ミュンヘンで出会った逃亡中詐欺男

欺瞞を行いし者

ミュンヘンで民族衣装を着て参加する祭りが催された。

この祭りではミュンヘン市長がビール樽の横にカランを射し込んだところで開幕となる。

 事前に訊いていた通り、民族衣装の革ズボンから腹の突き出たミュンヘン市長が、舞台に挙がって樽の前に立った。

 テーブル席の飲み客達がわいのわいのと市長を囃す。

 市長は囃しに相好を崩しながら、この祭りの係員からカランを受け取った。

 参加者達は舞台に関心を集中する。

 市長が樽にカランを射し込む。カランと樽の空いた穴の隙間から、朱色のビールがわずかに溢れ出て、カランで穴が完全に締まると、市長は参加者に向けて大声で開幕の辞を口にして舞台から降りた。

 それからというもの、市長までもが飲み客たちに紛れて、ミュンヘンのビールで飲み交わして祭りを堪能していた。

 しかしドイツの祭りは果たしてどんちゃん騒ぎに発展しない。そこはやはりドイツ人の気質というか気風というか、落ち着いた国民性を感じる。

 僕はこの祭りを記事にするため、参加者が座るテーブル席を巡覧した。大体僕が近づくとやぱーな、やぱーなと面白そうに驚いてくれる。

 僕も酒で気分がよくなっているので、いひ はいせ ともねいたくら ふょいてみっひとまだまだ流暢ではないドイツ語で返す。

 話しかけてきた男性の席の隅に座る人物に、目が留まった。その人物はサラリーマンの着ていそうなスーツを着て、どこか郷愁を漂わせて日本の居酒屋に来ているような風情があった。

「やぱーな……」

 目の前のドイツ人の男にも聞こえていないであろう呟きが漏れた。

 案の定、目の前の男は僕の呟きには気づかず、ジョッキを掲げて乾杯を求めてきている。

 目が留まった人物には祭りの後で声をかけてみようと考え、その時は祭りを大いに楽しんで雑誌のネタには困らないほどの取材もできた。


 祭りが終わって参加者が徐々に会場からいなくなっていった。

 僕は祭りの間ずっと気にしていた三十代ぐらいの日本人の男性が、まだ先程と同じ席で突っ伏して寝息を立てているのを見つけた。

 彼に近づいて、後ろから肩を叩いた。

「ここで寝ると風邪をひきますし、店の人にも迷惑ですよ」

 男性は呻りながら目を覚まして、頭を上げた。

「おー、だんけしゅーん」

 寝起きの力のない声で礼を述べた。

 僕は苦笑して彼に言った。

「日本語で大丈夫ですよ」

「おー、だんけしゅーん。って、えっ?」

 男性はもう一度礼を言いかけて僕の方を振り向いた。久々の日本語に困惑している表情だ。

「僕は生粋の日本人です。ご旅行ですか?」

「はあ、まあ、はい」

 煮え切らない曖昧な返事で頷いた。頷いた彼の頬はビールのアルコールが回っているのか、林檎みたいに赤い。

「それで自分に何か用でしょうか?」

「いえ、ただ気になっただけです」

「気になった、自分の一体どこが?」

「どう言い表しましょう。僕もわかりません」

 僕が微苦笑でそう返すと、男性も苦笑した。

「とりあえず、外に出ましょうか」

 僕は誘った。男性は椅子から腰を上げ、酔っているのかふらふらした足取りで僕の隣に並ぶ。

 見ていて危なっかしいので肩を貸してあげることにして、連れ立って会場から出た。

 外に出て街路まで歩くと、男性は身じろぎした。

「もういい、酔いも醒めたよ」

「ほんとですか?」

 彼の酔いが醒めていないのは足が千鳥だから火を見るよりも明らかだ。本気にはせず笑って訊き返した。

 深酒でもしたのか自分が酔っていることすら忘れたんじゃないかと思うほど、彼は自信を持って頷いた。

「自分は酔っていない、これからは酔うわけにはいかんのだ」

「なぜです?」

「己に酔う人間には金輪際なりたくないからな」

 呆れた。このままだとほんとに自分の酩酊状態に気づかないまま、ホテルに帰っていってしまう。そもそもホテルに帰り着けないんじゃないかなあ、とも思った。

 それに先程の台詞が気になる。これからは酔うわけにはいかない、とか、己に酔う人間には金輪際なりたくない、とか。どちらも経験則から物を言っているのだ。

「ホテルまで送りますよ、あなたことについても話を聞きたいですし」

「そうか、話せることだったら何でも話してやるよ」

 お酒で気分が高揚しているのか、銀行口座の番号まで喋ってしまいそうな口ぶりだ。

「俺はつい数週間前まで詐欺師をやっていた」

「えっ」

 爆弾発言に耳を疑ってしまう。詐欺師、鷺師?

「さぎしって、どういう漢字を書くんですか?」

「そりゃお前、人を騙す詐欺師だよ」

 自分の耳に間違いはないらしい。しかし何故、詐欺師であることを僕に晒けだしたんだろう。

「それって、人に話していい事ですか? 今なら僕は聞かなかったことに出来るんですけど……」

「話しても問題ないさ。俺はもう足を洗ったからな」

「はあ、そうですか。あなたがいいなら、別に構わないですけど」

 僕は周囲を見回した。人通りの中に日本語を解せる者がいるなら、彼の披歴は実に危ないような気がする。

 男は星の少ない夜空を仰いで、滔々と述懐を始めた。

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