月 第六話

 「バイテクバブルモーター」

 叫んだターシャは、開いたドアから乗り込んだ。サンも飛び込んだ。

 「指示は出してないぞ」

 乗ってきたサンを、ターシャは睨み付けた。サンは決してターシャと目を合わさず、無言のままでいた。数秒後にドアが開くと、サンは護衛するようにターシャよりも先に出た。

 サンは驚いた。幹部分の外縁になるバイテク壁が、ドアの前方、百二十度の範囲で吹っ飛んでいたからだ。外が丸見えだ。

 ターシャがサンの横を掠めて走った。

 外からの日差しが当たるバイテク床に、ナポは倒れていた。

 ナポの傍らに腰を下ろしたターシャは、バイテク救急箱から万能バイテク救急を数匹取り出すと、ナポの体の上に乗せた。バイテク救急が動き出してから程無く、バイテク救急箱の上面に文字が表示された。

 「死亡。死因は感電」

 読み上げたターシャはナポの顔を見つめた。見つめる目は悲しみに耐えている。ふと、その目がナポの手に向いた。その瞬間、大粒の涙が落ちた。ナポの手にはしっかりと、新種のバイテク立体ホログラム装置が握り締められていたからだ。

 サンの胸は張り裂けんばかりだった。だが、拳を握って耐えた。

 「なぜ取り外したのに落雷するんだ?」

 ターシャの怒号が響き渡った。

 「同時だったというのか? 落雷と取り外しが同時だったと?」

 ターシャがバイテク床を打ん殴った。こんな感情剥き出しのターシャは初めてだった。そんなターシャの心を汲み取ったサンは、再び強烈な痛みを胸に感じた。耐えようと顔を逸らした時、視線先のバイテク床に、バイテク雷の抜けた痕である小さな穴を捉えた。

 「バイテク雷が侵入した」

 サンの言葉に、びくりとターシャが顔を上げた。

 「落雷したバイテク雷は、ナポの手から足を抜け、バイテク床を抜けた」

 声に出しながらサンは、バイテク雷の移動先を確認した。

 「畦だ」

 バイテク床に出来ている畦は一直線、吹っ飛んで今は無いバイテク壁があった、幹部分の外縁まで伸びていた。それが意味するのは……

 「バイテク雷は外に出ました」

 サンはターシャに告げた後、バイテク雷が抜けたナポの足を確認する為、ナポの足首を掴むと運動靴を引っ張り抜き、焦げた靴下を脱がした。

 ナポの足の甲に青鬼の刺青があった。バイテクペットクローン2の胸元にあった刺青と全く同じ刺青だ。

 「この刺青はなんだ?」

 ターシャの発言で、鬼と認識していたカイとは違い、ターシャは鬼を知らないことが分かったサンは、なぜなのだろうと考えて気付いた。鬼はカイが幼少の頃に見た日本国の絵本だからだと……

 続いてサンは、握っているナポの手を開き、新種のバイテク立体ホログラム装置を取ると、手の平を見た。

 数式と化学式が刺青となって、手の平にびっしりと刻まれていた。

 「なんだこれは?」

 覗き込んできたターシャが刺青を凝視した。サンはもう凝視していた。

 数式は、バイテクフューチャーラボで見た虹の数式と、同じ数式ではなかった。化学式は、バイテクフューチャーラボで見た虹の化学式と同じだったが、見たこともない古代文字が沢山増えていた。一番の変化は、古代文字の中に鬼の顔の絵が入っていることだった。

 「ナオキSPH694に音声通信」

 ターシャが携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れて指示を出した。

 「ナオキ。ルーム1に来い」

 ターシャが携帯バイテクコンピュータから伸びた蔓先の葉に向かって声を上げた。

 「消えた時空の歪みですが、先程再び月裏遺跡で時空の歪みを観測しました」

 全く焦りを感じないナオキの抑揚のない声が聞こえてきた。そんなナオキとは違って、ターシャは顔をしかめた。だが、いつものようにターシャは通信を終了させなかった。暫く経っても携帯バイテクコンピュータから伸びる蔓は枯れなかった。ナオキも通信を終了させていないのだ。そんな葉からナオキの声が聞こえてきた。

 「月裏遺跡と共鳴するルーム1の遺物によって、間も無くルーム1は時空の歪みに襲われます」

 開いたドアからナオキが出てきた。駆け付けながら、伸びる蔓を引きちぎって通信を終了させた。気付いたターシャはすくと立ち、ナオキに場所を譲った。

 「この化学式みたいなものは、逆さにして読む古代文字です。月裏遺跡に刻まれているものと同じです」

 ナポの手の平を覗き込んでナオキが言った。

 「だったら、解読しろ」

 「考古学者のリンならば解読できますが、私には無理です」

 ターシャの指示を、ナオキは淡々と断った。その間、サンは自分の腕を叩くナオキの手に気付き、その手に握られているバイテクカメラを受け取った。素早く、ナポの手の平に刻まれている古代文字と数式を、バイテクカメラに収める。

 「ナオキ。時空の歪みとは何だ? 宇宙の置き換えとは何だ?」

 ターシャが詰問するようにナオキを見た。

 「宇宙の置き換えと新種のバイテク立体ホログラム装置は関係があるのか?」

 思い出したように言葉を継いだターシャが、ちらりとナオキからサンに視線を流した。その目の動きで、ナオキは察した。

 「時間がありません。ルーム1から避難した後に説明します」

 ターシャの目を見て答えたナオキは、ドアへ向かって行った。

 「バイテクバブルモーター」

 急いでナポを担いだサンは、ナオキとターシャの後を追った。

 「ルーム3へ」

 ナオキがバイテクバブルモーターに指示を出した数秒後、ドアが開くと、その前にペタが待ち構えていた。ペタはサンからナポを奪い取るようにして抱えた。

 「ナオキ。説明しろ」

 ターシャは足早に持場へ向かうナオキを追い掛けながら叫んだ。

 サンはペタの嗚咽を受け、胸に痛みを感じながらも、ターシャの後を追った。

 「なぜ私が月に来て、考古学者のリンと一緒に、月裏遺跡を調べ始めたか……」

 持場に戻ったナオキが振り返った。喋りながらサンに手を差し出す。気付いたサンがバイテクカメラを手の平に乗せると、すぐにナオキはバイテクカメラから出る子葉を摘み取り、葉状バイテクモニターの茎に付く葉に乗せた。子葉が葉に根付くと、葉状バイテクモニターに、ナポの手の平が映し出された。だが、ナオキはそれには目も呉れず、ターシャに向き直った。

 「それは、数年前に太陽系の何もない所で、時空の歪みが生じては時空の歪みが消えるということを、数回観測したからです」

 「それと月裏遺跡と、どんな関係があるんだ?」

 「月裏遺跡は現象だからです」

 「現象?」

 訳が分からないとターシャの眉間に皺が寄った。

 「月裏で発見された遺跡は地球に存在していた遺跡だった。という有様が、現象です。現象は宇宙の置き換えで生じます」

 「宇宙の置き換えとは何だ?」

 「別宇宙がこの宇宙を置き換えていることです。宇宙の置き換えで生じる時空の歪みによって現象は起こります」

 ターシャは分ったような分らないような複雑な表情をしながらも、とんでもない事態がこの宇宙に起こっていることを理解した。

 「頻繁に生じるようになった時空の歪みによる現象は、宇宙の置き換えが進んでいることを示唆しています。それで……」

 言葉を切ったナオキは、無表情でサンを見た。サンはナオキに気付かれていることを悟った。

 「宇宙の置き換えと新種のバイテク立体ホログラム装置との関係は……」

 再び言葉を切ったナオキは、ターシャに視線を戻した。

 「新種のバイテク立体ホログラム装置は、現象ではないかということだと思います」

 「現象……だったら、新種のバイテク立体ホログラム装置を設置した奴はいないということか? そうだったら、単なる事故でナポもミカも亡くなったことになる。だが、ミカが侵入者と認識されずに警察隊月本部にいたという事実は、事故で済ませられない……」

 ターシャの言葉を遮る怒号が聞こえてきた。

 「ターシャ!」

 ナポを別ルームに安置して帰ってきたペタが、憤怒の形相で走って来た。鋭い視線でナオキを一瞥し、ターシャに目を向ける。

 「私は騙されていました」

 ペタの発言に、ターシャは顔をしかめた。

 「私とナポは、バイテク製品の開発を反対する過激派達によって引き起こされたバイテク製品反対暴動、それに巻き込まれた遺族同士でした」

 ペタの視線がターシャからナオキに移った。

 「私がなぜ今まで騙されていることに気付かなかったのか、なぜそこまで彼を信用したのか、それは……」

 ペタの視線がターシャに向いた時、ナオキがペタの頬を殴った。

 「それ以上口にすると、おまえを殺す」

 ナオキの拳が震えていた。初めて見るナオキの荒々しい感情だった。

 びっくりしたサンだが、そのことで、なぜこうもナオキが感情をひた隠しにしていたのか、分かった様な気がした。それは、これ以上傷付きたくないからだ。そう思ってサンは、感情を感じない抑揚のない声だけで、ナオキは情が薄いと判断し、その先入観で本当のナオキが見えていなかったことに気付いた。そして、今、先入観を取っ払ったサンは、本当のナオキが見えていた。ナオキの心奥にはとても素敵な輝きがあるということを……

 震える拳をもう片方の手で包み込んだナオキは、さらりとペタに背を向けると、葉状バイテクモニターを見つめた。そんなナオキの背を、ペタは抉るように荒々しく睨んだ。

 「ペタ。落ち着け」

 ペタを宥めたターシャは、それについてはもう詮索しなかった。だが、何かを思い出しているようだった。ペタの話の展開を考えると、ナオキも遺族と言えるからだ。溜息を吐いたターシャの記憶には、ナオキが遺族という確かな証拠が思い当たらなかった。

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