第9話 隠した手紙の宛先は

「どこでその言葉を聞いたんだ!?」


 ベルにものすごい気迫で問い詰められて、ブラッディは戸惑った。そんな反応が返ってくると予想していなかったこともあるが、彼の質問に答えるということは自分が隠し事をしていた事実をランに告げることになる。だがベルの様子を見れば説明せずうやむやにできそうな雰囲気でないことは一目瞭然で、仕方なくブラッディは口を開いた。


「ダンって男に聞いた。その手紙の宛先の人間に会いたければ、緋色の王様を探しなさいって言われたんだ。僕、手紙を持ってることなんて一言も言ってないのに」

「手紙って何のこと? 貴方、私に何か隠していたのね!?」


 案の定、ランは手紙と聞いた途端頰を膨らませて抗議する。ブラッディは面倒なことになったと天を仰いだ。


「別に君には関係ないし言う必要ないかなと思っただけ。いくら幼馴染だからって君に僕のこと全部教えなきゃいけないなんて決まりはないだろ?」

「それはそうだけど、貴方がやたらとスラム行きに積極的だったのはそういうことだったのね!? その手紙は誰から誰に向けたものなの?」


 その問いに、ブラッディはぷいとそっぽを向く。それは言いたくないという意思表示だった。ランはブラッディがその仕草をするときは何があってもそれ以上喋らないと知っていたからうんざりと首を降ったが、ベルは諦めなかった。


「お前が言いたくないと思っているのはよく分かった。だが、どうか教えてくれないか。緋色の王様という人物について何か少しでもいいから情報を集めたいんだ」

「絶対言いたくない。そっちこそ何でそいつのこと知りたがってるわけ?」


 ブラッディが冷たく突っぱねれば、ベルはしばし目を閉じて考え込む。そして無言で二人に手招きすると、彼らを廃墟と化した屋敷の奥の中庭へと案内した。そこにはガラス片を墓標に見立てた、あの少年の墓がある。一見墓には見えないささやかなそれを見て、ブラッディは嘲笑した。


「何これ? 砂のお城でも作ったつもり?」

「墓だ」


 それを聞いた瞬間ブラッディの笑みが引っ込む。ベルは気にしていないというように彼の肩をポンと叩いた。


「墓標の代わりにできるものがこれくらいしかなかった。みすぼらしいのは承知しているが、これが私たちにできるせめてもの葬いだ」

「……だから何? 墓を笑ったのは悪かったけど、こんなもの見せられたって別に話す気にはならない」


 後ろめたさを滲ませつつ、それでも素直になれないブラッディにベルは困ったように笑う。ゆっくりとしゃがみこんで、慈しむようにガラス片の墓標を撫でた。


「ここに眠る私たちと同じくらいの年頃だった少年のことを、私は全く知らないんだ。ただ彼の最期を見届けたのが、たまたま私だけだったというだけ。けれど、彼が必死で私に遺した言葉を無視することが、私にはどうしてもできなかったんだ」


 ベルは目を閉じて、名前も知らないあの少年の最期の姿を思い出す。


《ひいろの、おうさまを……と、めて》


「彼は緋色の王様を止めてくれと言っていた。おそらく彼の死はそいつに関係があるんだろう。彼は最期まで自分を救ってくれとは言わなかった。彼は遺していく人々を案じていたように、私には思えたんだ。自らの死の間際でさえ誰かを思いやっていた人の願いを、私は叶えたい」


 ベルは立ち上がると真っ直ぐな瞳でブラッディを見つめた。その澄んだ紫色に射抜かれて、ブラッディは踏み潰されたカエルのような声でうめく。純粋無垢な眼差しに晒されることにブラッディはそれ以上耐えられなくなった。


「あー、分かったよ! 言えばいいんでしょ、言えば! でも大してなんの役にも立たないと思うよ」


 そう言って彼は懐から一通の手紙を取り出す。それは少し濡れた跡があってよれよれになっていた。


「僕とランは葬式を抜け出してここまで来たんだ。死んだのは僕のお母様」

「アネラ様が?」


 ブラッディがあっさりと告げた内容にベルが息を飲む。ベルとソル、ブラッディの生まれた三大貴族である三家は活発な交流があり、スラムに追いやられる前にベルはブラッディの母親にもよく会っていたから、その死の知らせは彼にとって衝撃だった。


「そう。で、お母様が最期にどうしても届けて欲しいって言って渡してきたのがこれ」

「それは……。まだお若かっただろうに、残念だ。お悔やみ申し上げる」


 追悼の意を示したベルに、ブラッディは気にするなというように手を降った。


「別に、突然死とかじゃないから。対外的には隠してたけど、お母様は僕を産んでからずっとご病気を患っていたからね。それに、お母様は僕のことなんか愛してなかったし」

「え? でも、私が知るアネラ様はお優しい方だったはずだが」


 ブラッディはベルの言葉に心底うんざりとでも言いただけな顔をする。


「お母様は優しくて素敵な方だったよ。ただ、僕の存在をそもそもちゃんと認識してなかったから。これ以上は追求しないでくれないかな、あまり楽しい話じゃないんだ」


 ぴしゃりと言い放たれて、ベルはすまない、と頭を下げた。ランはブラッディの抱える問題について初めて聞いたために、ショックを受けて黙り込んでいた。ずっと一緒だったのに、なぜそんな大事なことを相談してくれなかったのか。今すぐ問いただしたかったが、今重要な話題はそれではないことも彼女は分かっていた。


「それでブラッディ、お母様からの手紙の宛先は誰なの?」


 ランの問いかけにブラッディは答えるのをためらっていたが、やがて諦めたように首を振った。今にも破り去ってしまいたいとでもいうように忌々しげに手紙を見つめながら、小さな声で呟く。


「僕のお兄ちゃん、だよ」

「それってもしかして、誘拐されたっていう……?」


 レイン家の長男が誘拐されたという話はその当時まだ生まれていなかったランたちも知っているくらいの重大事件だった。当時レイン家には子供が一人しかおらず、そのたった一人が奪い取られたことでレイン家はパニックに陥ったという。その後ブラッディが生まれたことでレイン家は落ち着いたものの、消えた長男の行方は分からずじまいだったはずだ。


「そのお兄さんがスラムにいるということなの?」

「少なくともお母様はそう思ってたみたい。でも、あのダンとかいう怪しい男がお兄ちゃんに会いたいなら緋色の王様を探せって言ってたってことは、お母様は間違ってなかったってことかもね」


 ブラッディの話を聞いて、ベルが顎に手を当てて考え込む。考えを整理するかのように、ゆっくりと告げた。


「だとすると……お前のお兄さんか、少なくとも彼に近い人間が緋色の王様ということか?」

「そうかもしれないけど、なんとも言えないよね」


 前に進むにはあまりに分からないことが多すぎて、一同は揃って困り果ててしまったのだった。



※※※



 教会の中にいてもわかるくらい、強い風が吹き荒れていた。こんな夜は嫌いだ。教会の窓から真っ黒な空を見上げて目を閉じる。脳裏に浮かぶのはあの頃のスラム。


「ねえ、■■。あの壁の向こうには何があるんだと思う?」


 あの澄んだ声を思い出す。彼女の真っ赤な髪が風になびくのを見るのが好きだった。


「わかんないよ。かべのそとなんて、ほんとうにあるの?」


 そう尋ねれば、彼女は信じられないといった様子で首を振る。青い空に赤い髪がはためく様は、美しい旗が掲げられているかのように見えた。いつか、その赤が自由を与えてくれるような気がしていたのかもしれない。


「あるに決まってるでしょ! きっと、あの向こうじゃきらきらした服を着た人たちがにこにこしながら歩いているんだと思う。いいな、あたしもいつか行ってみたい」

「そんなふくをきなくたって、ねえさんはじゅうぶんきれいなのに。ぼくは、ねえさんがそばにいてくれさえすればどこにいたってしあわせだよ」


 それはまぎれもない本心だった。自分にとって、彼女のいる場所が世界の全て。彼女の隣なら、荒廃したスラムだろうが一度も見たことのない花畑というものだろうが同じくらい素敵に見えるだろう。彼女はしばし驚いたように目を丸くしていたが、やがて大好きなあの優しい笑顔でふわりと抱きしめてくれた。


「あたしもだよ、■■。いつまでも、一緒に生きよう」


 目を開く。隣に彼女はいない。いつまでも一緒に生きようと言ったのに、あの言葉は嘘だった。


「ねえ、なんで」


 今でもわからない。何がいけなかった? どうすれば良かったの? 何度自分に問いかけても答えは出ない。


「どうして姉さんは僕を捨てたの?」


 そんな呟きは真っ暗な空に吸い込まれて消えていく。苦しくなって窓辺にうずくまっていたら、肩に優しく毛布をかけられた。


「何してるんですか。風邪ひきますよ」

「ニック」


 呆れたように忠告する彼に縋り付く。彼女のように壁の向こうに消えてしまったりしないように、しっかりとその胸元を掴んだ。


「君はずっと僕の側にいてくれるよね。《神様》に願いを叶えてもらったら、ちゃんと君に殺されてあげるから。だから、いなくなったりしないで」


 そう懇願すれば、ニックは彼女によく似た笑顔で優しく抱きしめてくれた。彼が子供だった頃と同じくらい、彼の体温は温かくて心地よい。


「俺はいなくなったりしません。だから、安心して眠って」


 その声がまるで子守唄みたいで、姉さんがいた頃のように幸せな心地で眠りに落ちた。その夜はニックと子供たちとみんなで楽しく遊ぶだけの、ありきたりで幸せな夢を見たような気がした。

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