第14話 街歩きデートの最終駅

 岩平はリーゼルを引き連れて、路地裏を通り、坂の上に延々と続く、入り組んだ住宅地の階段をズンズンと登った。


「どこまで行くのよ、こんな上の方まで……、いくら物理学者(フィジシャン)のスタミナがあるとはいえ、こちとら一応病み上がりなんだけどなぁ……。ちょっと暑いし……」


「いいから黙ってついて来い。転ばないように足元だけを見てな」


 ぶっきらぼうに答える岩平。仕方ないのでリーゼルは黙々とついていくことにした。やがて階段は終わりを告げ、建物の少ない開けた場所に出ると、岩平は振り返ってリーゼルをエスコートする。


「さぁご覧、リーゼル。これが本当の『色』だよ」


「えっ……、こ、これって……!」


 そこに見えたのは、世にも美しい夕陽だった。空は青から赤々と燃えた紅への見事なグラデーションを成し、眼下に広がる街を山吹色に照らしている。こうして街全体を見渡せる場所に立つと、鷹月の地がいかに坂の多い街だという事がわかる。こんな、息を飲むような圧倒的な景色など、リーゼルはかつて一度たりとも見た事が無かった。


「どうだい? この俺のとっときの場所は」


 目の前の眩しさで心を奪われるリーゼルをよそに、岩平は自慢げに語りだす。


「いいだろここ。清水台といって、俺たち地元民にとってはけっこう知られたスポットなんだが――――――」


「こっ、これはまさに『レイリー散乱』の顕著な例! 散乱波の波長λと散乱粒子の直径dに関わるパラメータとして、円周率πを係数としたサイズパラメータα=πd/λで、うんぬんかんぬん…………」


「――――って、聞いてねぇし!!!!!」


 リーゼルは岩平のドヤ顔も無視して、目の前の不思議で幻想的な光景の仕組みを、嬉しそうに計算しだす。しかし、計算しても計算しても、なにか割り切れないものがある事を、心のどこかで気付いてゆく。


「……まぁ、あれだ……。さっきの思考実験の答えだけどさ……。俺は物理学とか物理学者について、そんなに詳しい訳じゃないけどよ……。例えば、ジジイならきっとこう言うだろうぜ、『実験で確かめる知見以外はクズ』だとな。それが物理学者ってもんじゃねーの? だからよ、リーゼルだってこれから色んな事を自分自身の経験で確かめていけばいい。結論を出すのはそれからでもいいだろ」


「……ええ……、そうね。物理学者ってのはそういうものだったわね……。アタシも永らく忘れていたわ」


 やがて、計算をやめたリーゼルは、岩平の言葉を聞いて、静かに頷く。


「……フン、悪くないじゃない。アンタの答え……」


 夕陽に照らされて真っ赤になった彼女の顔は、どこか照れているようにも見えた。




 ※※※




 その時、岩平たちの200メートル程先の麓の民家の屋上で、何者かの影が動く。


「視界良好、風向北西より風速およそ0・5メートル、空気抵抗はやや上向きに、標的までの距離は210メートル、弾道計算完了。方角、射出角ともに良し、着弾点の誤差は1・2センチ程――――――」


 そこにいたのは狙撃手だった。紛れもないスナイパーである。ただ、普通と違うのは、その人物は白衣を着て、一見するとコンパスにしか見えない、パイルバンカーのような銃を構えているという点だった。


「全く……、阿呆な演算者(オペレーター)もいたものだな……。何の警戒も無しに街を出歩くとは……」


 ここからなら、西日が当たっているせいで、相手からこちらがバレる事は無い。


 おまけに、こっちは物理演算(シミュレート)でノイズキャンセリングして、銃声も響かないようにしている。


 気付かれずに暗殺するには、今が絶好のチャンスだ……。


「――――『シュート』」


 そして狙撃手は、スコープから覗いた岩平にめがけて、ためらいなく引き金を引く。すると、コンパスのような銃から針の部分が、まるで釘打ち銃のように飛び、岩平の顔前へと迫る。


 あわや、岩平の額が撃ち抜かれるかと思われたその刹那、何を思ったのか、彼は突然屈んで頭を下げた。


「お! 百円みっけ♪」


 なんて幸運なことに、彼は夕陽できらめいて光った足元の百円玉を、拾おうとして知らずに回避したのだ。弾はそのまま通り抜けて、角度的に山の向こうへと飛んでいってしまう。


「へっへー、儲け儲け♪」


「あっ、いいなーがんぺー……、じゃなくて……!、意地汚いぞがんぺー!」


 肝心のリーゼルも、かつて生前はゴミ漁りをしていた習慣のせいか、つい反応してしまい、弾丸がすぐ近くを通り過ぎて行った事に気が付かない。


「チッ……、運のいい奴め……」


 こちらも幸いに、狙撃しようとした事はまだ誰にも気付かれてはいなかったが、狙撃手がもう一発リロードしようとした時、夕陽の一部が雲に隠れて街が陰るのが見えたので、狙撃手は撃つのをやめてしまう。


 このままでは、屋上の自分が見つかってしまう可能性がある。


「……フン、まぁいい……。どうせまた、奴を確実に仕留める機会はやってくる」


 そうして、狙撃手は早々にその場を立ち去る事にしたのだった。


「次は必ず、お前の持つ物理学書を頂くぞ…………! 我妻岩平よ―――――――」                                                            

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