2. 嫌いなやつ

 『ピンポーン』

 壁についているインタホーンが色気のない音を立てる。同時にカウンターテーブルの上に置かれた黒い板が音を立てて、明るくなり絵が映る。これが立てる音は幾分ましだ。この板、なんていったっけ。ああそうだ。スマフォだった。ほんの十年ちょっと前にはこんなものはなかった。あっという間に世の中に広まって、どこでもみんな使ってる。

 長く生きているといろんなことあるけど、ここ数十年は、目が回るようだわ。とりあえず、あたしには原理はわからないけど使えれば十分。手にとって話しかけた。


「はーい。

 あ、いらっしゃい。ちょっと待ってくださいね」


 外行きの言葉で返事を返し、スマフォに写るボタンを押してドアを開ける。男の目の前のガラス戸が開いて入って来るのが見えた。スマフォをテーブルに置いて書斎に向かう。

 いま、あたしは二十二歳くらいの格好をしている。来客があることがわかっていたからだ。


「修治さーん。秋分社のあの山原さん来たよー。

 早く来てね」

 ドアを開けずに声をかける。ちょっと間があって返事がある。私はこの部屋はドアも開けない約束になっている。

「ああ、わかった」

 あたしの『あの山原さん』呼ばわりにはコメントもない。諦めている?そうじゃない。後で説明するけど『あの山原さん』は曲者なんだ。あたしは嫌い。

 玄関の脇の姿見で軽く居住まいを直すと、そのタイミングで玄関の脇の壁に埋め込んである画面が明るくなり、音を立てた。『あの山原さん』が映っているのを確認してドアを開けた。


「失礼します」

 応接間に通すと、あたしが勧める前にソファに腰を下ろし、持ってきたカバンを広げ始めた。別にあたしはここの主婦じゃないから、気にはしない。でも、面白くない気がするのはなぜかな。取り敢えず、彼の顔を立てて飲み物は用意するけど。


「冷たいもので良かったですか?」

「ええ、結構です。ありがとうございます」

 一応礼を述べるが、視線は彷徨い部屋の中からドアの先、廊下の向こうに見えるリビングに固定された。ややあってあたしの方に戻って来るが、微妙に視線をそらして目を見ない。


「さくらちゃんは今日来てないんですか。

 それにしても、咲希さきさんとさくらちゃんはそっくりですね」

 目当ての十二歳のあたし『さくら』がいなくて残念そう。二十二歳のあたしは『咲希』、彼の従姉妹で近くに住んでいて時々面倒を見に来ていて、『さくら』は、彼の姪でよく遊びに来ている、ことになっている。

 咲希とさくらは当然別人だと思っている。同じだと思う方がおかしいよね。

「でしょう、よく言われます」


 そうこうしているうちに彼が応接に入ってきた。

「お邪魔してます」

「いらっしゃい」


 無愛想に返事するが、山原は気にしない。慣れたものだ。すぐ仕事に話に入る。

「北海先生。新刊いい感じですよ。順調にハケて、重版出来予定より早く行けそうですよ。

 それから、これSS編のカバーの刷り見本」

 山原は大きな封筒から次々に紙を出して彼に見せる。彼は受け取ってはチラ見するだけだった。

「ほらー、態度悪いよ。機嫌悪いの判ったから。せめて読者のことは考えようね」

「あっち行けよ」

「はい、はい」

 と言いながらもその場に残る。ちょっと悪戯したい気分。



「それで、先生。

 さくらちゃんは、今日はいないんですね」

 左右に視線を飛ばす。その目には不穏当な光がある。判ってる。この人は小児性愛嗜好ペドフィリアを隠してるのよね。そんなの、サッキュバスのあたしには筒抜け。

「ああ、今日は遊びに来てないな」

 面倒くさいから、彼には伝えてない。彼もあたしのことは隠しておきたいから適当にごまかした。グッジョブ。


「そうですか。

 喜びそうな本を見つけたんで」

 残念そうにしている。残念な気持ちは本当だろうけど、動機はどうだか。

「今度持って来ますから、来る日教えてくださいね」


 空の器を下げる時に、たまたまを装って軽く肌が触れる。その瞬間に山原の心に忍び込む。いや、心を読めるわけじゃない。心の奥の欲望を刺激してやる。ついでに欲望中枢を刺激する。


「あ、う、えっ」

 山原が突然絶句して、恍惚の表情になる。きっと、あたしをああしたり、こうしたりと想像して、思わず下半身が暴発してしまったんだろう。すぐに、バツが悪そうな顔になり、場をごまかしていた。


 あたしは、キッチンに下がりながら顔が見えないのをいいことに吹き出した。キッチンでしばらく笑ってしまった。そして、椅子にヘタリ込む。実は、この悪戯はちょっと辛かった。山原の命の色はあたしに合わない。そして嫌いなの。

 あたしは、どんな欲望でもまっすぐなの好きだし、隠されてるだけならOK。でも、拗らせて歪んだものはねー、美味しくないし。それに、命の色が合わない相手の欲望に触れるとバックラッシュが起きるのよね。『バックラッシュ』この言葉の使い方はあってると思うけど。というわけで、ぐったりしていると彼がやって来た。山原は帰ったようね。


「おい、あれはなんだ?」

「あの人嫌い。ペドなの隠してあたしで夢想してるんだよー」

「えっ、そうなのか。

 でも、お前にとっては美味しいんじゃないか?少しぐらいなら外食してもいいぞ」

「だめだよー。あたしは修治のもの。それにあいつの命の色はあたしに合わないし。

 いまも、バックラッシュ反動でぐったりしてたんだよ」

「そうなのか。

 つらいなら、やらなきゃいいのに」

 皮肉で返して来たけど、ちょっと嬉しそう。えへっ、まあこれでよしとしよう。


「ねぇ、ねぇ。そんなことより。

 一つ文句があるんだけど」

 ちょっと間を置いて、彼は悪戯が見つかった猫のような顔になる。心当たりがあるんだね。彼はそっぽ向いて逃げ出した。


 その背中にあたしは叫んだ。

「さっき、書斎で自己処理しようとしてたでしょ。それは、あたしのごはん。

 今度やったら、書斎に踏み込むよ」

「それは、契約違反だぞ」

 言い返して来て書斎に逃げ込んでしまった。


 嘘をつくのは平気でも、書斎に入らないのは契約だから悪魔のあたしには破れない。悪魔よりずるいぞ。

 でもなんであたしを使わないのかねー。

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