第20話 純情愛情過剰に異常

「災難だったな」

 閉ざされた校長室の扉の前でしゅんと俯いているミラ。その前髪に触れながら、セレスティアは小さな溜め息を漏らした。

「……まあ、こういう騒ぎが起きるのも、ある意味仕方がないと思う。お前は出世欲が強い人間の女性から妬まれているから……もちろん全員がそうだというわけじゃないが、正式にセトと契りを結ぶ前に傷物にしてしまおうと考えている連中は少なくないはずだ。……今回のことに関しては、お前には全く非はないが……自分が世間からはそういう目で見られているという自覚は持っておいた方がいいぞ」

 前髪に絡まっていた何かの葉の切れ端を取ってやり、ふっと微笑する。

「……在学中は、私が傍にいるから安心してくれ。竜人ドラゴノアが見ているところで大っぴらに嫌がらせをしてくる馬鹿な人間はいないだろうし、アリステア先生も何か問題が起きたら気軽に相談してくれと仰って下さっている。それに……今回のことで見せしめにされたバンヴァーラ家のこともあるしな」


 件の問題を起こした張本人のレオノーラと彼女に協力した取り巻きの女生徒たちは、アヴィル家に対する謀反を起こした人間として、校長権限による一週間の停学処分を下された。

 流石に即首を切るほどのことじゃないよ、とリソラスは笑っていたが、仮に停学期間が終了しても、彼女たちはもう以前のように普通の学校生活を送ることは不可能だろう、と言われていた。

 セトはその程度の処分じゃ甘すぎる、と最後まで不満を漏らしていたが、アリステアに『優しく』諭されて最終的にはこの件に関してはこれ以上何も言わないことに決めたようだった。


 はぁ、と肩を落として、ミラは力なく呟く。

「……私、此処にいていいのでしょうか……私なんかがいると、皆さんが不快な思いをされて折角のお勉強の邪魔になってしまうのでは……」

「そんな深刻に考えるほどのことでもないんじゃないかな」

 そんな彼女に救いの言葉を述べたのは、ミラの左隣に佇んでいたリゼルだった。

 彼は偶然その場にいて事に巻き込まれただけで騒動には全くの無関係なのだが、一応話を聞きたいからとリソラスに乞われてミラと一緒にいるのだ。

「他所の誰がどういう感情を君に持っていたとしても、君がそれを全部気に掛ける必要なんてないよ。そんなことをしても単に気疲れするだけだと思う。……此処には勉強のために通ってるんだって割り切って、無理に全員と仲良くならなくてもいいんじゃないかな? ヤ・セレスティア様もいらっしゃるし……クラスは違うけど、僕もいるしね」

「……え?」

 最後の一言に反応して思わず顔を上げるミラに、リゼルは優しげな微笑みを向けた。

「君、実家が薬屋で、色々な薬草を自前の畑で栽培してるんだってね。僕も土いじりが趣味でね、植物の栽培が好きなんだ。専門家じゃないから趣味の範囲でしかないけど、薬草に関する話も少しはできるよ。……そういう話ができる人、他にいないし……だから良かったらそういうお喋りが一緒にできたら嬉しいな、って考えてるんだけど」

「……あの、どうして私の実家のことを……?」

「僕もギーメルの出身だから」

 ギーメルとは、ミラの実家がある故郷の村の名前だ。

 ケテルの南、ビナーの南東。ケテルとティファレトを結ぶ巨大街道からやや外れた地域に築かれた小さな集落である。

 馴染み深い単語の登場に、ミラの表情が明るくなる。

「え、そうだったんですか?」

「うん」

「わぁ……同じ村出身の方とこんなところでお会いできるなんて思ってもいませんでした!」

 ぱっ、と両手をミラに掴まれて、リゼルは両の目を丸くした。

 半ば呆気に取られた様子で掴まれた自分の手とミラの顔とを交互に見比べている。

「こちらこそ、宜しくお願いします! 薬草のこと、色々教えてあげますね!」

「あ、あぁ……うん。こちらこそ、改めて宜しく……」

 リゼルは頭を下げようとして──


「……ミラ」


 校長室から出てきたセトに声を掛けられて、振り向いた格好のまま固まった。

 セトの眼差しは、口ではミラの名を呼んではいるものの明らかにリゼルの方を向いている。

 普段は凛としている双眸が、何やら得体の知れないものを宿してどんよりと濁っているように見える。

 ──そいつは俺のものだ。今すぐ離れろ。ミラに笑顔を向けられて手を握られるとか羨ましい。羨ましい。五秒以内に離れないと八つ裂きにしてやる。今すぐ離れろ──

 暗にそう言われているような気がして、リゼルは慌てて握られている手を引っこ抜いた。

「セトさん、お話は終わったんですか?」

「ああ、無事に手続きは終わったよ。帰ろうか、ミラちゃん」

 セトの背後から姿を現したファズが、セトの肩を叩きながらミラの前に出て来た。

 彼は弟の顔を半分呆れた表情で見やると、小声で言った。

「……そういう顔をするんじゃない。彼はあの子を助けようとしてくれた恩人だぞ」

「…………」

 ぐ、と言葉に詰まるセト。全身から滲み出ていた威圧の色が幾分か和らいだ。

 彼はやや早足でミラの隣までやって来ると、彼女の肩をさっと抱き寄せながら、

「……話は聞いた。君が、彼女らからミラを守ろうとして怪我をしてしまったと……この度はこのようなことに巻き込んでしまってすまない。ミラを守ってくれて、感謝する。怪我の具合はどうだろうか」

「……あ……はい、こちらこそ……逆に気を遣わせてしまってすみません。尻を少し打っただけなので、怪我と呼ぶほどのものでも……」

「そうか。ならいい。改めて、本当にありがとう」

 控え目に頭を下げるセトだが、相変わらず嫉妬心丸出しのオーラが全身から滲み出ている。

 ……彼の目の前でこの子と親しくしてると刺されそうだね。気をつけよう……

 リゼルは微妙に強張った笑顔を口元に浮かべながら、この場ではこれ以上余計なことは言うまいと沈黙することにしたのだった。

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