お侍の仏さま。朱に濡れた禿の少女-2

「お気を付け。しっかり握って離しんせん」

「お前さんに心配される俺じゃあねぇんだ。客との席で発生した事件か? 床入りの最中の」

「この状況で、よくそんな冗談を‥‥‥」

「首筋、目立ってるぞ。口吸いの跡が」


 まず声をかけて来たのが紅蝶の方だった。彼女が示したのは、禿がぎゅっと握って離さない匕首あいくち

 返す八徳の発言に、始めこそ訝し気な顔をした遊女だったが、ハッと目を見開き、白粉の塗られた首筋を、掌で隠した。


「また出てきているのかい。何度白粉を塗っても顔出してしまう。なかなか消えない」

「気をつけろよ。他のおとこの影は、花魁には致命的だ」

「そんなこと、お前如きに‥‥‥」


 紅蝶との言のやり取りはほどほどに、


「それで……お円?」

「あ、あにさん。兄……さ」

 

 八徳がお円に声をかけたのが功を奏したか。

 始末屋というより、人間味を前面にした八徳の出現によって、わずかながら反応を見せた。

 

「『こ、紅蝶こちょうを殺す』って。あねさまを……わっちにも手を挙げて……」

「……そうか?」

「だからわっち……それでわっち……人を、お侍様を……」

「そうか……」


 現場に入って、八徳もわかってしまった。

 死体のそばで跪く禿の少女が、虚ろな瞳のまま、身体中をガタガタ震わせていることも。身が竦んで、肩も腕も縮こまった少女の両手が、刃先の真っ赤に染まった匕首を、しっかり握りしめていた理由も。


「わかりんせん。幻灯楼に到着した時、姉様を一目見た時のお侍様は、それはもう嬉しそうで。まさか姉様が支度のために席を外したその間に、あんな、あんなことが……」


(風呂敷越しでも見て取れる厚さ。今日が紅蝶と馴染みの日……か。なら、床入り最中の出来事って線はないな)


 おぼろげな声を耳に入れながら、畳に打ち捨てられた包みをチラッと見る。八徳は、今日という日が死した侍と紅蝶にとって、どのような夜・・・・・・になるはずだったかを察した。


「あまりソレを見るんじゃないよ」


 しかしその考察が、紅蝶には面白くなかったようだ。声をかけられた八徳が、視線と顔を上げると、紅蝶はフイッと、面白く無さげな表情であらぬ方を向いた。


「お、お侍様を刺した。わっちは、わっちが人を殺……」

「今は、あまり深く考えるな」


 八徳としても、いま気にするべきは紅蝶ではない。その妹分、お円のほうだった。


「八徳の兄ぃ!?」


 始末屋の仲間たちが声を上げた。それは白足袋を履いたままの八徳が、血に濡れた畳に一歩踏み出したからだった。

 お円の前にしゃがみ込み、普段の粗野な様相からは信じられぬほど、暖かい表情、柔らかな語気をもってお円に語り掛けた。


「兄さん。兄……さん」

「ホラ、お円。ゆっくりでいいから……な?」

「お円、ソレ、このボンクラの言うた通りに」

「姉さま……」


 語りかけながら、お円が匕首を握りしめた手にそっと八徳は己が手を被せる。その更に上から、紅蝶も両手を重ねた。


 すがるような瞳に涙ながらの震える声で、八徳たちを何度も呼ぶお円。少しずつ気分も落ち着き、指がほぐれたのか、匕首はするりと手を抜け、畳から落ちていった……その時だった。


「紅蝶や」


 幻灯楼楼主が声を挙げた。思いのほか、先ほどよりは落ち着いた声色だった。


「支度をおし」

「支度? 支度とは親父どん。この状況で、客を取れと言うでありんすか?」

「……ああ、そうだよ。そうまでして幻灯楼で取りたいお客さんさね」


 いや、落ち着いているというよりは、どことなく苦し気。


「おう、八徳」

「へい、親父」


 次いで通ったのは、始末屋親分の声。


「盃を、今ひとたび交わそうや。パァーッと騒いでだなぁ……」

「「ッツ!」」


 この街で、裏の住人として生きてこようが、表の住人として生きてこようが関係ない。

 自我というものが芽生えた時にはもう、この遊郭で生きてきた八徳と紅蝶には、始末屋と幻灯楼の長二人の発言を、正しく酌み取れてしまった。


「お、お待ちを親父どん。それは……」

「覚悟は、餓鬼の頃より」

「八得はお黙り!」


 しかし、そのわかってしまった意味に対する二人の反応は正反対だった。


「やってくれるか八得」

「ここで退いたら、これまで育ててくれた親父への親不孝になっちまう。弟分どもにも示しがつかねぇってもんでさぁ」

「八徳っ!」


 どこか、受け入れたような八徳の雰囲気。この店に駆け込んできたころの猛々しさは、嘘のように静まり返っていた。

 対して紅蝶はたかぶっていた。

 この話に、衝撃でハッと目を見開いたのは、八徳の仲間たちと、お円も同様だった。


「八徳最後の一夜。相手は、お前にしてもらうよ紅蝶」

「嫌でありんす! わっちはっ……!」

「いい加減におしよ。八徳と幼馴染のお前さん以外、手向たむけの酒を酌する者が、他に誰がいるってんだい。それとも他に任せてもいいっていうのかい?」

「それはっ!」

「いくら忘八でもね、気くらいは利かせたつもりだよ」


 だが、もう話は決まってしまった。少なくとも、紅蝶はこの件について取り付く島はなかった。


「いや、今回ばかりはあたしが決めるってのは野暮ってもんだね。八徳、お前さんがお決め」

「お心遣い。感謝しやす」


 話は進む。お円の前でしゃがみながら幻灯楼楼主にしっかりと頭を下げた八徳は、そのまま紅蝶に視線をやる。

 口惜し気に下唇を噛む紅蝶に向け、ニッとわざとらしく笑ってやって……最後、親分のほうを見たかと思うと、両膝を折り、這いつくばるように畳にぬかづいた。


「長い間お世話になりやした。首代くびだいの件、しかと受けさせていただきやす!」


 こうして、一人の青年の運命は決した。

 幻灯楼楼主の号令のもと、店を挙げたもてなしと、親分、弟分たちからの心遣いを、紅蝶が酌をした酒を通して享受する。

 皆が客間を出たあと、幼き頃より、この永真遊郭という地獄の中を、ともに生きてきた幼馴染である紅蝶と肌を重ねた八徳は、翌日、永真遊郭の外、女郎街より外界の奉行所に出頭。お白洲に座らされ、裁きを受けることになるのだから。


 遊郭のゴロツキ八徳が、一人の侍を殺した、その罰を。

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