7 あなたのことが好きだから



『お義兄にい様、顔色が……』

『……大丈夫だ。君にまで心配をかけてすまないな』


 微笑む男の姿は決して大丈夫には見えなかったが、他者を気遣う余裕があるだけ幾分かマシなのかもしれない。


『そんなことどうでもいいです! 私が心配したくて勝手にしてることですから!』

『…………はは、そうやって怒るところは彼女によく似ているな』


 そう言って、今はいない彼女に思いをせる。どこか遠くを眺める彼は全く生気がなく、今すぐに消えてしまいそうで、放っておけなかった。


『……お義兄様。お姉様が亡くなってからずっと働き詰めで、あの子・・・も心配しておりました。少しは顔を見せてあげて下さい』

『あの子は彼女に瓜二つで…………私は、あの子が居たからこんなにも辛い──』


 最後まで聞かず、少年は走り出した。盗み聞きなんてするつもりはなかった。


 ただ、疲れている自分の父親に少しでも何かしたかったのだ。



 ──自分がその元凶だとは知らず。




***




 お家って、その人の個性がでると思う。


 庶民の1部屋以上はある大理石の玄関は隅々まで掃除が行き届いているのにどこかレトロな雰囲気があった。


 さすが、有栖川家と言うべきか。立花家うちはどちらかと言うと現代的で、すぐに最新の物を買ってくるので、こういったアンティークは私にとっては物珍しい。


「素敵なご自宅ね〜」

「ありがとうございます」


 部屋をデザインするアンティーク家具はどれもお父様の趣味なんだって~。アリスおじ様センスいいなあ。


 お父様がアリスって呼ぶから私もそうしていいとおじ様が以前許可してくださった。さすがにお父様のように『アリスちゃん』と呼ぶのは遠慮した。そのかわり私はアリスおじ様と呼ぶことにしたのだ。


「そういえば、赤也くんのお家に伺うのはこれが初めてね」

「いつもぼくが雅さんのご自宅に伺ってますからね」


 まあ、いつも貴方が勝手に訪問してくるだけで、私から招いたことはないのだけれど。


 な〜んて、そんなこと思っても、口が裂けても言わないけどね。今は慣れたけど、赤也の来訪に、初めはそれなりに驚いたりしたっけ。


「まあ、ぼくが勝手に押しかけちゃってるだけですけどね」

「えっ」


 赤也の言葉に思わず固まる。……私、口には出していないわよね? いつになく鋭いこの天使こと『有栖川赤也』少年に恐れ戦く。


「今までぼくが一方的に雅さんに会いに行くだけで、雅さんはぼくとは仲良くしたくないのかなあって思ってたので、今日こうして雅さんが家に来てくれて嬉しいですっ!」

「……ははは、そんなことないわよ? わたくしも赤也くんとは親しくしたいと思ってますもの。また是非来て下さいね。お兄様も喜びますわ」

「はい、また伺いますね」


 こうやっていい顔をしてしまう自分が憎たらしい。


 元々話す方ではなかった『立花雅』は最近ではすっかり友好的になった。どこからそれを聞きつけたのか、立花家に取り入りたい人達は自分の子どもを使って取り入ろうとしてくるので、自ずと私もさらりと交わすのが上手くなってしまった。


 相手に不快な思いをさせずそれとなく断るためにいい顔をすることは1度や2度ではない。そんなこんなで5歳にして高度なスキル持ちになってしまった。


「そういえば、赤也くんのクリスマスのご予定は?」

「……さあ? どうでしょう。きっといつも通りですよ」

「いつもお祝いしないんですか?」


 おかしいな。子どもなら絶対この話題食いつくと思ったのに。


 同じ幼稚園の友人は家族だけのこじんまりとお祝いしたり、大きなパーティーを開いたりとすごく楽しそうに話していた。


 子どもって無邪気で可愛いなぁーなんて、思っていたのはつい先日の話だ。あ、今は私も子どもか。


「…………お母様が死んでから、家ではそういったお祝いはしていないんです」

「そう、なん、です、か……」


 しまった。まさかの地雷だったか。そしてやっぱりこの世界でも赤也の母親は亡くなっていたのね。


「……もう昔のことですから、雅さんは気にしないで下さい」

「……知らなかったとはいえ、ごめんなさい」


 平気だと言う赤也に私は頭を下げる。


 昔のことって、赤也は言うけれど、貴方は4歳なんだから、まだ亡くなって数年じゃない。大切な人が死んだのに、数年で平気な訳ない。それが親ならば尚更。


「……ふふ、やっぱりあなたはお母様に似てます」

「……え?」

「はじめて会った時も、あなたは突然倒れましたよね。お母様も身体が弱くてよく倒れる人でした。そのくせ誰よりも明るくて元気で……自分は平気だって口癖のように言っていました。でも、ある日突然亡くなってしまって……」


 俯いてた瞳が、静かに私を捉える。


「……お父様が言っていました。ぼくがいたから、ぼくのせいでお母様は死んだんだって。だから、きっとあなたが倒れたのもぼくのせいです。ぼくが、いたから」

「ちがうっ! あなたのせいじゃ……」

「いえ、ぼくのせいなんです」


 必死に否定しても、赤也には私の言葉は届かない。ちがう。貴方がいたからじゃないの。


 確かに『有栖川赤也』に出会ってしまったショックで寝込んでしまったから、ある意味ではあなたのせいかもしれない。けれどそれは貴方がそんなに気に病む必要のないことよ。


 それに、お父様が言っていたって、どういうこと? アリスおじ様がそんなこと言うはずがない。だって、アリスおじ様は赤也を心から愛しているわ。他人の私にだってわかる。



『赤也と仲良くしてくれてありがとう』

『最近赤也が私の前でもよく笑うんだ。君のおかげかな?』

『赤也は外見は母親に似たんだが、肝心の中身が私と似てしまってね……気難しいかもしれないがこれからもよろしく頼むよ』



 アリスおじ様の言葉。どれも赤也のことを思っての言葉だ。私と話す時はいつも赤也のことを気にかけていた。


 アリスおじ様が貴方に向ける眼差しはとっても優しくて、貴方が好きなんだって伝わってきたのに。どうして、どうして貴方がそんなこと言うの。


「また倒れてしまうんじゃないかって、ぼくすごく心配で……だから雅さんに頻繁に会いに行ってたんですけど……ダメですね、ぼく。明るく笑うあなたに会う度にぼくまで笑顔になれて、いつの間にかあなたに会うことが目的になってました」


 この数ヶ月間、赤也とは色んなことをした。読書をしたりテレビを見たり。トランプはさすがにお兄様を呼んで3人でやったけれど。


 大したことはしていないけど、最初はおどおどしていた赤也が、だんだん私に心を開いてくれる姿が嬉しかった。笑顔が増えたことは、相手が『有栖川赤也』でも純粋に嬉しかった。


『……雅さんが倒れてしまったのは、ぼくのせいなんです。だから、あなたの体調が完全に回復するまでこうしてまたお見舞いに来てもいいですか?』


 あの時は特に気にもとめていなかった言葉も、今なら理解できる。そっか。全部自分の責任だって決めつけて抱え込んでるのね、赤也少年は。どうしてもっと早く気づいてあげられなかったんだろう。


 後悔ばかりで、今彼にかけるべき最善の言葉が見つからない。なんて言ってあげればいいのか、と悩んでオロオロしていたら、彼は静かに、けれど確実に私に聞こえる声量で呟いた。


「雅さんが、ぼくの家族だったらいいのにな……」


 そうね、と言えたら良かったのに。


 だけど、ごめんなさい。ここでただ慰めるだけなら、私は『立花雅』と変わらないわ。


 あんなに軽蔑していた『立花雅』だけど、今なら少しだけ貴方の気持ちがわかる。困って今にも泣き出しそうな天使に、私も手を差し伸べてしまいそうになるもの。



「わたくしはあなたの家族にはなれないわ」



 私は赤也をはっきり突き放す。



「だってあなたの家族はアリスおじ様だもの。頼るべき相手はわたくしじゃないわ」


 赤也が渇望しているのは、家族からの──おじ様からの愛。『立花雅』じゃ、私じゃ代わりになれない。


「……赤也、赤也はお父様が好き?」

「………………はい、たとえお父様がぼくを嫌いでも、ぼくはお父様が大好きです」


 ただ親を好きというのに、ただそれだけのことに、彼にはすごく勇気がいったんだろう。ぎゅっと握られた拳は力が入りすぎて白くなっていた。


「じゃあ、やっぱりクリスマスパーティーをしましょう」

「……えっ、でも」

「わたくしたちのために仕事を頑張ってくださるお父様たちに感謝の気持ちをこめてサプライズパーティーをしましょうっ!」

「…………ぼくなんかのプレゼントを受け取ってくれるでしょうか?」


 赤也はまだ不安そうだったけれど、嫌だとは一言も言わなかった。


「大丈夫よ、アリスおじ様きっと喜んでくれるわ。もし受け取ってくれなかったら、わたくしがあなたの家族になってあげる」

「…………雅さんが?」


 ただでさえ大きな瞳が更に大きく見開かれる。


「そう、子どもを愛さないような親なら、そんな人必要ないわ。わたくしがおじ様の分もたくさんたくさんあなたを愛してあげる」


 私、今勢いに任せてすごいこと言ってる気がするけど、気にしない! だって、私はおじ様がそんな人じゃないって信じてるから。


「わたくしがあなたの姉になってあげる! どう? もし失敗しても、あなたには家族が手に入るわっ!」

「…………ふふ、あははっ、家族にならないって言ったり、なるって言ったり、忙しい人ですね。雅さんはどうしてぼくなんかのためにここまでしてくれるんですか?」


 そんなの決まりきってる。


「あなたのことが好きだから」

「……えっ!」

「それから、アリスおじ様のことも。大切な人が困ってたら、放ってなんておけないわ」

「…………なんだ、てっきり……」

「どうかした?」


 自分で尋ねておいて、何故か釈然としない様子の赤也は、しばらく独りでぶつぶつ話していた。どうしたんだい。


 それからしばらくして自己完結した彼がエンジェリックスマイルでぼくも雅さんが大好きですと言ってくれた。


 うん、さすが私の天使。効果は抜群だっ!



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