《神様》

 扉の向こうにいたものは、真っ赤に染まった瞳で僕を呪い殺さんばかりに睨みつけていた。


 ある時は男の顔をしていて、ある時は女の顔をしていた。子供だったり、大人だったり、老人だったりもした。一瞬だって同じ顔の瞬間は無かったけれど、どの顔もみんな、苦痛と怒りと恨みに満ちた、おぞましい表情を浮かべていて。


 こんなものがかみさまなんかであるわけない。僕の目の前のそれは、空の上にいて僕らを優しく見守ってくれるような、そんなものでは決してなかった。


「素敵でしょう? 僕の大事な大事な《神様》は。昔は掌に乗るくらい小さかったけれど、たくさん願いを食べて、こんなに大きくなったんだ」


 懐かしそうに王様は語る。今僕の目の前にいるそれは、間違いなく僕の3倍以上の大きさだ。


 僕は教会で過ごした日々の中で、ニックに言われた言葉を思い出す。


《魔法の力は、人が何かを強く願う思いの力だ》


 そして、子供達が「王様のために何かしたい」と言う時、王様が必ず言う言葉も。


《僕の願いが叶うように、願って欲しいんだ。魔法の力は、強く願う思いの力だから。君が強く願ってくれたら、きっと僕の願いは叶う》


 王様のことが大好きだった。子供達みんなに分け隔てなく優しい、愛する王様の願いなら、叶えてあげたかった。でも。


 僕が、みんなが、あんなに一生懸命願っていたのは、こんなもののためだった?


「王様の……王様の願いは、なに?」


 僕はおぞましい怪物に背を向けて、僕の後ろで微笑む王様を見た。その赤い瞳を見て、僕の最悪な思いつきは正しいのだと分かってしまう。王様の赤い瞳は、おぞましい怪物の真っ赤な瞳と、同じ色をしていた。


 あの怪物は、王様の願い、そのものなんだ。


「僕の願いは、幸せになることだよ」


 王様が笑う。いつもと同じ、温かく優しい笑顔で。


「そのためには、城壁の向こうの人達みんなに、不幸になってもらわなきゃいけないんだ」


 同じ笑顔なのに、同じには思えなかった。どうしてなんだろうか。僕が、大人になったから?


「ねえ、君も願ってくれるよね。僕の幸せは、君の幸せでもある。そうでしょう?」


 そう、思ってたよ。ずっと、王様が幸せなら僕も幸せだって思ってた。だけど。


「だから、君も《神様》になって、僕の願いを叶えてよ」


 僕はもう、それを幸せとは思えない。


「嫌だ!」


 あの化け物を二度と見ることなく、僕は王様の後ろの扉めがけて一目散に走った。僕の行動は予想外だったらしく、王様は一瞬立ち尽くす。その隙を見逃すことなく、僕は王様の横をすり抜けた。


 扉を普通に開けようとしても、多分開かないだろうと直感的に理解する。それでもためらいなく、僕は扉に向かって突進した。


 スッと、あの不思議な感覚があって……気づけば、僕は扉の向こう側の階段を駆け上っていた。ろうそくの火は僕を逃さないとでもいうように、どんどん消えて僕を闇に追いやろうとする。足元が全く見えなくなっても、今の僕にはなんら問題はなかった。


《魔法の力は、人が何かを強く願う思いの力だ》


 ニックはそう言っていた。スラムの人は、願うことを忘れたから魔法が使えなくなっただけ、とも。じゃあ、僕だって魔法が使えて当然じゃないか?


 今までの僕の願いは、王様のために何かすることだった。でも、今は違う。生きたい。王様のためじゃなく、僕自身のために、大人になりたいんだ。


 気づいたことがある。僕は、今までずっと《子供》だった。王様はよく、「僕の可愛い子供達」と言っていた。僕は、《子供達》のうちの一人であって、そして、それ以外のなにでもなかった。


 じゃあ、《子供》じゃない僕は、一体誰なんだ?


「ニック!」


 王様の怒りに満ちた声が聞こえる。バタバタと階段を駆け上がる音がして、僕はさらに速度を上げて階段を駆け上がった。やがて階段を登り切って、僕の目の前に行き止まりの壁が現れる。王様と一緒にすり抜けたあの壁だ。僕は迷いなく、壁に向かって突っ込んだ。もう三度目になるあの感覚を感じて、僕はあっさりその壁も通り抜ける。目の前に広がる見覚えのある廊下を、僕は名残惜しいと思うこともなく駆け抜けた。


 教会は既にボロボロで、廊下のあちこちに瓦礫やゴミが落ちている。壁はすり抜けられても、そこらじゅうに転がるそれらをすり抜ける事はできないらしく、気づけば僕は怪我だらけになっていた。体中が軋んで悲鳴をあげていた。どれくらい走り続けているのだろう。もう限界だということは分かっていたけれど、どうしても足を止めるわけにはいかなかった。


 ここから逃げても、どうやって生きていけばいいのかなんて分からない。それでも、僕はこの先の未来を想像した。


 ここから出て、空を見る。真っ暗な夜に一人は怖いけど、きっと大丈夫。あの化け物より怖いものなんかあるはずない。そうしていつか、一緒に生きていける誰かに会えたらいい。その人に、名前を付けて欲しいんだ。名前は、誰かにとってその人が特別だという証明だから。なんで、王様が得意げにその話をしたとき、僕は自分に名前がないことを疑問に思わなかったんだろう?



「ニック、どこにいる!?」


 あんなに怒った王様の声を聞くのは初めてだ。あの大声のせいで、子供達が目を覚まさなければいいけれど。こんな、酷すぎる事実を知るには、みんなはまだ小さすぎる。一つのことに気づくと、たくさんの秘密が見えてきた。僕より大きな子供は一人もいない。でも、僕がここに来たとき、僕より大きな子供たちはたくさんいた。あの子たちはどこへ行った? そして、僕はなぜ彼らのことを忘れてしまっていたんだろうか?


 全部、本当はもっと早く気付くべきだった。何も知らないで、ただ王様とニックの優しさに甘えて、のうのうと生きてきたのだから、こんな結末を迎えるのは当然なのかも。僕は自分が何を願っているのか、もっと考えるべきだったのだ。王様の願いが何なのか知ろうともしないでその願いが叶うことを願った時点で、僕も王様と同罪だったのかもしれない。


 やっと、外への扉が見えてきた。自由が目の前にある、と思った瞬間、誰かが僕の前に立ちふさがった。


「ニック……!」


 王様が彼の名前を呼び続けていたということは、ニックは王様の味方ということだ。扉も壁も難なくすり抜けてきたけれど、立ちはだかるニックを見た瞬間勇気がしぼんでいくのを感じる。本当は、王様から逃げるのだって怖かった。そのうえ、ニックからも追いかけられて、世界で唯一、僕のことを守ってくれていた二人から逃げることが、果たして僕に出来るんだろうか。


「王様!」


 ニックの叫ぶ声が、死刑宣告みたいに聞こえた。


「外に逃げられました!」


 え?


「俺が追いかけますから、あなたはここで子供達を頼みます!」


 ニックはそう叫ぶと、足を止めかけていた僕の手を引いて教会を飛び出した。

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