第17話 独り立ちのとき
ザシャがオゥタドンナーと契約して一ヵ月以上が経過した。
クリスとメルヒオールの派閥争いは相変わらず続いているが、膠着状態のまま水面下でつばぜり合いをしているのみだ。
「あるじー、暇だぁ。誰か斬りに行こうぜ~」
「お前の本分を考えると仕方ないんだろうが、こっちの都合も考えてくれ」
「だってそんなことを言ってもよぅ、儂としては適度に血を見てぇんだ。どっかいいところねぇの? この際贅沢言わねぇからさ」
「ぱっと思いつくところだと、牛や豚の屠殺場なんかはどうなんだ?」
「確かにばっさばっさと斬れるし、血も大量にでるんだろうけどよ、儂が望んでるのはそんなんじゃねぇんだよ。血湧き肉躍るような戦いを求めてるんだ!」
「お前、金属なんだから血も肉もないじゃないか」
「血も肉もある貴様が、金属みたいに冷たいこと言うなよ! トゥーゼントより絶対儂の方が役に立つのに!」
クリスが執務中の場合、ザシャは脇に立っているだけである。そして、たまにオゥタドンナーが騒いで話し相手になることがあった。しかしそんなことをすれば、当然仕事をしているクリスの邪魔をすることになる。
「二人ともいいよねぇ、じっとしてるだけで」
ペンを置き、振り向いたクリスは満面の笑みを浮かべていた。こめかみに青筋が立っている。
「わ、悪かった、クリス。別に邪魔するつもりはなかったんだ」
「今度、屠殺場への視察を予定に入れて、オゥタに延々と斬ってもらおうかな」
「勘弁してくれ。それ剣を振るうの俺じゃないか。いくら何でも嫌だよ」
そうやってなし崩し的に休憩をすることになったクリスの元に、一人の侍女が近づいてきた。ザシャの知らない侍女である。
「お忙しいところ申し訳ありません。すぐにカロリーネ様の元へいらしていただけないでしょうか。お伏せになられました」
侍女の言葉を聞いた瞬間、二人の顔色が変わる。
「ご様態は?」
「私がこちらへ向かうときは、まだ医師に診ていただいているところでした。今から向かえば結果は出ているかと」
「わかった。すぐに向かう。ザシャ、行くよ」
立ち上がったクリスが振り向いて伝えると、ザシャはうなずいた。
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カロリーネの部屋の前まで来たクリスとザシャは扉の前で医師に会う。
「母上の容態は?」
「あまりよくありません。長らくお伏せがちでしたが、ここ
「面会はできる?」
「カロリーネ王妃も望まれております。ただし、そう長く面会なさるのはご遠慮ください」
「ザシャ、ここで待ってて」
ザシャに振り向いて一言伝えると、クリスは部屋に入った。
寝台へとクリスはそのまま近づいてカロリーネの脇に立った。
「母上、クリスです。お加減はよろしいでしょうか?」
「一時に比べれば良くなりました。この程度で倒れるとは、情けないことです」
「そのようなことはありません。母上」
顔を向けて微笑んでいるカロリーネの姿をクリスは痛ましそうに見ながら、寝台横の席に座る。
「あなたを産んでからずっと見てきましたが、魔王討伐の旅から戻ったあなたは、見違えるように逞しくなりました。わたくしはとても誇らしいです」
「ありがとうございます。これも母上のお力があってのことです」
「まさか息子が娘になって戻ってくるとは思いもしませんでしたが」
「申し訳ありません」
面白そうに笑うカロリーネにクリスは微妙な笑顔を向けるのが精一杯だった。
「責めているのではありません。魔王の呪いによるものなのですから仕方のないことです」
「しかし、そのせいで今回母上にご心労をかけてしまって」
「王妃という地位にある者に重圧がかかることは当たり前です。確かにあなたが娘になったことには驚きましたが、その程度でいちいち倒れていては王妃は務まりませんよ」
クリスの表情は次第に泣き笑いへと変わってゆく。
「それよりも、最近、あなたはザシャと大変仲が良いらしいですね? 修練場で抱き合ったり、浴場へ一緒に入ったり」
「えっ!?」
「会っていないから知らないとでも思ったのですか? 修練場でのことは噂になっていますし、浴場の件については大きな声を出しすぎましたね。ひっそりと逢い引きをするのなら、もっと周囲に気を配らないと。浴場の出入りを見張るだけでは足りませんよ」
「あははは、以後気をつけます」
「まぁ、ザシャとの仲は否定しないのね」
カロリーネがくすりと笑いながら固まったクリスを眺める。
「それで、仲はどこまで進んでいるのですか? 一緒に入浴するくらいですから、もう相当進んでいると見るべきかしら」
「いえ、そんな! まだ全然ですよ! ろくに何もしてもらっていません!」
「それは残念ね。あなたに気がないのかしら?」
「えっと、それは。えーっと」
「もうわたくしにはわかっているのですから、すべて話してしまいなさい」
観念したクリスは、顔を赤らめたままザシャへの想いを話した。カロリーネはそれを嬉しそうに聞く。
「これですべてです。母上」
「下手に親友という仲の良さが仇になったのかしらね」
「そうみたいです。でも、もしかしたらちょっとだけ心境が変化してきたかもしれません」
「何か態度に変化があったの?」
「一緒に入浴したときに色々話をしたんですけど、そのとき以前とは違う返答をしてきたんです。本当に微妙な変化なんですが」
「それはとても大切な変化よ? 相手がこちらを意識し始めたのかもしれません」
「男だといって拒絶していたけど、迷いを見せるようになってきた、とかですか?」
「それよ! それはとても大きな変化なの。あなたは山を動かしたのと等しいことをしたのよ。それから何か変化はありましたか?」
「いえ、なにも」
カロリーネの問いかけに、クリスはしょんぼりした様子で言葉を返した。
「ああなんてこと。あなたに女としての躾をしておくべきでしたね」
「三ヵ月前までは男だったんですから、それは難しいと思います」
「もっと早くこの話を聞いておくべきでした。そうすれば、陛下に振り向いていただけたときの努力をお話できたのに」
「母上は父上に何をしたのですか」
かつての母親の裏をちらりと見たクリスが顔を引きつらせた。
「話は変わって今後ですが、近日わたくしは保養地に向かうことになるでしょう」
「なぜですか?」
「前々からこの話を勧められていたのですが、無理を押して王宮にとどまっていました。しかし、今回倒れてしまった以上、もはや陛下のご意向に逆らうことはできません」
クリスは何も言い返せなかった。カロリーネが王宮にとどまっていてくれたのは自分のためだが、同時にそれが負担になっていることを知っているからだ。
「このような時期にあなたのそばを離れてしまって申し訳ないです」
「そんな! 私がお礼を申し上げないといけないくらいです」
二人が話をしていると、遠慮がちに医師が弟子達と入室してきた。
「大変申し訳ないのですが、そろそろお控えなさった方がよろしいかと」
「仕方ありませんね。今日はこのくらいで、続きはまたにしましょう」
「はい、母上」
「それと最後にひとつ」
立ち上がったクリスにカロリーネが声をかけた。
「あなたは一人ではありません。ザシャを最後まで信じなさい」
一礼するとクリスは医師だけを伴って外へ出る。そこにはザシャがいた。
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クリスが母親を見舞った二日後、カロリーネはランドルフの命で保養地へと向かった。
その性急な旅立ちは、貴族達の様々な憶測を呼んだ。
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