2-9 狂いだす指針

「お前さ、勝つつもりある?」


 この一言で、玲司は目を見開いた。俺の言葉に証拠など何にもない。ただただ感覚が、こうではないかと疑ったに過ぎない。


「何を言い出すかと思ったら、変なことを言うね巽は。僕は真剣に巽に恋してるってのに」


「別に恋してるかしてないかなんて追求してないぞ。俺が言ってるのは、勝つつもりがあるか、ないかだ」


 俺と玲司の勝負。俺が女の子と付き合うが先か、俺が玲司に惚れてしまい、付き合うのが先かという勝負だ。


「玲司は勝つ気があるのか? 今までで俺がお前にきゅんとしたことねえと思うんだが」


「え、嘘はいけないよ巽。正直にならなきゃ」


「ない」


「断言早っ! ちょっとは考えようよ! ていうか巽だって、佳那芽さんと微妙な空気になってるじゃん」


「……ぐ、確かに」


「僕は巽の弱点を伺ってるんだよ。巽みたいに失敗しないように」


 精神をめちゃくちゃ抉られる。言いくるめられていると感じたが、もともと確たる証拠がない。


「そうか、じゃあ気のせい何だな」


「だと思うよ」


「そっか」


 今はそれで納得せざるを得ない。それに、確かにと思ってしまった。俺は急いで距離を詰めようとしていた。玲司のやり方の方がまあ効率的だろう。適度な距離を保って、最善手を探って、打つ。俺にはできそうにないけど。


「恋愛難し過ぎて泣きそう」


「それはわからなくはないよ」


「付き合ってからも大変なんだよな、もう既に大変ってか、きついんじゃが」


「でもそれを補って余りある、幸福があるんじゃない?」


 果たしてそうなれるほどの器の人間なのだろうか。俺だけが満足して、相手に無理をさせるのだけは避けたい。

 ああもう、うだうだ考えんのはやめだ!


「玲司、観光の続き行こうぜ」


「そうだね、どこに行こうか」


 マップを一緒に睨めっこしながら、練り歩く。まあ、それなりに充実した時間だったな。


 ***


 そんなこんなであっという間に五時過ぎになった。ホテルには六時には戻っていなければならない。そろそろ戻り始めるべき時間だな。


「そろそろ戻ろうか」


「もうそんな時間かい?」


「ああ、スマホのナビによれば今から向かうと六時前に着く感じ」


「そっか、なら行こっか」


「ああ」


 スマホのナビを頼りにホテルに向かう。と言っても、ホテルは目視可能なのでなしでも行けなくはないが、如何せん距離がある。ナビの最短ルートでギリギリなのだから、着実に近道をすべきだろう。


「今日の夜さ、瀬良さんと何か話すんだよね」


「聞いてたのか?」


「まあ、小耳に挟んだって言っておこうかな」


「まあ別にいいけど。まあ話しに行くね。訊きたいことがあるから」


 そう答えると、玲司は微妙な顔をして俯いていた。意味深に見えてならない。何か問題でもあるのだろうか。


「それがどうしたの」


「……いや、気を付けてね」


 こちらを全く見ずに、訳の分からないことを言う玲司に俺は眉を顰めるしかない。何をどう気を付けろって言うのだろう。具体的なことを何も言わない玲司を不思議に思いつつ、無言で歩く。


「あ、着いたね」


 あれこれ考えながら歩いていると、玲司がそう言って立ち止まった。あれ、ナビではまだついてないんだが。顔を上げて、盛大にため息を吐く。


「ラブホかよ。はいはい、寄り道は行けませんよ玲司君」


「休憩、してこうよ」


「お一人でどうぞ。俺は疲れてないんで」


「良い夢、見てこうよ」


「誘い方雑か。変なことしてねえで行くぞ」


 俺はジト目で睨んで、歩く速度を早める。もう置いて行ってもいいと判断した。


「ちょ、歩くの早っ! ま、待って巽ィ~!」


 それからホテルまで、追いかけっこ状態になったのは、語るまでもない。

 部屋に戻ると、他の男子メンバーは全員揃っていた。


「あら、遅かったわね、たっつん……何で息切らしてるの?」


「玲司から逃げただけだ、気にするな」


「そ、そう」


 俺は広縁の椅子に座って、呼吸を整えた。走ったことで買い食いしたっていうのに腹が減った気がする。

 そういえば、瀬良さんと話すのいつだろう。でもまあ花火するらしいし、その途中でも終わった後にでも話しかけて、訊こう。

 怖くもある。佳那芽さんを諦めた方がいいと言った理由を訊くことが。でも絶望しかないわけじゃない。佳那芽さんに何かしらがあって、それが理由となって無理ならば、逆に攻略のヒントとなり得る。賭けに等しいが、やる価値はあると思っている。


 ***


 しっかり食って、ちゃんと風呂に入って、トイレにもちゃんと行ってから、財布とスマホをポッケにぶち込み、みんなでロビーに出る。ロビーには既に女子及び大人二人もおり、すぐに砂浜に出発した。

 砂浜で手持ち花火ではしゃぐ女子を背景に、俺は石階段のところで座って線香花火をぼーっと見ていた。別に気になって楽しめないとかじゃなくて、線香花火が好きなだけ。あまり騒がしいのは、好きじゃない。

 線香花火が落ちてからは、洲野尾先生と一緒に保護者みたいな立ち位置で眺めていた。


「お前もはしゃいできたらどうだ、天篠」


「もうそんな年じゃないっすよ」


「じじいかよ」


「そのやること成すこと気力ないみたいな言い方、全国のおじいさんに失礼じゃありません?」


「いやお前の方が失礼だろ。そこまでは言っとらん。とりあえずこれやるから火つけてこい」


 持たされたのは小さな打ち上げ花火とライター。俺につけろと? 洲野尾先生を見るとサムズアップしてきた。しゃーない。


「どでかい花火を洲野尾先生からもらったぞー!」


 それに反応したみんながこちらを注目する。それを確認してから俺はライターで導線に火をつける。しばらくして、ポンッと小気味いい音を立てて宙に上がる花火は、そこで小さく弾ける。


「たーまやー」


 瀬良さんがノリノリで叫ぶ。途轍もなく、楽しそうな彼女を見ていると、目が合う。そして駆け足で近づいてきた。


「今から話せる?」


「ああ、大丈夫だよ」


「じゃあこっち!」


 俺の手を引いて、人気のない場所に移る。よくお世話になる漫画によくある岩場の死角。まあいいや、俺も他の人にはあまり聞かれたくはない。


「それで、聞きたいことがあるんだけど」


「その前に!」


 俺の唇に人差し指に当てて話そうとする俺を止める。思わずどきっとした。


「うちのこと、名前で呼んで」


 瀬良さんは不敵に笑って、いきなりそんなことを言い出した。言ってることがよくわからず、間抜けな声を出す。


「……は?」


「うちも巽って呼ぶしさ」


「や、待って待って。いきなりなんの話?」


「ん? 名前で呼んでくれなきゃ何も答えないよって言ってるの」


 何か訊きたければ名前で呼べ。変な交換条件を出され、困惑を隠せない。でも呼ばなきゃいけないのなら、呼ぶしかないのが現状だ。


「雅さん」


「何、巽」


 俺の名前を言って、微笑む雅さん。可愛いと思うと同時に、得体の知れない恐怖が湧いてくる。

 この嫌な感覚を、俺は知っている。まるであの時みたい。あの経験があったからこそ、こうやって違和感として感じられる。


「Wデートの時に言ってたこと、その真意が知りたいんだ」


「それは、佳那芽のこと、諦めた方がいいってやつ?」


「そう、それ」


「ああ、それはね……」


 言い出しにくいことなのか、はたまた簡単に教えられるものじゃないのか。どちらなのかは知れないが、酷く言いにくそうだ。


「えっとね、佳那芽ってさ、優しいじゃん。誰とでも仲良くできるってやつ? うちも昔は佳那芽のこと、悪く言ってた一人だったんだけど、今みたいに接することができてるんだよね。凄い、優しいの」


「うん」


「だから、巽が傷付く前に、諦めさせようって思って、佳那芽って優しいから、勘違いさせやすくってさ」


「うん」


 つまり、なんだ? 付き合えるって勘違いしてしまうと思っているのか? 俺が振られて酷く傷付くから? じゃあ何故ああも意味深に言わなければならなかった? わからない。だから俺が言える言葉はこれしかなかった。


「だから?」


 雅さんを真っ直ぐ捉えて、それだけ言い放つ。少々怖さが孕んでいたか、一瞬恐怖したように見える。


「俺は別に、勘違いなんてしてないよ。俺なんかが容易に付き合えるなんて思ってない。傷付くことなんて、覚悟の上。俺が絡むことで佳那芽さんが傷付く可能性も、ある。それも覚悟の上で、それを乗り越えられるほど、気にしないほどの価値が俺にはあるって、証明をしたい。して見せるつもりだよ。だから、何故諦めなければならないか、それじゃ何もわかんない」


 冷たく凍てつくようなが静寂が場を支配する。雅さんは言葉を失ったように立ち尽くし、俯いてしまった。

 こ、これはまずい。強く言い過ぎてしまった。ああ、えっと、何か言わなきゃ。


「えっとね、だから、その。他に理由、隠してたりしてない? こう言っちゃあれだけど、取ってつけたような気がしてならないんだ」


 できるだけ声音を優しくして、問う。すると雅さんは顔を上げる。涙が、流れていた。


「……本当は、佳那芽が羨ましいの」


「……? 羨ましい?」


 何を羨ましいと思っているのか。それはすぐに雅さんの口から告げられる。



「うち、巽のことが好きなの」



 呼吸が、止まるかと思った。でも実際は止まるどころか普段より回数を増やしている。


「は? え? い、いつから……?」


「Wデートの時。佳那芽に向けていた表情の一つ一つが凄くかっこよくて、輝いていて、一目惚れみたいになって、同時にそれを向けられる佳那芽が、羨ましくなったの」


 だから。だから、諦めて欲しかった? 疑念を抱くような言い方になったのは、余計な詮索を入れされるためとか、自身が俺に接近するための遅延か。突然の告白で、変に脳が回転する。


「へっ、返事は今はいいから! 何なら、佳那芽に返事もらった後だっていいから。うちを選んでくれるって、信じてる」


 そう言い残して立ち去る雅さん。俺の足はぴくりとも動かない。

 しばらくぐっちゃぐちゃになった頭で考え続けて、考えられなくなってきて、その場にうずくまる。

 こうだと、佳那芽さんしかいないと、定めたはずの指針は狂いだし、特定の方向を刺さなくなってしまった。

 俺は、どうすべきなんだろう。

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