格子格の片鱗。鈴蘭の本領

「大旦那の一声が効きんした。なんといってもあの一件、活躍したカオナシ様と共に通りを歩いたのが大旦那でありんしたから。『浮気者でもなければ、活躍をひけらかす様な虚栄心の塊のような男でもなし。《月下の華》、鈴蘭の馴染は、そんな矮小な男では務まらぬ』と」

「ハァっ!?」


 童貞の下りもそうだったが、その話もたじろがせるほどに力があった。

 破顔、というほどでもないが、手を口元に、もう一方を腹に添えて笑っている鈴蘭。感情を爆発させることを嫌う花魁の中では、その姿は最大級に笑っているのと等しかった。


「あの、親父っ!」

「そういうことでありんす。一夜にして一躍、港崎で有名になりんした夜の侠客カオナシの、馴染の女がこの鈴蘭」


 呆れた声で、今はいない呉服屋に恨みを漏らす八徳は、両の手をもって頭を抱え、髪を掻きむしった。


「カオナシの正体は? 背景は? 謎が謎を呼び、遊郭に遊びに来る旦那衆の多くの関心が、今、主様にござりんす。それを知らんとし、話を聞かんとわっちの指名が殺到している有様」

「はぁ、嫌だね。その野次馬根性」

「最近、この遊郭にゃ黒ぅ話が多しんすから」

「黒ぅ話?」

「《港崎心中》、《ラシャメン天誅》。あぁ、異世界は別遊郭の永真遊郭でも事件があったそうで」

「ん?」

「確か、《始末屋八徳横恋慕》」

「んがぁっ!?」

「まぁ、《ラシャメン天誅》に関しては、当日主様が活躍しんしたから、転じて《港崎カオナシ捕物帳》と。黒ぅ話が多しんしたから、楽しい話にはよく飛びつきしんす」

「よ、ヨカッタネ‥‥‥」


 その話の力強さに、八徳もなかなかまともな反応を見せられない。言葉もたどたどしかった。


「主様、主様や」

「なんだ?」


 その表情と言葉を受け、サッとまた鈴蘭の顏は曇った。

 「よかった」と言って見せた八徳だが、鈴蘭には気に入らなかったらしい。


「まこと、カオナシ様は無粋モンでありんす」

「もう、なぁんとでも言ってくれ」


 八徳は打ちのめされていた。遊郭に生きてた頃の始末屋八徳なら、たとえそれが押しも押されぬ人気花魁だろうが、気圧されることはなかった。

 だが、客という立場で遊女と接するとなると、こうも面倒なのかと、今更ながら思い知った。

 今だって、数秒前には笑顔を見せていた鈴蘭が、少し睨みつけている理由がわからなかった。


 まさに、始末屋一流客五流といったところ。


「もう少し、わっちのことを気にかけてくれてもいいところではござりせんか?」

「話が見えねぇ」

「興味ござりんせんか? わっちの口から、主様のことを聞きたいと殺到した男たちと、わっちが、並々ならぬ関係になってしまったらと。普通そこは、『俺以外の男に気を許すこと許さぬ』くらい、言ってくれてもいいところでござりんしょう?」

「ハッハ! それを言うならオアイコだ。そもそも花魁が、馴染の男の前で、他の男の影をチラつかせることこそご法度だ。嫉妬を買う。俺相手以外には、控えろ?」


 噛み合っているのか噛み合っているのか定かではない会話。


 気にかけてくれと、鈴蘭は他の男の影をチラつかせることで、馴染の立場に八徳が胡坐あぐらをかかないようにとけん制した様だった。

 一方で八徳が見せたのは、夜の街での経験からくる配慮だった。


「女の嫉妬は見るも醜いが、存外、男の嫉妬の方が深く恐ろしいことは、その道を極めたお前たち花魁なら知っているな?」

「確かに、懇意の旦那さんに対し、他の殿方について触れるのは法度でありんす。不思議なもんで、主様には言えてしまう」

「さてぇ? それは喜ぶべきところなのか」


 一応、八徳のそのセリフ、間違いなく鈴蘭への心配ゆえ。しかしその心配は、鈴蘭が八徳に求めた心配とは方向性が違うから、


「主様の阿呆」

「アホっ?」 


 あえなく、そっけなく言われてしまった。これに八徳は慌てかけたが、それ以上の驚きが降ってきて、言葉を失った。


「……何、してんだ?」

「女に言わせるでありんすか?」


 怪訝な顔した鈴蘭が、その表情のままススっと八徳の隣に居座ったかと思うと、彼の肩に枝垂しだれ掛かった。


「長続きしんせん」

「は?」


 あわや、八徳も変な気分になりかけた。

 肩にもたれかかった鈴蘭の首。着物の襟からのぞく、ほっそりとした首筋から立ち上る甘い香りが鼻腔をくすぐった。そしてそんな状態のまま、どこか寂しげな声をあげるものだから、「この弱弱しさを護ってやりたい」という考えが沸き立ち、一方で、このままねじ伏せ、征服してしまおうという本能も、八徳の中で鎌首もたげた。


「《人の噂も75日》。今こそ主様に興味惹かれて、お客さんがわっちに殺到する。でも‥‥‥」


 遊女と関わり生きてきた身なれど、男女としての関係にはひどくウブな八徳。そんな彼を知ってか知らずか、肩に寄り掛かってきた鈴蘭は、顔を、八徳の顏に向けた。

 そうなると、接吻まであと少しというほどに近い距離で、八徳と鈴蘭の唇が向かい合う。いや「あと少し」なんで遠慮が過ぎる。もはや頭巾越しとはいえ、唇二つ、触れるか触れないかという間合い。


(さっきコリンに席を外させたとき、「諦めた」って言ってたよな)


「人の興味が薄れ、カオナシの正体をしらんとせん旦那衆たちがいなくなり、わっちの元を去ったらどうしんす? わっちにはもう、馴染の主様しかおらん」


(こ、こいつ‥‥‥)


 曇らせた、か弱そうな表情と力のない瞳。八徳の被る頭巾の目出し部分を見つめていた。


「だからわっちは、真相を知りにわっちに殺到する旦那衆と、《裏》まで至っても《馴染》までは至りんせん。全ては、主様の為だけに」

 

(こいつは……)


 双眸が、絡まる。

 言葉と共に口から発せられるものも、どういうわけかとても甘い。


「なのに主様は、カオナシ様は、それでもわっちを他の雑兵よろしく、ただ一介の遊女としか見て下りんせんか?」

「ちょ、待てっ!」

「主様だけのものと……見てくりゃれ?」


(本気で、俺を、堕としにかかって来やがったぁぁぁぁぁ!)


 耳で、鼻で、目で。鈴蘭から放たれるものを受けとめた八徳は、頭の中が、何か小さく痺れているように感じた。


 もうどうにもならない。気分は、《まな板の上の鯉》。

 本来そういうこと・・・・・・は、鈴蘭との一席で充てられた居間から、隣の床の間に移ってから進むはず。

 だが、鈴蘭の全力に当てられ、微動だにできなかった八徳は、トンと、胸の辺りを押され、畳に仰向けに転がってしまった。

 起きようとするも、胸の辺りを押さえつけられ、叶わなかった。


『カオナシ様ッ!』


 天与の助けとでもいうべきか。

 居間の外、廊下から声が張りあがった。聞き馴染みあるコリンの声。だが悲鳴だった。

 それを聞いて顔を向けたのは八徳ではない、鈴蘭だった。邪魔をされたとでも思ったのか、なかなかに表情には鬼気迫っていた。が‥‥‥


『カオナシ様が刺されなんし! 中見世通りでっ!』

「なっ!」


 コリンに対し、鈴蘭が何かを言う前に続けられた内容。鈴蘭はこれに狼狽し‥‥‥


「面白れぇ話だ! 場所はどこだ!?」


 これ幸いと、八徳は、跳ねるように起き上がった。


「スマン鈴蘭。酒の飲み過ぎと緊張で、今日はどうにも機能・・しねぇ。お前のせいじゃねぇ。俺の不徳だ!」

「ぬ、主様ッ!?」

「また今度だ!」


 そうして、鈴蘭がまだ驚いて満足に動けないうちに、八徳はさっさとその場を離れてしまった。

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