第23話 「誕生日おめでとう、《神様》」

「君たちは、《神様》って信じる?」


 王様のその言葉に、ソルは首を振る。彼は苦しそうに強く胸を押さえた。


「信じない。だって、神様は良い人間を助けてくれるもののはずだろ? それなのに、神様はベルを助けない。ベルに酷いことばかりして、幸せを取り上げる。こんなのおかしいよ! もし神様が存在しているのに、ベルが救われないっていうなら、どうすればいいのか分からなくなるから、だから……。神様なんか信じない」


 王様はソルに近づくと、痛いくらいに強く胸を押さえる彼の手を優しく握る。


「そのベルって子は、君の大切な人なの?」

「大切なんてもんじゃない。俺はベルに救われたから今ここにいる。だからベルが幸せになれるのならどんなことだってするんだ」


 その言葉に、王様の赤い瞳に一瞬影が差す。それを見てキティはどきりと心臓が騒ぐのを感じた。


「どんなことでも?」


 ソルは力強く頷く。王様は満足そうに笑うとソルの頭を撫でた。


「そっか。君はとってもいい子だね」


 王様はソルの肩を抱いて、礼拝堂の壇上へと連れて行く。キティはその後を追おうとして、しかし突如目の前に立ちはだかった男に行く手を阻まれた。


「ニック、どいてよ」

「貴方はここで見ていてください。邪魔をしないで」


 冷たく告げるニックの赤い瞳はどこか虚ろで、キティはぞわりと鳥肌が立つのを感じる。今のニックは、情報屋としてベルと仲良く話しているときの生き生きとした姿とはまるで別人のようで恐ろしかった。ソルもここにいたら、ニックのように変えられてしまうの? 不安でいっぱいだったけれど、どうしたらいいのか分からなくて、彼女は立ち尽くすことしか出来なかった。


「今、この世界に僕たちが想像しているような神様はいないんだ。君の言う通りだよ。もし神様がいるのにスラムがこんな有様だというのなら、どこまでも救われない話にしかならないからね。でも、《神様》を作ることは出来る」


 キティが何も出来ない間にも、ソルは王様の言葉に耳を傾け続ける。それは甘美な響きを持つと同時にとても冒涜的なように聞こえて、キティは耳を塞ぎたくなった。けれどソルは、王様の真っ赤な瞳を食い入るように見つめて、一言も漏らしてなるものかというように必死な様子でその猛毒のような声に酔いしれる。


「君は知っているよね。この世界では、願いこそが力になる。その願いが強ければ強いほど、それを叶えるための強大な力が手に入るんだ。だから、スラムの人々がみんなで願えば《神様》を創り出すことだってできるんだよ!」


 その時キティは、礼拝堂の外、いや、まだ教会の外かもしれない、遠くの方で蠢く《何か》の気配を感じた。それはまだ遠いけれど、ゆっくりとこちらに近づいてきている気がする。見えるわけではないし、音が聞こえるわけでもない。それなのに、キティに《何か》の存在がはっきり分かったのは、その《何か》から発される想像を絶するほどの負の感情が彼女に流れ込んできたからだ。


「なにこれ……」

「《神様》です」


 キティは気を抜けば飲み込まれてしまいそうなほどの強い憎しみに頭を押さえる。無感情な声でニックが答えた言葉に、彼女は耳を疑った。


「こんなものが、《神様》……?」

「そう、これが《神様》なんだよ」


 王様はこの憎しみと恨みの奔流に襲い掛かられても、相変わらず無邪気に笑うだけだった。ソルはその負の感情を、恍惚とした表情で享受している。今の彼にとって、その感情は恐るべきものではなかった。彼の心に渦巻くそれと、全く同じものだったから。


「もうすぐここに《神様》がくる。《神様》はあの城壁をぶち壊して、王都をめちゃくちゃにしてくれるんだ。王都で僕らの不幸を見ないふりして、幸せに溺れている罪人たちを《神様》が裁くんだよ!」


 神聖なはずの礼拝堂は、もはや狂気と憎悪で満ちていた。あまりにもおぞましい人間の感情の発露をそこに見て、恐怖のあまり何も出来ない自分が情けなくてキティはぽろぽろ涙をこぼす。その涙を拭うどころか、彼女が泣いていることに気づいた人間さえ、そこには一人もいなかったけれど。


「罪人……そうだ、あいつらがベルの幸せを奪うからいけないんだ。世界には限られた数の幸せしかないのに、なんでくだらない人間たちばかりが独占するんだ? あれは全部ベルにあげるべきものだ。あいつらが幸せでいる資格なんかどこにもない!」


 ソルの叫びを聞きながら、キティはソルが教えてくれたことを思い出していた。この世界には、幸せの総数が決まっている。だから他人から奪わない限り、自分の幸せは増えない。自分たちは壁の向こうの奴らに幸せを独り占めされているから、いつか取り戻さないといけないのだ、と彼は夢見るように語っていた。今、目の前で、それが現実になろうとしている。


「その通りだ! やっぱり君をここに連れて来て良かったよ! 君なら分かってくれる気がしていたんだ。ねえ、一つお願いしてもいいかなあ」


 何もかもが異常なこの空間で、ただ一人王様だけが、どこまでも変わらない普段通りの王様のままだった。彼の声色に憎しみの色は感じられず、かくれんぼをしようよ、というときの笑顔と同じ表情で、彼はソルに最悪のお願いをする。


「《神様》はもうほとんど完全体に近いんだ。けれど、あと一つだけ足りないものがあるんだって。今の《神様》は教会の外で願いを食い続けたから、力自体は強力だ。


 でも、今のままでは《神様》は願いの集合体でしかない。《神様》が最大限の力を発揮するには、肉体が必要なんだ。《神様》が叶えようとする願いと同じ願いを持ち、《神様》と完全に融合できる人格の持ち主の肉体が」


 その時キティはようやく、王様が自分たちをここに留め続けた理由が分かった。彼が欲しかったのは、ソルの身体だったのだ。キティはなんとかソルを王様から引き離すべく駆け寄ろうとする。しかし、ニックに両腕を掴まれて近づくこともできなかった。


「邪魔をしないで」

「ニック! ニックは本当にいいの!? あんたはいつもあたしたちを助けてくれてたじゃん! なんで今更ひどいことするの!?」


 その言葉に、無表情だったニックの顔が歪む。苦しそうな、悲しそうな、絶望しきったその表情を見て、キティは彼が助けてくれることは二度とないと知った。


「君だ。君しかいない。君が《神様》になって、みんなを、そして君の大切な人を救うんだ」


 王様の言葉が合図だったかのように、壁をすり抜けて巨大な《何か》が礼拝堂に入ってくる。それは真っ黒な塊のようなもので、その中におぞましい表情を浮かべた無数の顔が浮かび、数え切れないほどの手足が生えてバタバタと動いていた。とても《神様》とは思えない醜い姿。けれど、それを目の当たりにしたソルはなぜか、涙をこぼして歓喜するのだった。


「これが、《神様》なんだな」

「そうだよ。素敵でしょう? 醜くて、気持ち悪くて、おぞましい」


 こんなものが《神様》であるはずがない、と思うキティとは違って、ソルは王様の言葉に何度も頷く。


「素晴らしいよ! ああ、これだ、これこそ《神様》だ! こんな最低の世界に君臨する《神様》が清らかで美しいはずないんだ。馬鹿みたいな人間を救ってくれる《神様》なんて、醜悪な姿じゃなきゃおかしい! 間違いなく、これが《神様》だ」


 キティが見たこともないほどに喜ぶソルの姿に王様は満足げに笑って、そして問いかけた。


「じゃあ、君が《神様》になってくれる?」

「ダメだよソル、ダメ、ダメ……!」


 必死で叫ぶキティの言葉は、もうソルには届かない。ソルは太陽みたいな輝く笑顔を浮かべて頷いた。


「いいよ」


 ソルはためらいなく、《神様》に向かって近づいていく。《神様》の目の前に立ったとき、ソルは他の人々には聞こえない《神様》の声を聞いたらしかった。キティには何も聞こえなかったが、ソルは《神様》に頷き、何かを答える。そして次の瞬間、《神様》の真っ黒な体にソルが吸い込まれていった。


「ソル!」


 キティは全力を振り絞ってニックの手を振り払う。《神様》に近づいてソルを引っ張り出そうと試みるが、《神様》から放たれる力の奔流に抗えず、その場にしゃがみ込むのが精一杯だった。


《————————!》


 《神様》の声にならない叫びが礼拝堂に響き渡る。王様は喜びのあまりくるくる回りながら踊り、ニックはそれを無感情な瞳で見つめていた。


「ソル! ソル!」


 キティは泣きながら、それでも必死に彼の名前を呼ぶ。やがて《神様》は真っ赤な光に包まれてどんどん小さくなっていき、人間の姿へと変わっていった。赤い光が完全に消えた時、そこに現れた人物を見てキティは駆け寄った。


「ソル……?」


 わずかに期待を込めてキティはソルの姿をした《それ》に呼びかける。けれど、その閉じられていた瞳が開かれた時、キティは悲鳴を上げてその場で気絶した。


「誕生日おめでとう、《神様》」


 王様がその瞳を見て楽しそうに告げる。ソルの金色だったはずの瞳は、血のような赤に染められていた。


「ボク、《神様》なの?」


 ソルと同じ声で、ソルとは全く違う《それ》が王様に問いかける。


「そうだよ。君は僕の願いを叶えてくれる《神様》だ」

「そうなんだ。分かった! キミの願いを叶えるね。でも、もうちょっとお腹いっぱいにならないとボク動けないや。この女の子、食べていい?」


 足元で気絶したキティを指差して舌なめずりをする《それ》に、王様は少し困った顔をした。


「うーん、その子はやめておいた方がいいかも? 今はあの男の子と《神様》、融合したばかりで完全に一つになってないからさ。その子を食べちゃうと、あの男の子が戻って来ちゃいそうだ」

「あー、それは面倒かなあ。今はボクとあの子、いい感じに一つになれてるけど。完全な融合にはもうちょっと時間かかるかも。じゃあ代わりの《願い》がつまった人間、連れてきてよ」

「おっけー! ニック、適当な子を一人連れてきて」


 目の前で繰り広げられる残酷な会話に眉ひとつ動かさないままで、ニックはお辞儀する。


「仰せのままに」


 ニックが礼拝堂を出て、教会で眠る子供たちのうち誰を贄とするか決めている間に、礼拝堂ではいつまでも冒涜的な《神様》と王様の会話が繰り広げられ続けていたのだった。

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