3-3 話そうと思えど

「……元カノ、になるよね。巽」


 彼女の言葉を否定したかった。だが、事実であることには変わりない。佳那芽さんと華さんの目線が「彼女いたんだ」だとか「彼女いない歴=年齢じゃないんだ」と言いたげなのはこの際無視しよう。気にしたら今すぐ泣ける。正直言えば彼女に再開してしまったこと自体泣きたいことなのだ。


「まあ、君がそう言うならそうなんじゃないの」


「……やっぱり、怒ってる? 別れようって言ったの」


「いや」


 むしろ別れない方がおかしい。あんなことしておいて。とにかくもうこの人とは関わりたくない。


「ね、電話番号って変えた?」


「変えてないよ」


「そっか……なら、また電話してもいいかな」


「勝手にしたらいい」


「それと」


「もういいかな。俺この後用があるから家に直帰するんだ」


「あ、ごめんね。それじゃあ、またね」


「……」


 彼女の脇を抜けて早足で歩く。歩く。歩いて、死角に入ってひざを折る。吐き気が襲ってくる。頭が痛い。体の震えが止まらない。


「巽君? 大丈夫?」


 佳那芽さんが傍にきて背中をさすってくれる。でも一向に吐き気が収まりそうにない。折角佳那芽さんが心配してくれてるのに「大丈夫」とも「大丈夫じゃない」とも言えないくらい吐き気がする。


「……ごめん、帰る」


 吐きそうなのをグッとこらえて二人を置いて行く。明日、詫びを入れなきゃとかはこの時考える余裕はなかった。


 ***


 見たことのない顔だった。あんなにも苦しそうな顔は。あの元カノ何があったのか知りたい。でも聞けそうにない。


「あの、朱野さん」


「……なんですか?」


「巽君は、どうしちゃったんですか。何か知ってますか」


「何かあったのは確かだけど、何があったかは、わかんない」


「……ふぅん」


 仁科さんは「また明日ね」と言って、帰路を辿る。私も追いかけたりしない方がいいだろうか。私から、聞かない方がいいのだろうか。

 それでもやっぱり、知りたいと思う。きっと彼は自身の過去を自分から言わないと思う。きっと、聞かれてもはぐらかす。そんな気がする。


「でも、言ってくれなきゃ何もできないよ」


 傍にいても意味がない。言ってくれないと、誰も何もできないんだよ。全部察してくれる人なんて、いないんだよ。


 ***


 家に逃げ込んで、すぐさまトイレに向かう。そして便座を上げてこみあげてくるものを我慢せずに吐き出した。


「おえッげぁ……がッ、はぁ……はぁぁ……」


 かつてのトラウマが、昨日のことのように思い出された。口の中が気持ち悪い。それを取り除こうとせんばかりに唾を吐いてから水を流す。

 その後すぐに洗面所で口をゆすいでようやく落ち着くことができ、大きなため息を吐いた。


「……お兄ちゃん、大丈夫?」


 咲哉が恐る恐るといった様子で尋ねてくる。こんな状態を見せておいて大丈夫は通らないだろう。


「あー、まあやな女に再会しちゃってね。心配すんな、昔よりかはマシだろ? 今回は吐くだけで済んだし」


「……その人、何でお兄ちゃんの前に姿現したわけ?」


 咲哉の語気が一気に強くなる。でもすぐに冷静になれたのか、頭を振って、小さく息を吐いた。


「さぁ。偶然……と言いたいなあ」


 というか、この俺に執着する理由がないから偶然なんだろうけど。また絡んできそうなのは少し嫌ではあるが、多分、問題ないと思う。


「まあ大丈夫だ。心配すんな。もう昔の……甘えたがりの俺じゃないさ」


「……うん。わかった。信じる」


「ありがとな」


「いいよ。今日はボクが料理作るよ」


「助かる。俺少し部屋で横になってるから、できたら呼びにきてくれ」


「わかった」


 自室で部屋着に着替えて、ベッドに寝転がる。そして大きなため息を吐いた。そしてふと思い出したのは佳那芽さんたちに対する俺の態度。

 佳那芽さんたちに失礼な態度をとっていたかもしれない。明日詫びを入れるためにも、気持ちを切り替えておかなければならない。っつても、あんなだったし、何か聞かれてもおかしくないんだよなあ。


「ううん、明日がちょっと憂鬱だなあ」


 というか、これから憂鬱な予感がするというのが正しいような気がする。一体どうあの人が関わってくるのか予想がつかない。その時になったら俺は、きっぱりと跳ね返せるだろうか。


「……あー、くそったれすぎる」


 久しぶりに口にした気がする「くそったれすぎる」は、今までで一番嫌な気持ちの乗った言い方になった。

 明日はぎこちない態度は取らないようにしないとなぁ。


 ***


 翌日。微かに頭痛が残ったまま、通学路をノロノロと歩く。吐き気があっただけではなく、頭痛がここまで後を引くとは。あの頃、中三に上がる前の春休みぶりだろうか。いやまあ、あの頃よりはましだけども。

 とりあえず、普段通りにと思って過ごすのはよしておこう。普段通りに、普段通りにと思えば思うほど、普段から遠くなるからな。


「だからといって、何も意識しなかったら激萎え隠す気なしみたいになりそうだから気を緩ませないようにするか」


 軽く頬を叩いて、歩みを進める速度を上げた。無意識のうちに普段通りと考えつつ。

 校門付近に近づいて、玲司たちが視界に入った。何故か力んでしまう。そこでようやく普段通りにはできないなと悟った。


「よっす、みんな」


「……やあ、巽! おはよう」


「おはようたっつん、今日の寝覚めはどう?」


「あー、若干悪かったかなあ」


 欠伸を交えつつ言うと、「眠そうだこと」と言って魅羅は笑う。


「大丈夫ですか、天篠先輩」


「まあ、大丈夫大丈夫」


 それよりも行くぞー、と昇降口に向かうと、みんないつも通りというか何というか、普通に付いてくる。


「今日から部活だよな」


「そうだよ。今日からまたイチャイチャ部活の始まりだね」


「俺と佳那芽さんがってか? そうそうそんな感じ」


「へぇ、それは楽しみだなぁ」


 その声を聞いて、肩がびくりと跳ねた。恐る恐る振り向くと、そこには佳那芽さんがジト目で俺を睨んでいた。


「あは、はは。やあ、おはよう佳那芽さん……」


 おもっくそ笑顔が引き攣る。これはやらかしたなと思った。いやまあでも? その予定であることは確かだしぃ? 予定通りにするとは言ってないし……

 ただの根性なしなんだよなあ。


「おはよ、今日の部活は楽しみにしてるからね」


 ぽんと俺の肩を軽く叩いて駆け足で脇を抜けて昇降口へと姿を消した。


「どうするのたっつん」


「どうするもこうするも頑張るしかなくない?」


「それもそうね、頑張りなさいな」


 その後、玲司たちと別れ、各々のクラスに向かった。教室に入って、自分の席に座ると二つの影が目の前に映る。

 佳那芽さんと華さんだろうと思い顔を上げる。そしてその予想は的中した。


「や、やあ」


「おはよう巽君、少しいいかな」


 華さんが申し訳なさそうな表情をして言う。佳那芽さんはどういう感情をしているか、うまく読み取れない表情だ。

 それはともかく、この状況。男子から人気のある二人が俺のところにきている。それだけであっという間に注目の的だ。


「……うん、いいけれど」


「えと、昨日は大丈夫だった?」


「ああ、体調は回復したよ。ありがとう」


「そっか、それは……良かった」


 沈黙が降りた。やっべぇ、なんか気まずい。佳那芽さんの雰囲気が玲司たちといた時とは違ってピリついているというか。


「……訊かないの? 何があったとか」


 試しに言ってみた。訊いてくれた方が、楽できるから。訊かれたからという理由ができるから。


「訊かないよ」


 きっぱりと、佳那芽さんが言う。少し柔らかい声音で。


「私は訊かない。巽君から言ってくれるのを、待つよ」


 柔らかい、優しい声音だからこそ、胸が締め付けられるように痛い。

 訊かれてから話すのは、逃げのようなものだと言いたいのだろう。わかっているさ、わかっているけれど。


「話せるようになったら、話すよ」


 今の俺には、これが精一杯の頑張りだ。話そうと思えど、喉に詰まって出てこないんだ。

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