第八話 騎士の夕食

   

「さすがに、大きな屋敷ですね。騎士は騎士でも、アリカム隊長のところは、名門の家柄という話ですから」

「ああ。まるで、ちょっとした貴族の邸宅のようだな」

 目的の家の門をくぐりながら。

 ピペタ・ピペトは、ラヴィの言葉に頷くと同時に、心の中では「『大きな屋敷』は少し言い過ぎだろう」とも思っていた。

 確かに、立派な門もあるし、塀に囲まれた敷地の中には、見事な大木が植えられていたり、ちょっとした庭園が設置されていたりする。だが、門をくぐって少し歩けば、もう建物の玄関に到着する規模だった。

 ピペタは『ちょっとした貴族の邸宅』という言葉を使ったが、もしも貴族の屋敷であれば、どんなに弱小貴族であっても、もっと広い屋敷を構えていることだろう。一介の騎士の屋敷を貴族のそれと比較すること自体が間違っているのかもしれないが、例えばピペタたちが先月警護した伯爵貴族の屋敷は、レベルが違うほど広かったし、庭も立派だったのだ。

 いや、貴族の屋敷を引き合いに出すまでもない。ピペタが王都で暮らしていたピペト家の屋敷だって、このアリカムの屋敷より、はるかに広い敷地を保有していた。

 もちろん、王都の騎士と地方都市の騎士を比較するのも、それはそれで見当外れなのかもしれないが……。

「いや、王都と地方都市という問題ではなく……」

 ピペタは、少し考え直す。

 そもそもピペタの養父母は、孤児院に出資していたくらいだ。孤児院からピペト家に養子として迎えられたピペタは、孤児院暮らしとの待遇の違いを「これが騎士の暮らしというものなのだろう」と受け入れていたが、もしかするとピペト家のランクは、騎士の中でもかなり裕福な部類に入っていたのかもしれない。

 ならば、そんなピペト家と比較するのは、やはり適切ではないのだろう……。

「どうしましたか、ピペタ隊長? また何か考え込んでいるようですが……」

 ピペタの思索を遮るかのように、ラヴィが声をかけてきた。ただし、彼女の表情を見る限り、本当に「どうしたのだろう」と気になっているわけではなく「一応、尋ねてみた」という程度の気持ちのようだ。

 急に考え事をしたり、その一部を口に出したり、というのはピペタの癖であり、いちいち気にする必要もない。それくらいは、ラヴィも理解しているのだろう。彼女は、部下として毎日ピペタと接しているのだから。

「ああ、たいしたことはない。屋敷の広さについて、ちょっと考えていただけだ」

 そうピペタが返すと、案の定、それ以上ラヴィは追求してこなかった。


「やあ、ピペタ隊長。よく来てくれましたな」

「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」

 使用人に任せるのではなく、アリカム・ラテスと妻メレタが、二人で自らピペタたちを出迎える。

「アリカム隊長、お招きいただきありがとうございます。奥さん、初めまして」

 ピペタは二人に挨拶して、ラヴィと共に、案内に従って歩き出す。

 そんなピペタたちを見て、アリカムが、少し顔をほころばせた。

「二人とも、そう堅苦しくする必要はないですぞ。晩餐会というほどでもないですから。ほら、私たちなど、この格好だ」

 アリカムと彼の妻メレタは、着飾ってきたピペタやラヴィとは対照的に、完全に普段着だ。これでは、自分たちは少し大げさだったかな、とピペタは軽く反省した。

「いやあ、これは私たちの方が、認識を間違えましたかな」

「アリカム隊長からの招待ということで、気合いを入れ過ぎて、場違いな服装で来てしまったかもしれませんね。すいませんでした」

 ピペタに続いて、ラヴィが謝罪の言葉を口にした。

 すると、案内の意味で先導していたメレタが、ピペタたちに振り向いて告げる。

「あらまあ、いいじゃありませんか。食事の席が華やかになるのは、私たちも嬉しいですから」

 彼女は、ピペタとラヴィを見比べるように眺めると、ニヤニヤとした表情を浮かべる。

「いつもは、いかめしい騎士鎧を着ているのでしょう? でも、そうしたパーティー用の服装も、よく似合っていますわ。まさにお似合いの、美男美女のカップルのようで……」

 さらに彼女は、ふと思い出したかのような口調で、付け加えた。

「ピペタ隊長のお連れの方は、部下の女性騎士とお聞きしましたが……。公私ともに相棒なのかしら? とても仲睦まじく見えますわね」

 ピペタとラヴィが腕を組んださまに、メレタは視線を向けているようだ。


 早速、変に誤解されたらしい。ピペタは少し心配したが、別にラヴィは、腕を離そうという素振りは見せなかった。これは親愛の情を示すものではなく、エスコートの作法に従っているだけ、という判断なのだろう。

 ピペタとしては「屋敷まで来た時点で、エスコートの形なんて終わらせても十分」とも思うのだが……。ラヴィの方では「晩餐に招かれた以上、食事の席が目的地だから、テーブルに着くまでは、この形式を続けるべき」とでも思っているのではないだろうか。彼女の方が腕を組んできている以上、ピペタは彼女に任せており、無理してピペタの方から腕を振りほどこうとも思わなかった。

 そうしたピペタの隣で、

「申し遅れました。ピペタ小隊の騎士、ラヴィ・アモルです。ピペタ隊長の部下を代表する形で、今日はピペタ隊長の同伴者として参ったのですが……」

 ラヴィは自己紹介をしながら、チラッとだけピペタの方に目を向ける。そして、視線を戻してから、言葉を続けた。

「……プライベートなパートナーに見間違えられたのであれば、ある意味、光栄な話です。私にとってピペタ隊長は、公私ともに尊敬できる上司ですから」

「あらあら、それは失礼。恋人関係ではなく、上司と部下、ということなのですね」

 メレタは、口では「失礼」と言いながら、心の中では違うことを思っているように見えた。彼女のニヤニヤ笑いから、ピペタは、メレタが何か邪推しているように感じてしまうのだ。

 ここでピペタは、アリカムの話の中にあった「家内は騎士の家柄の出ではない」という言葉を思い出す。それを念頭に置いた上で、あらためてメレタという女性を見てみると……。

 これから食事だというのに、彼女は、唇に真っ赤な口紅を塗っていた。ラヴィの薄っすらとした紅とは対照的に、メレタの唇は、ルージュでテカテカと輝いている。それは「美しく光り輝いている」というよりも、ピペタの頭に「下品」とか「低俗」といった単語が浮かんでくるような度合いだった。

 そもそもメレタは、今朝のウイングの話では、ピペタと同じくらいの年齢のはず。だが、明らかにもっと若く見える。さすがに、ラヴィほど若くは見えないが……。いや、よくよく見れば、メレタの肌そのものは若い女性の肌ではないから、化粧で若作りしているだけなのだろう。

 これが、彼女自身より身分も年齢も上の男と一緒になった、女の姿なのか……。

 心の中で少し失礼なことを考えながら、ピペタは、メレタに導かれて歩くのだった。


 案内されたテーブルには、四人分の料理が用意されていた。一皿ずつ運ばれてくるコース料理の形式ではなく、すでに全品が並べられているようだ。アリカムの「晩餐会ではないのだから、堅苦しく振舞う必要はない」という言葉を、ピペタは改めて思い出した。

「さあさあ、座ってください」

 続いてアリカムは、ピペタがテーブルの上の料理に――四人分の料理に――視線を向けていることに注目。それで勘違いしたらしく、少し言い訳がましい口調で、説明し始める。

「息子は最近、私たちと夕食を共にしないのです」

「夜は遊びに出かけたまま、遅くまで帰ってこないもので……。夕飯も、外で友人と一緒に食べてきてしまうのです」

 メレタが、夫アリカムの方へ意味ありげな目を向けながら、そう補足した。

「それはそれは……。息子さんくらいの年頃ならば、親よりも友だちと一緒の方が、楽しいのでしょうな」

 椅子に座りながら、当たり障りのない言葉を返すピペタ。

 孤児院で少年時代を過ごしたピペタには、正直「親と一緒」という感覚は、よくわからない。だが、一般論としては、そんなものだろうと想像していた。養父母に対して感じている恩義は、肉親に対する感情とは少し違うはず、とピペタは思ってしまうのだ。

「困ったものです。せめて今日くらいは、同席して欲しかったのですが……」

 アリカムの「今日くらい」というのは、どちらの意味だろうか。ピペタという来客が来ている『今日』という意味なのか、あるいは、朝に厳しく叱られたばかりの『今日』という意味なのか。

 ピペタが考えていると、

「フィリウスの夜遊びには、うちの人も文句を言えないですからね。……それより、話は食べながらにしませんか? 冷めてしまわないうちに、どうぞ召しがってください」

「そう、それもピペタ隊長たちを招待した理由の一つですからな。妻の自慢の手料理を、ぜひ堪能してもらわなければ……」

「まあ、あなたったら。今さら、そんなこと言うなんて」

「いやいや、私は本当に、お前の料理を評価しているのだぞ」

 目の前でアリカムとメレタが、まるで若い新婚夫婦のような表情で言葉を交わし始めた。

 年上の同僚のこんな姿は、あまり見ていて気持ちの良い光景でもない。

 下手な寸劇を止めるかのような勢いで、

「では、早速いただきましょう」

 ピペタは、ナイフとフォークに手を伸ばした。


 焼きたてにも見える、柔らかそうなパン。蒸した人参とポテトを添えた、白身魚のムニエル。緑の野菜を豊富に使った、見るからに新鮮そうなサラダ。適度な大きさにカットされた肉と野菜の漂う、温かそうな赤いスープ……。

 そんな料理に混じって、一つの皿が、ピペタの目を引いた。

「これは……」

 わずかに黄色がかった、白っぽい料理だ。単一の素材を多めの水で、原型をとどめなくなるまで煮込んだように見えるが……。

「粥とは少し違うようですが……。何でしょう? 初めて見る料理ですね、ピペタ隊長」

 隣のラヴィも、ピペタの視線に気づいて、そんな言葉を口にしている。

 しかし、実はピペタの反応は、彼女の認識とは違うものだった。

穀物粥グリッツですかな、これは?」

 確認するかのように、アリカムとメレタに尋ねるピペタ。

 二人は、少しだけ驚いたような表情を見せる。

「よく知っていますな」

「博識なのですね、ピペタ隊長は」

「いやいや、買い被らないでいただきたい。そうではなく……」

 二人の言葉を軽く否定しながら、早速ピペタはスプーンを伸ばして、穀物粥グリッツを口に運ぶ。

 ああ、懐かしい味だ。あっさりとした中に、ほんのりとした甘さが、わずかに感じられる。

 ピペタは、思わず頬が緩んだ。

 穀物粥グリッツとは、簡単に言ってしまえば、トウモロコシの粥だ。

 おそらく、まともな穀物が手に入らないような者たちが、代用品としてトウモロコシを挽いて使ったのが発祥なのだろう。つまり、騎士や貴族の食べ物ではなく、庶民の料理なのだ。

 そもそもが貧乏人のための料理なので、甘さたっぷりの高級なトウモロコシではなく、ほとんど味のしない安いトウモロコシが使われるのも、穀物粥グリッツのポイントだった。だからこそ「あまり味がしない」とも言われるし、はっきりとした甘さではなく、独特の「ほんのわずかな甘さ」が引き出されるのだ。

「……子供の頃に、よく食べた料理です」

 そう説明しながら穀物粥グリッツの味を楽しむピペタを見て、アリカムは目を丸くした。

穀物粥グリッツを食べる機会が、そんなにあったのですか? 王都でも名家として名の通っている、ピペト家のピペタ隊長が?」


「いやいや、名家だなんて、大げさな……」

 謙遜というより、本当に少し、くすぐったい気分だ。そんなピペタの気持ちを察して、ラヴィが横から口を挟む。

「ピペタ隊長は、生粋のピペト家の人間ではなく、ピペト家から武芸を認められて、養子として迎えられたのです」

「もともと私は、騎士階級の生まれではなく、孤児院で育ったのです。そこのスポンサーをしていたのがピペト家でしてな。その縁で、こうして騎士になれたようなものです」

「そうした経験があるからこそ、ピペタ隊長は、騎士だけでなく街の庶民の暮らしぶりにも造詣が深いのでしょうね。一緒に見回りをしていて、そう感じることが度々あります」

 ラヴィとピペタの言葉を聞いて、アリカムは、何やら考え込むような口調で呟いた。

「なるほど、孤児院で……」

 アリカムの穏やかな笑顔が、一瞬、真面目な顔に変わる。かすかに嫌悪の色まで浮かべたようだ。それをピペタは、見逃さなかった。

 ピペタとの会話に――小隊長同士の会話に――、ラヴィが割り込んできたことを不快に感じている、という様子でもなさそうだった。ならば、ピペタの出自に対する反応だろうか。

 今朝の会話の中でも、わざわざ妻の生まれについて言及していたくらいだ。もしかするとアリカムは『騎士の家柄』という点に、人一倍、重きを置くタイプなのかもしれない。

 身分や立場の違いで人間を評価も区別もしたくないピペタとしては、あまり嬉しくない話だが……。

 それよりも。

 アリカムに関して勝手な想像をするのは止めて、ピペタは、目の前の料理に集中することにした。穀物粥グリッツに続いて、今度は、白身魚のムニエルにフォークを伸ばす。

 これも穀物粥グリッツと同じく、庶民向けの料理であるというならば、ヒラメなどの海の魚ではなく、安い川魚を使っているのかもしれない。食べたことない人は驚くだろうが、ナマズのような白身魚は、海で泳ぐ魚と全く同じように調理できるし、料理の仕方次第では、遜色ない味に仕上げることも可能なのだ。

 そんなことを考えながら、家庭料理を堪能するピペタだった。


「いやあ、本当に素晴らしい料理です。確かに、騎士寮では口に出来ない味ですな」

「そうですね。初めて食べる料理ばかりです」

「ラヴィにとっては目新しい味かもしれないが、私には、どこか懐かしさを覚える部分もあるのだよ」

 そう言ってメレタの料理を褒めるピペタとラヴィに対して、アリカムは笑顔を向けた。

「喜んでいただけて、何よりです。私だって、妻と出会うまで、こうした料理は見たこともなかったのですが……」

 アリカムの妻メレタは、かつて食堂の女給だった、と彼は説明する。街の北側にある安食堂であり、庶民向けの料理を食べさせる店だったのだという。

「なるほど。たまたまアリカム隊長は、そこで食事をして、奥さんと出会ったのですな」

 相槌を打つ感じで、そんな言葉をピペタが述べると、アリカムの隣でメレタが、ホホホと笑う。

「ほら、あなた。今の言い方では、誤解されますわよ」

 メレタが、夫の話を少し訂正する。

 彼女の勤める食堂にアリカムが足を運んだのは、彼女と知り合った後だ。そもそも二人が出会ったのは、彼女の行きつけの酒場であり、そこで親しくなった結果、食堂にも来てもらえるようになったのだという。

「お恥ずかしい話ですが、若い頃の私は、かなり飲み歩いていましたからなあ」

「うちの人ったら、昔は酒だけでなく、女性関係も派手で……。私なんて最初は、ちっとも相手にしてもらえませんでしたわ」

 二人が語る「若い頃のアリカム」の話は、ピペタやラヴィのイメージとは、かなり異なるものだった。ピペタたちは、騎士団の中での「真面目で勤勉なアリカム」しか知らなかったのだから。

 アリカムは先ほど、身分が低い人間を見下すような表情を垣間見せていたが、そんな態度も、騎士しかいない職場では――騎士団の詰所では――見られなかった一面だ。程度の差こそあれ、人は誰しも、オモテと裏の顔を持っているのかもしれない……。

 裏稼業に関わるピペタは、アリカムを見ながら、少し考えてしまった。


 そんなピペタの内心など知らぬまま、メレタは、昔の話を続けている。

「当時の私は、うちの人と比べたら、年齢的にもまだ子供でしたけど……。たくさんの女の中から、最終的に私を選んでもらえたのは、きっと料理の腕が決め手だったと思いますわ」

「いやいや、それだけではないぞ。お前は、他にも良い部分がたくさんある、魅力的な女性で……」

「あら、まあ。お客様の前で、そんなこと言うなんて……。少し恥ずかしいですわ」

 また二人は、年甲斐もない態度を見せ始めている。

 今度はピペタではなく、

「女性としては、奥様のお話は、とても勉強になります。恋愛では胃袋を掴むことが大切、という言葉もありますが……。奥様は、それを実践なさったのですね」

 ラヴィが口を挟んで、その場の雰囲気を戻そうとする。

 そして、その効果はあったらしい。

「まあ、ともかく……」

 アリカムが、話題を変える。

「こうした私の昔話を知って、息子のフィリウスも、まるで真似するかのように、夜は遊び歩いているのです」

 この言葉でピペタは、先ほどメレタが「フィリウスの夜遊びには、うちの人も文句を言えない」と述べていたのを思い出した。

 そして。

他人様ひとさまに迷惑をかけないように『遊ぶ』のが、騎士の夜遊びであり、それを学ぶためならば、私も見て見ぬ振りが出来たのですが……。あんな低レベルな、貧乏人の悪ガキのような遊び方は……」

「ピペタ隊長もラヴィさんも、聞いてください。うちのフィリウスは、先日……」

 アリカムとメレタは、ようやく本題に入って、フィリウスの肝試しの一件を語り始めるのだった。

   

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