第13話 デートかもしれない

 十時さんは珍しく貯水タンクの上ではなく、フェンスに寄って立って、ぼんやりと遠くの景色を眺めていた。いや、景色を眺めていた訳は無いのかもしれない。ただとにかく、視線を遠くに向けてはいた。


「……後輩君と後輩ちゃん。どうした?」


 十時さんは僕たちが声をかけるよりも先に僕たちの存在に気付いて、ゆっくりと上半身だけで振り返った。眠たそうに目じりを擦って小さく欠伸。きっとお昼寝タイムが終わった後だったのだろう、髪の毛の先がところどころ、小さく跳ねていた。


 僕はなるべく端的に、天体観測をしたいという旨を十時さんに伝えた。


「なるほど……」十時さんは眠たげな目をしながら僕の話を聞き終えて、「うん、いいんじゃないかしら」と頷いた。


「前例もあるし、きっと大丈夫なはずよ」


「本当ですかっ!?」


「うん、流石にこんな変な嘘はつかないって。……あれ、後輩ちゃんって、もしかして天文部したくて天文部に入ってきた感じ?」


「いや、そうじゃないですけど……ただ、天文部にいる以上はそう言う経験もしてみたいなって……」


「ああ、それは確かに。天文部の特権を使わなきゃ勿体ないわね。それにある程度活動しとかないとうるさい先生もいるし……よし、じゃあやろっか、第一回天体観測会」


 十時さんはのっそりと緩慢な動作で回れ右すると、ブレザーの胸ポケットからスマホを取り出しつつ、「胡桃ちゃんには聞いた?」と僕らに尋ねた。僕たちは揃って首を振った。


「ふむ、まずは部長に確認を取ろうとしたのは褒めてやろう。でもまあ、次からはそういうのはどっちでもいいわ、どっちも同じくらいいい加減だから」


「はあ……」


 十時さんはスマホの画面の上に人差し指を何回か滑らせてから、それを耳に当てた。


「……さて、出るかな………あ、胡桃ちゃん? 今いい? ……そんな固いこと言わないで、いいでしょ、教室で堂々と掛けてる訳でもないんだし。それでね、連絡と相談。そう、部活のやつ。今度天体観測会をやろうと思うんだけど胡桃ちゃんは何時なら空いてるかな……え、うん、夜だよ。昼間に星は見えないでしょ、はっはっはっ。…………うん、うん……了解です、了解―。ありがとね、お願いしますー」


 一分程度の短いやり取り。相手は勿論、諏訪部先生だろう。

 十時さんはスマホを、スカートのポケットに乱暴に投げ込むようにしてしまうと、ほっぺたの横でオッケーマークを作った。


「来週にでもできると思うって。先生が同伴しなきゃいけないから、胡桃ちゃんの都合の会う時に。その連絡は改めてしてくれるってさ」


「……ありがとうございます、十時先輩…………」


「うん。……なんだか反応薄いぞ後輩女子。どうかしたの?」


「……多分、わりと急に持ち込んだ話がとんとん拍子で進んで行って驚いているんだと思います」


「そう、そうです!」


「ちなみに僕もです」


「はは、そーかそーか」


 すると十時さんは、どこか幸せそうに見えるように頬を緩ませて、僕たちを交互に見た。


「わたしは天文観測に興味がないだけで、別に天網部部長としてのやる気がない訳ではないのよ」


「……十時先輩は、どうして天文部に入部したんですか?」


 ふと、いろりさんが訊ねた。それは僕も気になっていたことだ。

 部活を残したかった理由は聞いたけれど、それはなんだかんだで聞きそびれてしまっていた。


「別に大した理由じゃないよ。大したこと無さ過ぎてがっかりするかも」


「……そんなに?」


「うん。わたしはいろんな文化部を掛け持ちしてて、まあそのどれもが幽霊部員でたまに遊びに行く程度だったんだけど、天文部の部員が居なくなっちゃうってことで部長を就任したんだ。ただそれだけ」


「へえ…………」


「ほら、何でもなさ過ぎて反応にこまってるだろう?」


「そんなこと! ……まあ、ちょっとはある……かな?」


「それでいいよ。だけど、天文部が一番気に入っていたからなるべくしてなったのかもしれないわ」


「確かに……居心地はいいですが」


 いいというか、悪くは無いというか。


 ふいに十時さんは、「そう言えば」と話題を切り替えた。


「そう言えば、今日で仮入部期間最後の日だけど、来週の予定立てるってことは本入部確定ってことでいいのよね?」


「……あっ」


 言われてはっとした。今日は金曜日か。そうか。もう一週間が終わったのか。

 あっという間だった。いや、そんなに時間が経つのを早く感じた訳じゃない。だけどこうして、金曜日の放課後に「あっという間だった」という感想を抱くほどにはあっという間だった。


 僕はいろりさんと顔を見合わせた。いろりさんはにっこりと笑っていた。


「入部でよろしい?」


「はい」「はい」


 僕らは同時に頷いて、十時さんも満足そうに笑った。


*


 さて。

 突然だけど、僕は今週の日曜日にデートの予定があった。あったというより、できた。当日の朝十時だった。


『急だけどさ』

『これからどうですか?』

『っていうか起きてますかねー……?』

『あっ』

『主語が抜けてただよ』

『遊ぼうっていう誘いじゃよ!!』


 先日連絡先を交換してから、最初のメッセージだった。


 ほどほどに寝癖を直し、プルオーバーのパーカーに袖を通して、電車に揺られて十一時過ぎ。人口と駅の大きさは比例するので、つまりこの駅はかなり大きいことになる。駅と直結したショッピングセンターとかある。

 ここから四駅離れた僕の住む町は人口五万人とかなので、正直やべえって感じだ。やべえ。


 あっちこっち縦横に人が行きかう中で、僕は駅前で壁の一角に背中を預けながらスマホを弄っていた。ニュースページを開いてそこに視線を落としていたけれど、どうにも集中できない。


 大きい駅で誰かを待つのは不安になる。人が多い。そして皆が皆忙しなく動いている。

 そんな中で動きを止める。それはこの空間での異端で、世界から締め出されたような錯覚を覚えるのだ。


「…………しんどい」


 思わず思考が口からこぼれてしまう。その時、僕の前を横切ろうとした人が僕のことをちらりと見た。気がした。

 実際はどうか分からない。もし見たとしても、僕の呟きに反応したのか、特に理由もなく注意を向けただけなのかも分からない。


 だけれど僕は、その彼の視線にこれ以上ないほどの、なんというか、世界に対する居心地の悪さを感じた。


「――やあやあ、お待たせだよ」


 人の波の間を縫って、可愛らしい女の子が軽快に僕の下へとやってくる。

 以前読んだ少年漫画で、初めて同級生の私服姿を見て、その子があまりにも可愛らしかったものだから一瞬誰か分からなかった……という描写があったことを思い出した。


 何故思い出したかというと、この状況がそれと全く同じだったから、ではない。むしろ逆。真逆も真逆。僕は遠目からでもいろりさんのことが認識できた。

 じゃあいろりさんの私服が可愛くなかった、という訳でも、勿論無い。これも真逆だ。


 いろりさんは可愛かった。チェックのシャツにガウチョパンツ。可愛かった。別人ではなかった。いろりさんの延長線上で、可愛かった。


 でも、その名前も忘れた主人公の気持ちも分からなくない。

 初めての私服というのは、ショック――この表現では悪い印象があるか、なんというか、ドキドキが行くところまで行ってしまって衝撃に変わる。


「ごめんね、結構待った?」


「……い、…………いっ」


「……? どうしたの?」


「……い、いや、そんなに」


「そっか、よかった」


 なんとか人間の言語を取り戻してそう答える。いろりさんは安心したように表情を緩ませて、僕の隣に並んだ。


「急に呼び出しちゃってごめんだよ。……無理してない?」


「本当は昼まで寝てるつもりだったから、無理してるかも」


「あはは、高校生の休日の模範的な過ごし方してる。そっか、じゃあ私も罪悪感を感じずに済むよ」


 休日に呼び出す程度のことで罪悪感を感じる方が間違っていると思うけれど。

 無理を押し通された訳でもなく、僕が自分の意思で来ている訳だし。


「でも、どうして急に?」


「ふと、急に思い立って」


「急に思い立って」


「そそ。あと、天体観測に必要な物とか買いたくて。……お恥ずかしながら私、結構舞い上がっちゃってるみたいなんですよ」


 頬を人差し指でポリポリ掻きながら、恥ずかしそうに若干笑顔を崩した。


*


 お互いに昼食を摂っていないということで(ちなみに僕は朝食すらまだだ)、とりあえずファミレスへと向かうことにした。

 駅直結のショッピングセンター内には飲食店も数多く入っているのだけれど、そのほとんどはちょっとお高いお店で、高校生が気軽に訪れることの出来る場所ではなかった。せめてドリンクバーはないと話にならない。


 いろりさんは僕と同じで注文はさっと決められるタイプだったらしく、席に座ってメニューを一瞥して直ぐに注文。

 僕はミックスグリルとライスのセット。パスタとかグラタンとかも美味しそうだと思うんだけれど、ほぼ同じ金額でお肉が食べられると考えるとどうしても損な気がしてしまう。 

 いろりさんはチョコレートパフェの大。そしてもちろん、ドリンクバー二人前。


「ご飯はいいの?」


 僕が訊ねると「パフェ頼んだよ?」と不思議そうな顔をする。一般的にパフェは食事では無い気がするのだけれど。……まあお腹を満たすことはできるけれど。


 最近のドリンクバーは凄いもので、ボタンじゃなくてタッチパネルになっている。そしてメニューとして複数のジュースをミックスしたものが用意されている。

 技術としてじゃそこまで優れたものじゃないけど、なんというか、時代が進んでいるのを感じる。


 僕がグラスにメロンソーダを注いでいると、「あれ、二幹くんは氷入れない派ですか?」といろりさん。「冷たすぎると喉が痛くなる」と答えると、「ふーん……?」とあまり共感できない相槌。


 僕が緑色の液体を持って後ろに下がると、いろりさんは限界まで氷を敷き詰めたグラスを置いて、コーラの文字をタッチした。黒いような赤いような茶色いような、不思議なコーラ色のコーラでグラスが満たされていった。


「それで、いろりさん」席について一口、飲み物で舌を濡らしてから、僕はいろりさんに切り出した。「どうかな、ちゃんと青春はできてる?」


「うーん……どうだろう……」


「……まあ、まだそんなに日数経ってないからね」


「でも、できてないと言えば嘘になるとは思う。何ていうのかな……」首を斜め上に向けて、視線だけをちらりとこちらへ。「二幹くんといると、楽しいのです」


「……別に、何かをした覚えはないけど」


「うん、そうなんだけど……ほっとするというか、楽しむ余裕ができるというか…………変に気を使わないのですよ」


「……ふむ」


「この前の二幹くんの言葉。きっとあれのおかげだと思うの。迷惑かけてもいい、そう思うと一緒に居るのがすっごい心地いい。だから今日だって、こんな急な呼び出しができた訳ですな」


 いろりさんは少し照れくさそうに、にこっと笑って見せた。僕はその笑顔に胸の奥の方の熱い何かが跳ねるのを感じながら、勘違いしない内に慌てて目を逸らした。


 しかし……僕の思い付きの作戦はなかなかどうして上手くいっているらしい。いろりさんの尖った自意識の鎧を溶かし、変な自己防衛や自己否定のフィルター失くして人と関わらさせる。とりあえずそれは、僕に対しては可能になっているらしい。


 こうなれば後は難しくないだろう。僕以外の人――例えば、いろりさんの二人の友達とかにも実践できるようにすればいい。

 彼女たちも、僕と同じでいろりさんを嫌ってなどいない、むしろ僕なんかよりもいろりさんのことが好きなんだということを分からせればいい。


「そうなんだよね、きっと」


「何がです?」


「僕はいろりさんに呼び出されても、別に気分を害したりしなかったよ。きっとみんなそんな感じ。自分が思ってるほど、周りは自分に対して悪いことを思わない。意外に世界は、そんなに生きづらくない」


「…………うん、考えすぎだってことは、うん、分かってるんだけど」


「それが分かってれば、平気だよ。いつか頭じゃなくて、感覚で、分かる時が来ると思う」


「そう、かなあ……」


「そうだよ」


 不意に「お待たせしました」の声。女性の店員さんに、二人同時に驚いて振り向く。

 店員さんは驚いた僕たちに驚いたらしかったけれど、それでも営業スマイルを崩さずにメニューをテーブルの上に並べた。

 その間、僕たちはバツが悪くて明後日の方へと視線を向けていた。


 店員さんが伝票を置いて去ってから、僕といろりさんは顔を合わせて、どちらからでもなくはにかむように笑った。


 飲み物を補充してから、互いに手を合わせていただきます。その間いろりさんは、待てをされている犬のようにキラキラ――ギラギラした目でパフェを見つめていた。


「んー、おいしいっ!!」


 スプーンを刺しこんで、チョコシロップのかかったアイスクリームと生クリーム、そして一口サイズのガトーショコラを救い上げて、急くようにして口へ。いろりさんは瞬間的に満面の笑みへと変わって、次へ次へとどんどん口へと運んでいく。


だけれど突然いろりさんは動きをぴたりと止めて、「あのさ」と僕に声をかける。


「パフェの語源はパーフェクトから来てる、みたいな話聞いたことある?」


「あー、あるよ。完璧な甘いものだから、みたいなやつでしょ」


「そうそう。でもさ、それって絶対に間違いだよ。私は今、そう思いました」


「またどうして。美味しそうに食べてたよ?」


「……パフェってカロリーが凄いのですよ。あと、油も。めっちゃオイリー」


「……ああ、なるほど」


「なのにこんなに美味しいなんて、致命的な欠陥じゃないですかっ! 悪魔の食べ物だよこれは!!」


 親の仇のように恨みのこもった鋭い目でパフェを睨みながら、スプーンを思い切り突きつけた。その際に勢い余ってしまって、スプーンがパフェに刺さったポッキーに命中。ぼっきーん。そう言う音が鳴った訳ではないけれど、そういう擬音が付いてもおかしくないくらい見事にぽっきーんした。


 そして折れたポッキー。くるくると見事に宙で回転して、そしてぽちゃん。これは本当に聞こえた音だ。いろりさんのコーラのグラスに、折れたポッキーがぽちゃんした。


「…………」


 いろりさんは、スプーンを突きつけた姿勢のまま固まっていた。

 僕もこの衝撃の光景に、言葉を失ってしまった。


 ドリンクバーのジュースが一杯ダメになっただけで、ショック自体は何もない。だけれどまるでコメディーのようなこの状況に、思わずぽかんとしてしまったのだ。僕もいろりさんも。


「……あはっ」


 急に、いろりさんはこらえきれないとばかりに拭きだした。


「あはっ、はははははっ」


「……ははっ」


 僕もつられて笑った。なんか、よく分からないけれど、何がおかしいのかもよく分からなかったけれど。

 それでもなんか、笑ってしまった。


「あははははははっ」


 いろりさんも、僕が笑ったのを見て更に笑った。

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