第14話

 ——暗殺者は、誰にも気付かれずにターゲットを殺し、誰にも気付かれずに闇に消えるのが仕事。

 クレイン王国の王都の裏通りの隅っこに小さな店を構えている元憲兵隊の潜入工作員ビル・ギャレットは、腰に巻いたガンベルトのホルスターから回転式拳銃を抜いて撃鉄を少しだけ起こすと、円筒形をした弾倉を回して装填されていた実弾を一発づつ抜いていく。

 ——ターゲットの居場所が分からないんじゃ話にならないわ。

 銃身を覗いて異常が無い事を確認したビルは、外していた弾倉を元に戻して実弾を一発づつ点検しながらもう一度弾倉に弾を込めていく。

 ——暗殺者は、探偵でもなければ賞金稼ぎでもないのよ。

 拳銃をホルスターに戻したビルは、隣のベッドで薄ら笑いを浮かべて寝ている姪のリリーの顔を鷲掴みにして握り潰す様に力を込めた。

 「ん?ンッ?!ンンッ!んああッ、かッ、顔が割れるうう~!」

 「今夜の見張りは私に任せてと言ったのは何処の誰だったか思い出したか?」

 店番をしていたリリーに、アルベルト・グレイ・スミスはスペンサー王国の王都にある、とある聖父教会の名を告げて言った。

 『心配しなくても、ちゃんとそこに探偵を用意してあるよ不可視の暗殺者インビジブル・アサシン


  ♦♦♦♦

 

 「それで君達はこの国に来たのか?」

 アルス少尉に問われたビルは頷いて言った。

 「逃げる事も考えたが、相手は莫大な資金と知名度を持つクレイン王家とも繋がりのある有名な伯爵様だ。ただの平民が逃げ切れる相手じゃない」

 「君なら逃げ切れるだけのすべを持っていそうだが?」

 「そんなものは、金と金に目が眩んだ人間の前では何の役にも立たない。あの子と一緒なら尚更だ」

 泣き止んではいるが、涙と鼻水を垂れ流したままのリリーは、それでもその知的で芯の強そうな美しさを失っていなかった。

 「きっと大抵の男は、彼女を一目見ただけで忘れないだろうね」 

 しかし、それでもやっぱり涙はともかく鼻水を垂れ流したままというのは見っともないと思ったのだろう。見かねたマルコが、持っていたハンカチでリリーの泣き顔を拭ってやろうとしたが、リリーは駄々を捏ねる子供の様に口を尖らせて、マルコの持っているハンカチから逃げる様に首を左右に振った。

 その様子に苦笑いを浮かべたアルス少尉は、視線をビルに戻して言った。

 「君はマルコを殺すつもりだったのか?」

 アルス少尉の問いかけに、首を振って嫌がるリリーの顔を拭いていたマルコの視線がビルに向いた。

 「正直に言えば、殺すつもりはない。だが状況次第では迷わず殺すだろう」

 「ほう。随分と明け透けに明かすんだな」

 「殺すつもりは無かったと言われて信用するのか?」

 「たとえそれが本音だとしても信用しないだろうね」

 「だから本音を話した。一度疑われると何を言っても信じて貰えないからな」

 ビルは口の端を上げて親し気な笑みを浮かべた。

 「この状況で良く笑えるね。君は私達が怖く無いのか?」

 「俺の実体験だが、怯えている人間よりも親し気な笑みを浮かべている人間の方が殴り難い。もちろん、その時の状況や相手によって変わるが」

 「私の実体験で言えば、こんな状況で笑みを浮かべている人間は、例外なく油断ならない人間だ」

 友人のような親し気な笑みを浮かべるビルに、アルス少尉はそう言って、来客した客を出迎える商人のような愛想笑いを浮かべた。

 「私は君が不意を突かれて捕まったとは思っていないし、何の手立ても無く捕まったとも思っていない。何が目的で私達に捕まったんだ、ビル・ギャレット」

 街の何処かで銃声が鳴った。。一発、二発、応戦するように先ほどとは違う銃声がいくつも鳴る。

 ——ベルナルドか?いや、それにしては銃声が遠い。方向もずれてる。革命軍の誰かが憲兵隊の襲撃を受けたのか?しかしそれにしては銃声の数が少ないし、音も小さい。

 「取引をしないか?アルス・ベイカー少尉」

 ビルの一言に、思案していたアルス少尉の顔が強張り、その眼は一気に警戒を強めた。

 「何故私の家名を知っている?何処の誰から聞いた?」

 「俺はあんたと敵対するつもりも彼を殺すつもりもない、今の所は。取引に応じてくれ、アルス少尉。あんたにとっても、この町の住民たちにとっても、有益な話だ」

 アルス少尉はビルの目をじっと見つめた後、少しの間を置いてマルコへ視線をやった。

 「彼女の拘束を解くんだ」

 「え……?はい」

 何でアルス少尉がそんな指示を出したのか理由が分からなかったマルコだが、アルス少尉が言うのならと、戸惑いを覚えながらもマルコはリリーの拘束を解き始めた。

 「君の拘束は解くかは取引の内容次第だ」

 ビルは頷いて了承すると、拘束を解かれているリリーの様子をちらりと窺い、再びアルス少尉に視線を戻した。

 「まず始めに、取引の対価について話しておきたい」

 「君達を無傷で解放するだけでは足りないのか?」

 「それは結果であって対価ではない」

 「対価ではない?つまりそれは、君達を解放する事が私達の利益になるという事か?」

 「言っただろ。あんたにとっても、この街の住民たちにとっても有益な話だと。でもそれには俺の協力が必要になる」

 「ふむ」とアルス少尉は思案するように肩眉を上げ「まぁ、いいだろう。取りあえず聞くだけ聞こう。だが期待はするな。私の一存で決められることはそう多くない」

 ビルはにこりと笑い言った。

 「俺達の死の偽装と逃亡の手助けをして欲しい」

 アルス少尉は、視線を上向けて実行可能かどうかを思案した。

 「出来る限りの助力でも構わないか?」

 「ああ、ベストを尽くした結果なら構わない」

 「それは君の情報次第だが、手を抜かない事は約束しよう」

 アルス少尉とビルは、たがいに相手の真意を測り、リスクとリターンを勘案した結果、妥結に至ったのだろう。二人は相手の要求を受け入れるように小さく頷いた。

 「アルス少尉は、どんな時に正義を感じる?」

 ビルの突拍子の無い質問に、アルス少尉は意図が読めないと怪訝そうに眉を潜めた。

 「悪人が犯した罪に相応ふさわしい罰を受けた時か?公然と行われていた不正が厳しく取り締まられ、不正に関与していた人間が捕まった時か?弱者をしいたげていた者が再起不能の報いを受けた時か?」

 「その質問に答える事に何の意味がある?」

 「正義を行う人間はどんな人間だ?弱きを助け強きをくじく人間か?公正明大な人間か?悪を許さんと毅然と立ち向かう人間か?」

 「次は君の持論が展開されるのか?だとしたら取引は中止だ。私はそんなものに時間を割くほど暇ではない」

 「エーヴィス大司教を知っているか?」

 「……この国の聖父教会を統括しているおかただろ」

 「彼は正義についてこう言った。『正義とは、我々を指す言葉でなければならない』と。どういう事だって?」

 アルス少尉の疑問を代弁するようにビルは言った。

 「言葉の通りだよ。エーヴィス大司教は、自分達が常に正義でなければならないと思っている」

 アルス少尉はせせら笑う様に鼻を鳴らした。

 「そいつは随分と都合の良い話だな」

 聖職者は俗世のいざこざには関わらないと、中立という名分で貴族達の横暴を見て見ぬ振りをしていた聖父教会の言い分に、アルス少尉は冷ややかな笑みを浮かべた。

 「冗談だと思うか?この国の聖父教会を統括している大司教の言葉が」

 アルス少尉の顔から嘲るような笑みが消えた。

 「今更、奴らに何ができる?この国には、もう奴らの綺麗事に耳を傾ける人間なんていやしない」

 「正義は、悲劇的であればあるほどに光り輝く。アルス少尉。あなたは絶望的な状況から救い出してくれた命の恩人を疑えるか?し様に罵れるか?」

 怪訝そうに眉を潜めるアルス少尉に、ビルは途方に暮れたような笑みを浮かべた。

 「正直言って、俺とあなたが手を組んだ所でエーヴィス大司教の企みを止める事は不可能だろう。だが何もやらないよりはましだ」

 「君は——」

 「何を言っているかって?そりゃもちろん、俺と俺の姪っ子を助けるに値する話だ」

 アルス少尉は、椅子に拘束されたままのビルを守る様に睨みを利かせているリリーを、困ったような顔で見張っているマルコを指し示す様に見て言った。

 「君は彼を殺すためにこの国に来たんだろ?それが何故エーヴィス大司教の企みにつながる?エーヴィス大司教は何を企んでいる?」

 「アルベルト・グレイ・スミスが探偵との待ち合わせに指定した場所が何処だったか覚えているか?」

 「アルベルトは聖父教会と深い関わりがあるのか?」

 「クレイン王国にいる聖父教会の大司教の娘と仲が良いとは聞いた事がある」

 「マルコの暗殺は、君にエーヴィス大司教の企みを手伝わせるための口実か?」

 「いいや。俺の仕事はマルコを暗殺する事だけだ」

 「なら何故エーヴィス大司教の企みを知っている」

 「エーヴィス大司教がやたらとうちの姪っ子にちょっかいを掛けようとするんで、弱みの一つでも握って黙らせてやろうとしたら、逆にこっちの命が危うくなるようなたくらみを聞いてしまったんだよ」

 自分の間抜けさを嘲笑あざわらう様にビルは鼻で笑った。

 「その証拠はあるのか?エーヴィス大司教が良からぬ企みをしているという証拠が」

 「あると思うか?聖父教会には俺と姪っ子の二人以外に余所者は居ない状況なんだぞ。盗み聞きするのが精一杯だよ。でもそれでもあいつ等が何処で何をしようとしているのかは知っている」

 少しの間を置いてビルは言った。

 「奴らは革命軍の武装蜂起を合図に、まずは貧民街の有る16区を焼き払う」

 内心の驚きを隠せなかったのか、アルス少尉の目が僅かに見開いた。

 「そしてそれを次の行動への狼煙のろしにして、王都の外に待機していた聖父教会の息が掛かった軍の部隊が王都の中へ侵攻して鎮圧という名の虐殺と略奪を行う」

 理解が出来ないといった表情で疑問を口にしようとしたアルス少尉の疑問を代弁するように、ビルはアルス少尉の疑問を口にした。

 「そんな事をして聖父教会に何の得があるって?」

 自身の疑問を代弁したビルの声を聞いたアルス少尉の脳裏に、一つのおぞましいひらめきが浮かんだ。

 「正義は、悲劇的であればあるほどに光り輝く……?」

 間違いないかと問いかけるように見つめるアルス少尉に、ビルはその通りだと頷いた。

 「革命軍は国軍に攻撃を仕掛け始めた所で、とてもではないが助けに行く余裕は無いし、国軍も革命軍の対応で手一杯になっているだろうし——」

 「助けを求めた所で、革命軍の欺瞞情報と思われて動かない可能性が高い」

 「街のゴロツキ共も騒ぎに乗じて暴れるだろうから、流れて来る情報は相当錯綜さくそうする事になるだろう」

 「そうなれば……」

 「暗闇で悲鳴を聞く様なものだ。何処で何が起きているのか分からないし、何処にどれだけの敵が居るのかも分からない。そんな中でどれだけの指揮官が正しい判断を下せる?」

 「……エーヴィス大司教は、本当にそんなおぞましい事を企んでいるのか?そんな状況では聖父教会も身動きが取れないだろう?」

 「動く必要はない」

 何故だ?どういうことだ?とアルス少尉は眉を潜めて首を傾げた。

 「ただこう言えばいい。『聖父教会は安全だ』『聖父教会に行けば助けてくれる』と。分かるだろ?いつ誰に殺されるか分からない状況でそんな声を聞いた人間がどうするか。実際に助けられた人間が聖父教会にどんな思いを抱くのか」

 「正義は、我にあり……か」

 「騒動が終わった後で責めるだろうな。国軍も革命軍も信ずるに値しないと。喧伝けんでんするだろうな。民衆が危機に瀕した時、真に民衆のために尽くしたのは聖父教会だけだと」

 異論はあるかと言う様に、ビルはアルス少尉とマルコへ視線をやった。

 「あんたらの武装蜂起はいつだ?明日か?明後日か?とにかく時間が無い。動くなら今すぐ動いた「今夜だ」ほぅ、が……は?」

 「革命の決行は今夜だ」

 「……は?そう、か。今夜、か……それじゃあ……俺達と一緒に逃げるか?」

 「私は部隊を指揮する指揮官だ。何があろうと部下を見捨て逃げたりはしない」

 「そうか……それじゃあ、そこのマルコを連れて逃げるのは?」

 「マルコを?何故だ?」

 「ここに居たってアルベルトの奴に命を狙わるだけだろ?それなら俺達に殺されたことにして、土地勘のないこの国から逃亡する俺達を先導役をした方が良いとは思わないか?」

 ビルの提案に、アルス少尉は未練がましい踏ん切りの付かない顔をしたマルコを見やった。

 「俺が残っても……足手まといになるだけですよね?」

 「……そうだな」

 アルス少尉はビルに振り返ってその前に立つと、ビルの顔をじっと見下ろした。

 「ビル・ギャレット。君は信用に値する人間か?」

 「アルス少尉、それは幻想だ。この世に信用できる人間なんていない。いるのは、利害が一致する人間としない人間だ」

 「君は私達の利害が一致していると思うか?」

 「うちの姪っ子を泣かさない限りは一致するだろうな」

 そう言ってビルは笑みを浮かべた。

 「マルコ。君は彼の姪っ子を泣かせたりしないよな?」

 「え、あ、はい。もちろん、そんな事をするつもりはありません」

 アルス少尉は小さく頷くと、ビルを拘束していた縄の結び目に手を伸ばした。

 「誰から私の家名を聞いた?」

 アルス少尉のビル以外には聞こえない囁き声に、ビルは同じ様にアルス少尉にしか聞こえない囁き声で返した。

 「ローラン・ゴート。探偵と名乗っていたが、おそらくは聖父教会の関係者だろう。知り合いか?」

 「いいや。初めて聞く名だ」

 「なら気を付けるんだな。向こうはあんたのことを知っている様だったぞ」

 「だろうな」

 縄の結び目を解いたアルス少尉は、それ以上何も言わずビルを拘束する縄を外した。

 「何で俺があんたらに捕まったと思う?」

 固まった関節を解す様に手足を動かしながらビルは言った。

 「私がベイカーだからだろ?」

 正解だと言う様にビルは口の端を片側だけ上げて笑った。

 「ならどうして俺があんたらが隠れている部屋の側で、あんたらを襲撃する打ち合わせをしていたと思う?」

 何故ビルがそんな話を始めたのかは分からないが、それでもアルス少尉は自分が致命的な見落としをしてしまっている事を直感した。

 「俺がどうやってあんたらが隠れている部屋を見つけたと思う?」

 ビルに問われたアルス少尉は、悪夢から覚めた直後のように目を見開いて息を呑んだ。

 

 


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