

「カーレイ、君に暗殺術の嗜みはないのですか」

「力動魔法の使い手をナイフでどうにかできるほど僕は強くないよ、フロンシア」

「それで君が死ねば、攻める理由にはなりそうですが……」

 

 縁起でもないことを言わないでほしい。

 大体、暗殺にいった奴の敵討ちなんて誰も納得しないだろう。

 リグネッタ様も、しかめ面で話を聞いている。


 と、そのとき、お嬢様は訝し気に眉根を寄せた。


「そうだわ。どうしてコベルマンは私を殺さないのかしら?」

「そんなの僕らが守ってるからに決まって……」

「いえ、確かにそうです」


 僕の軽率な言葉を、フロンシアが遮った。


「カーレイ、確かにお嬢様の仰るとおりです。私たちは並の刺客なら確かに撃退できます。ですが、もしコベルマンほどの相手が本気で暗殺を試みたら、きっと私たちでは守り切れない。でも現状は、こうして守れているのです」


 ん? どういうことだ。

 つまりコベルマンは本気で殺す気がないってことか?


「じゃあなぜ、刺客を送ってくるんでしょう」

「あ! 待って! そうだわ! どうして思いつかなかったのかしら!?」


 叫んだのはリグネッタ様だった。

 彼女はいつになく興奮した様子で僕の両肩を掴んだ。


「コベルマンが狙っているのはオルトロス様なのかもしれない!」

「ちょちょ、落ち着いてください!」

「お嬢様、なぜお父様が狙われていると?」


 フロンシアがベールの下から問いかける。

 その眼が、興味深そうに光っているような気がした。


「オル、お父様はとてつもなく強い剣士だわ!」


 リグネッタ様は、興奮で舌をもつれさせながら説明を始める。


「だから、コベルマンが私を殺さないのは……単に、報復が怖いからだと思うわ! でも、それなのに刺客を送りつけてくるのは、『リグネッタが狙われている』という先入観をみんなに植え付けるためよ! あなたたちや、お父様に!」

「……確かに、腕利きの護衛はすべてこの屋敷に回しています」


 ぼそりとフロンシアが言う。

 その声は氷のように冷え切っている。

 お嬢様が、早口で問うた。


「フロンシア。お父様は、いつここに戻るの?」

「越年の日の前日にここに到着されるはずですから、明日の夜です」

「なら今日はちょうど、コベルマン伯爵領のそばを通るはずだわ!」


 そう言うが早いか、二人の姫は身支度を始める。

 え、ちょっと。

 僕だけ全然ついていけてないんですが。


「ちょっと、本気でそんなことが起きると思ってるんですか?」

「カーレイ。すこし黙って」


 思わず僕が問いかけると、真剣な声でお嬢様がそう言った。

 彼女はなにかを考えるように少しだけ目を瞑ると、

 フロンシアに向き直り、その手をぎゅっと握りしめた。


 そしてお嬢様は、なにかを決意するように呟いた。


「教えて、フロンシア」


 そう願われたフロンシアも、瞳を閉じた。

 歯は食いしばられていて、苦しげな表情が浮かぶ。

 それはまるで、なにかに葛藤しているかのような、それだ。


 しばらくしてから、フロンシアは言った。


「起きうる範囲、だと思います」

「そう。よかった」


 安堵のため息とともに、お嬢様が僕に向き直る。

 ほんの少しの怯えとおそれ、

 そうしたものが、刹那のうちに浮かんでは消える。


「大丈夫なのですか?」

「……カーレイ! 馬を用意して! なるべく多くの兵を連れて行くわよ!」


 リグネッタ様は、無理やりに笑みを作るといつもの大声で叫んだ。

 まだ少しだけ震えが残っているような気がした。

 フロンシアはいまだに目を閉じていて、何か言う気配はない。

 だったら、お嬢様を止めるのは、僕の仕事か。


「お嬢様も行かれるのですか?」

「当然! あなたたちを連れて行くのだから!」

「それはなりませ……」

「黙れカーレイ! それならあなたが私を、守り抜きなさい!」


 止めさせてもらえなかった。

 おいおい、本当にこの人を行かせても大丈夫なのか。

 振り向いて確認すると、フロンシアは小さく頷いた。

 いや、頷かれても困るんだが。

 

「この時間が無駄よ! さっさと行くわよ!」

「もう、仕方ありませんね。守れる保証はありませんよ」

「それでも私は! あなたを信じているわ!」


 口角が上がる。いつものお嬢様に見える。

 その爛々と光る眼には、もはや怯えもおそれもない。

 だが僕は、その表情の意味を知っていた。


 これは、覚悟の顔だった。

 




 雪が降り積もった隣領近くの森のなか。

 オルトロス様は、意外とすぐに見つかった。 

 それも生きている状態で。


「ご領主! お怪我は!」


 そう言いながら近づいた僕はすぐに黙り込んだ。

 無事、とは言い難かった。

 

 頭部に皮が削げ落ちたような傷、左肩の先はなく、腹部からはとめどなく血があふれ出している。馬からなかば転げ落ちるように降りた領主様は、僕によりかかると、長い溜息を吐いた。ぼろぼろの全身には殆ど力が入っていなかった。


「護衛は皆殺られた。ワシも左腕とはらわたを持っていかれたわ」

「敵は、コベルマン伯爵ですか」

「左様。かなりの数じゃ。手練れが多くて、敵わん」


 そういう領主様の全身は、黒々とした血に染まっている。

 返り血だろう。おびただしい量だ。

 何人もの刺客を、殺し尽くされたのだ。


「二十は殺った。伯爵の片腕も潰したはずじゃ」

「では、敵は引いたのですか」

「いや。殿を置いて、ワシはおめおめとここまで、逃げてきた」


 悔しさを滲ませながら侯爵は言う。

 その口元から、ごぼりと血が漏れる。

 リグネッタ様が駆け寄って抱きしめるも、侯爵の息は浅い。


「急いで屋敷に戻り、体勢を整えましょう」

「そうね。コベルマンの追っ手が来る前に動かなければ」


 僕らは手練れの護衛剣士に、意識をなくしたオルトロス侯爵を預けた。

 連中の狙いが侯爵ならば、かならずここで殺そうとしてくる。

 仕損じたままでは、悪行がバレてしまうのだから。


「あとは手負いのコベルマンを討つだけよ」

 

 お嬢様が、恐ろしい顔で呟いた。

 と、フロンシアが近寄ってきて、僕らに耳打ちする。

 彼女は僕ら二人に、屋敷に戻れと言った。


「フロンシア、あなたはどうするつもりなの?」

「侯爵が屋敷へと戻る時間を作ります」


 リグネッタ様の問いに、彼女はそう答えた。

 だがそれが意味するのは、殿だ。

 彼女が買って出たのは、殿の役目だ。


 僕は首を横に振った。


「ダメだ、フロンシア。君に任せるつもりはない」

「しかし……」

「カーレイの言うとおりよ。殿はこちらの傭兵に務めさせる。あなたはお父様と一緒にいないと駄目。侯爵と一緒に……ちゃんと、そばに、いてあげてよ」


 ベールの下のフロンシアに向かって、お嬢様が言う。

 その優しい瞳と声色、僕は一度も向けられたことがないぞ。

 だがそれでも、フロンシアは頷かなかった。


 結局、お嬢様は無理やりにフロンシアを行かせた。

 馬車の準備はすぐにできた。

 フロンシアと侯爵の馬車が走り去っていく。


 あとは僕たちだ。ここからどう退くか。

 僕とリグネッタ様は、兵たちに短く指示を出し、安全を確保する。

 ここで僕らが死んでしまっては意味がない。

 だが、ここで主君が引けば、兵の士気は落ちてしまう。


 苦肉の策として僕が考えたのは、コベルマンを追う、という名目で馬車を動かして、この場から早急に離脱することだった。もちろんそのことはリグネッタ様にもバレてはいけない。それでも、僕はこの人を死なせるわけにはいかなかった。 


 だがそのときお嬢様が言った。


「待って。奴は侯爵様を殺し損ねた。この件が明るみになれば、奴は窮地に追い込まれる。だったら奴は、この機会にもう一度、侯爵様を狙うかもしれない」

「じゃあ、フロンシア達が危ないというのですか!?」

「えぇ。だけど私たちを倒していく余力はない」


 侯爵様がやられたとはいえ、敵の損耗もそれなりにあるはずだ。

 だったら、真正面から攻めてくるとは考えにくい。 


「コベルマンは、先回りして、すでに僕らの屋敷に向かっているかもしれない!」

「なんてことだ」

「カーレイ! いくわよ!」


 お嬢様が、馬車に乗って走り出す。

 コベルマンが侯爵を追うのなら、その後ろを更に追うのだ。

 幸いにもこのあたりの道は、僕らのほうが詳しい。


 馬のひづめはすぐに見つかった。

 一直線に屋敷のほうへと続いている。

 わずかな血痕が落ちていた。

 やはり手負い。追いついてしまう可能性は高い。


 くそ。

 こうなりゃお嬢様をうまく離脱させないと。


 だが、そのとき僕の頭にひとつの考えがよぎった。もしも、フロンシアと領主様に僕らが加勢すれば、コベルマン伯爵を倒せるのではないのかという考えだ。そうすれば誰も傷つかなくて済むし、今後のことだってずっと考えやすい。

 

 こちらの手勢はかなり多い。

 いくら伯爵が歴戦の魔法使いと言えど、手負いならば、勝てるか……?


 しかし、お嬢様は馬車の速度を更に上げた。


「カーレイ、けもの道を抜けていくわよ!」

「お待ちください! 兵が着いてこられません!」

「構わないわ! 邪魔な木はあなたが撃ち倒しなさい!」

「ああもう、人使いが荒いんですから!」


 仕方なく、僕は魔銃で木々を破壊していく。

 とてつもないスピードで馬車は走り、すぐに森を抜けた。

 目の前にはエリアレンの屋敷と、裏手の崖がみえる。


 そして、屋敷の裏門は、すでに開け放たれている。


「まさかもう中に……? お嬢様、一度様子を見ましょう」

「カーレイ! 違うわ! これは罠よ!」


 僕が放心した一瞬に、お嬢様が血相を変えて叫んだ。

 はっ、と前をみると横手の林から、火球が飛んできていた。

 魔砲による攻撃。まずい。


 そう思うと同時に、馬車が横に吹き飛んだ。

 激しい衝撃とともに、身体の重さがなくなる。

 浮いているのだ。


 僕はすかさず、お嬢様を抱えて馬車から飛び降りた。

 空中に跳ね上がっていた馬車は、案の定、派手に横転した。

 馬と台車に潰された御者がうめき声をあげる。


 間一髪だった。


「お嬢様、お怪我は?」

「大丈夫よ……でも今のってまさか」

「えぇ。嫌な予感が致します」


 爆発の衝撃で崖沿いの道ががらがらと崩れ落ちる。

 これで後続は追ってこられなくなった。

 折角の兵士たちと分断されてしまったわけだ。


 この衝撃、まさかコベルマンじゃないだろうな。

 そう思い目を凝らせば、闇の中に、僕らの馬車を吹き飛ばした元凶が見えた。

 男。それもかなり大柄だ。コベルマンでは、ない。


 男は、肩に抱えた魔砲をごとりと降ろして、

 僕らの方へと歩み寄ってきた。


「くくく。ちっとは腕の立つ奴がいるんじゃねぇか」

「貴方は……ッ!」


 僕はその男を知っていた。

 かつて同じ傭兵団にいた男だ。


「破砕のグリンダム。裏稼業専門の傭兵です」

「いかにも。久しぶりだな、カーレイ」

「こんな会い方は望んでなかったぞ」

「悪いがそこの女にはここで死んでもらうぜ」


 そうはさせない。

 僕はすかさず魔銃をぶっ放す。

 狙い過たず、弾丸は男の腕を貫いた。

 

「クソガキが!」


 男が叫ぶ。

 その瞬間に僕はもう、男を袈裟懸けに斬っていた。

 ほとばしる鮮血、だがまだ、浅い。


 飛び退った男は、己の血を舐めながら、腰の短剣を抜く。

 紫色の燐光。魔法使いだ。

 

「チッ、カーレイ……楽に死ねると思うなよ」


 僕が身構えたそのとき、馬の蹄の音がした。

 速足。いやもっと速い。

 尋常じゃないほどに速い馬、魔法強化された馬だ!!


 僕がそう気付くと同時に、空中に影が現れた。

 巨大な影だ。それが異常な速度で駆け抜けていく。 

 グリンダムが驚愕の叫びをあげる。


「なッ……何故あんたがきやぐぁっべらっごぎゅ」


 影は一瞬で、その顔面を砕いた。

 吹き飛ばされた男が玩具のように転がる。

 苦しげに立ち上がろうとしたところへ、影はふたたび走り寄り、

 男の頭部は、完全に踏み砕かれた。


「まったく。殺すな、と言っただろうに」


 恐ろしいほどの馬体制御。

 その馬上には、一人の痩身の男が乗っていた。

 黒づくめに身を包み、まるで幽霊のようだ。


 僕は、その男を知っていた。

 こいつこそ、この男こそ、エニスキス=コベルマンだ。

 

「コベルマンッ」

「……いやはやなんとも、下賤な兵だろう?」


 男は、病的なまでに頬がこけている。

 笑うとまるで、骸骨のようだ。


「なぜ、自分の傭兵を殺したのよ」

「その震え声を聞きたくてね」


 男の声に愉悦が混じる。

 僕らの生殺与奪を握っていると確信している響き。

 絶対的強者の余裕だ。


 とはいえ、そのマントは半ばから千切れており、よく見れば服にも大きな穴がいくつも空いている。鋭いもので斬り裂かれたような箇所もあった。きっと、侯爵様がつけた傷、の跡だろう。一瞥するかぎり、今の男は無傷だったが。


「お嬢様、奴は回復魔法を使えるようです」

「だからなによ」

「勝ち目は、万に一つもないかと」


 僕らのささやきが届いたのか、男は顔をしかめた。

 馬が数歩歩み寄り、僕らは、ほんの少しも動けない。

 見上げるような高さから、伯爵は驚いた声を発した。


「貴様は……カーレイか。まさか生きていたとは」

「コベルマン、なぜ僕の名を知っている」

「うはははは。それを貴様が知ることは、もう、できない」


 そういうが早いか、コベルマンは指先をひゅるりと振った。


 僕の身体がおもいきり吹き飛ばされた。

 何の予兆もない、衝撃だけが僕を襲ったのだ。

 これが力動魔法か。

 

 ろくに考える間もなく、気付けば僕は崖にぶら下がっていた。

 ほんの小さな岩に片手で掴まっているだけだ。

 腕の力だけでは、上にあがれそうにない。


「うむ? 死にぞこなったか」


 そう言いながらコベルマンが歩いてくる。

 男の手は、リグネッタ様の髪を無造作に掴んでいた。

 お嬢様はなかば引きずられるように歩いていた。


「リグネッタ……様」

「カーレイ! 逃げなさい! あなただけでも早く!」

 

 必死の声はしかし、無力だ。

 どうしようもなく無力だ。


「お転婆のツケを払うときだな、リグネッタ=エリアレン」


 そう言うとコベルマンは、お嬢様の頬を思い切り叩いた。

 勢いで倒れるリグネッタ様の身体が、不自然に止まる。

 コベルマンが、愉しげにその手指を動かしていた。


「やめろ、コベルマン」

「まるで操り人形だろう? これが好きなのだ」


 お嬢様の肉体は完全に男の支配下にあった。

 どうすることもできず、ただ玩具のように無茶苦茶に動かされている。

 叩きつけられ、投げられ、吊り上げられ。


 くそ、くそ、くそ。

 このままじゃダメだ。

 このままじゃ僕は僕を許せない。


「睨んでも無駄だ。君にはもう何もできん」


 コベルマンが僕を指差す。

 その瞬間に、小さな力が加わり、僕の指が独りでに岩から離れようとする。

 僕は、必死に意志の力であらがった。

 コベルマンが馬鹿にしたような声で笑う。


「うはははは。なんとも無駄なあがきだ。王の血が泣くぞ」

「訳の分からないことを、言うな。お前の狙いは、なんだ」

「狙いなどなくとも、この娘は私が奪いとろう。そしてこの領地もな」


 男がそう言いながら、リグネッタ様を抱き寄せた。

 意識を失ったお嬢様は、するりとコベルマンの腕のなかに入る。

 男は微笑みながら、お嬢様の頬に、軽くキスをした。


「くそ……や、めろ……」

「ではさらばだ。眠れる獅子よ」


 僕が掴んでいたちいさな岩の出っ張りが、その瞬間に砕け散った。

 身体が、宙に投げ出される。思い通りにならない。

 にやついた男の笑みが頭から離れない。

 

「うはははっ、ははははは!!」


 みるみるうちに、お嬢様とコベルマンは小さな点になって、

 僕は、冷え切った川に、深く、深く、沈んでいった。





 冷たい。

 ひどく冷たい。

 

 暗闇がどんどんと迫ってきて、全身が痺れていく。

 ここで、死ぬのか。


 だが、意識が完全に途絶える瞬間、

 なにか僕の身体を引き上げた。


「カーレイ! カーレイ! 起きてください!」

「げっほ、げほげほ」


 目を開けると、そこにはなぜかフロンシアがいた。

 ずぶぬれのベールにはいくつもの血痕が飛んでおり、剣は抜身だ。

 かろうじて生き永らえた、というところだろうか。


「フロンシア……僕は、どうなった」

「ご安心を。君は冷水に落ちて意識を失っただけです」

「そうか。じゃあ、領主様とお嬢様は?」


 彼女は眉根を寄せた。

 険しい顔で、僕から目を逸らす。


「コベルマンの手に落ちました」


 ようやく発した声は、とても無感情だった。


「……お嬢様は連れて行かれ、ご領主はまだ意識が戻りません」

「くそっ!!」

「カーレイ!! 君はお嬢様を追うつもりですか」

「当然、僕はそのつもりだ」


 僕はそう言って立ち上がると、すばやく装備を整える。

 剣にも魔銃にも不具合はなさそうだ。


 だが、ひとまず屋敷へ向かおうと足を踏み出したとき、

 その手を、強く掴まれた。


 フロンシアの冷たい手だ。

 なんのつもりだ。


「お待ちください、カーレイ」

「断る。エリアレン家に仕えている身として、止まることはできないよ」

「いいえ。だからこそ引きとめたのです」

「フロンシア!! リグネッタ様は今にも殺されるかもしれないんだ!」


 だが僕がそう叫んだ瞬間、

 フロンシアはなぜか、首を横に振った。

 なんだ。なにが違うっていうんだ。


「リグネッタは死にません」


 なぜか彼女は、顔を覆うベールにそっと手をかけた。

 そして、ゆっくりとベールを上げる。


「これはエリアレン家としては予期できた範囲の事柄なのです」


 ぽたぽたとフロンシアの濡れた茶髪から、水が滴る。

 そのしずくが流れ落ちる頬には、わずかに引きつれがあり、

 そしてその火傷の痕を除けば、除いてしまえば、


 お嬢様にひどく似ていた。


「なんだ……? フロンシア……説明が欲しい」

「貴女が守っていた彼女は、侯爵家の血を有してはいません」

「変なことを言うな。そんなことはありえない」

「いいえ。彼女は、本物の、代役でした。コベルマン伯爵という脅威を排除するのは、あまりにも危険な行いです。それゆえに、よく似た少女が必要だったのです」


 その真に迫った声色が、僕をざわめかせた。 

 鳥肌が立つ。代役、それはつまり、


 フロンシアが淡々と、その言葉を放った。 


「あの子は身代わりなのです」

「では、エリアレン家の令嬢とは……」

 

 いや、その答えを僕は知っていた。

 あのお嬢様と同年代で、最も近しい女性など一人しかいない。

 心を読んだように、眼前の麗人は頷いた。


「いかにも。このフロンシアこそが本当の、リグネッタ=エリアレンです」


 お嬢様とまったく同じ顔が、にこりともせずにそう告げた。


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