恋愛ってダブルスタンダード

「そう言えば、まったく気にしてなかったけど咲は足の調子もういいの?」

「ほへ?」


 プールサイドで実萌奈が言う。えっと、何の話だ?


「プール行こうって話した日さ、咲堤防から落っこちたじゃん。足にひび入ったって聞いてたから」

「ああ、あれね。もうすっかり。ギプスも取れたし、もう泳いでもいいよーって」

「そりゃよかった、ギプスしてたらプールは入れないし」

「お風呂入るの大変だったんだから、もう」


 左足を浴槽の淵に引っ掛けてたから腰痛くなっちゃったし。でも本当にひびだけでラッキーだったよなーと思う。バイオリンも無事だったし。ただ、対外的には記憶喪失ということになっている。こっちでは覚えていてあっちでは覚えてないっておかしいしね。


「ただ、そのせいで前の日の晩から記憶が飛んじゃっててさ。いろいろと覚えてないんだよね。所謂いわゆる記憶喪失ってやつ」

「え、まじ?」

「記憶喪失ってどんな感じだった?」

「何というか、自分がどこにいたのか覚えてないのね。それ以前の話とか知識とかは覚えてるんだけど。徹夜しようとした時って、覚えてないうちに寝ちゃうでしょ、あんな感じ」


 あんな感じ、なんて言ってるけど実際はどんな感覚なのかまったくわからない。だって本当は全部覚えていて、なかったことにしたかっただけだから。さらに言うなら、タクシーで病院まで運ばれていったことも覚えてる。擦り傷だけだったから救急車は呼ばなかったのかな。


「それは災難だったね。まあでも、元気でやっててよかったじゃん」

「確かにね。夏の前に骨折とか笑えない」

「それな」


 そう言えば麻希にも記憶喪失になったって話したのはこれが初めてだったか。機会がなかっただけなんだけど。ちょっと悪かったかな。まあ許せ。

 ただ、危うく知らないはずのことまで口走りそうになっちゃう。気をつけないとね。どこかで綻びが出ないように気をつけないと。


「でも、よくうちのメール分かったね?」

「ああ、それは、文脈から判断して。それに、どうせどこか行こうって話は出てたでしょ?」

「まあ、確かに」


 理彩が怪訝けげんな目を向ける。平常心平常心。レモンソーダに手が伸びそうになるけどここはじっと我慢だ。


「それより、そろそろウォータースライダー行かない?」

「ええ、でも私あんまり得意じゃない」


 実萌奈がいい感じに話題を変えてくれた。上手く乗ることにしよう。


「あれ、咲ってそうだっけ?」

「うん、前いきなり突っ込んで水飲んだことがあってさ」

「大丈夫だって。ここ4人乗りのもあるし」

「なら行こう」


 ちょっと実萌奈待ってよ。まあ、別にいいけどさ。あれ、麻希ちょっと黙っちゃってどうしたの?


「いや、羨ましいなって」

「2人とも、スタイルいいもんね」


 立ち上がりかけていた実萌奈が座る。あれ、何か癇に障ること言った?


「私たちからするとちょっとね。肩凝るし」

「うちも。たまに胸でタッチネット取られるし」

「流石に嘘だよね!?」

「うん、それは嘘」


 麻希驚きすぎだって。でも確かに羨ましいよね。


「でも、バレーボールやってると邪魔なのは確かだよ」

「それより身長をくれ、身長を!」


 実萌奈が叫ぶ。この中だと実は私が一番高い。そして実萌奈はリベロしかやらせてもらえないくらい小さい。どうして部活の適性が逆なんだろうね。


「咲、その身長10センチよこせ!」

「却下だ、牛乳飲め!」


 麻希が軽いつかみ合いをしている私たちを見てため息を漏らす。


「彼氏欲しい! 優しくて尽くしてくれてイケメンな彼氏が欲しい!」

「あー、麻希大丈夫?」


 なんか麻希のスイッチが入っちゃったみたいだ。やさぐれモードになってる。麻希、せっかくスレンダーな方なんだから足を投げ出すのはやめようよ。ビキニも似合ってるんだし、残念な感じは嫌なんじゃあ。それとも、やっぱり柚樹と真琴が付き合ったのが先越されてショックだったのか。


「イケメンはたくさんいるのにどいつもこいつも」

「利哉先輩はどうなの?」

「確かにかわいいんだけどさ。かわいいんだけど、何かちょっと頼りないっていうか」

「まあ、そうなるよね」


 ストローを振る理彩。


「だから、見た目だけで言ったらイケメンってけっこうたくさんいるのよ。咲の彼氏の和馬とかね」

「和馬は彼氏じゃないけどね」

「でもあいつシスコンだしさ。付き合いたいとは思うけど、実際付き合うとなるといろいろ難があるわけよ。例えばうちらバレー部で時間取れないからろくにデートもできないし。そういうことも考えないといけないとおのずと選択肢が減るっていうか」

「確かにそうだよね」


 言うなれば、恋愛ってダブルスタンダードなのだ。誰々がいい、なんて言いながらも実際はもっと色々条件があって。ミーハーに誰かと付き合いたいなんて口からは言っててもそれと本心とは違う。いや、どっちも本心なんだけど。

 私の場合も、和馬のことは嫌いじゃない。好きだと思ってる。だけど、それと付き合いたいかどうかっていう感情は別物で。好きがたまるたびに抑えられなくなりそうで。だけど、それじゃあきっと後悔するから。


「というわけで都合のいい男どこかにいないかな」

「だねー。私ら全員彼氏いないし。こんな美少女なのに」


 麻希が言う。自分で美少女っていうのもアレだけど、確かにそうだよね。


「あ、そう言えば最近うちの近くにケーキ屋ができたんだけどさ。結構おいしいんだよ」


 そして脈絡なく変わる話題。愚痴の後は甘いものと決まってる。決まってないけど。


「麻希の家の近くってことはうちも結構近い?」

「うん、咲の家からも自転車で行けるくらい。地図で言うと、ここね。サヴァランってやつがおすすめなんだ。で、なんだけど、そこのバイトが結構イケメンなの」

「へー、そうなんだ。年上?」

「たぶん大学生。理彩のお姉ちゃんって大学生だっけ?」

「ううん、去年卒業した」


 ああなるほど、イケメンの話につながるんだね。というか私は色気より食い気というか、和馬でお腹いっぱいなのでサヴァランなるものに興味あります。


「年上よりも年下の方がいいかな。それより早くウォータースライダー行かない?」

「あー、とりあえず行くか」


 そして実萌奈もどちらかというと興味がない方みたい。しかし、理彩のお姉ちゃんってもう卒業したんだ。てことは昨日の店員さんと同じくらいの年齢かな。そんなことを思う。

 それにしても、みんなと仲直りできて本当によかったと思う。こうやってくだらないことを話したり、プールで騒いだりするのはとても楽しいから。和馬をシスコン扱いしてスケープゴートにしたことはすごく悪かったと思うけど、唯一救いがあるとすれば、理彩と実萌奈と仲直りできたことだ。

 ありがとう、和馬。

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