第12話 リーゼル・アインシュタイン

 リーゼルの脇腹からアルベルトの光線弓が引き抜かれ、尋常じゃない程の量の鮮血が飛び散る。


「と……、父さん……?」


 何が起こったのかも理解する前に、リーゼルは力無く血だまりの中へと倒れてしまう。


「どうして君は、こっちの世界に来てしまうんだい? おとなしく暮らしておけば良かったものを……」


 アルベルトが何か言っているようだったが、激痛に悶え苦しむ彼女には、聞き取る事さえ困難だった。     


「げっ、がっ……、は……」


 苦しげに吐血する彼女をよそに、アルベルトはスタスタとリビングの机の方に歩いて行ってしまう。彼が手に取ったのは、さっき彼女が机に置いた学位論文だった。


「……よかった。論文はまだ発表前のようだ。こんなモン発表されたら困る」


 そう言ってアルベルトは、無残にもその論文をビリビリに破いてしまう。足元にはバラバラの紙片だけが舞い。彼女のこれまでの全ての努力を無に帰してゆく。


「じゃあねリーゼル……、ゆっくりとおやすみ……」


 用だけ済ませたアルベルトは、彼女を床に転がしたまま、早々に玄関から立ち去ろうとした。


「おと……さん……」


 リーゼルは彼に縋りつくように手を伸ばすが、その手は彼の足元にも届かずに、虚空を掴むだけだった。


 なんで……?


 どうしてっ!?


 アタシはずっと……、ただ父さんに認められたくて……、ずっと頑張ってきたのに……。


 リーゼルのそんな思いや祈りも届かずに、非情にも玄関の扉は目の前で閉じられる。後に残されたのは、暗い部屋の中で血の海に沈む彼女一人だけだった。


「あ……」


 冷たい……。


 暗いよぉ……。


 何も見えない……。


 まるであの頃のゴミ溜めの中みたい……。


 二度とあの場所には戻りたくなかったのに……。 


 ねぇ、


 どうして―――――――――――


 リーゼルは薄れゆく意識の中で、最期にそれだけを考えていた。


 部屋の外でパチパチと音が聴こえるのは、アルベルトが火を放ったからだが、もう既にこと切れていた彼女にはそれを知る由も無かった。


 後日、一人の少女の遺体が焼け跡から発見されたが、彼女の本当の名字は誰も分からないまま、この事件は歴史に忘れ去られていったのであった―――――――。




 ※※※




「イヤァアアアアアアアッ!!!!!!!」


 悪夢にうなされ、生前の嫌な記憶を思いだしていたリーゼルは、汗ぐっちょりで息も絶え絶えになりながら飛び起きる。


「ハァハァ……。またあの日の夢か……」


 周りの暗い部屋を見て、自分が昨日と同じ岩平のベットで寝かされている事を理解した彼女は、一息ついて目尻を抑える。


「そういや、左手が元に戻っている……? 辺理や岩平たちが治してくれたのか……?」


 その事に気が付いたリーゼルは、まじまじと自分の左手を見つめて、夢じゃない事を確かめてみる。痛みはもう消えていたが、まだ血の跡が残る切れ目と、物理演算(シミュレート)で繋げた痕が左手首に見て取れるので、ここが現実世界である事は確かなようだった。


「リーゼル、無事か!?」


「わっ!? なんだ岩平(がんぺー)か……」


 暗がりからかかった声の主は、一晩中リーゼルを看病していた岩平だった。心配そうな目で彼女を見つめている。


「一晩中うなされていたんだぞお前……、大丈夫か!?」


「う……、まさか、アンタ全部アタシの寝言を聞いていたんじゃないでしょうね……?」


「すまない。だが、とても放っておける状態じゃなかったんでね」


 今までのを全部聞かれていたと知った彼女はバツの悪そうな顔をする。だが、それでも構わず岩平は質問を続けた。


「やはり、あのアルベルトとかいう父親が原因なのか? 何があった?」


「……フン、大丈夫よ。アンタには関係ないでしょう?」


 リーゼルはそっぽを向いてしまうが、岩平はおかまいなしに続けた。


「関係ある! 俺はお前の演算者(オペレーター)だからだ! 最初の戦闘も、今回の襲撃も……、お前がいなかったら俺はとっくに死んでいた! だから、関係ないなんて言うなよ! 俺にも協力させてくれ!」


 今回の件で、事の重大さを改めて認識した岩平は、戦う決意を彼女に伝えるのだった。


「……それに……、せっかく父親との再会だってのに……、殺し合うだけしか出来ないなんて、悲しすぎるだろ……」


「がんぺー……、アンタなんでそこまで……」


 彼女のうなされ声を一晩中聞いて、大体の事情を察していた岩平は、彼女への共感と父親の理不尽さへの怒りを抑えきれなくなっていた。特に岩平は自分自身も両親を失くしている為に、似たように思うところは多いのだった。その事を何となく感じとった彼女も、次第に岩平の真剣さを受け止めはじめる。


「だから俺はいずれあの男をふんばじってでも、お前の前に引きずり出す。そんでもって話をつけさせる」


 岩平はリーゼルへと向き合い、彼女の目を見て自らの決意を表明する。


「……そうね……」


 彼女は少し照れたように岩平の言葉に頷く。だが、すぐに悲しげな顔をして下を向いてしまった。


「……でも無理よ。相対性理論を統べ、光を操る父さんは誰よりも強過ぎる……。アタシでも、まるで歯が立たなかった。あなたがたまたまあの一撃を当てられたのは、父さんが油断していただけに過ぎない。きっと次は殺されるわ……。この場所だって、いつ襲撃されるか分かったもんじゃ……」


 そう悲観するリーゼルはまたうずくまって、塞ぎ込んでしまう。


 それを叱咤したのは、階段を上がって部屋に入ってきた辺理爺さんだった。


「それは心配ない。今この電気屋『ヘンリー』の周りには、儂の物理演算(シミュレート)で静電ポテンシャルφ(ファイ)の結界が張っておる。こんなもん、奴にとっちゃ紙ペラ一枚だろうが、それでも解除に五分はかかる。他にも学校や、商店街などの要所要所に奴の電磁パターンを覚えた結界を張ったから、奴が来ればすぐに判るって寸法さ」


「……フン、気休めね……」


「ああ、だが無いよりはマシじゃろ? 少なくとも不意打ちは避けられる」


 爺さんの説明を聞いても、不安を拭いきれないリーゼル。やがて彼女は沈黙のまま、布団に再びくるまってしまう。


「まぁいい。とにかく、お前はしばらく安静にしてろ」


「じゃあな」


 今はもうこれ以上過度に心配しても仕方ないので、岩平たちも階下に降りて休む事にした。外の空は既にもう白み始めていたが、徹夜で看病していた岩平は、急に緊張感の糸が切れて猛烈な眠気に襲われてしまう。そうして岩平はソファへと倒れ込んで泥のような眠りにつくのであった……。

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