第38話 甘えたリーゼルちゃん

 その日の夜、アタシは夢を見た。


 それは柔らかな夢だった。そこには、アタシの父さんであるアルベルト・アインシュタインと、母さんのミレヴァ・アインシュタインがいた。


 夢の中の二人はとても優しかった。そこには理想の家族の姿があった。


 アタシの誕生日には、プレゼントに高価な物理学書を貰い。


 クリスマスには、みんなで温かいクリィムシチューを食べる。


 理想の学者一家だった。父さんは自分の研究室を持っていて、アタシはその研究の手伝いをする。母さんはそんな二人の生活を支えていた。


 しかしそんなある日、とある実験中に起きてしまった事故によって、幸せな日々はいとも容易く崩壊する。


 それは、アタシの作った新理論を検証する実験装置だった。研究室の仲間みんなで協力して作り上げた装置だった。母も実験助手として手伝っていた。


 だが、実験装置は上手くは動かなかった。アタシの理論とは違う挙動を示したのだ。


 結果、装置は大爆発を起こした。研究室は粉微塵に吹き飛んだ。母さんはバラバラになって死んだ。仲間のみんなも焼け死んだ。奇跡的に生き残ったのは、アタシと父さんの二人だけだった――――。


 父さんはそんなアタシを責めた。


 ―君の理論が母さんを殺した――――――。


 ―君さえ、君さえいなければ――――――。


「ねぇ、これからも君の為に、一体何人が死ぬ事になるのかな――――――?」




 ※※※




「おーい、リーゼル?」


 朝早く起きて、早朝の店の仕入れを手伝った岩平は、そろそろ朝食にしようと、3階のリーゼルを起こしに上がる。


「いい加減そろそろ起きろよー。せっかく作ってくれたジジイのベーコンエッグが冷めちまうぜ~?」


 ドアを開けて、暗い部屋の中へと呼びかける。


 しかし、返事は無い。それどころか、替わりに聞こえてきたのは苦し気な呼吸音だった。それに気付いた岩平は慌ててリーゼルへと駆け寄る。


「リーゼル!? どうしたんだ、お前……っ!?」


 リーゼルは汗びっちょりになっていた。顔が赤い、明らかに発熱している。額を合わせてみると、40度はあろうかという高熱だった。


「だ、大丈夫だがんぺー……、なにも問題は……。ゲホゴホッ!」


「何が大丈夫なものか! とりあえずジジイに診てもらおう! ジジイ! ジジイ来てくれーッ!」




 そうこうして、しばらく辺理爺さんは聴診器を取り出して、何やら色々と診察をする。


 やがて、それらが終わると爺さんは深刻な面持ちで、ゆっくりと口を動かして病名を告げた。


「…………どっからどう見ても、ただの風邪じゃな」


 その言葉を聞いた岩平は、その場にスゴい勢いでズッコケかける。


「おいおい、ビビらせんなよ! てっきり、死の宣告かと思うくらいの空気だったじゃねーか!」


「……いや、そうじゃない。本来、物理学者(フィジシャン)が普通の風邪を引く事自体が有り得ないのじゃよ。通常、物理学者(フィジシャン)の疾患耐性や毒耐性は常人の十倍はある筈なのに何故、こんな伝染(うつ)りもしないそこらの風邪菌なんかに……?」


「……なんでもないわ。多分ちょっと悪夢を見たせいで、一時的に免疫が下がったんでしょう」


「悪夢? どんな夢じゃ?」


「……ただの嫌な夢よ。恥ずかしいから言いたくないわ。ホント、なんであんな荒唐無稽な夢を見たのかしら……。アタシは父さんと一緒にいた事も無いし、あんな実験をした事も無いのに……」


「……まぁ、全身が方程式で出来ておる物理学者だって、基本構成は人間と同じじゃ、天文学的確率で風邪を引く事だってあるじゃろ……」


「な、治るのか? ジジイ!?」


「そりゃ、普通に薬飲んで、一日寝てりゃ治るじゃろ。その方がよっぽど早い。全身の菌の分離となると儂でも難しいからなぁ……。念の為、伝染(うつ)らんようにこの物理演算(シミュレート)で作った完全滅菌マスクでも着けて寝とけ!」


 爺さんは懐からマスクを取り出してリーゼルに装着させる。そして、再び布団をかぶせて寝かしつけようとした。


「そ、そんなっ……!? 今寝ている場合なんかじゃっ……!敵だっていつ襲って来るか……」


 リーゼルは寝るのを嫌がって布団から抜け出そうとする。だが、岩平はそんな彼女を許さなかった。


「やかましい! リーゼルは今日一日、俺が看病してやる! だから大人しく寝てろ! いいから寝てろ!」


「がんぺー……」


「じゃあ俺、おかゆ作ってくる! 少し待ってろ、リーゼル!」


 意外な程に心配性な岩平は、そうしてリーゼルの返事も聞かずに階下へと駆けて行ってしまう。


「……まぁ、こういう時は助け合いじゃて……。甘えとけ、甘えとけ」


 仕方ないので、リーゼルは受け入れる事にする。せっかくの岩平の厚意まで無下にはしたくない。よく考えれば、もう岩平だって戦えない訳じゃないだろう。


「案ずるな。敵さんも昨日の今日で、わざわざ警戒強めてる所に襲撃はしないじゃろうて……。儂の結界も三重に重ね掛けしておるしの……」


 そして、診察を終えた爺さんはリーゼルの看病を岩平に任せてどこかへ立ち去ろうとする。


「じゃあな、そこで休んでおけよ。儂は儂で、敵さんの情報収集に行ってくる。それまで、岩平と好きなだけ仲睦まじくしてるが良いわ♪」


「むっ、睦まじくっ!?」


 からかいの言葉だけ残して去ってゆく辺理爺さん。おかげで、岩平の事を変に意識してしまったリーゼルは、まともに岩平の顔を見る事ができなくなっていた……。




「待たせたな、リーゼル! コイツを見やがれ! 超病人用お粥、『我妻スペシャル』の完成だ!」


 岩平の事だから心配だったリーゼルだったが、そこにはちゃんと普通のお粥が出来上がっていた。トロトロの粥に梅干しが一つ乗っている様は、むしろ美味しそうでもある。


「……岩平って、料理出来たんだ……」


「オイオイ、俺ってばどういうイメージなんだよ……。そりゃ、親いないから多少の自炊くらいはするさ。ラーメンとかパスタとか……」


 最後の方の言葉を聞いて、それって麺類ばっかりじゃんとか思うリーゼルだったが、口には出さずにスプーンを手に取ろうとする。


 しかし、過保護な岩平はそれさえ許しはしなかった。粥をスプーンですくってやって、フーフーと冷ましてやる。まさにそれは、いわゆる恋人同士がやるようなアーンの構図だった。


「ホレ、口開けな。ア~ン……」


「え!? ちょっ……! だ、大丈夫よ! それくらい自分で……」


「いいから、さっさと食べな」


「え、ええっ……!? いいの!? そんな……」


 熱に加えて気恥ずかしさで紅潮しているリーゼルは頭がどうにかなりそうだった。さらに、岩平の息があんなにかかっている事を想像すると、悶え死にしそうである。リーゼルは、妙なテンションで言われるがままスプーンを口へと含んだ。


 ―おいしい…………。


 ―ちょっと少しまだ硬い部分はあるけど……。


 その粥はどこか、『不器用な男親がたまに作ってくれる料理』を彷彿とさせるような、優しい味だった。リーゼルにそういう記憶は無い筈だったが、味覚が勝手にそういう憧憬を映し出し始める。


 結局この日、またリーゼルは涙が止まらなくなってしまうのだった――――――。

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