第13話 罪なき少年の贖罪

「で、その時私を救った物好きのお陰で私は今ここにいるというわけだ」

「良かった……! その人は本当にいい人だったのね!」


 前のめりで聞いていたランは、ぐったりと脱力して安堵の息をついた。ベルの話があまりに壮絶すぎて、彼女の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。


「いい人、かどうかはまあよく分からんが、スラム一の情報屋だから色々便利なやつではある」

「じゃあそいつに緋色の王様について聞けばいいんじゃないの?」


 ベルの過去を聞いても特に眉ひとつ動かさなかったブラッディの問いかけに、ベルは肩をすくめて先日の出来事を語る。情報屋はいつもと違う様子で、決して緋色の王様には関わるなと言われたこと。それを聞いたブラッディはイライラと貧乏揺すりを始めた。そんなブラッディをうんざりと一瞥して、ランはベルに尋ねる。


「それで、貴方とソルはどうやって再会したの?」

「それは……」


 ベルは七年前、ソルと再会した日のことをゆっくりと語り始めた。



※※※



 闇商人どもが王都の人さらいから貴族のお坊ちゃんを仕入れてきたらしい、と情報屋が私の隠れ家であるこの廃墟の屋敷に飛び込んできたのは、私がスラム暮らしを始めて三年が経つ頃だった。闇市に出回ったその少年の服の紋章からおそらくルス家の少年だ、と言われた瞬間には、スラムの東で行われている闇市へと走っていた。


 いつもひっそりと静かに行われている闇市は、普段からは考えられないほど騒がしかった。闇市の客とは思えないようなボロをまとった貧民たちまでもが集まってきている。その場の誰もが熱に浮かされたような顔で口々に何かを叫んでいた。人混みをかき分けて、騒ぎの中心地にたどり着いた私は、目の前の光景を見て衝撃を受けた。


 屈強な男たちが、寄ってたかって一人の少年を殴り、蹴りつけ、痛めつけていた。少年は衣服を剥ぎ取られたらしく、血に染まった肌着だけを身につけている。それを見ている観衆たちは口々に罪を償え、と叫んでいた。おそらく少年を買い取ってきた闇商人であろう男が、人々を煽る口上を声高に告げる。


「俺たちの不幸は誰のせいだ? あの壁の向こうの人間どものせいだ! 

 この世界に限られた数しかない幸福は全部奴らに奪い取られている。なら、俺たちが幸せになるにはどうすりゃいい? 奴らから奪い取ればいいのさ! 

 壁の向こうで生きていたこのガキに俺たちの不幸を全て背負わせる。そうすりゃこいつの幸福は俺たちのもんだ! 

 さあガキ、罪を償え! 俺たちから幸せを奪った罪を!」


 同調した観衆が叫ぶ怨嗟の言葉に、私は気が狂いそうになった。三年間スラムで生活していて、ここまで人々が生き生きとしている姿は見たことがなかったのだ。普段絶望に塗りつぶされた瞳は爛々と輝き、声を上げることさえ諦めたはずの口から世界への、そして少年への呪いを謳う。


 まるで、闇商人の言葉が真実かのような光景だった。王都の人間に不幸を背負わせれば幸せになれる? そんなはずはない、少なくとも何も知らない少年を痛めつけたところでスラムの人々が救われるわけがないのだ。


 だから。私は、目の前で起きている出来事を受け入れられなかった。何より受け入れ難かったのは、その憎しみの矛先にされている少年が、王都でずっと一緒だったソルだという事実。現実逃避には大きな代償が伴う。そう分かっていても、彼を救うための方法がそれ以外に考えつかなかった。


「ソル!」


 小さな体を生かして屈強な男たちの足元をすり抜ける。


「うわ? おいなんだこのガキは!」

「早くつまみ出せ!」


 そんな声を耳に入れることもなく、私は勢いよくソルに飛びついた。彼はかすかに息があったが、それは今にも死んでしまいそうなほど頼りない吐息で。おそらく私が誰かも見えていないほど弱り切ったソルを抱きしめて、私は絶叫した。


「こんな現実、認めるものか!」


 あの日のように、まばゆい光が私自身から放たれて。気が付いた時には、真っ暗な空と静かな湖面の広がるあの世界に立ち尽くしていた。


 闇商人や観衆からは逃げられた。だが、ここにいても血だらけのソルを治してやることはできない。私は必死に情報屋の隠れ家を思い浮かべた。願いが魔法になるなら、この世界から行きたいと願う場所に出ることは可能だろう。そのために払う代償の大きさは見当もつかなかったが、ここでソルを死なせるわけにはいかなかった。


 もう一度、足元から光が放たれる。三年前、両親を殺された後の現実逃避の代償よりよっぽどましだったが、それでもかなりの傷を負って私はあの世界から抜け出した。


 血まみれで突然虚空から現れた私たちを見て、情報屋は顔を引きつらせて嘘だろ、と呟いていた。それを最後に、私はソルを抱えたまま意識を失ったのだった。

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