わたしの魔法使い

楸 茉夕

序章

「ありがとうございました! お気を付けてお帰りください!」

 最後の客を送り出すと、店の中から声が投げられる。

「エイリル、看板しまってくれる?」

「はーい!」

 エイリルと呼ばれた少女は、赤と緑の木の葉と共に「紅翠こうすい亭」と書かれた看板を外して店の中に戻った。他の店員と同じように店仕舞いの後の片付けを始める。

 出入り口近くのテーブルを拭いていると、扉が細く開いた。入ってきたのが店員ではなかったので、声をかける。

「すみません、もう閉店で……」

「こんばんは。ごめんなさいね、遅くに」

「あ、ラストさん。こんばんは」

 顔を出したのは女将おかみの友人であり、この店の常連の女性だった。エイリルは奥に声を投げる。

「女将さーん! ラストさんがいらっしゃいました!」

「ああ、今日はリルちゃんに用があってきたのよ」

「え、わたしに?」

 布巾を片手に首をかしげたところで、前掛けで手を拭きながら女将が出て来た。

「おや、ラスト。どうしたんだいこんな時間に。残り物でいいかい?」

「こんばんは、ヒルダ。閉店を待っていたのよ、お店がやっている間にきたら迷惑かと思って」

「ってことは、客としてきたんじゃないと」

 揶揄やゆめいて言う女将へ、ラストは笑みを向ける。

「話が早くて助かるわ。リルちゃんを借りてもいいかしら」

「仕方ないね、特別だよ? リルちゃん、上がりのとこ悪いけどラストの相手してやっておくれね」

「は……はい」

 エイリルは戸惑いながらも頷いた。ラストが手近なテーブルに着くのを見て、向かいの椅子を引く。

「ありがとう、時間をくれて」

 にっこりと笑いかけられ、エイリルは一瞬ラストにれた。

 ラストと知り合って一年になるが、未だにその美しさに目を奪われる。足繁く通う彼女の存在が、この店の隠れた名物になっているのも頷けると、しみじみ思う。

(ずっと見ていられるわ……)

 ラストの彫刻めいた顔は、整いすぎているがゆえに冷たげな印象を与える。しかし、ほんの少し笑むだけで驚くほど柔らかくなるのだ。無造作にまとめられた黒い巻き毛の、ほつれた毛束すらも計算し尽くされているように思える。

「リルちゃん?」

 不思議そうにされて、エイリルは我に返った。慌ててかぶりを振る。

「あ、は、はい、時間は大丈夫です。ええと、お話というのは?」

 頷き、ラストは話し始めた。

「リルちゃん、近衛このえ兵って知ってるかしら」

「はい。王様や、ご家族を守る人たちのことですよね」

「そうよ。近衛兵が集まって近衛隊。軍に所属はしているけれど、どの命令系統からも独立していて、陛下とご家族をお守りするのを最優先にしている部隊ね」

「はあ……」

 何故ラストが近衛隊の話をするのかわからず、エイリルは曖昧に頷いた。ラストは柔らかな笑みを崩さずに告げる。

「単刀直入に言うわね。リルちゃん、近衛兵になってみない?」

「……は?」



     *     *     *



「なんだって?」

 思わず聞き返せば、机を挟んで正面に立つ青年は眉一つ動かさずに繰り返した。

「西方辺境領ヴェストリ領主、ヴィグリード・ゲンドゥル・ヴェストリ様が行方不明である可能性が極めて高いとのこと」

「行方不明って……どういうことだ」

「行方がわからないことです」

「いや、うん。それはわかってる。キルツくん、俺のことバカだと思ってない?」

「否定します。ロヴァル副長は聡明でいらっしゃる」

「そりゃどうも」

 あまり褒められた気はしないが、適当に礼を言ってロヴァルは額に手を当てた。

「行方不明……行方不明か……情報の出所は諜報部だっけ」

「肯定です」

「ということは、誤報じゃないな……なんてこった」

 三年に一度、国を挙げて行われる「鎮樹ちんじゅの大祭」が三月みつき後に迫っている。領主の出欠が確定していないのはヴェストリ領だけで、のらくらとはっきりしないヴェストリ領を不審に思い、諜報部が探ることになったのだろう。

「このことは、イーグルには?」

「陛下はご存知ありません。カルトラ様のご意向だそうです」

「なるほど、ハルじいならそう言うだろうな」

 ハルマ・カルトラは先々代から国王に仕える老宰相である。現国王とは、過保護な祖父と孫のようだと城内では有名だ。

「諜報部によると、この話は近衛隊以外には、まだどこにも出していないそうです」

「……つまり、ハル爺を筆頭に諜報部は、ヴェストリ公ヴィグリードを警戒していると」

 国王には知らせず、近衛隊にだけ情報を回してくるのはそういうことだろう。

 ヴィグリードは、現国王イーグレーンの従兄いとこである。現在の王位継承順位は五歳の第一王子に次いで二位。その領主が黙っていなくなったとなれば、ヴェストリ領はなこともあって、下手を打てば謀反の疑いをかけられかねない。出欠の回答を避けていたのもそのせいだろう。今頃、領主の側近は右往左往しているに違いない。

 半年前に先代ヴェストリ領主が身罷みまかり、家督を継いだばかりだというのに失踪するとは、ヴィグリードが何を考えているのかロヴァルにはわからない。

「隊長は?」

「先程お知らせしました。考えがあると仰って外出なさいました」

「へえ……いや待て。今日あの人夜勤だろ? トールくん非番だろ? 俺ももう終わりなんだけど」

 心得顔でキルツは続ける。

「その件に関して、ロヴァル副長に隊長より言伝があります」

「やだ。聞きたくない」

「副長のめいよりも隊長の命が優先しますのでお伝えします。『戻るまで任せた』と」

「だよね! 知ってた!」

 予想通りの伝言を聞いて、ロヴァルは机に突っ伏した。そこへ書類が差し出される。

「詳細はこちらに。一部しかありませんが、複製はしないでほしいとのこと」

「了解」

 ロヴァルが受け取ると、役目は終えたとばかりにキルツは一礼して退出して行った。一つ息をついて起き上がり、書類に目を落とす。

(当分忙しくなりそうだな……)

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