1-25 上がりきった熱は胸の中に

 俺は今、困っている。玲司が俺の腰に腕を回し、お腹に顔を埋めた状態で引っ付いたままで凄く困っている。暑いし、重いし。最初ははいはいとか思いながら放置していたが、十分以上もこの状態を継続されては流石になぁ。


「……玲司」


「嫌だ」


 玲司は俺の声色で何かを悟ったのか、即刻拒否。思わずため息が漏れた。


「嫌じゃありません。そろそろ離れなさい」


「嫌だ」


「ああもう! 二人三脚でこけたくらいでめそめそすんじゃねぇ! 玲司が運動できないのは周知の事実だろ!?」


「違うよ巽君。巽君の前でかっこつけた時にこけたからだよ」


「朱野さん容赦ないね。僕更に泣いちゃう」


「余計に面倒くさくなってない!? 佳那芽さん余計なこと言わないの!」


 ぐぐぐと玲司を引き剥がそうとしながら佳那芽さんに文句たらたらといった視線を向ける。

 玲司がこうなった理由はさっき佳那芽さんが言った通りだ。俺の目の前を通った時にウインクと投げキッスをしようとして足元の注意が散漫。ひっかけてこけたのだ。魅羅のカバーは、残念ながら間に合わなかった。


「とにかく本当にそろそろ離れろ! 次の次が障害物競走なんだよ」


「次の次か。ならまだいける!」


「じゃあ邪魔だから離しなさぁぁぁい!」


 一層力を入れてくる玲司に対し、俺はくるくると回り始める。悪いが遠心力で飛ばすぅ!


「ちょっ、巽待って! 足が浮いた! 飛ぶ飛ぶ飛ぶ!」


「だいじょーぶ! 飛んだら腕掴んで減速してやる!」


「できるの!? 本当にできるんだよね!?」


「成功率は十パーセントだ!」


「低い!? 低いよ巽! あああ離れる!」


 宣言通り玲司の手の力が緩む気配を感じ、すぐさま玲司の二の腕をがしっと掴んで減速する。流石にそのままぶっ飛ばさない。


「観念して離しなさい」


「はい」


「よろしい」


 そう言ってとりあえず頭をポンと優しく叩いておく。すると嬉しそうに破顔しやがった。


「たっつん自然に頭ポンってしたわね」


「……? それが?」


 何が言いたいのかわからずに首を傾げると、佳那芽さんはにやにやとしながら親指を立てた。


「何でもないよ!」


「流石の俺でもわかる。何でもなくないことが」


 俺はこめかみを押さえてため息を吐く。佳那芽さんがこういう時に考えることはもうわかる。無理くりBLに結び付けてるんだろうなあ。


「てかさ、玲司は自分のクラスのテントにいなくていいわけ?」


「この世の何よりも巽の方が大事だから」


 瞬時に顔を引き締め俺をじっと見つめながら真剣にそんなことを言い出す。わあ凄いガチだ。


「愛が重ぇ」


「愛が深いと言ってほしい」


「普通に引くわ」


「ガチなトーンで言うのやめてね巽。凄いグサッとくるから」


 玲司は大げさに心臓付近を押さえる仕草をする。いや本当に大げさ。

 ……こうやって友達と話したり遊んだりする時間はいいものだが、流石に限度がある。さっきの玲司の絡み方は冬ならまだいいものの、夏は地獄だ。

 そうこうしている間にも次の種目の玉入れが始まり、障害物競走の出場者は事前に入場門に集まるようアナウンスがあった。


「そろそろ行くよ。確か障害物競走の次に借り物競争で、玲司と佳那芽さんとルーシーさんが出るんでしたっけ」


「そうだよ、絶対に巽をさらいにくるから」


「いや、こなくていいぞ」


「辛辣だなぁ」


「お前は勝手にくるだろ」


「その通りさ。ああでもその前に、巽のかっこいい写真撮りまくるよ」


 ドヤ顔をして、一眼レフカメラを顔の横まで持ち上げて見せてきた。俺は任せるよと一言言ってひらひらと手を振る。障害物競走でいい写真が撮れると思わないけどな。

 入場門近くにくると思わずうわっと声を出してしまい、そしてその声が俺がうわって思う原因の人物がこちらに気付く。嬉しくない連鎖だ。


「ふっ、待っていたぞ天篠巽」


「どうしましたか」


「言っただろう。首を洗って待っていろと」


「ああ、そういえば」


「忘れてたのか!? 天篠巽!」


 城善道院君は悲しそうな声を出して俺の肩をがしっと掴んできた。この人パーソナルスペース狭いから苦手だなあ。

 さて、この人は佳那芽さんの前で恥をかかせるとか何とか言ってたっけ。俺なんか陥れようとしなくても自分を磨けば優位に立てそうなものだが。

 まあもし本当に何かしようってんなら気を付けなければならない。佳那芽さんに見られていると同時に写真に納まってしまう可能性もあるわけだし。まあなるようになるだろう。


「お手柔らかにお願いね、城善道院君」


 俺は作り笑いを浮かべ、先生の口頭による指示に従い走る順番に並ぶ。俺が走るのは四番目。城善道院君の走順はどうなのだろう。レースは別で何か仕掛けるのか、同じレースで仕掛けてくるのか。

 それはすぐに明らかとなる。城善道院君は俺の隣、つまりは同じレースに出るということ。と思ったら後からきた三組の人が城善道院君の後ろに立って前に詰めてと言った。

 結局別なんかい! とツッコミをしようと思ったが、彼の本気の絶望の顔をしていたので流石に躊躇われる。


「でもあえて言うよ。出るレース別なんかい」


「う、うるさいぞ天篠巽。別に妨害できないこともないんだからなっ」


「んなツンデレ風に言われても。ていうか城善道院君がかっこよくゴールすればいいじゃん」


「あっ、なるほど」


 あっ、なるほど。ちょろいなこの人。絡まれても俺が言葉巧みにかわせば余裕かもしれん。俺は頑張ってねとエールを送っておいて競技に目を向ける。

 障害物競走の障害は順に平均台、ネット潜り、ハードル潜り、そして最後の難関の二十メートルふかふかマットゾーン。厚さ三十センチほどあるふかふかマットは途轍もなく走りにくいため難関なのだ。


「天篠巽」


「ん? なんです?」


「見ていろ。この私が無双する様を」


「あ、うん。頑張って」


「扱いが適当だぞ天篠巽」


 城善道院君は特に不満はないらしくまあいいと言いたげな顔でスタート位置に向かって行った。さっきの台詞、無双できないフラグに聞こえたなあ。

 なんて考えながら座って待つ。しばらくして、スターターピストルがパンと鳴り響き、三レース目が始まった。

 城善道院君は一番に平均台に辿り着き、速度を殺さずに飛び乗った。その瞬間城善道院君はバランスを崩し、平均台にけつを強打。三個ある平均台の一つが封鎖されてしまった。

 彼は動かない。何故かはなんとなくわかるような気がする。


「城善道院君!」


 俺も佳那芽さんとゆくゆくは付き合いたい。もし俺がかっこつけて、失敗したらああなるかも。でも、それってさ。


「かっこ悪いな、君は。でも諦める方がもっとかっこ悪いよ!」


 柄にもないことをしている。でも大丈夫、俺のこの叫びを聞くものなんて多くはいないだろう。

 彼はこちらを向くことなく走り出した。かっこつけずに走って、最下位でゴールする。


「城善道院君」


「……なんだよ」


 明らかに落ち込んだ顔で俺に弱々しい睨みを利かせる。煽られた結果怒りで開き直ってくれれば笑い話にするところだが、今かけるべき声は、違うと思う。


「かっこよかったよ」


 最近やっと手に入れた普通の笑顔を向けて、心の底から思うことを言う。


「ッ……う、うるさいな! 君に言われなくても私は諦めなかったからな! 思い上がるんじゃないぞ!」


 城善道院君は顔を真っ赤にしてまくしたてるように言い捨て、どこかに走り去ってしまう。これは怒らせたか。

 追って謝罪したいが出番がきた。また会った時に謝ろう。そう心に誓って、俺はスタート位置に着く。スタートの合図は、程なくして鳴った。


 ***


 私は期待されない人間だ。故に諦めることに抵抗はない。今回も、所詮体育祭だしと思って諦めようとした。でも彼の一言に柄でもなく躍起になった。

 ゴールした感想は最悪だった。周りの騒ぐ声が、全部私を笑う声に聞こえる。


「城善道院君」


 声をかけられて、私は笑ってこようものなら一発殴ってやる。そう思い、ぶっきらぼうになんだよと返すと、今までの笑顔が作り笑いだと、一発で分かるほどいい笑顔を見せて、『かっこよかった』って言いやがった。

 胸が熱い。これが何なのかわからなくて、イライラして、とりあえず彼にぶつけて立ち去った。

 次のレースが始まった。私の胸は未だ熱い。


 ***


 障害物競走が終わって、俺はおでこをさすりながらテントに戻った。ふわふわマットをもう少しで越えられるというところで体勢を崩して倒れ、肩より上がマット外に出て軽く地面に打ち付けたのだ。


「大丈夫? 巽君」


「大して強く打ったわけじゃないから大丈夫だよ。いやあ、かっこ悪い姿はできれば見せたくなかったね」


「あのマット、こける人多いから来年から無いかもしれないって噂だね」


「嬉しいような寂しいような」


 俺は視線を入場門に向けながら素直に思ったことを言う。それと同時に借り物競争男子の部の開始が宣言された。


「お、始まるな」


「そうね、玲司きゅんはこれるかしら、たっつんのとこに」


 魅羅はニヤニヤしながら俺を見てそんなことを言う。そんなの、わかりきってることだ。


「どんなお題引いてもあれこれ理由こじつけてくるね」


「あらわかってるじゃない。通じ合ってるわね」


「やっぱりいいとこまで行ってるんだよね、巽君と宮原君」


「いいとこってどこよ。通じ合ってなくてもわかるわ」


 玲司を見つけた。玲司は案の定俺の方を向いていて、俺が玲司を見たことがわかったのか手を振ってきた。そして俺の周囲にいた女子たちが黄色い声を上げる。残念だがあいつには俺しか見えてないよ。

 自分で言ってちょっと悲しい。玲司ファンの人は不憫だよな。


「レイジファンは不憫ね」


 ルーシーさんが魅羅に抱きつきながら結構な声の大きさでと言った。何人か聞こえたぞこれ。まあ玲司のゲイは限られた人しか知らないから聞こえたとしても何のことかわかんないだろう。

 でもなあ。


「ルーシーさん、あんまり言っちゃいけませんよ。俺、あえて口に出さなかったのに」


「タツミは優しいね。まああの子たちも興味持たれてないってわかってると思うけど」


「あー、だから常にアピールしてくる人とかいないんだ」


「そ。一年の頃アピールされても神対応しないようにし続けてたんだよね」


「それで人気落ちないのかよ」


 恨めしい視線を向けてみるも、玲司は既にスタート位置についており、別方向を見ていた。何度も聞いたスターターピストルのパンという音と同時に玲司はぱっと走り出す。

 そしてつかみ取ったお題の紙を見てすぐに俺を見た。わあ、迷いなくこっちくる……大方、好きな人とかだろ。


「巽」


「くると思った。予想はつくけどなんて書いてるの?」


「掘りたいもの」


「予想の斜め上を行かれた!?」


 ていうかどういう意図でそのお題置かれたの!? 土くらいしかなくない!?


「巽とはゆくゆくそういう関係になるからね」


「いやならねえよ。帰れ」


「ゴールできなくなっちゃう」


「連れてかれる俺の気持ちも考えなさい。全く……あ、そうだ」


 俺はそこらへんの土を集めて玲司に渡してやった。流石の玲司も困惑しているようである。仕方ない、説明してやろ。


「俺が掘った砂だよ。これでお題達成だ」


「え、いやでも僕こういう間接的なものは別に……」


「俺が掘った砂だよ」


「いやだから……」


「俺が、掘った、砂だよ? これ持っていくよね?」


「……すぅっ、ありがとうございます」


 玲司は囁くように礼を言って受け取りゴールに走っていった。やれやれ、これで一件落着だな!


「強引ね、たっつん」


「これくらいしないと諦めてくれないっての。周りの視線も気にしてられんし」


「タツ×レイだね」


「それが成立してるのは佳那芽さんの脳内だけだよ」


「レイ×タツの方がポピュラーってことだね、私もそっち推し」


「俺からしたらどっちも異次元なんだよなあ」


 タツ×レイだかレイ×タツだか知らないけど俺が入っている事実だけでげんなりとしてしまう。


「さてと、では行ってきます」


 佳那芽さんは俺を見てそう言った。やば、可愛過ぎか。


「ああ、いってらっしゃい。ルーシーさんも」


「ええ、頑張ってくるわ」


 佳那芽さんとルーシーさんは何か話しながら入場門に向かった。帰ってきた玲司と玲司が帰ってくると同時に知らぬ間にどこかに行っていた正臣も帰ってき、四人で話しているとすぐに女子の部が始まった。

 てか、ルーシーさんって俺と同じ組だったのか。スタートしてからもほぼ並んで走っていき、ほぼ同じタイミングで紙をつかみ取り、これまたほぼ同じタイミングでこちらを見た。

 ああ、これ向かってくるなあ。結果は案の定。二人はすぐに駆け寄ってくる。


「……なんて書かれてたの?」


 玲司が引いたやつが頭の中にあるせいでとんだキワモノを考えてしまい、身構えながら聞く。するとルーシーさんと佳那芽さんはお互いの顔を見合わせた。


「「好きな人」」


 それを聞いて俺は唖然とし、魅羅はああ、と納得したような反応を見せた。玲司を見ると、玲司もなんかわかってるように見える。魅羅の反応は頷けるけど……


「えっとルーシーさんはわかります。佳那芽さんは誰に借りにきたの?」


「巽君と宮原君」


「いや待ちなさい」


「え?」


「え? じゃない! そのお題で俺ら二人連れて行ったら三角関係生まれてるみたいにならない!?」


 本人は一推しカプの二人だからって意味だろうけどゴールに立ってる審判にお題の紙を見せなきゃいけない。その人から誤解されるのは必至。ダメ、絶対。


「というわけで女友達に頼もう? ね?」


「むう、仕方ない」


 みーちゃーんと叫んで手招きし、みーちゃんとやらを連れてゴールに走っていった。


「……あぶねえ」


「まあ確かにヒヤッとしたねえ」


「ん? 玲司も?」


「ああ、僕と巽のあの関係が公に……」


「どの関係だよ。親友以外に該当する関係はないが?」


「……」


「え。何で黙る」


 ぶっ飛んだこと言ってくるかと思ったが、まさかのだんまりに動揺を隠せなかった。でもなぜだろう。玲司も動揺してるんだよ。


「どうしたよ? 玲司」


 俺は近づいて顔を覗き込む。するとみるみるうちに顔が赤くなっていった。ええ、何でこれで赤面するんだ。


「ちょ、ちょっとトイレに行ってくるよ」


「……ああ、いってら」


 何だあいつ? いつもと違うような気がする。魅羅ならなんかわかってるかもと思い見ると、ニヤニヤされてた。


「なに?」


「いいえ、なんにも♪」


 何もない顔じゃないんだよなぁ。という言葉を飲み込んで、代わりに長いため息を吐いた。


 ***


 昼の時間、部のメンバーで昼食をとった。みんなの希望もあり、そこそこの大きさの重箱におかずと一口おにぎりを詰め込んで持ってきた。

 玲司があーんしてとせがんできたり佳那芽さんがそれを支持していた以外は普通にワイワイと楽しい昼食になった。

 その後、体育祭午後の部では、俺はもう出番がないので応援に徹した。正臣が地獄の千五百メートル走で二位と大差をつけてゴールしたのもすごかったが、最後の組対抗リレーでの、魅羅が見せた四人ごぼう抜きも見事だった。

 あれは敵ながらあっぱれという他ない。ただただ純粋にかっこよかった。彼女いるのも納得だよ。真剣な表情がすげーかっこいいもん。あれほど俺もかっこよければなと若干嫉妬じみた感情を抱くが、ないものねだりはよろしくない。


「今日は良い天気の元、体育祭を無事終えられることを――」


 そしてまた、校長の長ったらしい話を聞いている。この時間の静けさで体育祭が終わったことをはっきり感じられた。

 今年は、楽しかったな。素直にそう思う。一年の時はずっとスマホいじってたっけな。

 高揚感は未だ抜けていない。みんなのおかげだ。こんなにも楽しいと感じられるのは。

 そんな余韻に浸っていると、校長の話は終わり、部活ごとの掃除場所が口頭で伝えられ、解散となる。男の友情部のメンバーは洲野尾先生のもとに集合する。


「そうだ、みんなで写真を撮らないか?」


 全員集まったところで、部長がそう提案した。それにみんな賛成の意を示した。写真は洲野尾先生が撮ってくれるというのでお言葉に甘えた。


「おい玲司、けつ触んな」


「よいではないかよいではないか」


「よくないんだよなあ」


「朱野さん、もう少し詰めれるかしら?」


「うん、おっけーだよ」


「……魅羅先輩、肩掴まなくても動きませんよ」


「ボク前の中央でいいんですか?天篠先輩」


「ああ、ベストだ。ああもうお腹触るな玲司!」


「騒ぐのは後からでもできるぞ!今はみんなで写真だ!」


 最後の部長の一言で一旦静かになる。そこに洲野尾先生のやる気のあまり感じられない『行くぞー、はいチーズ』が聞こえ、フラッシュが光った。

 光が前のど真ん中その後ろで正臣、佳那芽さん、俺と並び、その後ろに魅羅、部長、玲司が肩を組んだ写真が画面に写っている。

 全員の笑顔が眩しくて、あったかい。

 これは、瞼に焼き付いて忘れられそうにないなぁ。俺は自然と笑みを浮かべながらそう思った。

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