第7話 願いが呼び寄せたもの

 結界の向こうに入れないネズミたちは、ランたちが廃墟となった屋敷に消えたのを見て一斉に散っていった。その後ろから追いかけてきていた化け物は彼らを見失ってしばらく広場を徘徊していたが、やがてどこかへ去っていく。


 その様子を物陰から見つめていたニックは思わず息をなでおろした。ベルの元にいれば、しばらくは彼らも安全に違いない。彼らが何をしに来たのかは分からないがきっとベルのことだ、それが何であれ手助けしてしまう羽目になるだろう。


「ありがとな」


 足元のネズミに声をかければ、ネズミは甘えるようにニックの靴に擦り寄ると、仲間たちとともに路地の隙間へ消えていった。


「やっぱりあなたの手引きだったわけですね」


 その時背後から聞き覚えのある声がして、ニックはゆっくりと振り向いた。


「ダン……」

「王様に告げ口しちゃいましょうかねえ! きっと彼はお怒りになりますよ。ネズミたちを操って子供達を安全な場所に逃がしただなんて、許されることじゃありませんよねえ!」


 いつも通りの胡散臭い笑みを浮かべ、彼はニックに詰め寄る。しかし、ニックは動揺した様子もなく真っ直ぐにダンを見つめた。


「そんなことしないだろ? 俺がベルを助けてやってるって気づいた時、あんたはあの人にそれを教えなかったよな。俺があの子供達を助けようとするってことも、あんたは知ってたんじゃないか? それなのに俺を止めようとしなかった」


 ニックの指摘に、ダンは眉をひそめる。その様子を見て勢いづいたニックは責めるように問いかけた。


「教えてくれ、あんたは一体何がしたいんだ?」


 その言葉を聞いた瞬間、ダンは見たこともないほど嬉しそうな顔をした。生きる意味を見出したとでもいうような、生気に満ちた瞳にニックは戸惑う。


「ああ、貴方は知りたいのですね! 知りたい、知りたい、知りたい! あは、あは、あはははははははは!」


 突然高笑いをし始めるダンがあまりに不可解かつ不気味で、ニックは思わず後ずさりする。それに気づいたダンはなんとか笑いを堪えてニックに向き直った。


「ああ、すみません、貴方の質問に答えておりませんね! 良いでしょう。貴方のその知りたいという願い、私が叶えて差し上げます。


 私は知りたいのです。、代わりに叶えてやるのです。だから、私に教えてください。貴方たちの願いがどんな結末を迎えるのかを……!」


 狂喜乱舞するダンの笑い声がまるで地獄から聞こえる悪魔の叫びのように聞こえて、ニックはふらりとよろめく。大量のネズミを操ったこともあって、彼はもう体力的にも精神的にも限界だった。まずい、と感じた時には既に遅く、彼は立っていることができず後ろに倒れこむ。このままでは地面にぶつかると思ったそのとき、誰かが後ろから彼の体を受け止めた。


「だ……だれ、だ……?」

「大丈夫、安心して。今だけは何も心配しなくていいんだよ」


 その人物の顔さえぼやけてよく分からなかったけれど、なぜだかその人の言葉は信じてもいいような気がしてしまって。本来なら絶対に見知らぬ人間の前で気を抜くなどあり得ないのに、久しぶりに心から安心してニックは眠りに落ちていった。


「貴方は……!」

「久しぶりだね、ダン」


 ゆっくりとニックを横たえながら、その人物はダンに向かって微笑む。ダンは信じられないといった様子でわなわなと震えていた。


「なぜ貴方がここにいるんですか! ここにはもう貴方を必要とする人間は一人もいない、だから貴方はここから締め出されたはずでしょう!?」


 ショックを受けるダンとは対照的に、金髪の男は嬉しそうに笑った。彼はベル達が入っていった屋敷の廃墟を指差す。


「いいや、彼らがいる。彼らの願いが私を呼んでくれたんだよ」

「そんなことが……!」


 呆然とするダンを慰めるように、男は彼の肩に親しげな仕草で手を置いた。


「まあ久しぶりに会えたのだし、ゆっくりお茶でも飲まないかい。ここで起きていることについて知りたいから、ぜひ君の話が聞きたいな」


 きらきらした笑顔で頼んでくる男をダンは睨みつけていたが、やがて諦めたように首を振った。


「仕方がありません。とりあえずそこで寝ている坊やを送り届けましょう。話はそれからです」

「ありがとう、ダン!」


 一切陰りのない明るい声に、ダンは今まで誰にも見せたことのないような疲れ切った顔をしたのだった。



※※※



 ランはこの十年、二人との感動の再会を何度も想像した。どこかで辛い目にあっている二人を自分たちが迎えに行く。きっと二人は喜んでくれるだろう。そう信じて疑わなかった。


 けれど、再会した瞬間にベルがラン達に見せたのは、喜びの笑顔や感動の涙などではなかった。見るものの心を撃ち抜くような、鋭く冷たい悲しみをたたえた笑み。それを見た瞬間、ランは自分が考えもしなかった可能性が存在することをようやく理解した。彼が自分たちと再会し、王都に帰ることを願っているとは限らないのだ、と。


「無事でよかった、ベル。私たち、貴方とソルを探しにここまで来たのよ。ソルがどこにいるか、貴方知ってる?」


 それを聞かれたベルは困った顔をした。


「ここにいる。ここにいるが……」


 それ以上彼が何かを言う前に、屋根の抜けた屋敷の廃墟の奥から誰かが駆け寄ってきた。


「ベル! 侵入者はどうだったの? 大丈夫だった?」


 太陽を思わせる輝く金髪の少年はベルと共にいるランとブラッディを見て凍りつく。その表情がみるみるうちに憎しみに染まっていくのを、ランは呆然と見つめていた。


「なんで」

「ソル、落ち着け」


 慌ててなだめようとするベルを振り払い、ソルはランに詰め寄り怒鳴りつけた。


「なんでお前らがここにいるんだ!」


 その声色からは想像を絶するほどの怒りや憎しみ、恨みが込められていて、ランは言葉を失うばかり。


「ソル……」


 その姿を悲しげに見つめるベルの呟きだけが、静寂の中に染み渡っていった。




















 〜第2章『地に墜ちた太陽はやがて世界を焼き尽くす』〜

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