第二章 月

月 第一話

 月には三十のバイテクドーム都市がある。そのバイテクドームの構造などは地球のバイテクドームと全く同じだが、放射線耐性のあるクマムシの遺伝子から作り上げたバイテク遺伝子など、種々のバイテク遺伝子も組み込まれている。各バイテクドーム都市間の移動は、バイテクドーム都市の中心にあるバイテク建築樹木の巨大な根の先と、同じく別のバイテクドーム都市のその根の先が繋がっている為、バイテクバブルモーターで直行できる。月で使用されているエネルギーは、バイテク建築樹木の光合成で作られるATPという化学エネルギーのみだ。また、バイテク建築樹木の光合成によって出た酸素や、蒸散作用によって葉の裏にある気孔から出た水蒸気なども再利用している。

 逃げたサンが月プラットホームに到着した時、サンは時差ぼけよりも激しい状態に陥った。なぜなら、五日前の地球のニュースが、月で放送されていたからだ。混乱したサンだが、一緒に月に来たヒト達は皆、それに気付くこともなかった。彼らの記憶は置き換えられているからだとサンは気付いた。そして、今も続いている五日前の地球は、紛れも無く、宇宙の置き換えで生じている現象だと、サンは確信した。だが、なぜサンの記憶は置き換わっていないのか、それについては、サン自身も全く見当がつかないでいた。

 サンはバイテクフューチャーラボから出る前に、自分の尻尾を覆面に分化させ、衣服を着て変装した。覆面である顔は、角刈りの頭に丸顔、垂れ下がった目尻、おちょぼ口の若い男性だ。

 「地球の状況を報告しろ」

 指示した彼女の名はターシャ。ターシャの声は低音だが、とても歯切れが良い。彼女は化粧を一切しない。髪の毛もサンと競えるぐらいの短髪だ。だから、ぱっと見は男性だと思ってしまう。

 サンは二十インチの葉状バイテクモニターに映る、地球の状況を監視している。サンがいるバイテクドーム都市の名は、ティコバイテクドームだ。その中心部に近い場所にあるバイテク建築樹木が警察隊月本部で、そこのルーム6にサンはいる。警察隊月本部は現在、INPが取り仕切っている。サンはINPの隊員として潜入したのだ。記憶の置き換えが奏功して、すんなりと成り済ますことができている。

 「サン」

 ターシャの目が、サンの後頭部を見つめた。ターシャはINPのリーダーだ。ターシャに冗談は通じない。冷静沈着で、喜怒哀楽を表情には出さない。

 サンは驚いたように振り返った。覆面をしていても鋭い聴覚は健在なのだが、指示を聞き逃してしまうほどに、これから起こる悲痛の事態を思い出していた。答えようとして、別の隊員に遮られる。

 「ターシャ」

 リーダーであるのに彼女は、隊員に名前で呼ばせている。

 「ミカを見つけたそうです」

 報告する隊員は、葉状バイテク通信機を片側の耳に付けている。

 「その通信をこっちに回せ」

 ターシャが指示を出した後、ターシャの手首に巻き付く幅二センチの携帯バイテクコンピュータから蔓が伸びた。ターシャはその蔓先に付いた葉に向かって聞いた。

 「ミカは何処にいる?」

 「ケプラーバイテクドームです」

 答える隊員の声も、サンは鋭い聴覚で聞き取っていく。

 「バイテク追尾髪は植えたか?」

 「はい。既にミカの頭に根付いています」

 「ミカは私が追尾する。バイテク追尾髪の種を、こっちに転送しろ」

 「はい」

 隊員の返事の後、ターシャは通信を終了させずに、別の隊員に指示を出した。その間に、携帯バイテクコンピュータから伸びていた蔓は枯れた。通信先の隊員が通信を終了させたのだ。ターシャは短気だったカイとは違い、急ぎの用事などない限り、自分から通信を終了させることはない。

 暫くして、携帯バイテクコンピュータから芽が出て子葉となった。この子葉が先程言っていたバイテク追尾髪の種だ。それにターシャは気付いているのか気付いていないのか、確認することもなく、隊員達に指示を出していた。

 携帯バイテクコンピュータの見た目は蔓だ。エネルギーは蔓に付く葉で光合成をし、ATPという化学エネルギーを確保している。

 バイテク追尾髪は、髪の毛を基本形とした追尾装置で、一本の髪の毛で機能する、ハイブリッドのバイテク製品だ。

 「ペタは今どこだ?」

 ターシャが隊員に聞いた。

 「宇宙……」

 答えようとした隊員の言葉を遮って、サンは報告した。

 「コスモスバイテクドームが崩壊しました」

 バイテクフューチャーラボも崩壊したということだと、サンはぎゅっと拳を握って悲しみに耐え、続けて報告する。

 「地球プラットホームも崩壊しました」

 「なんだって?」

 声を荒げたターシャが、バイテク椅子から立ち上がった。だが、表情は冷静だ。

 「宇宙エレベーターも崩壊しました」

 「宇宙ステーションの状況は?」

 「宇宙ステーションは軌道を外れ、地球大気圏突入まで後二十三時間十九分です」

 サンの報告に、ちっと舌を鳴らしてターシャはバイテク椅子に腰掛けた。

 「地球の大気の状況は?」

 落ち着き払って聞いてくるターシャとは違って、サンは平然を装って答え続けている。振舞いも言葉遣いも地球にいた時とは違う。サンは大人になっていた。

 「大気の状態は不安定です」

 「バイテク雷は何処へ移動した?」

 「北緯五十一度十二分、東経百三十度二十九分の位置です」

 バイテク雷を監視する隊員が答えた。

 「警察隊地球本部に近いな」

 舌打ちしたターシャが指示を出す。

 「警察隊地球本部に通報しろ」

 「はい」

 答えた隊員はすぐさま通信を行った。

 バイテク雷の位置を把握することができるようになったのは昨日のことだ。ナオキをリーダーとするバイテク雷の対策チームによって可能となったのだ。ナポもそのチームに所属している。

 バイテク追尾髪も一週間前に対策チームによって作られていた。ナオキの発想だ。ナオキの才能には目を見張るものがある。カイが一目置いていたのも頷ける。だが、情が薄いナオキをなぜリンが好いているのか、サンは理解できないでいた。

 「ペタは生きているか?」

 ターシャが聞いた。

 「はい。ぎりぎりのところで月プラットホームに到着しています」

 隊員の返事に、ターシャの口元が一瞬だけにやりとした。

 「警察隊地球本部が崩壊しました」

 サンの報告に、隊員達が動揺し騒然となった。だが、ターシャはそれを咎めることも、静めることもしなかった。

 「警察隊地球本部の全データのバックアップは、ここにあるだろうな?」

 大声を上げたが落ち着いて聞くターシャは、既にバイテク雷の位置を聞いた時から、警察隊地球本部のことは諦めていたのだ。

 「はい。あります」

 隊員の返事に安堵したターシャは、バイテク床から伸びる茎に付く楕円形の葉に向かって声を出した。

 「火星の最後の通信を再生せよ」

 最後という単語を耳で捉えたサンは、振り向きそうになったのを堪え、聞耳を立てた。

 「バイテク雷の動く速度が速まり、もう位置把握ができません」

 隊員の報告に、ちらりと目を向けたターシャだが、通信の再生にじっと耳を傾けている。

 「訳が分からない」

 ターシャは呆然と呟いたが、通信の再生を聞き取っていたサンは理解できた。宇宙の置き換えで生じた現象だということを……

 「地球の主要拠点との通信が不能となりました」

 叫ぶ隊員の報告に、はっとしたサンが葉状バイテクモニターを見て報告する。

 「次から次へと地球の主要拠点が崩壊しています」

 「バイテク雷は警察隊地球本部で、地球の主要拠点のデータを盗んだな。かなり手強い」

 舌打ちしたターシャの指先が、携帯バイテクコンピュータに付く小さな葉に触れた。指示を出す。

 「ナオキSPH694に音声通信」

 携帯バイテクコンピュータは、登録されている指紋と声紋の指示にしか従わない。また、携帯バイテクコンピュータは限られているヒトしか所持していない。

 ターシャは、携帯バイテクコンピュータから伸びた蔓先の葉に向かって声を上げた。

 「ナオキ。バイテク雷は地球の大気圏から出ることはないのだな?」

 「今の所はそうです」

 抑揚のない声が聞こえてきた。ナオキの声だ。

 「今の所とはどういうことだ?」

 「バイテク雷は進化しています」

 ナオキの返事を聞くや否や、ターシャは蔓を引きちぎって通信を終了させると、再び小さな葉に触れて指示を出した。

 「ペタZXY228に音声通信」

 携帯バイテクコンピュータから伸びた蔓先の葉に向かって声を上げる。

 「ペタ。捜査はどうなっている?」

 「BWが活動していた場所を見つけました。ネットワークです」

 「何系だ?」

 「バイテク立体ホログラム系です」

 バイテク立体ホログラム系ネットワークは、バイテクニューロコンピュータに繋いだ自分のニューロンによって生まれるバイテク立体ホログラムで、バイテク立体ホログラム装置が設置され作動している場所ならば、いつ何時どこへでも瞬時に行くことができるというものだ。自分のニューロンとバイテク立体ホログラムは直結している為、実際に行った気分、実際に動作した気分になれる。断トツで人気があるのは宇宙旅行だ。太陽系全ての惑星や衛星、太陽系外を航行している宇宙探査機にも乗船できる。

 「バイテク立体ホログラム系ネットワークの発明者は、バイテク製品反対暴動に巻き込まれて亡くなった脳科学者だったな」

 「はい。偏屈で変わり者だったとの噂です」

 「ペタは今どこに居る?」

 「三分後には、そちらに着きます」

 「だったら、ルーム9に来い」

 「はい」

 ペタの返事を聞きながらターシャは立った。携帯バイテクコンピュータから伸びていた蔓は枯れた。ペタが通信を終了させたのだ。

 「サン。一緒に来い」

 呼ばれたサンはびっくりしてターシャを見た。もう地球の状況を監視する必要はないのだと悟ったサンは、虚しさと悔しさがじわりと胸の奥から湧き上がってくるのを感じた。

 「みんな。バイテク雷が月に来るのに備え、暫し休憩を取れ」

 ターシャはここにいる隊員達に指示を出し、ドアに向かって歩き出した。

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