第13話

「読まれることのないデスクトップの怜子への手紙」


怜子へ。

僕が突然にあなたの前から姿を消したことで、今この手紙を読んでいるあなたは、さぞかし驚いていると思う。

或いは、この事態を把握できずに戸惑っているだろう。

そして、僕への強烈な憤りを感じていることと思う。

そのことに関しては、本当に申し訳ないという気持ちで胸が痛んでいます。。

でも、このことについては、僕にとって、どうしてもやらなければいけない事だったのです。

詰まりは、始めから計画していたことなんだ。

その目的を最終的に達成するために、あなたにこの手紙を書きました。

何故、僕があなたの前から姿を消したのか、それをここに書きたいと思う。

ただ、これだけは、あなたに伝えておきたいのです。

今、僕はあなたを心から愛しています。

これは事実なのです。


25年前の事を書きたいと思う。

僕が入社して間もない頃だ。

その当時、僕には雪子という付き合っている女性がいた。

結婚の約束もして、その準備に楽しい日を送っていたよ。

ただ、雪子には1つ問題があったんだ。

うつ病で悩んでいた。

それも、ひどい時は自殺まで考えたり、婚約破棄の話も何度も出たよ。

でも、僕はそんな雪子と一緒に苦労をしてゆくつもりだった。

そんな時期に、取り返しにつかないことが起きてしまったんだ。

あなたは、僕に残業をするように言ったんだ。

怜子はもう忘れてしまっているだろう。

というか、そんなことは当時、気にも留めていないことだったと思う。

でも、僕は、その日の夜は雪子と病気のことと結婚のことの話し合いをする日だた。

少しうつの症状が酷くなりかけていた時だった。


そこへ、僕への残業の命令だ。

勿論、その日しかない重要なことだったら、僕も残業をするよ。

でも、そうじゃなかった。

それにいくら仕事の事だと言っても、上司でもないあなたに指示される筋合いではないことだった。

なので、僕はあなたに、そう答えた。

その事が、あなたには気に入らなかったのでしょうか、或いは、ただのデートだと思ったのでしょうか。

あなたは古川部長に僕の仕事がなっていないと、マイナスイメージたっぷりに脚色交じりに訴えにいったのですよね。

それから、古川部長から、仕事がしたくないなら会社を辞めろと言われました。

その言葉に僕は逆らうことをしなかったし、怜子が部長に話した嘘も否定はしなかった。

人のあらかじめ決まっている印象は、どんなに本人が否定しても変わることはないということを知っているからね。

あの場合、僕がどんなに怜子の嘘を否定しても、部長は僕へのイメージを変えることはなかっただろう。


僕は結婚のこともあったし、将来の事を考えると辞めるわけにはいかなかった。

それで、仕方なく残業をする事にしたんだ。

その日だ。

雪子は、僕の住んでいるアパートで薬を大量に飲んで、何故なのか外出して車に轢かれて死んだ。

僕が、それを知ったのは、仕事を終えてアパートに帰ってきた時だ。

雪子は僕の事を待ちきれなかったんだろうか。

待ちきれずに駅まで迎えに行こうとしていたのか。

ちょうど雨が降っている日で、僕に傘を届けようと、駅まで傘を持っていこうとしたのだろうか。

雪子には僕が傘を持って出かけたかなんて関係なかったのかもしれない。

ただ、心配で傘を持って家を出た。

或いは、雪子は僕に裏切られたと思ったのだろうか。

これからの将来の大切な話をする時間になっても僕が返ってこないことで、雪子の前から僕がいなくなると思ったのだろうか。

どんな理由なのかは、今でも分らない。

でも、僕が雪子を死なせてしまったことは事実なんだ。

そして僕は、自分のした事で雪子を死なせてしまったんだという事を受け入れる事が出来なかった。

深い苦しみ、悲しみ、後悔、そんなネガティヴな感情がずっと僕を支配していた。

愛している人を突然に失うと、こころにポッカリと穴が開いたようだという例えを聞いた事があった。

でも、実際はそうじゃなかった。

僕の心の中には、恨みと憎しみが渦巻いていた。

雪子が、死んだ事は、誰のせいでもない。

誰かのせいだと言うなら、それは僕のせいだ。

僕が、毅然とした態度で断らなかったからなんだ。


でも、僕が選んだのは、復讐だった。

心の中の恨みと憎しみを誰かに向けなければ、僕という人間が、その時は生きている意味を見つける事が出来なかった。

そして、復讐を思いついた。

誰に?

それが、あなただったんです。

あなたが僕に残業を命令しなければ、そしてあなたが古川部長に誇張した嘘の告げ口をしなかったら、そしてあなたが存在しなかったら、雪子は死ぬ事がなかった。

その時の僕には、その考えを否定する何物も存在しなかった。

本当は、僕のせいだということに気が付かないふりをしていたのかもしれない。

怜子は、そんな僕の事情なんて知らなかっただろう。

だから、怜子は少しも悪くない。

悪いのは、僕だ。

でも、その時の怒りは、僕自身じゃなくて、怜子、あなたに向けてしまったんだ。

愚かな考えだが、その時は、仕方がなかったんだ。


そこで、復讐についてです。

復讐をするといっても方法がある。

肉体的な暴力は、僕は苦手だ。

では、どうするのかを悩んだよ。

そして出た結論が、あなたとの結婚生活だったのです。

人間においての1番の絶望は何か。

それは、裏切りだと思うのです。

信頼している人からの裏切り。

愛している人からの裏切り。

僕は、あなたを裏切る事で、復讐を実行しようと考えたのです。


その日から、僕はあなたに近づき、あなたに気に入られ、あなたに愛されることを、続けてきたのです。

しかし、その作業がこれ程までに辛いことだとはその時は思いもしなかった。

人に愛される、あなたに愛されるためには、これは演技なんかで出来るものじゃない。

人間の感性は思いのほか鋭いからね、いくら演技で愛を囁いても、それは伝わらないし、相手の心を動かすことなんてできやしない。

本気でぶつからなきゃダメなんだ。

なので、僕が最初に行ったのが、あなたに愛されるために、心からあなたを愛するという作業だったのです。

恨んでいるあなたを、愛する。

憎いあなたを、愛する。

即ち、それが復讐のはじまりなのです。


そうして、あなたが私を愛し、そして心を開いた時に、あなたを裏切って、あなたの前から姿を消す。

それによって、あなたの心は裏切られ、今まで一緒に暮らしてきた時間を無意味なものにするのです。

今まで、あなたが僕のために犠牲にした時間。

今まで、あなたが僕のために尽くしてくれたこと。

今まで、あなたが僕のために諦めた夢。

そして、これから無駄になるあなたとの将来の約束。

それらのもの、全てが今日で無意味なものになってしまうのです。

それが、僕のあなたに対する復讐の全てです。


勿論、あなたと同じ時間を過ごす僕の25年も無意味なものになってしまうのかもしれない。

しかし、復讐には犠牲は必要なものである。


覚えていますか。

僕が初めてあなたを抱いた日のことを。

僕は、はじめはそんなことが出来るのだろうかと思っていた。

憎い人を抱くことが出来るのかと。

しかし、それは僕の想像を超えたものだった。

ホテルの部屋で、お互いに服を剥ぎ取るようにして裸になった時だ。

あなたの皮膚と僕の皮膚が重なり触れ合う。

胸の皮膚。

腿の皮膚。

そして、脳幹までもが痺れるような快楽に包まれていた。

それは、愛している人を抱くよりも高い興奮だった。

僕は、何日も何日も、貪るようにあなたを求め続けたね。

そして、そんな時に身ごもったのが茉莉子だ。

ある意味、茉莉子は、恨みや憎しみを超えて生を受けた子供だといえる。

或いは、もう恨むのも憎むのも止めなさいという神様のメッセージだったのかもしれないと思った。

あの時に、神様のメッセージを素直に聞き入れるべきだったのかもしれない。


結婚してから2年ぐらい経った時だろうか、僕は僕自身の心に変化が生じていることに気がついた。

或いは、もっと前から気がついていたのかもしれない。

それは、あなたを本気で愛してしまっていたのです。

あなたに愛されるために、本気であなたを愛してきたのではあるのだけれど、それは復讐をするためだという思いが僕の心の中には存在していた。

でも僕の中で、それとは無関係にあなたを愛し始めていたのです。

これは、雪子のことを忘れかけてきているということを意味しているのかもしれなかった。

この頃から、復讐なんかしても仕方がない、それよりこれからの事を考えるべきだという気持ちが起こってきたのです。


しかし、それは、どうなんだろうと思うのです。

あなたに復讐をするために愛した筈なのに、あなたを本当に愛してしまったから、復讐は止めて、あなたを愛する事だけにしますというのは、あなたの存在と、あなたが僕に騙されてきた時間を否定する事になってしまう。

詰まりは、最後にあなたを裏切らなかったとしても、あなたの今までの時間が無意味なものになってしまうという事だ。

そんなことを僕はずっと考えていた。

そう考えながら、月日が経っていった。

その間、僕は本当に幸せだった。

あなたのような人には、もう二度と巡り合えることはないだろう。

茉莉子という素直な子供にも巡り合うことはないだろう。

言うなら、今の状況は僕の理想とする結婚生活なんだ。

ここで、もう一度あなたに言いたいのです。

あなたを心から愛しています。

そして、あなたと茉莉子のいるこの家庭が大好きです。


でも、仕方がないのです。

ここで復讐を実行に移さなければいけません。

その理由は2つあります。1つは雪子です。

雪子には復讐を約束して始めたのです。

それを復讐の相手を愛してしまったからと言って、止めてしまうことは、雪子があまりにも不憫ですから。


そして、もう1つは、あなたに復讐するために始めた結婚生活を、あなたを愛してしまったから、このまま続けるというのでは、あなたにとってこの結婚生活が、一体にいつのどこまでが復讐で、いつからどの日から愛のある結婚生活なのか、判然としないまま終わってしまうことになる訳で、僕の中で不条理な気持ちを抱えたまま、いつまで続くか分からない生活を続けることになる。

なので、僕はここで一旦復讐を完結させてしまおうと思う。

今日、僕はあなたの前から姿を消します。

今まで、本当にありがとう。

僕は今あなたに復讐する意味をまったくなくしてしまった。

出来ることなら復讐はしたくない。

しかし、それはしなければならないことなのです。

それは、あなたを愛しているから。

あなたの為に、このまま愛のある生活をしてはいけないのです。

愛しているあなたに意味のない復讐をすることを僕はやらなければいけないのです。

苦しい。

このままあなたと暮らしたい。

このまま怜子と茉莉子と今の生活を続けたい。

でも、実行に移さなければいけません。

愛することによる復讐を。

怜子、ありがとう。

そして、愛しています。


追伸

復讐のために、銀行口座の残高を無くしてから家を出ていくつもりだったのですが、それは止めました。

今の貯金で2年ぐらいは何とか暮らせるとおもいます。


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