第3話 異世界



……あれ?

メイ……?

あれが夢でなければ……。

異世界召喚が、はじまったらしい。

……が、オレは、ここにいる。

部屋だ。オレの部屋。

窓の景色も変わっていない。

失敗……か?

甘利由梨もいないし、メイの気配もない……二人が異世界に帰り、オレだけ居残ったのか?

モニターには……ポチの姿はない。ただ、どこかの景色が映っているが……ゲーム画面かな?

一応、部屋を出てみた。

家中を探したが、なにも変化はない。窓の外も、扉も開けてみたが、いつもの状態である。

世界は、なにも変わっていない。

では……なんだ?

なんというか、違和感があるのだ。

いつもの部屋に、いつもの世界……それでも、なにか足りないような?

……ん? ぎゃああぁぁぁぁ!

か、か、鏡が!

ない……ない! 鏡に、オレの姿が!

恐っ! 後ろの壁が、まんま映っているぞ!

これって……鏡のせいか? メイと同じなんじゃないのか? でも、なんでオレはこっちに……? 異世界に行ってないと、変だよな?

……あ。モニター! モニターだ!

画面を触っても……なにも起きない。ここから行けるわけではないのか。

だったら、コントローラは――

……動く。動くが……普通にゲームしているだけだな。

しかし、これ、なんのゲームだっけ? こんな景色じゃなかったような……?

もしかしたら、これって……異世界の風景ってことはないか?

ズームしてみると……。

……って、リアルとCGの区別がつかん! 最新グラフィックの弊害だ! これ、どっちだ!?

しかも、下手に動けんし! 突発的に死ぬんじゃないのか!? 大丈夫なのか!? 行って大丈夫なのか!?

とりあえず、明るいほうに行ってみて……。

池だ! とにかく姿の確認を! ……恐ぇ! 落ちたらどうすれば!? ボタン連打で浮けるのか!?

そーっと……そーっと……。

……映らない。異世界でも透明……? いや、そういうゲームだっけ?

人とすれ違っても……無反応だな。決定ボタンでも、会話がはじまらないし……。

これは、異世界とは無関係だったのか……?

……暇だな。テレビでも付けとくか……。……え? 映らない? 電源は入っているし……試しに、昔のゲーム機をテレビでやると……映ったけど……?

マジか! ドット絵で、こっちのゲームとおなじ世界が映っているぞ! ……携帯ゲーム機もだ! ……ちょっと待て! 別のゲームに入れ替えると……やっぱりそうだ!

最新のゲームなら、リアルな表現になるし……昔のゲームなら、ドット絵になる。

町づくり系は、俯瞰になり……RPGなら、街歩きができる。

ただし、異世界への影響はなしだ。こっちからはなにもできない。見るだけしかできないらしい。

ゲームだ。

この部屋のゲームが、異世界につながっているんだ。

……異世界か。

これが異世界……。

……よし。

オレは、ビンタの素振りをくりかえして、そこにメイがいないことを確認する。

いない……な?

扉の鍵をしめ、窓も鍵をしめ……。

オレは、目を閉じ、息を吐いた。

では、お約束の……アレの時間だ。

どのゲームでも、これを確認するのは、ゲーマーとしての義務のようなものである。

最初は……あの娘にしよう。スカートだし。

左親指で近づき、右親指でアングルをぐりっと……。

……。……。……。……うむ。

これが異世界、か……。

この娘も、あの娘も、その娘も……。

異世界、だな……。

……つぎ。

町づくり系ゲームを起動。公衆浴場、および女子更衣室をサーチしつつ、別モニターのリアル系ゲームにて、その場所へと突入――

……うぉぉぉぉぉ!

なんじゃぁぁぁぁぁ!

モザイクなし! 影もない! 接近しても、むこうが透けない!

あぁ……18禁……パラダイス……。

いいものだ……異世界って、いいものだ……。

オレの異世界生活が、こうしてオレの部屋で幕開けを迎えたのだった。



……見飽きるものだな。

こっちからなにもできないから、むこうからのリアクションもないし……いつでも見れちゃうから稀少性もないし……。

世のエロ画像を見直すおもいがするよ。

芸術性とか、アングルとか……閲覧者の感覚を刺激する工夫がなされているから、あれだけ飽きずに興奮できるということなのだろう。

……偉い。エロ漫画家や、エロイラストレーターは、偉い。あんたらは神さまだよ。

さて、と……。

エロは、もういいや。いつでも見れるし。

ただ……。

他も、なぁ……。

異世界は、これ以上ないくらいリアルに映っているのだが……ゲームではないからイベントが起きない。

人物にターゲット固定して、自動でカメラを追尾させても、やっていることは退屈な日常か、仕事ばかりだし……。

見るものがなにもないのだ。

人も、建築物も、食べ物も、景色も……。

モニター越しでは、視覚しか刺激されない。

感動したとしても、一瞬で終わるし、エロですら、似たようなものだ。

イベントなのだ。

なにかが起きないというのは、こんなにも退屈なものだったのか……。

もう探すしかない。

たしか、イベントの方向と距離を表示するRPGがあったはず……。

……ダメか。未来予知は、できないらしい。

だったら、これはどうか? 現状でのトラブルをサーチする機能だ。

……できる、けど、どうだろ?

トラブルが起きてからでないと表示されないから出遅れるし、なにかが起きても行ってみるまで内容がわからないし……。

……もう、いいや。

ダウンロードしたクソゲーを工夫して面白くしようとしている虚しさに思えてきた……こんなことをしているくらいなら、名作の周回プレイをしているほうがよっぽど有意義な気がしてくる。

異世界とつながっているって言っても、どうせ見るだけなんだし、影響ないなら無視しても構わないだろう。

異世界のことは忘れて、ゲームでもしよう。そもそも、そういうことだったし。

……。

……どうやって?

全部のモニターが、強制的に異世界とリンクしてしまっているわけだが……元に戻すには、どうやればいいのか方法がわからない。

試しに、携帯ゲーム機を家の外に持ち出してみたが……やはり、異世界とつながったままだった。

もしかして……クリアするまで、ずっとこのままなのか?

いや、クリアって……どの状態のことを指すんだ?

……。

メイ……。

……の名前を検索。居場所を特定。

職業は、魔女。間違いない。

つまらねぇことしやがって……。

返してもらおうか。オレのゲーム環境を。

そして、贖ってもらおうか?

散々、オナ禁させてくれやがってぇ……。

どれだけ我慢したと思ってやがる……。

エロ画像を見つけても、どうにもできないもどかしさをどれだけ味わったことか……! そういう思考すら読まれてしまうから、オレの頭のなかでは反射的に枯山水の映像が流れる仕様になってしまったんだぞ!?

さっきまでのエロ映像でも、いまいち乗り切れなかったし……下手したら不能になっているのではないかって……マジで恐かったんだからな!

それもこれも、すべておまえのせいだ……。

メイよ……。

まずは、パンツの色でオレの息子のご機嫌をうかがおうではないか。

だからといって、おまえのパンツを格上げするつもりはない。おまえごときに自家発電する気など毛頭ないのだ。

あくまでお手軽に、路傍の石でも眺めるような軽率さで、今もすれ違いざまにスカートをのぞいたような怠惰さで。

おまえのパンツを見てやろうかぁ……?

保存はするが、その他カテゴリーに押し込められ、数多のエロ画像に埋もれて二度と発掘されないようなところまで落とし込んでやるぜぇ。

待っていろよ、メイ……いや、パンツよ。

フハハ、フハハハハ……!



メイの名前で検索をかけて、コントローラで移動してみれば――

あの娘やん……。

メイが戻っているなら、当然、この人も戻っているわけだ。

甘利由梨。

召喚間際に、素っ裸で抱きつかれたことが、今も鮮明にオレの脳裏に焼きついているわけだが、あの光景とそのときに味わった屈辱は、もしかしたらオレの今後の人生のなかでも、最高級のプレイだったのかもしれないと、今さらながら思い起こしたりするわけだ。もっと感触を楽しんでおけば良かったと、今さらながらに後悔することもまた、思い出のスパイスになっていたりもする。

ちょっと……好きになってきたのかも。

動画のときはアイドルとファンだったけど、さっきのは裸で押しつぶす方と屈辱的に押しつけられる方だったし。

ちがう意味で好きになっても……いいよね?

……。

どうしよっかな……。

……まあ、閲覧だけならいつでもできるし、とりあえずローアングルは後のお楽しみにしておくとして。

気になるのは、異世界においての彼女の行動である。

メイと敵対していたはずが、最終的には協力し合って異世界に帰った彼女なわけだが、そもそもの正体のことである。

メイが何者かに騙されての異世界召喚だったのに対し、その敵対者であるならば、なにか目的をもってこちらの世界に来たはずである。そして、オレの部屋にあるという異世界召喚の鍵を欲しがった理由も知りたいところだった。

それらの疑問が、異世界に戻った彼女の言動から明らかになるはずなのである。

そんな期待をもって、モニターに甘利由梨を映してみれば――

……雰囲気、違うな。

目つきがゴロツキの鋭さだし、舌打ちの合間に唾を吐くレギュレーションだし、ゴロッとしたものがぶら下がってそうな大股開きだし……。

あぁ、そうさ。わかっているさ。

これが、幻滅ということくらいな……。

いずれ知るときが来る。それが、今日だったというだけだ。

なにも問題はない。はじめからこうだったんだ。ショックを受けることもないではないか。

ただ……なんだかモニターが滲むんだ。異世界との接触不良が治るまで、しばらく休ませてくれないか……?

すると、モニターのスピーカーから、甘利由梨の声が聞こえてきた。

『あーもー、イラつくわね!』

おおぅ……泣きっ面に蜂とは、このことか。

……というか、なんというか。

……声が、アレだな。いや……似ているな。

喋り方も、似ているし……。

『あの糞王子、どこに隠れてんのよ……ぜんぜん、捕まらないじゃない!』

すると、付近を飛んでいた虫が、彼女の指先一つのアクションで弾けとんだ。

あ。魔法とかもお使いになる。

……ということは、だ。

マジで……?

あいつ、こんな顔だったのか……。

だったら、あの甘利由梨とは……姉妹か双子?

いや、そんなことはどうでもいい。

なにより重要なこととは、そこにいるのが、甘利由梨とは別人ということだ。

……希望が湧いてきたな。

そこへ――

……ポチか。こいつは、ぬいぐるみのままだな。

『メイさま。やはり警戒されていますね。いかがされますか?』

『探しだすに決まっているでしょう!? こっちは異世界に飛ばされた上に分離させられてんのよ!? 十倍返ししなきゃ気が済まないわ!』

……分離?

飛ばされたこっちの世界で、分離させられたってことは……。

透明のメイと、甘利由梨が……?

……。

だったら、甘利由梨の人格は、どうなってしまったんだ?

こっちに飛ばされた時点で、魔法によって形成された人格だとすれば、むこうへ戻ったときには消えてしまうのか……?

そんな……。

じゃあ、あの恥ずかしがり屋さんで、がんばり屋さんで、儚げで、だれとでも仲良くなれて、虫も殺さなくて、いつも笑っていて、悪態なんか吐かなくて……。

あれも、これも、全部、全部……。

……。あ。

ポチのように使い魔として転生しているとか……いないか。

もしかしたら……今も、この部屋に漂っていたりするのだろうか?

あの理想的な女子の心が……。

……。

……あれ?

分離、透明……。

……。

オレも、か……?



この異世界のどこかに、もう一人のオレがいるかもしれない。

正確には、オレの肉体、ということになるのか?

メイが肉体と分離して透明になったのなら、現時点で透明になっているオレにもその可能性がある。

とにかく、探さなければならない。

前島五郎の名前でサーチしても出てこなかった。甘利由梨の例もあるし、オレの肉体にはべつの名前が宛がわれているのかもしれない。

どんな名前で……どんな性格だ?

メイと同じように「綺麗な前島五郎」になるのだろうか……。

ただ、オレの場合、心がこちらの世界に残ってしまっている。もしかしたら、綺麗な前島五郎が、オレの代わりにこっちの世界で学校に通っているのかもしれないのだ。

学校へは、明日行ってみるとして……今は、異世界を探索することに専念しよう。

しかし……どう探す?

オープンワールドで顔立ちだけを手掛かりに人探しをするようなもので、なにか他にヒントでもなければ放置するか運営に電凹するしかないクエストだぞ。

一応、ネットを開こうとしてみたが、無理だった。攻略記事はおろか検索すらできない状態だった。

名前もわからず、性格も予測できず……。

特徴は、こっちの世界の人であることだけだ。

甘利由梨の場合は、家に住んでいたし、学校にも通っていた。魔法の力でもなければ、できない離れ技である。

おそらく、異世界からのサポートを受けていたはずなのだ。これまでの話から推察するに、魔法球と呼ばれるものからそれをしていたと予測できる。

むこうの世界での魔法球とは、こちらの世界でのオレの部屋のゲームに当たる。

この部屋に、ヒントがある――

……どこだ? どこにある……?

……。

ダメだ……甘利由梨のことを思い出してしまう。

この床でボードゲームをやったり、このベッドでうたた寝ををしていたり、そして……。

部屋の隅。

……ここに押し込められたんだよな。

甘利由梨……。

彼女の心は、もう、どこにもない。

どこにも……。

だったら――

……もう、いいよね?

どうせなら、同じ体勢になって……こう来たわけだ。こっからこうなって、ここでムニュッとなって……。

モニターをこっちに向けといて……コントローラでローアングルにして……いや、見えにくい服だな……だったら、上からのアップにしておくか……あ、これのほうがシチュエーション的に近いか……。

準備は、こんなもので……。

その前に、ティッシュ、ティッシュ……。

えーっと、どこに置いたか……。

……ん?

なんだ……これ?

昔のゲーム機? なんで勉強机の裏に?

起動しているけど……キャラ名は「ああああ」。

……。

名前検索できるゲームを起動! ああああ、で検索! ……ここ! 牧場の脇!

つぎに、リアルグラフィックのゲームを起動! 牧場の脇に直行!

……いたぁぁぁぁぁぁぁぁ!

オレだぁぁぁぁ!

表情! 表情!

綺麗すぎるぅぅぅぅ!

純粋無垢か! おまえ真っ白か! きめぇぇぇぇ!

いやぁぁぁぁ! サブイボ! サブイボ! うひぃぃぃぃ!

こんなの子供じゃん! 心は子供で、体は大人か! 勉強せずに育ったんか!

穢れろ! 今すぐ穢れろ! 曇れ、その眼! なにかと混ざれ、その純水!

も~~! これダメだって~~! 生きていけないって~~!

えぇぇぇぇ……。えー……。

……えっと。

こっから、どうすれば……?

見つけたはいいが、やりようがなかった。



分離したオレの体が見つかった。

名前は、ああああ。

いかにも適当につけられたことがうかがえるネーミングチョイスである。

さて、この愛情の欠片もなく誕生させられたであろうキャラだが、ああああ本人はそんなことなど露も知らずに異世界を満喫していた。

自分の影を引き剥がそうと何度もジャンプしたができなくて地団駄を踏んでみたり、地面を歩いている鳩みたいな鳥の群れにダッシュして驚かしてみたり、小さな虫の威嚇するポーズを真似て左右に揺れてみたり、月が追ってくると勘違いして逃げまわってみたり……。

なんだろう……自分とおなじ姿だからかな? 昔には戻れないんだなって、心がキュッとなっちゃったよ……。

さて、そんなリアクションの拙い「ああああ」だが……現地の人には気味悪がられている模様で、だれとも知り合いにはなっていなかった。

まあ、いいんだけど……。

甘利由梨とは、えらい違いだな……。

余計なトラブルに巻き込まれないという点では幸運なのかもしれないが、生き別れになった双子が町の嫌われ者だったような、そんなやるせなさのようものが感じられて仕方がない。

顔か……。

……。

……顔だよな。

ゴメンな。そんな顔で。

ああああ……おまえは、それでも笑うんだな……。

救われるようで、かえって救われねーよ。

なにせ、なぁ……。

オレだからなぁ……。

やはり、異世界には行かなくて良かった……。

結局、顔で人気が決まるのだったら、例え世界を救って人気が出たとしても、それは付与されたゲームの能力のおかげであって、オレ自身の評価が高まったわけではないのだ。

これは、皮肉ではない。

不正チートと同じことだ。特にオンラインでは顕著なことだろう。だれからも認められない。だれも友達になってくれない。他人を遠ざけているとも知らず、独りで悦に浸ることの虚しさだ。

異世界召喚では、友情は生まれない。

もちろん、愛情も……。

人は、見抜くものだ。他人の性格を。他人の実力を。

実力のある者は、不正をすることはない。なぜなら、実力だけで勝てるから。

この場合、ゲームの能力を付与された時点で、すでに異世界の住人たる権利を失っているようなものなのだ。

他人からの評価は、平等の場であるからこそ、下されるものなのだ。

不正チートで召喚されても、オレの生み出す利益のみが、集客の理由となるだろう。

近づいてくるのは、金目当ての異世界人だけ……。

異世界に行ったところで、得るものなどなにもなのだ。

さて、涙が乾いてきたところで。

ああああの話にもどそう。

あいつをどうするか……?

心であるオレならば、なにかできるかと思ったのだが、コントローラではなにも反応しやがらない。

……そう言えば、ボイスチャットは試していなかったな。

正直、こっちでもあまり使ったことはない。メイが独占していたし。

モニターで、ああああのまわりに人がいないことを確認して……。

「あー、あー。聞こえますかー」

『だ、だれ?』

うお! いけた!

ああああが、反応している。

いや、でも……どうする?

正直に言うか? この性格なら、真に受けそうだけど……。

そもそも、小難しいことを理解できるのかが怪しいところだ。なんか子供だし。

結局は、こちらの言うとおりに動いてくれればいいわけで……。

う~ん……。

……。

「……私ゃ、神さまだよ」

『か、か、かみさま!?』

ああああは、盛大に尻もちをついた。

……思った通りだったな。

オレは、そんなリアクション見たさに、つい面白さのほうを優先してしまっていた。



我ながら、面白い。

『す、す、すげぇぇぇぇ! かみさまだ! かみさまだ!』

ああああが、諸手をあげながらジャンプしている。

ここまで大仰に驚いてくれると、脅かしがいがあるというものだ。

「神さまなんて、とんでもねぇよ……」

『えぇ!? ……かみさまじゃないの?』

「いいや。私ゃ、神さまだよ」

『やっぱりだ! かみさまだ! かみさまだ!』

謙虚に見せかけてからのボケだったのだが……笑いとかそんなことより嬉しさが勝ってしまっているようだ。

こんな調子だと、どこまで教えていいものやら……。

余計なことを教えても難しくて混乱させるのが関の山だろう。

神さま、と嘘をついたことは、かえって良かったのかもしれない。

そういえば、このボイスチャットは、音声をイジれるんだったはずだ。

悪戯心が、疼いてくるな……。

どうせなら、それらしくしたいし……ちょっと、やってみるか。

「私ゃ、神さまだ」

『おー! おー!』

ああああのリアクションが変わった。

むこうにも、ちゃんと変換されて聞こえているようだ。

なんか面白くなってきたな……。

他にもあるから、色々と試してみよう。

「私ゃ、神さま」

『なになになに?』

「私ゃ、神さま」

『ぷるぷるぷるって!』

「私ゃ、神さま」

『ひぃぃやぁぁぁぁ!』

ああああのリアクションが良すぎて、オレ自身、なにを選んでいるのかわからなくなってきた……。

いつまでも遊んでいるわけにもいかない。

ちょっと、気を引き締めようか。

「私ゃ、神さま」

『にぃぃえぇぇぇ!?』

「私ゃ、神さま」

『ぽきゃみゅぅぅぅ』

……段々、ウザくなってきた。

自分からやっておいてなんだが、子供相手だと笑いのレベルが違うから、やっていて面倒になってくるな。

いい加減に決めよう。

「私ゃ、神さま」

『ほわほわほわ~』

これにしよう。なんか神秘的だし。

さて。声色が決まったところで、ここからが本番というものだ。

……よし、いくぞ。

話の内容も、神さまっぽくしないとな。

「あーあー……そこは異世界。キミは、選ばれたんだよ」

『はえー』

「これからは、私の言うとおりにしなさい」

『ほぇぇー』

「キミはこれから世界を救えるかもしれない」

『……』

……なんか、ああああのリアクションが悪くなっていくな。

オレの話の内容に驚きすぎて、声も出ないのかもしれない。

……やりすぎただろうか?

ゲームでなら定番の設定も、リアルとなると重すぎるのかもしれない。

ちょっと、フォローしておくか。

「安心したまえ。キミは私の言うとおりにするだけで良いのだ。失敗してもキミの責任ではないのだよ?」

『……』

「なんなら簡単なミッションから始めてみようか。なに、すぐに慣れるから心配ない。操作を覚えるためのチュートリアルだ」

『あの……』

「恐がることはない。チュートリアルからスタートするのは、定番の」

『あの!』

「……はい?」

『あの……さっきから、なんて言っているか、わからないんですけど』

あ、そう……。

音声をイジリすぎて、聞き取れなくなってしまっていたようだ。

……大失敗。



オレは、ボイスチャットの音声を普通にもどしてから、もう一回、ああああに似たような説明をしてやった。

すると、

『わかりました!』

ああああは、モニターの方にむけて返事をした。オレの声は、カメラ位置から聞こえているらしい。

さて、やっとスタートラインに立てたということで、とっとと状況を進めていきたいと思う。

まずは現状の確認からだ。

衣食住。

これを確保しなければ、話にならない。

見ればわかる通り、ああああは服を着ている。オレにとって見慣れたスウェット姿で、機能的にも無難なところであった。よくは憶えていないが、おそらく異世界召喚される直前の姿のようで、もしも、甘利由梨の誘いに乗っていたら、裸での召喚になっていた可能性があるということだ。未だにあのときのことを惜しむ気持ちのあるオレだが、今のああああを見ていると、初めてあのときの自分を褒めてあげたいと思えるようになっていた。

服は、これでいいとして……。

つぎは、食べ物だ。

……いや、どうだろ?

ゲームが反映されるのなら、食べなくても大丈夫という可能性すらありえる。餓死するゲームなど限られているし、この辺りの定義はなにを基準とするものなのか、よくわからないところだ。

とりあえず、本人に訊いてみることにした。

「普段は、どう? 食べているの?」

『食べていますよ』

食べていた。その辺は、ゲームとは関係ないということか。

しかし、ああああは、なにを食べているのか?

牧草とか、ミミズとか食べていたら、どうしよう?

盗品も嫌だが、人間としての尊厳とかを考えたら、どっちが良いのか、よくわからなくなってくる。

ん……? 影が――

……うお! なにか落ちてきた!

デカい……おにぎり?

一辺が1メートルはある正三角形の巨大おにぎりだ。

ああああが、それを食べはじめたけど……。

……速ぇぇ! 一気に飲み込んでいくぞ!

蛇が、鶏の卵を丸呑みするより難易度が高かったんじゃないのか?

また、影が!

今度は……肉っぽいけど?

ああああが、またそれを食べていく。

肉には骨もついているけど……全部、いったぁぁぁぁ! 飲み込んじゃったぁぁぁ!

さらに……つぎは、ケーキか!

見てるだけでも胸焼けしてくる……よく食えるな、そんな大きさのものを……。

……で。食事はわかるが……。

なに、これ……?

拾ったものを躊躇なく食べることも衝撃的だったのだが……。

その食べ物もなんというか、原色というか、典型的な形をしているのだ。子供が絵に描いたような形のケーキやら肉やら握り飯やら……。

もしかしたら、餓死しないための救済措置がすでに施されていたということか?

……かと思えば?

まだ、なにかあるのか……?

ちょ、ちょ、ちょ! ズボン下ろして、なにを――

うお! ウン……いや、脱皮か!?

茶色の中身が、とぐろを巻いている。

ああああの体には、変化はないが……。

ええ!? どっから水が!?

そして、消えていった……。

……凄まじいものを見た。

オレの姿形をした奴が、尻から体よりデカい渦巻き状のものを出したとおもったら、あっという間に水によってその巨大なものが流されてしまったのだ。

オレは、恐る恐る訊いてみる。

「あの……今のは?」

『ウンコです』

見たままだった。

さっきの食い物と同じように、デフォルメされていたのが救いだったが、それ以外はすべてがアウトである。

「今までも、そうやってしていたの?」

『ウンコですか? はい、そうですよ』

「トイレにも行かず?」

『はい』

「ところかまわず?」

『はい』

「だれかに見られたことは?」

『ありますけど、みなさん走って逃げますね』

……ですよね~。

そっか~。

ありえね~……。



どうして、こんなことに……。

自分の体と再会できたはいいが、とんでもない習慣が備わってしまっていた。

空から落ちてくる食べ物に、巨大なウンコ……。

盗まれた自転車がデコデコに魔改造されて戻ってきたとしてもここまで驚きはしないだろう。

とにかく、原因を探さなくてはならない。

食べて、ウンコして、水に流す――

明らかに、なんらかのゲームの状況を示しているものだ。

オレは、今一度、部屋の隅で稼働している古いゲーム機を調べてみた。

ペットを育てるゲームだった。

おそらく、メイが通販で買ったものだろう。

どういう仕組みかわからないが、エサやりから排泄処理まで、自動で世話をするように改造されているらしい。

異世界召喚に使われたゲームが、これで明らかになったわけだ。

しかし、新たな疑問が浮かんでくる……。

なぜ、これにした?

もう一人のオレが、妙に幼稚なのも、これが原因ではないのか?

生まれたての設定ならば、好奇心の塊にもなるわけだ。

……で、それがなんだ?

メイは、生まれたての人間に、なにをさせる気だったんだ?

このゲームではなく、どこぞのRPGにでもしておけば、世界は救えなくとも、近所の厄介事くらいなら解決できそうなものを……。

飯食って、ウンコして、寝るだけだぞ。

このペットのシンプル化は、生物の営みを極限まで短縮しているわけだが、ドット絵だからこそ許されることなのだと、我が身を客観視してはじめて理解した。

そんな禁忌のリアル化だが……。

オレには、この一連の流れを止めることなどできない。

なぜなら……この育成ゲームには、死の概念があるからだ。

下手にイジれば死んでしまうかもしれない……。

ペットは家族と言うが、この場合のペットとは、オレ自身でもあるのだ。

つまり、死ぬのはオレである。

もう、オレにはなにもできない。

すでに始まってしまっている育成に関与することが果たして許されるのかわからないのだ。

異世界召喚という技術の一部に、この古いゲーム機がつながれ、そして、オレも取り込まれている。

まるで悪い夢のようだった。この古いゲーム機が自分につながれた人工生命装置のように思えてくるのだから……。

もはや電源を落とすという選択肢も選べない。

せめて家のブレーカーを落とさないように節電するくらいしか、今のオレにはできそうになかった。

なんだか、ああああを見ているのが辛く、オレは、別モニターにメイの姿を呼びだした。

そこには、オレの体に勝手にチューブをつなげたであろう女が映っている。

……なぜ、死ぬゲームにした?

……なぜ、恥辱を与えるゲームにした?

運命などというものに関わったことのないオレにも、押し寄せる波に翻弄されて削られていく木っ端のように、我が身の変容からその抽象的な力が垣間見えるような気がするよ。

その時、モニターのスピーカーが、こんな声を拾っていた。

『ゴロー? 人畜無害にしといたから、探さなくてもヘーキ、ヘーキ』

……そうか。

よくわかったよ……。

……これが、殺意というものなんだな?

メイは、自分が異世界に帰るために、オレを利用せねばならなかった――

ここまでは理解できる。しかし……。

他人であるオレを利用するのであれば最低限の敬意というものを払わねばならなかったであろうに、このメイという女は、勝手にオレを乗り物代わりにしてそれに乗り込み現地で乗り捨ててそのまま放置するという雑さで扱いやがったのだ。

土手を滑るダンボールかなにかか。

名前も、ああああ。

気遣いなど、欠片もない。

オレは、モニターから視線を外して部屋の天井をみあげた。

……さっきまでオレの心に満ちていたネガティブな感情が、まるで油であったかのように、メイの一言によって着火させられた気がするよ。

これで、腹は決まったな……。

――邪魔してやる。

メイがなにを企んでいやがるのか知らんが、徹底的に邪魔しくさってやろうじゃねーの。

オレの全力をもってな……。

おぼえとけよ、ど腐れ魔女が。



異世界には、魔法の概念がある。

いわゆる、剣と魔法の世界というやつだ。

こちらの世界での科学の代わりにむこうの世界での魔法と、メイは言っていたが、より人力に頼るようなところが魔法にはあるものか、移動手段などには大型化したものが見受けられず、建物などもそれ相応のものしか建築されていないようで、こちらからすれば一時代も二時代も前の印象をうけるものであった。

集団の力よりも、個の力。

巨大建築よりも、洗練された技能。

日本で言えば、江戸時代くらいの風景観であるのが、異世界である。

そこに――

巨大ロボットが飛んでいた。

もちろん、こちらの世界から異世界へと召喚された創作物である。

異物であるが、幻ではない。

質量のある巨大人型兵器が、剣と魔法の世界の空を飛んでいるのだ。

一面のお花畑の真ん中に、ショベルカーが鎮座している不穏さという感じだろうか。

情緒のある景観が、ぶち壊しである。

町の人々の反応も、恐怖におびえるものばかりであった。

この事態を受け、城からは騎士団が出動することとなり、住居地域の窓や扉は閉じられ、町の機能は停止する騒ぎとなっている。

ちなみに、ああああは、空を巨大ロボットが通過するたびにはしゃいでいるが、人気のないところだったので放置することにした。

しかし……大胆なことをしたものだ。

首謀者は、モニターを見ているオレには知れている。

メイである。

世界には、常識もあれば、文化水準もある。

異世界のそれが、巨大ロボット一つで一変してしまったのだ。

町の反応をみれば、一目瞭然だろう。

異世界召喚における弊害だった。

この惨状を見るに、異常事態というより、天変地異である。

こちらの世界で言えば、大航海時代がそれに当たるだろうか?

先進国の航行技術の発達により、未開の地への進出が可能になり、それまで親交のな

かった地域との文化交流が活発になった。しかし、それも急ぎすぎれば弊害を生むわけ

で、後進国にとっては強者に蹂躙されたも同然であり、それまで育ててきた文化も根絶

やしにされ事態もありうるのだ。

しかも、その大陸間を移動するための技術が、後進の方から提供されているという皮

肉である。

異世界召喚という技術自体が封印されていなければならないレベルであろう。

そう……明らかにおかしいのだ。

宇宙人に呼びかけることをしておきながら、本当に宇宙人が来てしまえば根絶やしに

されるようなもので、その危険は予測できなかったというのだろうか?

罠にかけてまで異世界に飛ばしたメイは、先進国や宇宙人のように、こうして来襲し

てしまっているのだ。

その王子とやらの責任は、重いだろう。

さて、その話は置いておいて……。

ロボットは、依然、上空にある。

このロボットの形状――

オレの予測するゲームに登場するロボットであれば、ビーム兵器の残弾数は無限で、飛行も無制限にできるはずである。

もしも異世界にドラゴンがいたとしてもこの兵器には敵うものではないだろう。

世界征服も可能である。星が滅ぶほどのチート能力であるのだ。

メイは、地上だ。

ロボットの操縦士とは、ポチがそのコックピットに付き添い、ポチを通じて話をするという手段をとっている。

それらを観察するオレのほうには、上空のロボットを追跡するようなゲームがないため、地上からの眺めしか選べない。

メイが、耳のイヤリングを触る。それがポチとの通話媒体らしい。

『そろそろ、魔法兵団がくる頃よ。攻撃されてからだと逃げたように思われちゃうわ』

『了解です。反撃できないことがバレないうちに退散します』

……今のポチの返答で知れたな。

ビーム兵器とか、無理なんだな……。

ふむ……。

限界があるのなら、手の打ちようもある。

幸い、ロボットは一機だけ。

これが狙い目になる。

そして、ロボットが地上におりてきたところを特定できれば――

……と、まずは、その前に。

巨大ロボットが、メイのいるところに降り立った。

ロボットの胸の辺りにあるハッチが開いていく。

さて、だれが乗っているのやら……。

操縦士の面、おがませていただきましょうか。



……だいぶ、上手くなったな。

オレの部屋のモニターには、気持ちよさげに飛行するロボットが映し出されていた。

上達しているのは、もちろんロボットの操縦技術である。

歩行、走行、飛行、潜航、運搬、無音移動、土木作業――などの繊細な動きから、加速、緊急回避、格闘、武器技能、投石――などの戦闘技術まで、幅広いロボットの運用が可能になっている。

これならば、例え兵器の類がなくても、異世界の魔法戦闘において負けることはないだろうし、工員として一般社会に溶け込むこともできる。

すばらしい努力の成果であると言えるだろう。

しかし、上手くなったのは、こちらも同じだった。

オレの分身である「ああああ」のコントロールだ。

オレの声による指示だけで、ああああには色々なアクションをさせることができるようになった。

木登り、走るときの呼吸の仕方、泳ぎ方、手の洗い方、水浴びの習慣、洗濯、寝床の確保――など基本的なことから、忍び足、物陰に隠れる、変装、他人の注意を逸らす、だれも見ていない隙に行動する、隠し場所から鍵をとりだして扉を開ける、急いでいる振りをすることで疑われないようにする――など実用的なものまで、幅広い実生活のやり方を教えてきた。

これならば、例えバカでも、オレの望みを叶えるに事足りることだろう。

飽くなき怨念の集大成と言えた。

……そろそろ、か。

ロボットの練習時間と、こちらの生活の周期――

その二つが、合致するタイミングが迫ろうとしているところだった。

すでに、ロボットの隠し場所は知れている。森の中だ。

そして、搭乗者の休憩のローテーションも把握済みである。

そして、ロボットから出てきたのは、クラスメイトでロボットマニアの井上くんであった。

……ケッ。

幸せそうな面ァしやがってェ……夢が叶ってさぞご満悦なことでしょうなァ。えェ?

しかし、メイに関わったのが、運の尽き。ここで果ててもらいましょうか……。

オレは、ボイスチャットをつかって、ああああに話しかけた。

「さあ、練習した木登りの成果をみせるときだよ」

『はい、神さま』

井上くんがロボットから離れていくのを見計らい、物陰に潜んでいたああああが、ロボットにスルスルと登っていく。そして、コックピットに入ったタイミングで……日課であるアレの時間と相なるわけである。

ウンコ――

もちろん、水で流すことなどしないようにオレの部屋にある古いゲーム機の設定を変えてある。

デフォルメされているが、本物という設定ならば、臭いもそれ相応のものになるはずだ。

夢のロボットの操縦席に巨大ウンコ――

卒倒してもおかしくないレベルの悪夢であろう。

「はじめてのトイレは上手くいったねー。すぐに降りようか」

『はい、神さま』

ああああが、だれにも気づかれずにロボットから降り、隠匿性能を発揮しつつ、ロボットから距離をとっていく。

そんなこととは、露も知らず……。

ロボット好きの井上くんが、昼食とメイとの打ち合わせを終えて、午後の練習のためにロボットに乗り込んでいった。

ちなみに、オレはモニターのカメラをロボットの操縦席には合わせていない。そのため内部がどうなっているのかなど全くわかっていなかったりする。

地上にあるカメラ位置からは、井上くんがロボットの胸部へと入ろうとする後ろ姿が見えている。

その背中が、なにやら動きを止めたり、忙しなく覗き込んだり、入ろうとして出てきたりする。

すると、井上くんが、ツルっと足を滑らせて、内部に落っこちた。

沼にハマった牛のような叫び声が聞こえた。

そして、操縦席から転げ落ちるように出てきたのは、茶色になった井上くんで、地上に降りた瞬間に盛大に吐いた。

大量の糞尿にまみれたせいか、その臭気のせいか、それとも、夢の空間が汚物まみれになっているという現実に耐えられなくなったせいか。

井上くんは、吐きながらも言葉にならない声で発狂している。

泣き顔なのに、涙が見当たらないのは、顔中が茶色にまみれているせいだろう。

こっちの世界にある井上くんの自室が操縦席を模したつくりであることは実際に透明のオレが行ってみて確認している。

それほどまでのロボットへの想いが、大量の糞尿によって汚されてしまったのだ。

しかし、井上くんも、井上くんである。

物語「浦島太郎」の教訓がなんであるのか?

そこに気づけば、回避できたかもしれないものを、愚かなことをしたものである。

おいしい話には裏がある――

……亀を助けた程度で、豪勢な歓待なんぞ受けられるわきゃねーだろ。ていうか、亀をイジメていた子供たちも、乙姫さまに雇われていた可能性すらありうるって話だ。

そんな乙姫さまことメイも、汚物まみれの浦島にはドン引きしているようだ。まさか玉手箱が何者かに先を越されるとは思いも寄らなかったということだ。

浦島太郎にとって、このトラウマは、老人になっても引きずることだろう。

もはや、掃除する気力もあるわけもなく……。

井上くんは、異世界から脱落していった。



メイが、再びこちらの世界のオレの部屋に来ていた。

「こっちは準備できたわ。そっちはどう?」

『見張りの気配はありません。準備完了です』

例のごとく、モニターにはぬいぐるみ姿のポチが映っている。

こちらにいるメイは、透明ではなく、肉体があった。

対して、オレは透明のままである。

そんなオレの存在に――メイは気づいていないようだった。メイが魔法をつかえなくなったのかはわからないが、とりあえず、心を読む魔法は透明のオレには効果がないということだけは確かなようである。

背後のオレに気づかないまま……メイがモニターのポチと会話をしている。

「つぎは上手くやるわよ。前のやつは運がなかっただけよ」

『運がない……ダジャレですか?』

「違うわよ! ウンコのバグなんか、二度とあってたまるもんですか!」

バグねぇ……。

どうやら前回のコックピットウンコ事件がオレの仕業であることはバレていないらしい。

でかいウンコの時点で、古いゲーム機のことに気がつきそうなものだが、メイにその気配はない。おそらく知らないのだ。異世界召喚するためにオレを取り込んでいるゲームが、どういう内容であるかを……。

……あー、そーですかー。へー、なるほどねー。

よっぽど関心がおありでない?

だったら、もう一度、見せてやりましょうか。そして、思い知らせてやりましょう。

おまえは、最悪の相手の怨みを買ったということを……。

『メイさま。召喚者のほうの準備が整いました。こちらの安全も確認済みです』

「オッケー。それじゃあ、いってみよう!」

『了解しました。召喚を開始します』

召喚を開始します――

……言ったな? その言葉を言ったな?

この二人のやりとりは、前回の井上くんの召喚のときに、オレに目撃されている。

メイはオレの部屋で、もう一人はおそらくその自室で。それぞれゲームを起動しつつ待機し、そこから異世界に召喚されるのだ。

異世界への出現位置は、固定である。城の内部で、魔法球体の設置されたところだ。

そこはメイの敵方の本拠地であるらしく、そのため、ポチによる確認が必要になってくる。見張りのいなくなった隙に召喚をし、すぐさま召喚者をそこから連れ出そうというのだ。

そこに、送り込んでおいたよ……。忠実なるオレの肉体をな……。

予定通り、モニター向こうに異変がはじまったようである。

『……いけません。だれかが駆けてきます。離脱します』

「ちょ……! 今さら、止められない――」

その言葉を残し――

メイがオレの部屋から消えた。

息を潜めていたオレは、急いでゲームをつける。

モニターに映るのは――

……イェス!

巨大ウンコにバッチャバッチャ埋もれるメイと猪瀬くんである。

ダッシュ・ウンコ・ダッシュ――

ああああが、最近覚えた技である。

城の内部構造と兵士の行動パターンから安全地帯を割りだすことなどオレならば容易なことである。

あとは、ああああがポチの合図さえ聞き間違わなければ……この通り。

ああああは、今頃、スッキリ笑顔で城の空白地帯を駆け抜けていることだろう。

さて、メイのほうだが……。

溺れる者は藁をもつかむ、というが、ウンコの山に埋もれては、なにをつかもうとウンコしかないし、つかんだところでウンコでしかない。

猿声のけたたましさが、茶色からのぼり立つ生温かな湯気を震わせていた。

それにしても――

見れたものではないな……。

メイ本人への直接の怨み返しであるのだが、ものがウンコであるため、いくら苦しむ姿を見られるといっても、嫌悪感のほうが先に立ってしまう。

見ているこっちも苦痛になってきた……。

そろそろ、むこうの準備も整った頃であるだろう。

オレは、モニターを消した。

メイがパニックになっているであろうこと数十秒……。

ああああのウンコを置き去りに、メイがオレの部屋にもどってきた。

そのままメイが放心状態になること数十秒……。

「あああぁぁぁぁああぁぁぁあああああ!」

メイは、突如として叫びだしたかと思えば……。

ゲェェェェ……。

盛大に吐いたのだった。

部屋に置いてあった洗面器に、それがなぜそこにあったのかわからないままに……。



メイとポチが、モニター越しに話している。

「王子の妨害じゃないの……?」

『それはありえないかと。メイさまがこちらにお戻りになられているとわかれば、捜索隊が組織されるはずですから』

「だったら、魔法球体にそういう罠が仕掛けてあったとか……?」

『そちらの方が、状況的に自然であるようですが、どうなのでしょう……』

「もしかして、それも含めて罠だったんじゃないの……?」

『まだ、わかりません。やはり王子の反応がないと、判断のしようがありません……』

……まるっきり、お通夜状態だな。

そんな二人の会話を聞きながら……透明であるオレはニヤニヤが止まらない。

さて、つぎはどうするか?

あの位置でのウンコは、もうできないだろう。ポチにガードされては、ああああが顔バレしてしまう。

かといって、復讐の手をゆるめる気など、オレにはない。

お通夜など、所詮は通過点……葬式こそが、オレの本望なのだ。

おまえの満面の笑顔の写真を、一番目立つところに掲げてやろうかァ……?

「それじゃあ、ちょっと行ってくるわ……」

メイがモニターを消し、立ち上がった。

どうやら出かけるようだ。こちらの世界で外出するらしい。

……ちょっとオレも冒険してみようか。

メイが歩く横を、透明のオレがついていく。

いやぁ……いい天気だ。

透明でいると、直射日光が感じられないのが難点だが、それでも天気がいいと心も晴れ晴れとするものだ。

それにしても……。

メイのテンションの低さである。

風邪か、低血圧か、学校のマラソンの日か。

メイは、足を引きずるようにしてトボトボと歩いている。

すると――

メイが、ビクッとして立ち止まり、足元を見た。

透明のオレも、メイの足元を見る。

……こいつ! 犬のウンコ踏みやがった!

背中丸めていたくせに、足元見えてなかったのか!? 意識なんて飛びまくって、全然見えてねーじゃねーか!

メイが、慌ててムーンウォークして靴裏を地面にこそげていく。

そして、ひとしきり動き回ったあと……メイはその場に立ちつくした。

疲労だろう。肉体的なものと、精神的なものの。

こういうときの直射日光は、やけに熱く感じられるものだ。ジリジリと照りつけるものが、神経を焼き切ってくる感覚すらある。

すると……。

メイは、来た道をもどりはじめた。

もはや、なにかをする気力も失ってしまったのだろう。

まるで鉛の靴でも履いているのかという足どりである。

その足が、ビタッと止まった。

メイが足元を覗き込み、オレも同じところを見る。

……またウンコ踏みやがった!

さっきと違うウンコだ! 行き帰りの行程で、どんな確率の遭遇だよ! いくら足元に不注意でも、ありえない偶然だぞ!

今度のメイは、ムーンウォークすらしない。その力が出ないらしい。

ウンコを踏みしめたまま、メイの直立像ができあがる。

そこから――

ポタポタと、雫が落ちた……。

……泣いているのか?

違った。

涙ではなく、涎だった。弛緩しきって、一歩も動けないらしい。

その頭頂部に――

鳥の糞が直撃した。

……バチが当たったのだ。

ウンコの神様も、本来なら犬の飼い主を叱るべきところを、よほど腹に据えかねたことがあったのだろう。

そして、ついに――

メイは、笑いだした。ビニール袋を連続でデコピンしているかのような乾いた声が、抜けるような晴天に吸い込まれていく。

鳥――犬。

ウンコに上下から挟まれながら見る景色は、どんなものなのだろうか?

思い出すのは、異世界でのウンコ体験か。

あのときの臭気や、ぬめり、硬さに、生温さ、味もあっただろう。それらを全身で受け、溺れる危険すらあったのだ。

今のメイの脳内には、ウンコしかないのだろう。

ウンコという言葉を聞いただけで、死んだ目をして笑い出しそうな気配すらある。

まるでウンコの傀儡のようであった。

そんな哀れなピエロのことなど、もう子供ですら直視してくれない。母親の制止する言葉もなく、親子はメイを視界に入れずに立ち去っていく。

まさに、ウンコとは、そういう扱いであるのだ。

……オレも、帰るか。

なんか、ウンコネタにも飽きたな……。

こうして、メイへのウンコの洗礼は終わりを告げたのだった。



あれから、3日……。

メイは、やっと動き出したものの、それでも全快したとは言い難く、まるで紛争地帯を歩くかのように、地面に、空に、警戒心を全開にして歩いていた。

草むらに隠れ、犬の散歩をやりすごす様子に――さすがのオレも、哀れみの目を向けざるを得ない。

少々、効きすぎたようだ……。

……といっても、オレは原因をつくっただけで、その後の追撃の部分はメイの自業自得であるのだが、今後については多少の配慮をしていかなくてはならないようだ。

オレには、死体蹴りの趣味はない。もちろんスクワットもしなければ、オーバーキルの数値にも興味はない。

負けを認めた相手には、なにも言わずに立ち去るのが、双方にとっての利というものだろう。

過去ではなく未来――

そういう観点で言えば、オレの怨みは現在になる。原因は過去にあるものの、未だに継続しているからだ。

どちらにせよ、過去に起因するそれが解消されなければ、オレの怨みも消えないし、オレとメイのどちらにも未来はない。

ただし、ここまでのオレによる怨み晴らしでは、いまいちメイには上手く伝わっていないようなのだ。

いつまでも透明のままというわけにもいかないし……。

今一度、オレは目標というものを見直さなければならないようだった。

メイが、一軒の家に着いた。

伊能くんの家だった。

伊能くんは、突然の甘利由梨の訪問にドギマギしながらも部屋にあげ、そこでメイという正体のことと異世界召喚の話に驚くことになる。そして、RPGのデータを使いその主人公として異世界に降りたつ決意を固めたのだった。

そんな二人のやりとりを尻目に――

透明であるオレは、伊能くんの部屋をチェックしていた。とくに、訪ねてきたメイを自室に入れる直前に、伊能くんがベッドの下に押し込んだゲームが気になっていたのだ。

ギャルゲーだった。

……なるほど。世界を救うよりも、こちらのほうがお好みで。

英雄色を好む、とも言うし。

ふ~ん……。

……。

メイが帰り、伊能くんが自室に残り……オレも残った。

もちろん、伊能くんが透明であるオレの存在に気づいた様子はない。

しばらくすると、伊能くんの部屋のモニターから、ぬいぐるみ姿のポチとその声がするようになった。

『それでは開始します。ゲームを起動したまま、お待ちください』

「あと、毛布をかぶってください」

オレは、ポチの指示につづき、ポチの声色を真似てそう指示をだす。

伊能くんは、毛布を頭からかぶった。オレの指示だとは気づいていない様子である。

伊能くんの目と耳は、毛布により遮断されている。

その隙に――

オレは、起動していたゲームを、RPGからギャルゲーに替えてやった。

伊能くんも、ポチも、ゲームがすり替わったことに気づいていないようである。

『召喚を開始します』

くだんのポチによる合図の声が聞こえ――

伊能くんは、この部屋から消えた。

……よし。

オレは、伊能くんの家をあとにした。

これは悪戯ではない。

一人の男の願望を叶えてあげたのだ。本心を隠しつつ、異世界召喚に応じたその紳士なまでの態度に、敬意を払ったまでのことである。

当然ながら、メイのほうに迷惑がかかるだろう。

すでに、メイのメンタルは、ズタズタのボロボロ状態である。

もう、これ以上の復讐は、無意味なことかもしれない……。

そもそも、オレの方に怨みがあるにせよ、それがメイに伝わらなければ、原因の解決には至らないのだ。

こんな不毛なことをつづけても、なにか得るものがあるわけでもないし、いくらオレの心が晴れたとしても、この透明の状態のままでは、すぐに曇天に逆戻りになるだけだろう。

それでも、オレにはやらねばならない理由があった。

だって……こんな面白そうなこと、放っておけるわけがないじゃないですかー。

食べてみたい……見てみたい……試してみたい……。

好奇心こそが、人を、世を導く原動力であるわけだし、これを否定するというのならば、それは今の社会を否定することと同義であるだろう。

それに、メイのリアクションも、オレを惹きつけて止まないのだ。

だって……RPGの主人公だと思って召喚したのに、ギャルゲーの主人公だったってオチなんだよ?

ダメだ……想像しただけで、ニヤけてしまう。

おそらく、世の中にとってはどうでもいいことなのだろう。そう考えると、オレのしていることの無意味さに立ちすくむような感覚も、オレにはある。

……わかっているのだ。

オレのしていることが、なんにもならないってことが……。

それでも、オレにはやめられそうにない。

オレも、辛いのだ。

やめられるものなら、今すぐにでもやめたい。

しかし、あえてオレは受け入れよう。

例え、世界中から罵られようとも、オレはこのエゴと共にどこまでも行こう。

だって……世界を救う英雄だと思っていたのに、女の尻ばっか追いかける童貞だったんだよ?

オレのはやる気持ちが、透明な足音をスキップの間隔にしていた。



メイと伊能くんは、異世界へと召喚されていた。

その様子を、オレは部屋のモニターで閲覧しているのだが……。

いや、すげぇな……。

さすがは、ギャルゲーのエンディングデータといったところか。

伊能くんがすれ違うだけで、女のことごとくを腰砕けにさせまくっていっているのだ。

最初の被害者は、共に異世界召喚したメイであった。

本来ならば、城から脱出しなければならないところを、メイは伊能くんに縋りついてしまってどうにもならず、ポチが伊能くんを促すことにより、なんとか窮地を脱することに成功するというありさまだった。

町に出てからが、さらに大変だった。

伊能くんは、女であれば赤子から老婆まですれ違うだけで一目惚れさせまくっていった。

歩く距離がそのまま女の人数に換算されていく状況である。

伊能くんが走れば、女も走り、その距離が伸びれば、追ってくる人数も増えていく。

もはや、ギャグを通り越して、ホラーのようになっていた。

伊能くんはもちろん、ナビゲートするポチも逃げることに必死で、まったく打開策が見いだせないでいるようだ。

メイの姿は、ない。

すでに女の群れに埋もれて久しく、伊能くんの付近にその姿はなかった。

オレも、段々、恐くなってきていた……。

まず、ここまで本能を剥きだしにしている女というものを見たことがないし、それが一人の男子をめがけて追いかけてくるという状況なのだ。助け合うこともなければ譲り合うこともなく、ただ我欲だけをエネルギーにして突っ走ってくるわけだ。

知的生命体が聞いて呆れるような光景である。

所詮、理性など飾りでしかなかったということだ。この女たちの血走った目をみればそれがわかる。これこそが人間というものの本性であるのだ。

モニター越しのオレでも震えるくらいだ。その現場にいるというだけでなく、追われる立場ともなれば、どういう心境となるのかなど、もはや想像の範囲を超えている。

伊能くんは、呪文を唱えていた。

最上位の攻撃呪文だった。それを何度も何度も、追いかけてくる女たち目がけて、手をかざしているのだ。

そういえば、伊能くんは、RPGだと思っているんだったな……。

伊能くんもポチも、これがギャルゲーのデータだと気づいていないのだ。暴徒に襲われていると勘違いしたままでは、収拾などつけようはずもなかった。

やがて、伊能くんは追い詰められた。

すると――

女たちは、服を脱ぎはじめた。本人たちはアピールのつもりなのだろうが、伊能くんにとってはただの錯乱したバイタだろう。

さらに、女たちは、女同士でつかみ合い、ひっかき合いの喧嘩をはじめた。伊能くんの奪い合いのつもりなのだろうが、伊能くんにとってはただの裸族の内輪もめだろう。

その隙をつき、伊能くんは逃げだした。

女たちも喧嘩をやめて、再び伊能くんを追っかけはじめる。

伊能くんは、壁をのぼり、川を泳ぎ、商店街を通る。

女たちは、自重で壁をなぎ倒し、物量で川をせき止め、勢いで商店街を破裂させた。

まるで大量発生した生き物のように、女たちの通った場所のことごとくが更地に変えられていく。

そして、土煙と、地響きの果てに――

伊能くんは、捕まった。

もうターゲットを放置したまま喧嘩などしない。

まるでライブ会場の客席にダイブした歌手のように、バンザイした女たちの上を伊能くんが運ばれていく。

いつの間にか、伊能くんの服は引きちぎられていた。裸である。

伊能くんが自分の股間を押さえているのは、女たちがそこばかりを掴もうとするからだろう。

ポチのぬいぐるみの姿は、なかった。引きちぎられたところは見ていないが、そうとしか思えない状況であることが恐ろしい。

もう、オレにはどうすることもできない……。

現場にああああを駆けつけさせたとしても、できることはウンコだけだし、そんなことで怯むような女たちではないだろう。

ただ、一つだけ救いがあるとすれば、伊能くんのデータであるギャルゲーに、ハーレムエンドがないことだろうか。それならば全員を相手にすることはないし、伊能くんを喰うのは一人だけで済む。

あとは、勝ち残る女が、アタリか、ハズレか……。

それだけが杞憂でもあり、ある意味で救いでもあった。

すると、そこへ――

鳶に油揚げをさらわれるように、箒にまたがって飛来した何者かが、女たちに掲げられていた伊能くんをかっさらっていった。

箒にまたがって飛んでいったのは――

魔女・メイだった。



メイは、城に立てこもった。

裸の女たちが、その城を取り囲っている。

女たちによる一人の男の奪い合いは、城を巻き込む大騒動に発展してしまっていた。

戸惑うのは、城の兵士たちである。

まず、メイと伊能くんによる城内侵入があった。

兵士たちはそれが何者であるかもわからないまま、城の一室に閉じこもってしまったその二人に困惑した。

そこへ、大多数の女の群れの襲来である。

兵士たちにとっては、内に外に、同時に問題が発生したようなものだった。

ここで忘れてはいけないのが、メイと城側が敵対関係であることだ。

城側は、本来ならば城の一室に閉じこもった時点でメイを捕らえることに動くべきなのだが、その正体がわからないために後回しにする方針をとることにしたのだ。

それよりも、城に侵入しようと暴徒と化している女たちの方がインパクトにおいて遥かに勝っていた。

侵入者のいるその一室に最低限の人数を残し……兵士たちのほとんどが城門のほうへと集結していた。

しかし、暴徒たちは、女であり、裸である。

この非武装の相手に、兵士たちはなにもできないでいた。盾をつかって押し返し、門を閉じることが精一杯であった。

女たちは、門を叩き、壁をよじ登ろうとし、止まることをやめようとしない。

兵士たちは、城の内側で右往左往するばかりであった。

そこへ――

王様が現れた。

『なんということだ……これほどの追い剥ぎなど、見たことがない。まずは、城に招き入れなさい。そして、毛布や服を用意するのです』

状況がわかっていないのだ。

慈悲深い王様の一言に、臣下が逆らえるわけもなく……門があけられたその瞬間に、城はその防衛力を失った。

あっという間に、城中は裸の女たちによって埋め尽くされてしまった。

倒れた王様の背中には、裸足の模様がいっぱい残っていた。

兵士たちは、どうすることもできず部屋の隅にうずくまるばかりである。

裸の女たちが、伊能くんを探して城のあちこちを走り回る。

寝室を踏み荒らし、宝物庫を荒らし、地下牢を解き放ち、脱出通路を暴いた。

その果てに、閉ざされた部屋にたどり着く。

くだんのリスポーン地点であった。

女たちが扉を破り、そこに到達したところで――

メイが、勝ち誇ったように笑いだしたのだ。

『フハハハハ! これであたしのものよ!』

魔法球体の埋め込まれた天井が輝きだし、幾重にも魔法陣が発生していき……。

……って、こいつ! こっちに飛ぶ気か!

オレは、慌てて部屋にある電子機器のスイッチを消しまくる。

そして――

メイが、オレの部屋にきた。笑いながら。

「フハハハハ! ざまー見なさい! アッハハハハハ!」

しかし、その豪快な笑みが、一瞬で真顔になる。

「アハハ…………あ?」

我に返ったか……と思えば、メイはそのまま部屋を飛び出していった。

オレも、あとを追う。

行き先は、もちろん伊能くんの家である。

メイが部屋に入るなり、伊能くんが、

「うわああああ! いやあああああ!」

泣きながら、メイに物を投げつけてきた。

メイは、魔法でそれらを防ぎながら、ゲーム機に近づいていく。

「なんで、ギャルゲーが……? それよりこれは……不正チート!?」

あぁ、それでか……。

モテ方が、なんかおかしいと思ったんだ……。

ゲームでありえないパラメータをつくっていたから、女の反応も異常なことになってしまっていたということだ。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

……なにに対する謝罪なのだろう?

伊能くんは、再起不能になっていた。

メイは、その非を責めることはなかった。心を読む魔法により、伊能くんの無実が証明されたからであろう。

しかし、「ならばなぜ?」ということになる。

当然だ。伊能くんの部屋には、メイしか入っていないのだし、ゲームをすり替えることなど、だれにも不可能であるはずなのだから。

メイが、黙考している。

その傍らで……。

透明のオレは、いつも以上に気配を消すことに努めていた。



「どうも、おかしい……」

メイが、オレの部屋で怪しんでいる。

扉も窓も開けず、無言の時がながれていた。

……探しているな?

どうやらオレの妨害に気づいたらしい。

これまで散々やりまくっていたし、むしろ気づくのが遅いくらいであった。

ただし、まだ可能性の段階である。

メイは、くだんの古い育成ゲームを手に取りこそすれ、それ以上の詮索をせずに元の位置にもどしてしまっていた。

異世界につながるモニターのゲーム画面も、メイがこちらに来ているときには機能しないようだし、オレの存在がバレることはまずないだろう。

あとは、透明のオレがニアミスさえしなければ……。

完全犯罪の成立である。

オレは、改めて注意事項を確認し、自身に徹底することにした。

まず、音だ。

足音をさせない。物にもぶつからない。自分の家であるため、床の軋みまで把握済みであるため、これはクリアできそうだ。

ただし、関節鳴らしに関しては、注意しなければならないだろう。特に膝は鳴りやすいため、曲げすぎの突発音に気をつけなければならない。

つぎに、接触だ。

必要以上にメイに接近しない。10センチは間をあけるようにして、変顔も白目を剥くようなところまではしない。もちろん、股間を見せつけることも、瞬間的に逃げられる体勢をキープしつつの範囲にとどめる。……まあ、できるだろう。

どういうわけか、メイの肘に、チンコの皮で触れることはセーフのようだが、これをつづけるかどうかは迷うところである。様子を見つつ、できれば前向きに検討したいところであった。

最後に、ニオイだ。

屁は、音を鳴らさないことはもちろん、透かしっ屁も量をまちがえて臭いさせすぎないように注意する。ちょっとならば、すぐに扇いで誤魔化すことも忘れない。ただし、あえて大量放屁することも手段として取っておくことにする。かすかな臭いは疑いの元だが、強烈な臭みは思考能力を消す効果があるのだ。どちらを選ぶか……難しいが、やってやれないこともない。

……こんなところか。

まあ、これまでもギリギリを渡ってきたオレである。あとは危険度をゆるめたことでの気の緩みにさえ気をつければ大丈夫だろう。

今もほら――

メイの素振りを何事もなくかわしている透明なオレがいたりする。

あえてチンコの寸前を素振りさせ、風で扇がせる余裕すらあるのだ。さらに片足を高らかに上げれば、チン毛とケツ毛の合わせ扇がせ技のできあがりである。

右肘を頭につけて右脇、左肘を頭につけて左脇、右耳、左耳、両腕を上げての両乳首、マンぐり返しで玉裏までも、メイの素振りに次々に扇がせていく。

将来は、箱の中に入って何本もの剣で突き刺される手品もやれるのかもしれない。

そんなこんなで、数日が過ぎ……。

メイが、再び異世界に帰った。

……まあ、こんなものか。

オレは、そこそこの充足感のなかにあった、。

メイも、さすがにヒステリーを起こしかけていたようだし、こんなところで許してやるとしますか。

……というのも、ここ数日に渡って、オレが嫌がらせをしてきたからだった。

その内容を抜粋すると――

まるで暗くしたときだけ飛んでくる蚊のように寝ているメイの顔に透明のチン毛を落としたり……どこかに発生する小っちゃい虫を捕まえてエアコンの吹き出し口にとまらせておいたり……メイがいつも座っている椅子の右半分だけ人肌に温めておいたり……メイが勝手に着ているオレの服をすべて裏返しにしておいたり……トイレットペーパーの端っこを取れないように少しだけ上に引っ込めておいたり……等々。

メイは、神経過敏になっているかのようにいちいちキレていた。

跳ね起きては素振りするをくりかえすメイも、さすがにオレの存在を怪しむ以上に疲れ果てたのか、最後は逃げるように異世界に飛んでいってしまったというわけだ。

これでオレの存在を拒否するようになってくれれば、これまで以上に嫌がらせもスムーズにいくというものだろう。

すると、

『どうも、おかしい……』

メイかと思えば、違った。

モニター向こうの城の者が、異世界のリスポーン地点で怪しんでいた。

メイが行き来していることは依然バレていないようだが、それ以外の様々なことが疑念となり彼らをこの場所へと引き寄せているらしい。

『不具合だろうか……まさか、魔女の呪いではあるまいな?』

嫌な呪いもあったものだ……。

巨大なウンコが置かれていたり、裸の女たちに城を占拠されたり、城の兵士たちも散々である。

しかし、なんなんだろうな……?

オレは、改めてこの城のことを考えてみた。

メイと敵対しているようだが、なぜに異世界召喚などをさせたのだろうか?

王子とやらも姿を見せないし、メイに敵視される理由もわかっていない。

すると、べつの城の者が、紙のようなものを広げてもってきた。

『似顔絵ができました』

似顔絵……?

オレは、コントローラでカメラ位置を動かし、モニター中央にその紙を映しだしてみた。

これは……!

……オレの顔!?

くそ……! ああああを城に侵入させたときか……!

まさか、そっちサイドからバレるとは……!

そこからは、早かった。

オレの似顔絵が複製され、国中にくばられていく。

もちろん、メイの目にも入るだろう。

オレは、急いでああああを検索し、ボイスチャットの準備をする。

『なんですか、神さま?』

モニターには、カメラ位置とちょっとズレた青空にむけているオレの無垢な笑顔が映しだされていた。

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