第9話

 いつまでここに座ったままでいるのだろう。一人でいたって、ただ無力になっただけで、何をすることもできないのに。

 この時点で私の道は閉ざされている。後退は毒沼の中での溺死、前進は茨による惨死、停滞はいずれ来る餓死。

 軽薄な嘘から始まった冒険は、むごたらしい死で幕を閉じる。これはなんていう茶番なんだろう。

 はいはい自業自得ジゴウジトク。

 まったく、ふさわしいったらない。

 それが嫌なら嘘をつき通せばよかったのに。心の内に生じた葛藤なんて割り切ってしまって、厚顔無恥に彼の後ろを歩き続ければよかったのに。

 できなかったのだから、やっぱり死ぬしかない。

 ゴルドー・ワースと同じ道を歩く器量も、資格も、私にはなかったのだ。

 立ち上がる。そして亡霊のようにさまよう。

 目的を放棄したので、漂うだけ。

「らーらーらーらーらーらーらー……」

 鼻歌なんか歌い始めちゃって、いよいよ諦めモード。

 何だっけ、これ。確か夜空の星を歌ったものだっけ。随分昔に歌ったきりで、歌詞も忘れてる。

 まあ本人が楽しいならそれでいいか。

 逃げちゃえ逃げちゃえ。とことん現状から逃げて、遠くに行っちゃえ。目的から解放された私は自由だ。妄想の中ならどこへでも、八方塞がりの現実以外ならどこへでも行ける。

 自由、いいよね。自堕落的で、何もかもあやふやな感じがとてもいい。自由になったところで特に報われないところとか、最高に皮肉がきいててグッド。

 そうだろう。自由なんてどこにでも転がっている癖に、誰も見向きもしないのがその証拠。目的と進路がないと、不安で気持ち悪くて生きていけやしない。秩序の中で生きてきた人間に、自由という無秩序は耐えがたい。

 自由って言葉には夢があるけど、夢と現実は違うってだけ。

 つまり何が言いたいかっていうと、私はそんな自由が大好きだってこと。

「るーるるるるるる、るーらららららら、るーららっらっらーららーららーらるーるる……」

 別の歌。これは歌詞を憶えてないどころか、もはや何を歌ったものかも分からない。ただ楽しい曲調だったので、踊りもつけてみる。

 ずんたった。ずんたった。

 気づけば体が踊り出す、なんて現象は私に限ってあり得ないけど、踊っていると楽しい気分になってくるものだ。そのままいつまでも踊り続けていたくなる。夢見心地に浸り続けていたくなる。

 踊って歌って、おどけて笑って、踊って続けて、終わるまで。

 ……まあ、人に見せられるものではないかな。

 ところで私は、歌い踊るレイシーを傍から見ている私は、やっぱり思うのだ。

 こんなのはつまらない・・・・・・・・・・と。

「飽きたな」

 だから現実逃避はおしまい。

 熱が冷め、陶酔が醒め、そして歌と踊りの夢から覚める。

 散々歩き回って、結局元の位置に戻ってきた私は、暴威が通り過ぎていった跡を見つめた。

「じゃ、行きますかー」

 ふー、と長く息を吐き、新しい空気を肺腑へと取り込む。新鮮な活力を充填した体で困難へと乗り出すため、駆けた。

 色々と考えたけど、やっぱり私はこうなのだ。

 軽薄で、欲深くて、わがまま。そんな性格タチだから、何度足を止めてもまた進むしかない。

 私は彼を放っておくことができないのだから。

 茨の焼跡へと足を踏み入れた。ゴルドーさんが悉くを焼き尽くし、雑草の一本も残らず払い尽くした道へ。

 しかし私の気配を感知してか、地中から新たな茨が出現する。眼前の地面を突き破って出てきたそれらは新鮮な血肉を求め、しなり、うねり、互いに絡まって、生命を捕らえ殺す壁となる。

 それで分かった。これは間違いなく私を仕留めきるつもりだ。これまでのように獲物を弱らせるのみに留まるつもりはなく、きっちり最後まで終わらせる、万年樹の意思。

 そして私には、途方もない殺意に抗うすべなんてなかった。

「あれは、痛いだろうな」

 辛いだろうな。

「嫌だな」

 逃げたいな。

「でも、他に道がないのなら」

 けれど、私は知っている。

 いくら不満をわめき、ぶつくさと文句を言い、現実逃避に浸ろうと、結局は挑む道しか選べない自分を。

 少しも諦めることの出来ない、どうしようもない自分を。

「仕方ないよね」

 仕方ないやつだ。

 茨の数本が私を目がけて飛んでくる。勢いの乗ったスピード。けれど一人の小さな女の子を捕まえるには密度が足りない。

 あらかたをゴルドーさんが焼き尽くしたおかげで、再生産された茨だけでは十分な数が用意できないようだ。

 避ける。見えている。痛みと脳内麻薬で、視界はクリア。

 散発的な茨を躱し、茨の壁をくぐり抜ける。余計な迷いは振り捨て、ただ前へ。如何に少ない茨とはいえ、この集中が途切れれば、私は終わる。

 棘が何度も私の肌をかすめた。そうしてできた傷から流れるのは血液だけでなく、生命力そのもの。そこにあった力が吸い取られ、感覚がごっそりと抜け落ちる、そんな感覚。

 左手首を棘がかすめた時は、そこから先の手が抜け落ちたような気がした。それは一瞬の感覚で、すぐに元通りになる。手はちゃんとついている。

「大体あの人は……!」

 冷え冷えとした心を紛らわすように吐き出す。

「……勝手!」

 胴に巻き付こうと茨が迫る。私はほとんど転がるような形で避けた。

「勝手に連れて来ておいて、勝手に置いていった!」

 私はこの冒険の最中、ずっとお荷物で、役に立つことは一度としてなかった。

 それも当然。あの人は一人でも事を為し、当然のように宝へありつく。覚悟だけを背負った彼は、確実に宝を手にするだろう。

 たとえ命に代えても。

 ならどうして、私を連れて森に入った?

「勝手に、私に夢を見せた!」

 そのせいで、私は夢を見てしまったのに。

 ちょっといいなと思った。

 理想と夢だけに殉ずる彼の生き方を見せつけられて、焦がれ、憧れた。それはとても格好いいことだから。ひたすら怠惰で欲深い私には、決してできないから。

 そんな生き方もあるのか、と、思って。

「なのに、勝手に死のうとしないでよ!」

 許せない。

 命を省みない、ただその一点だけを、否定したくて。

 すぐ足元で地面に穴が空いた。そこから飛び出る茨。ゼロ距離の不意打ちに私はまともな反応ができず、つまづかされる。

 そして茨は一斉にこちらへ向かい、私を地面に縛りつけた。

「ぐ……うわああああああぁ……!!」

 転倒と緊縛の痛みなんてのはほんの一瞬。痛みはすぐになくなり、力という力が奪い取られ、底知れない虚脱感に襲われる。

 体が、ツメタイ。

 これが捕食の最終段階。人は抗うことすら許されず、万年樹の肥料となり果てる。

「くそ! くそ! くそ! くそぉ!」

 倒れた私の目の前に薔薇の蕾が顔を出し、その血のような赤い花弁を開いた。

 中心に一つ、誰かの目玉。

 何年も前に死んだはずの誰かの目玉が、光を失った瞳をこちらに向けていた。見下すように。嘲笑うように。

「オマエモコウナル」

 あり得ない幻聴。けれど、悟ってしまったことは確か。

 意志が途絶えた隙を暗闇は逃さない。直ちに視界を蝕み、黒く塗りつぶす。

 ああ、光が、消えてく。

 私は何のためにここへ来たのだろう。決まっている。否定するためだ。目の前の宝しか見ず、他の全てをないがしろにする彼に、それは駄目だと言うためだ。

 なら、私は何のためにここで力尽きようとするのだろう。

 暗闇が、迫って、光が、追いやられて、狭められて、しぼんで、小さくなって、残りわずかになって、明滅して、なくなって、途絶えて、消える、寸前の、最後の、一粒。

 それを掴んだ。

「抵抗の……白い、花」

 私のすぐ傍に、あった。あってくれた。どんな色にも染まることのない純白の、指輪。

 手のひらで握り込んだ時、視界の暗闇は晴れ、強制的に意識が覚醒した。まるで魔法か、そうでなければ呪いのようだ。

「まったく、こんなの落としちゃ駄目でしょ」

 その指輪のおかげか体に感覚が戻ってくる。この茨に抗えと、私の足を立ち上がらせて。

 茨を力づくで引きちぎり、薔薇の花を踏みにじり、また走り出す。

 また指輪に助けられたようだ。でも、何故こんなところに。

 少し行った先の地面には大量の血とツールバッグが落ちていた。間違いなくゴルドーさんのものだ。ここで彼の身に何かが起こり、指輪の入ったツールバッグを落としたのだろう。そして彼は拾う暇もなく、先へ行った。

 私は走りながらツールバッグを拾い上げる。

 何が起こったのかは分からないけど、それは別にいい。すべきことが一つ、それだけ分かっていれば。

 この先にいるであろう彼に教え、知らしめなくてはならない。

 ごくごく当然のこと。誰もが知っていること。彼だけが知らないこと。

 命は大事だ、と、馬鹿みたいに当たり前の現実を。

 夢だけに生きるな。現実も見ろ。

 夢に憧れ現実を生きる私が、言ってやる。

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