第9話 竜人たちの食嗜好

 料理屋『世界樹の雫』。

 ケテルの町の中心にある食事処である。

 豊富な種類の料理を安価で提供している一般大衆向けの店ではあるが、出している料理の味は舌が肥えた上流階級の者たちをも唸らせるレベルだと評判の場所だ。席数もそれなりに多く、内装にも拘りがあり、酒場としての側面もあることから扱っている酒の種類も豊富で、此処の常連となっている町の者も多い。

 因みに、意外に思われるかもしれないが、ファズは此処の常連客の一人である。

 アヴィル家では、普段は豊富な設備と食材が揃った自宅で使用人たちが拵えた料理を同じ食卓を囲って食べているが、食に関する嗜好は全員面白いくらいに異なっていたりする。彼らが食事の要望を出してきて、運悪くそれがかち合うと、その度に使用人たちは揃って頭を抱えているのだ。

 セトは基本的に選り好みせずに、出された食事は何であろうと食べる。だが多忙の身の上であるからか、歯応えのある料理よりもすぐに飲み込める喉越しの良い料理を好む傾向がある。要望も、兄弟五人の中ではほぼ出すことはない。食に関しては、おざなりにする気はないようだがさほど興味もないらしい。生きるために必要な栄養さえ摂れれば良いと考えているのだろう。手間がかからないと言えば良いことのように聞こえるが、何とも味気のない話だ。

 シュイは菜食主義で、脂身の多い肉よりも良質な脂を含んだ魚を好んでいる。そして、鮮度の悪い食材や質の悪い調味料の味付けを受けつけず、外食をする際は決まって支配者階級の者しか足を運べないような一流の料理屋ばかりを選ぶ。悪く言えば高級志向なのだが、それは決して自分が竜人ドラゴノアだから贅沢な暮らしをすべきと考えているわけではなく、庶民が口にするような安価な食材でも良いものであると彼が認めれば普通に口にする。幸いなのは、彼自身が一流の料理の腕前を持っているため食べたいものは食材を自分で買い付けて自分で調理してしまうことだろうか。

 ナギはシュイとは正反対で、肉が好物である。というよりも、ナギの場合は食べること自体が趣味のようなものなので、とにかく質よりも量を食べられればそれでいいという考え方なのだ。そして他人と比較して味覚が少々ずれているというかぶっ飛んでいるバカ舌の持ち主なので、腐りかけの食材であろうが普通に食べてしまうことも少なくはない。それを目撃した使用人たちが悲鳴を上げるのはいつものことだ。

 ウルはセトと同様に出された食事に対する不満は基本的に言わない。だが調味料をふんだんに使って手を掛けた下拵えをした料理よりも、生野菜のサラダや生魚をそのまま切り身にしたものなど、食材を生の状態で頂く料理の方が好みらしい。最近のお気に入りは、海洋地域の方でしか味わえないという脂の乗った生魚をミンチにしたものにソイソースという大豆から作った塩味の強い特別なソースを絡めて食べる料理なのだとか。

 ファズはアヴィル家当主代理という肩書きを持つ身の上、同じ竜人ドラゴノアの知人の屋敷に招待されて超一流のフルコースを食す機会も多いのだが、好んでいるのはこういう料理屋や田舎暮らしをしている庶民の家で当たり前のように食べられているような素朴な味付けの料理だ。ただ野菜を煮て薄く味付けをしたものや、魚を焼いて軽く塩を振っただけのものなど。元々一般庶民の家の出である使用人たちが幼少時代から味わってきた馴染み深い味なので、時々故郷の味が恋しくなる使用人たちにとっては彼からの要望は有難いものであると言えた。

 余談だが、ミラの食の好みは超が付くほどの甘味好きであること以外は、ファズのそれとほぼ同じである。まだアヴィル家に来て一カ月しか経っていない彼女の味覚が、そう簡単に支配者階級のそれと同じレベルに変わるわけがないのだ。一応出された料理はきちんと残さずに完食するが、高級食材を使って作った料理に対しては(菓子は除く)未だに若干の抵抗感を持っているようである。

 ミラたちが店内に入ると、入口の扉に掛けられていた小さなベルがチリンチリンと可愛らしい音を立てて、それを聞きつけた店員の一人が応対にやって来た。

「いらっしゃいま……こ、これはル・ファズ様!」

 給仕係の証である緋色の前掛けサロンを腰に締めた麻のシャツ姿の若い女性店員は、ファズの顔を見るなりびっくりした様子で声を上げた。

「も、申し訳ありません! 只今満席でして……本日は大きな御予約を承っておりまして、そのため席数が……」

「あぁ、そうなのか? 此処の席が全部埋まるっていうのは珍しいな」

 店の奥の方を覗き込むように背中を伸ばしながら、ふうむとファズは唸った。

 この店はおよそ百人を受け入れられる席数が用意されている。その全ての席が埋まるというのは、食事時であったとしても滅多に起こるようなことではない。

 確かに、店内の様子が普段よりも賑やであるかもしれない。安価で美味い店ともなれば、客が集まるのは当たり前のことと言えるのだが。

 店員は必死な様子で体を二つ折りにして頭を下げている。

「貴方様が本日いらっしゃると存じておりましたら、お席を御用意できたのですが……誠に……」

「いやいや、繁盛しているのはいいことじゃないか。……それじゃあ、今日は仕方ないから諦めるよ。また別の機会に──」

「……久々に顔を見たな。お前も此処のベッコフを食べに来たのか? ファズ」

 踵を返しかけたところで、横手から控え目な少女の声に呼び止められる。

 名を言われてついそちらに視線を向けると、水の入ったティーカップを片手にこちらを見つめているサファイアブルーの髪の娘と目が合った。

 淡い群青の肌に、髪と同じ色の瞳。きりっと引き締まった目尻は、年頃の娘らしい美しさを醸しつつも凛々しさをも備えている。身に纏っているのは濃藍を基調とした宮廷装束だが、脚衣のデザインといい、どうやら細身の体に合うように少年用の礼服を着用しているらしい。

 花の形に編み込んだ髪のあちこちに、朝露のようにきらきらと光る小粒の宝石が飾られている。随分と複雑な編み方をしているので、おそらく自分で編んでいるのではなく誰かに整えてもらっているのだろう。解けば相当長いであろうことが分かる髪型だ。

 ファズは彼女の顔を見るなり、笑いを返した。

「確かに此処のベッコフは美味いな。だが俺はタルトフランベの方が好きだな」

「ああ、あれも確かに美味しいな。私も時々食べるよ」

 娘も同調して微笑を浮かべる。

 と、ファズに注がれていた視線がついと後方のミラたちへと向けられて、彼女たちは思わずどきりとした。

「今日は一人じゃないのか? 随分大所帯で来たんだな」

「ああ、セトとシュイが馬鹿をやらかしてな……台所が使えなくなったから外食にするかってことで此処に来たんだよ。だが、満席らしくてな。仕方がないから別の店に移動しようかと」

「そうだったのか」

 ふむ、と娘は顎に手を当てて少し考える仕草をすると、それならと言葉を続けた。

「……なら、私たちと同席するか? 多少狭くなってしまうのはすまないと思うが、このくらいの人数だったら余裕で入れると思う。もちろん、無理に誘いはしないが」

「いいのか?」

「私は構わないし、アズールも相手がお前たちなら拒否はしないと思う。お前と私たちの仲じゃないか」

「……お前たちは、それでもいいか?」

 ファズに同意を求められて、ミラと使用人たち人間組みは揃って首を縦に振った。

「我々人間が竜人ドラゴノア様の御意見に意を唱えるなど……逆に、宜しいのですか? ミラ様はともかく、我々使用人如きが貴女様方と同席するなど畏れ多い……」

「そんなに畏まらないでくれ。私は確かに竜人ドラゴノアだが、そんな風に丁重に扱われるほどの存在じゃないんだ。普通に接してくれた方が、私も嬉しい」

 娘の長い睫毛が伏せる。どうやら彼女は、自分が他人から敬われることをあまり快くは思っていないようだ。

 彼女は傍らで一連の遣り取りを聞いていた店員にファズたちが座る分の椅子を自分たちのテーブルに用意してほしいと依頼して、彼らを自分の席へと案内した。

 店内の最も奥にある一等席。大きなテーブルに大きな椅子が二つ向かい合わせに置かれており、その一方に腰掛けた男が、手元の本から視線を離して皆のことを迎えてくれた。

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