第38話 願いの終わり

 《神様》が消えた後、そこには宙に浮かぶ小さな赤い光の球だけが残された。マナはその光に近づこうとしたが、一歩踏み出した瞬間その場に崩れ落ちる。それを見て、ニックが慌てて駆け寄ってきた。


「マナ!」


 ボロボロのマナを見て真っ青になるニックに、彼はへにゃりと疲れ切った、けれど達成感に満ちた笑みを見せた。


「大丈夫。すごく、痛いけど。ねえ、ニック。僕、やったよ。褒めて」

「大人になるんじゃなかったんですか」

「大人になっても、褒めて欲しいものは欲しいの!」

「はいはい、偉い偉い」

「もう、またニックは僕をバカにして!」


 マナは頰を膨らませて怒りの表情を作るが、すぐに安堵したような表情を浮かべる。


「本当に、終わったんだ……」


 その言葉に、ニックは強く頷いて。幸せそうに、微笑んだ。


 そんな二人の様子を遠巻きに見つめた後、ベルは赤い光に近づくと、ダンとグリュックの方を振り返る。


「この光は一体なんだ?」

「《神様》ですよ。力のほとんどを失ったせいで、今はただの光の球と化していますが」


 ダンが無表情に告げれば、グリュックも悲しそうな顔で付け加えた。


「《神様》は、決して完全に消えたりはしないんだ。人間たちがみんな憎しみを捨て去る日なんて、来ることはないからね。ベル、君は選ばなくてはいけない。この光の球を……いつか再び《神様》になりうる存在を、どうするか」

「え?」


 ベルは戸惑い、困ったように眉を下げる。自分が何を選ばなければならないのか、見当もつかなかった。


「この光の球を君の現実逃避でできたこの世界から出せば、いつかまた《神様》を拾ってしまう人間が現れるかもしれない。その行為が善意だったとしても、悲劇は十分起こりうる。今回のようにね」


「けれど、この世界に《神様》を閉じ込め続けておけば、その危険はなくなります。人間の憎しみ、恨みのこもった願いがあまりに強くなりすぎてしまえば、この世界に閉じ込めていても《神様》は復活してしまうでしょうけれど。今回のように誰かが《神様》のために願いを集め始める、ということは決して起こりえませんから、《神様》は容易に復活することはできないはずです」


 ダンの説明の後、ただね、とグリュックは顔を曇らせる。


「ここはベル、君の心そのものだ。その心の中に《他人の不幸を願った人々の願いそのもの》である《神様》を住まわせるのであれば。君は影響を受けずにはいられないだろう。

 ソルのように乗っ取られるわけじゃないけれど、君は常に人間の醜い感情と向き合わなければならなくなる。それは決して楽なことじゃないだろう。

 どちらを選んでも、君が咎められることはない。君が選んだ結果、《神様》が復活することになったとしても、それは君だけの罪にはならない。全ての人間の罪だ。君は、どうしたい?」


 ベルはしばらく何も言えなかった。考え込んだまま、少し離れた場所に寝かせているソルを見る。今、ベルが大きな決断をしようとしていることなど気づかないまま、彼は安らかに寝息を立てていた。


「もし、私がここに《神様》を閉じ込めておくことを選んだら、もう二度とソルと《神様》が融合しようとすることはない。そうだろう?」

「ええ、そうなる可能性は限りなく低くなると思いますよ」


 ダンの答えを聞いて、ベルは心を決めた。赤い光の正面に立ってその光に手をかざす。そして、《神様》だったその光に、静かに語りかけた。


「お前を、この世界に受け入れる。ここで、人間が変わる日が来るのかどうか、見守っていてくれ」


 そしてベルは、流星群が去った後も無数の星で埋め尽くされた夜空に向かって、赤い光を高く掲げる。光はぐんぐんと空に昇っていって。やがて、それは夜空に輝く真っ赤な月になった。


「ああ、今の《神様》、とっても綺麗だよ」


 その月を見上げて、マナは感慨に浸って呟く。真っ暗だった夜空は、今や輝きに満ちていた。


 それからしばらく、誰もが何も言わないまま、美しい空を見上げていた。それは穏やかで、安らかな時間だった。



※※※



「さあ、そろそろ現実世界に帰らなきゃ、ね」


 グリュックの言葉に、ようやくみんなが顔を下ろす。ベルは何かの覚悟を決めたような張り詰めた表情で呟いた。


「ここから出る代償は……」


 そんなベルに、グリュックは微笑んで首を振る。


「大丈夫。その代償は、私が代わりに引き受けるよ」

「え……?」

「君たちの帰りを待っている人たちがいる。その願いが、私に力を与えてくれているんだ。君たちは無事にここから出られるよ」

「みんな……」


 ベルはキティやラン、ブラッディの顔を思い浮かべた。彼らが願ってくれたおかげで、自分たちは無事に帰ることができる。自分の帰りを願ってくれる人がいるということは、ベルにとって奇跡のようだった。


「ですが」


 そこに、咳払いをしてダンが割り込んでくる。そして、眠り続けるソルと、倒れ込んだままのマナ、彼を支えるニックの方を鋭い視線で射抜いた。


「貴方がたは代償を払うことになります。自分たちが願ったことへの代償を。特にマナ、貴方の払う代償はとても大きい。そのことを、覚悟してくださいね」


 その言葉に、マナはゆっくりと頷く。彼の中で、覚悟はもうできていた。


「分かってる。どんな代償であれ、ちゃんと払うよ。それが、僕のしたことの報いだ」


 マナの声には強い意志が込められていて、ダンは満足そうに目を細める。それが合図だったかのように、グリュックが真っ白い翼を広げてみんなを包み込んだ。


「みんな、心の準備はいいかな」


 ベルはソルの体をしっかり抱きしめる。ニックとマナも、強く手を繋いで顔を見合わせた。


「帰ろう。愛すべき、最悪の現実へ」


 ベルの言葉を合図に、グリュックの翼が眩しく輝いて。温かい光の中で、徐々に意識が遠のいていく。気を失う直前、マナは頭の中で愛する姉が笑う姿を思い浮かべていた。


「さよなら、姉さん。愛してくれて、ありがとう」



※※※



「……ル、ベル!」


 誰かが、必死に自分の名前を呼ぶ声を聞いて。ベルはゆっくりと目を開く。すると、くたくたになったランとブラッディが自分を覗き込んでいた。髪は乱れ、服は所々引っ掛けて穴が空いてしまっている。その姫らしくも貴族らしくもない二人の姿がなぜか愉快で、ベルは声を上げて笑い始めた。


「ベ、ベル、よね?」


 突然笑い出したことを不思議に思ったのか、なぜかランが緊張した面持ちで問いかける。ベルには彼女の反応の理由が分からなかったが、ブラッディの指摘でその答えを知った。


「ベル、なんか、目が赤いんだけど……?」

「え?」


 ベルの瞳はもともと紫色だった。それが、今は真っ赤に染まっていた。ベルは《神様》のことを思い出す。乗っ取られていた時のソルの瞳が赤かったように、今のベルの瞳も《神様》の影響を受けて赤く染まってしまったらしかった。ベルはそれに気づくと、二人を安心させようとふわりと笑う。


「大丈夫、私だよ。《神様》に乗っ取られたりはしていない。ちゃんと私だ」


 その言葉に、ランとブラッディは恐る恐るベルの瞳を見つめて。それから、二人で顔を見合わせると、いきなりベルに抱きついた。


「ベルだ! 良かったあ!」

「もう、心配していたのよ! もし目覚めなかったらどうしようかと……!」

「心配かけてすまない。お前たちが私たちの帰りを願ってくれたから、戻ってこられたんだ。本当に、ありがとう」


 その少し離れたところでは、眠り続けるソルをキティが優しく抱きしめていた。


「ソル。とっても、疲れたよね。いいよ。しばらく、寝てていいからね。あたしが、守ってあげるから」


 そして彼女は、唯一知っている子守唄を歌い始める。その慈愛に満ちた歌声は、傷ついた王都を癒すように響き渡っていた。


「おうさまー! ニックー!」

「おうさま、おきてー!」

「にっく、にっく!」


 子供達は、王様とニックが帰ってきたことに気づくや否や、ものすごい勢いで駆け寄ってきた。先にニックが目覚めて、ゆっくりと起き上がる。そして、気づいた。


「左目……」


 記憶を忘れさせることのできる左目の力が、完全に失われていること。それを自覚した瞬間に、忘れたはずの記憶が鮮明に蘇ってきた。今までにいなくなった子供達のこと。彼らに自分たちがした仕打ち。それはあまりに重く辛い記憶だったけれど、もう二度と目を背けることは許されなかった。


「にっく?」

「どうしたのー?」


 左目を押さえて黙り込むニックに、子供達が首をかしげる。心配そうな声をかけられて、ニックはハッと我に返った。


「ううん、なんでもないよ。みんな、俺と王様の帰りを待っててくれてありがとう」

『どういたしましてー!』


 ニックの言葉に、子供達は声を揃えて答える。その様子が愛らしく、ニックは両腕を大きく広げてできる限りたくさんの子供たちをいっぺんに抱きしめた。


「ニック、くるしい!」

「きゃー!」

「あったかいねー!」


 そうしてひとしきり子供達と戯れてから、ニックは王様のことを思い出す。


「王様は!?」


 その言葉に、子供達は一斉に表情を曇らせた。


「おうさま、きずだらけなの」

「ぜんぜん、おきてくれないの」

「おうさま、しんじゃう?」

「そんなのいや!」


 慌てて王様の元に駆け寄れば、彼はしっかりと息をしていて、ニックは安堵する。


「彼の怪我は治癒魔法である程度回復させたから、命に別状はないはずよ」

「ありがとう」


 ランの言葉に礼を告げて、ニックは王様を起こそうと試みた。


「王様。緋色の王様。……マナ。どうか、目を開けて」


 マナ、という言葉に、王様の体がピクリと反応する。そして、ゆっくりとその瞳が開かれた。


「おうさまー!」

「おきたー! おきたー!」

「わーい!」


 それを見て子供達が喜び、周りを駆け回る。ニックも嬉しそうに笑って、もう一度その名を呼んだ。


「おはようございます、マナ。よく、眠れましたか?」


 ところが、目を開いたマナの様子はどこかおかしかった。焦点の合わない瞳が、必死に目の前の何かを探すようにあちらこちらへ動き回る。


「ニック……?」


 必死に手を伸ばして、空中でなにかを掴み取ろうとするマナの様子に、ニックの笑顔はこわばっていった。


「マナ?」


 なんだか怖くなって、ニックはその手を強く握りしめる。そこで初めてマナの瞳はニックの方を向いた。そして、とても傷ついたような笑顔を見せて。


「ああ、そうか」


 今にも泣きそうな声で、静かに微笑むマナの様子に、ニックは何が起きたのか気づいてしまった。


「これが、代償なんだね」


 もう二度と光を映すことのなくなった瞳で涙をこぼすマナを、ニックはただ強く抱きしめることしかできなかった。


 



 

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