第36話 日本のマンハッタン計画


 しかしその時、岩平とフォノンの攻防は、謎の男の声によって中断されてしまう。慌てて声がした方を見ると、上空にいきなり一機のヘリコプターが出現していた。外見から見て民間ヘリのようだが、どこの所属までかは分からない。やがてヘリコプターは旋風を巻き起こしながら、高度落として屋上近くへとホバリングして扉を開け、その姿を見せた。


「もう十分、暴れまわっただろう? これ以上の単独行動は許さんぞ。それとも、我らがロスアラモス学派の顔に泥を塗るつもりか? フォン・ノイマン氏よ……。賢いお前なら判るだろう?」


 ヘリから姿を現した声の主は、齢80歳くらいはある爺さんだった。白髪の長髪で、上には博士帽を被り、全身に黒いアカデミックガウンを羽織っている。ステッキを持ってはいるが、足腰のどこも曲ってはいないように背筋はしゅんとしていた。何よりも特徴的なのはその顔である。左側に酷いケロイド状の火傷の跡があり、左眼には機械的なスコープが付いていた。その禍々しい姿は、いかにもマッドサイエンティストといった印象を連想させてしまう。


「ちぇー、わかりましたよ。プーだ」


 不本意ながらも納得したらしいフォノンが、自身の全てのミサイルを引っ込める。


「意外と粘ったから、街も大騒ぎだしねぇ。全面戦争にはもうちょい早いし、ここいらが潮時かな? まぁ、おかげであの我妻夫妻が遺したっていう『遺産』がどんなもんかも見れたし……」


 そのフォノンの言葉を聞いた岩平は騒然となる。まさか、彼女の口から両親の名が出るとは思わなかったからだ。


「お前! 一体、俺の父さんと母さんの何かを知ってるのか……ッ!?」


 だが、岩平のそんな問いも、突然のヘリの動きによって遮られる事になる。動きだしたヘリが、轟音を上げて短く旋回しては、回避行動を繰り返していからだ。そこでは、飛んできた砲弾がヘリを狙い撃ちしようとしていた。


「逃がさんよ、テロリスト共め。街をこんなにした落とし前つけさせてやるわい」


「ジジイ!?」


 その砲弾は辺理爺さんの砲丸だった。やっと彼はこちらに到着したらしい。階下を覗くと、下で車を止めてそこから砲丸を撃ち出している辺理爺さんが見えた。すでにショッピングモールからは、警察の避難誘導が行われているようで、遠くの方では野次馬たちの姿が見える。そりゃ、これだけたくさん謎の爆発が街中で起きれば、そういう事態になるだろう。


「フン、演算者(オペレーター)でもない奴になんざ、興味は無い……」


 しばらく回避行動を取っていたヘリだったが、やがて中の男がゆっくりとウエストポーチから茶色の本を取り出す。


「あれは、物理学書! やはり、アイツがフォノンの演算者(オペレーター)かッ!?」


「いや、何かがおかしい……。あれは『古典力学(クラシック)』の書だ! さらなる新手の敵だよ!」 


 茶色の本からネゲントロピーが溢れ出す。それはあまりにも高密度で、肉眼でも観測できるほどの膨大なネゲントロピーだった。黒色の禍々しい霧のような力の流れがはっきりと見てとれる。


「ウソでしょ……、なんなのあの計算資源(リソース)量……。あんなの見たことない……! まさか、岩平よりも多い演算者(オペレーター)がいたなんてっ……!」


「やれ、ニュートン氏。東経135.6154度、北緯34.852度の位置だ」


 男の口から洩れたのは、驚くべき人物の名だった。ニュートンと言えば、岩平でも知っている天才物理学者である。姿はまだ見えないが、どこかで見ているのだろうか。男が座標を設定すると、突如として上空に、謎の巨大な黒い円柱状物体が出現する。そのビルよりも大きい円柱は、見た目からしても莫大な質量を感じられる程の威圧感のある代物だった。金属音のような耳鳴りが響き、辺り一帯はその円柱の影へと覆われてしまった。


「な……、あ……」


 その何らかの物理演算(シミュレート)と思われる漆黒の円柱は、いきなりもの凄いスピードで下方向へと伸びだす。そのまま、伸びた黒い円柱は爺さんを周辺の道路ごと押し潰してしまったのだった。


「ジジイぃッッ!」


 岩平が叫んだ時にはもう遅かった。円柱が消えた先を見てみると、地面には地割れとともに深々と底の見えない穴が開き、その部分だけ完全に押し潰されてしまっていた。いくら探してみても、辺理爺さんの姿はどこにも見えない。


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